本日は囲碁例会の日でありましたが、都合により欠席。
それで、午後2時過ぎから銀輪散歩に出掛けましたが、何処と言ってアテもなかったので、昨日、小万知さんと訪ねた神武天皇聖蹟盾津顕彰碑との関連で、もう一つの顕彰碑・孔舎衛坂顕彰碑を訪ねてみることとした。
随分昔に訪ねたことがあるっきりで記憶もぼんやりしているのであるが、大龍禅寺不動院の先の山上を目指す。
(大龍禅寺不動院)
日下不動尊とある。坂の下にある大龍禅寺の奥の院ですかね。ここまでは自転車(MTB)で来れる。この先を少し登ると舗装がなくなり、細い険しい山道となる。
MTBをチェーンロックで立ち木に括りつけて、徒歩で行く。
途中に滝などもあって、少しはホッとしたりもするのであるが、険しい山道である。
やがて分れ道。左が神武天皇顕彰碑への道。右が直越の道である。地元の人は「ただ越え」ではなく「じき越え」と言っているらしい。万葉の「直越え」の道は、この道のほか暗峠越えの道や石切の辻子谷の道など諸説あるよう。
(参考)
直越えの この道にして おし照るや 難波の海と 名づけけらしも
(神社忌寸老麻呂 巻6-977)
山をほぼ登り切った処で右が五瀬命負傷地の碑への道、左が神武天皇顕彰碑への道。先ず、神武天皇の兄である五瀬命の碑の方を訪ねることにした。
碑には「厄山、五瀬命御負傷の地と言ひ伝へらる」とあるが、日本書紀には孔舎衛坂の何処とも記してはいないのだから、何でこんな山中に建てたものやら(笑)。
五瀬命は神武さんの兄であるが、この日下での戦いで流れ矢に当り、その傷がもとで亡くなってしまう。
次は神武天皇顕彰碑。
碑の裏面や下の説明板で明らかですから 説明の必要もないでしょう。参考までに、日本書紀の該当部分の記事を転載して置きます。
(参考)
「
三月
の
丁卯
の
朔
丙子
に、
遡流而上
りて、
径
に
河内国
の
草香邑
の
青雲
の
白肩之津
に至ります。夏
四月
の
丙申
の
朔
甲辰
に、
皇師
兵
を
勒
へて、
歩
より竜田に
趣
く。
而
して其の
路
狭
く
嶮
しくして、人
並
み行くこと得ず。
乃
ち
還
りて更に
東
胆駒山
を
踰
えて、
中洲
に入らむと
欲
す。時に
長随彦
聞きて曰はく『
夫
れ、
天神
の
子等
の来ます
所以
は、必ず我が国を奪はむとならむ』といひて、
則
ち
尽
に
属
へる
兵
を起して、
徼
りて、
孔舎衛坂
にして、
与
に会ひ戦ふ。
流矢
有りて、
五瀬命
の
肱脛
に
中
れり。
皇師
進み戦ふこと
能
はず。」(日本書紀 神武天皇即位前紀 戊午年の条)
下山後はMTBで一気に外環状線道路まで走り下る。
外環状道路に出て南へ。水走交差点の少し手前で東に入り、中石切公園に立ち寄って行くこととした。
此処は、かつては陸軍刑務所であった処。その後「河内少年院」となり、それが取り壊されて、今は、公園と市民運動場になっている。
先日、太宰治の小説「パンドラの匣」の舞台となった地をご紹介したが、此処は、野間宏の小説「真空地帯」に登場する「石切刑務所」の跡地である。若い頃は野間宏もよく読んだ作家の一人であるが、参考までに「真空地帯」の書き出しの部分を下に転載して置きます。
(参考)
「木谷上等兵が二年の刑を終って陸軍刑務所から自分の中隊にかえってきたとき、部隊の様子は彼が部隊本部経理室の使役兵として勤務中に逮捕され憲兵につれられて師団司令部軍法会議に向ったときとは全く変ってしまっていた。(中略)朝はやく石切の刑務所から護送自動車で送られて木谷一等兵が刑務所看守と共に控室で釈放時間をまっているとき・・・」(野間宏「真空地帯」より)
上の写真の右側が市民運動場、左側が中石切公園である。公園の方では子供たちが野球をしていましたが、何故か「サッカー、野球禁止」の看板が掲示してあるのでした(笑)。サッカー・野球は運動場の方でしなさい、と言うことなんでしょうが、申し込み手続きなどがあって、子供たちが集まって野球でもしようか・・というニーズには運動場は応えられないようですな。
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