( 承前 )
氷見港万葉歌碑前の東屋で休憩していると、左手前方に五重塔が見える。犬を連れて散歩に来られたご老人にお尋ねすると、寺院ではなく個人のお宅の庭に建っているのだという。昔の網元のお宅だそうな。
いかな情熱にてあるか。氷見にも変った御仁が居られるのでありますな。ものはついでと寄ってみることに。
五重塔のみか観音像まである。
さて、海岸沿いを阿尾城跡へと走ります。ブロ友英坊3氏のご紹介にて写真では既に承知の岬の姿が見えて来る。
(城ヶ崎ズームアップ。塔のある処が阿尾城本丸跡)
(足元に目をやると、波しぶき)
鳥居を潜って直ぐの処に万葉歌碑があった。
英遠
の浦に 寄する白波 いや増しに
立ちしき寄せく
東風
をいたみかも
(大伴家持 万葉集巻18-4093)
あゆの風が烈しいからからだろうか。>
この歌碑が目当てにやって来たのであれば、これにてもう用は足りているのであるが、榊葉乎布神社は大伴家持が越中国守時代に勧請したのが起源とする伝承があるとあっては、立ち寄らぬ訳には参りませぬかな。
榊葉乎布
神社の由緒は下の写真をクリックしてお読み下さい。榊葉乎布神社と向かい合う形で崇徳天皇を祀る白峰社があり、その奥に阿尾城本丸跡がある。
本殿の裏を更に奥へと進むと、「本殿跡地の碑」がある。旧本殿跡地ということですな。これが本丸跡かと思いましたが、更に細い道が岬の先へと続いて居り、「本丸跡→」の案内表示がある。
ここが本丸跡の「憩いの広場」。鉄塔と木製の展望台がある。他には何もない。上ってみるしかありませんな(笑)。
しかし、予想した以上にいい眺めである。はるか遠くに二上山も見えるではないか。
阿尾城跡にお別れして県道373号線に戻り、再び北上。
小境地区に入って目に止まった寺、大栄寺にて、しばし休憩。浄土宗のお寺である。越中の宮こと後醍醐天皇第8皇子の宗良親王のお墓が境内にあるとの伝承があるらしいが、それらしきものには気付きませなんだ。宗良親王の墓というのは静岡県の引佐町にもあるというから、真偽の程は?である。
小境海岸は人影もなく美しい。海岸べりを走り、大境へ。
県境か七尾駅までという計画であったが、初日のトラブルで、初日に回るべきであった布勢の円山や藤波神社などを廻るのに今日の半分を費やしてしまったため、県境までというのもどうやら無理のよう。暗くなる前にホテルに帰り着くには、白山社辺りで引き返すのが無難なようだ。
このアト大境洞窟住居跡・白山社へと向かい帰途につきますが、これは次回です。( つづく
)
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