28日、29日と裏磐梯を銀輪散歩して来ました。(この記事は日付を遡って作成。実際の記入日は10月1日です。)
27日、空路新潟に入り、28日朝7時過ぎの高速バスで新潟から会津若松へ。会津若松からJRで猪苗代へ。猪苗代から乗合いバスで裏磐梯ロイヤルホテルへ。11時過ぎにホテル到着。宅配便で送って置いたトレンクルをフロントで受け取り、早速に銀輪散歩へ。
初日は五色沼、小野川湖など。2日目(29日)は桧原湖一周。3日目(30日)は台風17号の心配もあったので猪苗代湖銀輪散歩は取り止め早目に新潟まで帰って来ました。しかし、大阪の天候が荒れていて前便の大阪行き飛行機は途中で引き返して来て、新潟空港にて待機中。小生の予約していた最終便も天候調査中で飛ぶかどうかは分らないという。5時頃になって、待機中の前便が6時半に出発することになった、というので、それに便変更して貰って、無事伊丹に午後7時4~50分頃に帰って来ることが出来ました。
ということで、裏磐梯銀輪散歩のレポート、本日より何回かに分けて掲載することと致します。
往きの飛行機の窓から遠く富士山が見えました。
朝のバス待ちの時間に、新潟駅前の小さな公園に立ち寄ると、猫とカラスが・・微妙な距離で。新潟駅前朝7時15分発のバスで会津若松へ。
会津藩は教育水準も高く、文武両面での藩士の士気も高く、幕末期に於いては「宝石のような藩」であった、というようなことを、司馬遼太郎氏が何かの本で書いて居られたかと思いますが、そのことがこの藩の悲劇ともなったと言うべきか、悲劇がその宝石の輝きを際立たせることともなった、と言うべきか。
しかし、今回はそういう記憶の散りばめられた会津若松はやり過ごして、猪苗代から磐梯山の裏手の「宝石のような」五色沼など、自然探勝の銀輪散歩なのである。これも、ブログ友の画家、ひろろさんがそのブログに於いて絵画や写真などでご紹介下さっている風光に誘われての、フラリ思い付きの旅なのであります。
瑠璃色の 風も吹くらむ 磐梯の
湖沼の秋の 道をたづねな (偐家持)
電車には、会津の郷土玩具「赤べこ」をゆるキャラ風にした「あかべぇ」が表示されていました。会津ライナー2号で会津若松から猪苗代へ。
野口英世は猪苗代町の出身。野口英世記念館も近くにあるようだが、今回は立ち寄らぬままとなりました。
桧原湖方面へのバス待ちの時間を、ガランとした駅前周辺をブラブラ。
(野口英世三体像説明板。クリックして拡大画像でお読みください。)
銀輪万葉とは言え、会津の万葉歌は1首あるのみ。
会津嶺
の 国をさ遠み 逢はなはば
偲
ひにせもと 紐結ばさね
(巻14-3426)
(会津の山々に隔てられ遠くに離れているので逢えないなら、せめても
偲ぶよすがに衣の紐を結んで下さいな)
この歌で連想するのは、人麻呂の次の歌。
淡路の 野島の崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す
(柿本人麻呂 万葉集巻3-251)
紐を結ぶという行為は、結びの呪力への信仰に基づくもので、親しい男女が無事の再会への祈りを込めて行ったもの。旅の安全を祈るものであるとともに、妻や恋人を偲ぶよすがでもあった。
眉が痒くなったり、蜘蛛が巣を張ると、恋しい人の訪れがあると考えたり、衣の紐を結ぶことによって再会を祈ったりと古代人は物事に色々な意味付けをしていたのである。現代の我々が何でもないと見過ごすものも切実な意味を持っていた、ということで言えば、とても色彩豊かな世界が広がっていたということでもあると言えるでしょうか。
猪苗代駅前からバスで30分弱。国道459号線でひたすら坂道を上って、磐梯山の裏側、桧原湖と秋元湖の中間位、五色沼入口の近くにある裏磐梯ロイヤルホテルに11時過ぎに到着。これより五色沼探勝に出掛けますが、続きは次回です。( つづく )
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