本日午前11時頃に恒郎女さんより電話があり、「今、小万知さんが来て下さっているので、よかったら来ませんか?」とのこと。
小万知さんは、自宅庭のミモザを手折り、ロウバイや福寿草などの花の写真をご持参で智麻呂邸をご訪問下さったよう。そして、もう一つの目的は、当ブログの2月20日の記事(「 パンドラの丘
」)に興味を持たれて、それを訪ねてみようと言うことであったらしい。ご本人は、当該ブログ記事を印刷し、付近の地図を片手にひとりバス&徒歩で廻るつもりでいらしたよう。しかし、その話をお聞きになった恒郎女さんが、「それなら、私の電動自転車を貸すからそれで回ることとし、偐家持さんに案内して貰えばいい。」と小生に電話をされたという次第。
そんな企みがあるとは露知らぬヤカモチ。飛んで火に入る「春の虫」でありました(笑)。
と、言うことで、本日の記事は添乗員ヤカモチ先生の日下案内記であります。既に過去の記事で掲載済みの写真は当該記事をご参照戴くこととして省略させて戴きました。
コースは次の通り。
智麻呂邸→妙徳寺→旧生駒トンネル→日下新池・パンドラの丘→
大龍禅寺→旧河澄家→古事記歌謡歌碑→日下貝塚碑→孔舎衙小学校
→神武天皇聖蹟盾津顕彰碑→加納緑地→智麻呂邸
1.妙徳寺
(寺の写真は2010.5.3.「 石切・額田・瓢箪山近隣散歩(上)
」に掲載して居ります。)
寺の境内には白梅が咲き匂っていました。
そして、これは小万知さんが目聡く見付けられたのでありましたが、梅の木の根方には立派な福寿草。
2.旧生駒トンネル
(旧生駒トンネルの写真は、2010.3.31.「 銀輪花遍路
」、2012.5.29.「 石切神社上之宮
」に掲載されています。)
3.日下新池・パンドラの丘
(日下新池の写真は、2010.3.31.「
銀輪花遍路
」、2013.2.20.「
パンドラの丘
」に掲載されています。)
4.大龍禅寺
(大龍禅寺の写真は、2010.7.27.「 わが待つ秋の近づくらしも
」に掲載されています。)
5.旧河澄家
(旧河澄家の写真は、2013.2.22.「 旧河澄家-ゆきずりのわが小板橋
」に掲載されています。)
6.古事記歌謡歌碑
(歌碑の写真は、上記の「旧河澄家-ゆきずりのわが小板橋」に掲載されています。)
この歌碑の建立者は井上正治氏。同氏は、小万知さんが通って居られた孔舎衙小学校の校長先生であったお方とか。
7.日下貝塚之碑
(日下貝塚之碑の写真は、上記の「旧河澄家-ゆきずりのわが小板橋」に掲載されています。)
日下貝塚之碑の隣のJAの駐車場に、日下貝塚之詩碑なるものがありますが、上記の2月22日の日記では掲載していませんでしたので、茲に掲載させて戴きます。
8.孔舎衙小学校
孔舎衙小学校は小万知さんが通われた小学校。思い出の学校であるが、校舎は建て替えられていて、往時を偲べるものは何とてもないようでありました。
この小学校の校歌の歌詞には、上の「日下江の蓮」が出て来るのでありますな。
上の校歌は正面の建物に掲げられてあるのをズームアップ撮影したものです。
9.神武天皇聖蹟盾津顕彰碑
小学校が記憶に残る景色をとどめてはいない、ということで、昔のままに残る神武天皇顕彰碑へご案内する。子供の頃は、此処で遊んだりもされたとお聞きして居りましたので。
小学校卒業式の日に友達みんなでこの碑の前で記念写真を撮ったとのことで、懐かしそうにされて居られました。
この碑が建てられた時には、生駒山が背後に見えていたのであろうが、今は住宅が建て込んでしまって、見えない。
神武天皇曰く「眺望権の侵害である。」
さぞ、心外なこととお察し申し上げまする。
(注)神武天皇聖蹟顕彰碑は、皇紀2600年(昭和15年、1940年)に、
文部省指揮の下、神武天皇に所縁の地である、
全国19ヶ所に建立
された顕彰碑である。
大阪府には4基建立されているが、うち2基が此処日下の地に建て
られている。(他に、奈良県7元、和歌山県4基、岡山県、広島県、
大分県、福岡県各1基)
これにて予定見学コース終了。引き返すこととし、恩智川に出て、加納緑地から花園中央公園まで恩智川沿いを走り、智麻呂邸に帰還。
智麻呂・恒郎女ご夫妻と談笑。そして、お寿司をご馳走になりましたですな(笑)。どうもご馳走さまでした。
以上、ヤカモチ添乗員日記でありました。
自宅療養記・花園中央公園、ライフ新石切店 2025.11.07 コメント(2)
自宅療養記・ホルター心電図と枚岡神社な… 2025.11.04 コメント(2)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
ビッグジョン7777さん
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん