< 承前 >
長らくお付き合い戴きました大津歌碑散歩、途中から神社散歩となり、何やら訳の分からぬこととなりましたが、今回で最終回となりそうです。
そして、今回は歌碑も神社もない、何もないのであります(笑)。
(注) 獺
の祭=カワウソは捕えた魚を並べる習性があり、それが
お供えをしているのに似ていることから、 獺祭
と呼
ぶようになった。
ところで、 獺祭忌
というのは、正岡子規の忌日(9月
19日)のことである。これは友人の凡鬼さんから以
前に読書会で教わりました。子規が獺祭書屋主人
と号したことに由来するという。
木綿
だたみ
田上山
の さなかづら ありさりてしも 今ならずとも
(万葉集巻12-3070)
唐橋を渡って東へと走って来てしまったので、カワウソの祭は芭蕉さんにお任せ、田上山は「今ならずとも」そのうちに逢いましょう、ということで、近江国庁跡に到着であります。
小生も今回が初訪問であるが、芒芒たる感じにてなかなかによろしい。近江国衙跡と刻された碑が建っている。国衙の主たる建物の基壇とそれを取り巻いていたであろう土塀の一部の復元物があるばかりにて、他には何も無い。何も無いからいいのである。古跡はやたらに復元したりしない方がいい、というのが小生の感覚であり、意見でありますな。
(近江国衙跡の碑)
復元物が出来てしまうと、確かに過去の建物を目にして正確なイメージが描けるというものではあるが、それは少しも詩的でも文学的でもありませぬ。茫洋とした何も残っていない中で在りし日の様を想像するという方がはるかに豊かなイメージが描けるというものである。
先に訪ねた大津京跡地の錦織遺跡は住宅がしみみに建て込んだせせこましい一角にあったので、人麻呂の近江荒都歌のイメージとはうまくつながらなかったが、この近江国庁跡に立つと、たまだすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ・・と近江荒都歌も自然に口をついて出るのである。
奥の森が多分御霊神社(大江地区)であろう。
で、日も傾き、影が長く伸びて参りました。影持君が登場しそうな時刻だと思いきや、果たして、その通りとなりました(笑)。
土地柄か「偐影持」ではなく「近江影持」君のようであります。
影持君登場で気持ちが他所見をしたか、それとも気持ち焦ったか、国庁の北東に隣接しているもう一つの御霊神社(大江地区)に立ち寄るのを忘れて帰途に着いてしまいました。
まあ、何か一つは忘れた方が再度来るための口実になる、という小生の論理からすれば、これでこそ「完璧」な散歩であったということになりますが(笑)。
大津歌碑散歩、可否を問うまでもなく、これにて完結不可避。
可も不可も これなくあれば 鹿もまた 見ざるの鴨の 冬の旅かも
(鴨短命)
さて鴨は何羽?最後は「駄洒落」散歩にて完結と致します(笑)。
懲りもせず、長らくのお付き合いを賜りました皆々さま、どうも有難うございました。
因みに鴨は、短命の鴨も入れて、6羽 かも
?
そして、鹿1頭、猿1匹でご ざる
。 <完>
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