言葉遊び・イズム篇(2)
本日も言葉遊びです。イズム篇(2)でありますが、これではすっかりイズミストでありますな。
ヒロイズム(heroism):
不注意でぶつかり他人の物を落としても拾えば済むとして一切謝らない主義。英雄は軽々しく謝ってはならないという考え方によるものであるが、英雄気取りの者がこれをやることが多いのは戴けない。これに似た言葉に英語表記では同じになるヘロイズム(heroism)があるが、これはヘロイン(heroin)中毒患者の治療方法のことであって全く関係がない。
アニミズム(animism):
これは読んで字の如し、兄崇拝のことですな。自然界の万物に精霊が宿るという考え方から、兄にも精霊が宿る筈としこれを特に崇拝するものである。これが姉になればアネミズム(anemism)、弟だとオトミズム(otomism)、妹だとイモミズム(imomism)、親だとオヤミズム(oyamism)、愛犬だとイヌミズム(inumism)ということになる。このように無数に拡散変形して行くこととなり、トーテミズム(totemism)と区別がつかなくなる。それで、これらを総じて「精霊崇拝」という訳を使っている。
ヒューマニズム(humanism):
これは人文主義などと訳されるが、「巨人の星」の主人公の名前・星飛雄馬に由来し、彼のように人間には無限の可能性と良きものがあるとして、人間中心に物事を考えて行こうとする主義。これに対しては犬や猫など動物界各方面から異議が出されている。それで、これに似たものとしていささか修正を加えたヒューマニタリアニズム(humanitarianism・人道主義)というのが登場したが、関西方面の動物界からは「似たりよったりやん」と揶揄されている。
ナチズム(Nazism):
ドイツのナチスの思想を指すと一般的には考えられているが、元はnachismで、熊野の那智大社の思想に基づく、極めて穏健なものであった。熊野で修業していたヒトラーがこれにファシズムと偏狭な民族主義を加えて、帰国後に作り上げたのがNazismである。彼の偏狭な民族主義は熊野修業の折に成績不良で破門されたことから来る有色人種への劣等感と憎悪に起因すると言われている。
マネタリズム(monetarism):
以前、この「言葉の遊び」欄でマネタリズムとは画家マネの絵が下手だとする一派の主張だと説明したことがあるが、彼らはその後関心が金儲けの方に移り、やがてマクロ経済学の分野で中央銀行の果たす役割を重視する一派を形成することになる。今では彼らの間でもマネとはマネー(money)を意味し、画家マネの絵が下手かどうかはどうでもいいことになっている。アベノミクスはこの一派の主張を真似たもので、その主張の欠点とされる長期的側面に於ける副作用を第三の矢で解決しようというものである。まあ、ヤカモチはそんなことはどうでもよろしい。阿倍野に行ってミックスジュースを飲むだけでござる。
ロマニズム(
Romanism
):
これは文字通りローマに住みたいという人たちの主張。住めないならせめてもローマの絵でも買うかということとなり、このような人たち向けの絵を描く画家がルネサンス期北方ヨーロッパに輩出したので、主に絵画の世界で言われることが多い。男のロマン、などという言い方があるが、それが大抵叶わぬもので、絵に画いた餅に終わるのは、そもそもこのロマニズムが絵画世界の言い草であるからによる。なお、これを絵画手法の方から主にローマ在住の画家たちによって主張されたのがマニエリズム(
Mannerism)
である。彼らの絵は主に応接間に飾られたので「間に絵」と呼ばれ、マニエリズムと称されるようになった。
クラッシズム(
classicism)
:
これは上のロマニズムと同じようなものであるがローマでの暮らしに重点を置いたもので、暮らしズム、と呼ばれる由縁である。暮らしに重点を置いた結果、絵画にとどまらず音楽や文学その他芸術一般、建築様式や生活スタイル全般に広く主張されるようになる。これに伴い、ローマでなくても古い物、昔のものが理想という考え方に変移して行くこととなる。その結果、現在では「古典主義」という訳が使われるのが一般的である。
リアリズム(Realism):
19世紀に入ると上の古典主義への反動としてもっと現実を見つめよう、でないとリア王のように悲劇に見舞われるぞ、という主張がなされるようになる。これがリアリズムである。これも当初は絵画の世界で主張されたもので、彼らの絵は写実的であったことから「写実主義」と呼ばれることとなった。その結果、現在ではリア王と写実主義とは何の関係もないという説が蔓延してしまっている。
ファンタシズム(fantasism):
上のリアリズムへの反動として生まれたのがファンタシズムである。現実と幻想との境目は我々が通常考えている程に明確なものではないとして、幻想の復活を宣言したものである。
幻想主義と訳される。これはフランスの作曲家ベルリオーズが1830年に作曲した幻想交響曲に由来する命名であるとされるが、20世紀第二次大戦中にコカコーラ社のドイツ法人が開発した炭酸飲料の「ファンタ」に由来するという説もある。何れもフアン(不安)を解消するのは現実ではなく幻想であると主張している。
モダニズム(modernism):
これは古典主義やロマン主義への反発から生まれたリアリズムを引き継ぎ、幻想に逃避することなく、時代の最先端を目指そうという主張で、色んな矛盾や伝統のしがらみは意に介さない問題にしない、ということでモンダイニシナイ主義、モダニズムと命名された。現代主義とか近代主義とも呼ばれる。まあ、そんなことは無駄だから止めて置け、と主張する一派も生みだすことになる。この一派の主張はムダニズム(mudanism)と称されるが、この主張を紹介するのも無駄なことなので止めて置く。
ヤマシミズ(yamasimizu):
山吹の 立ちよそひたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなく
(高市皇子 万葉集巻2-158)
この万葉歌は十市皇女が亡くなった時に、高市皇子が詠んだ歌である。山吹の花の黄色と山清水の泉で「黄泉」、つまりヨミの国のことを意味し、そこへは行きたいけれど道が分らないので逢いに行けない、と悲しんでいる歌である。
これは死者には逢えない、死者の国とこの世とを行き来するというホトトギスがうらヤマしいとする考え方であるが、主義という程のものではなく、只の感傷である。
(比賣神社、十市皇女を祀る。)
<参考>言葉遊びシリーズの他の記事は コチラ です。
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