本日、と言っても16日のことであるのですが、山の辺の道銀輪散歩のアップが長引きましたので、4日遅れの便りとなります。
梅を訪ねての銀輪散歩でありましたが、奈良からバスで月ヶ瀬梅林尾山まで行き、そこでトレンクルを組み立てての出発です。尾山から月瀬橋まではハイキングコースの山道を辿りましたので、例によって自転車は押したり担いだりの「歩き」であります。梅まつりとあって。多勢の観梅のお客さんが来られていました。奈良から尾山までのバスも満員状態でありました。バスは柳生を経由して行くので、一昨年8月の柳生銀輪散歩で走った道も通り、懐かしいことでありました。
<参考>柳生銀輪散歩( 上
)( 中
)( 下
)
尾山着10時40分頃。途中茶屋での昼食時間も含めて月瀬橋北詰にある梅の資料館まで1時間余の徒歩散策。
ハイキングコースは幾つもあるのだが、銀輪散歩が目的ゆゑ、一番短いコースを選択する。渓谷に沿って細い道を辿る。
月ヶ瀬渓谷は木津川の支流、名張川が高山ダムで堰き止められて出来た月ヶ瀬湖と梅林の織りなす景観が美しいのであるが、梅は満開はまだ先という状態でありました。
(月ヶ瀬渓谷・名張川 <注>奈良県内は五月川とも呼ばれる。)
少し早いが、小学生位の可愛い女の子姉妹がお手伝いをしている茶屋であったので、昼食とする。桟敷席からの眺めがいいので、これをゆっくり楽しもうという魂胆でもある。
梅に交じってマンサクも咲いているのでありました。
梅と言えば天神様であるから、この地に天神社があるのに何の不思議もないが、上の由緒書によれば、後醍醐天皇の女官であった姫若が笠置落城の折に、この地まで逃れて来て行き倒れた処、村人に助けられた。彼女が烏梅の製法を教えたので、村人はこぞって梅の木を植え梅の栽培を始めた。これが月ヶ瀬梅林の起源であり、彼女はこの天神社に祀られている、とある。
(注)烏梅=中国から伝わったもので、紅染の触媒として使用されるも
ので、京都へと出荷された。
天保2年(1831年)月ヶ瀬を訪ねた頼山陽が「月瀬は梅花世界」と讃えたことを記念しての詩碑はダム建設によって月ヶ瀬湖に水没してしまったが、残っていた拓本によって、この地に再建されたとのこと。
真福寺へと上って行かれる方も多いようだが、小生は下りに入る。眼下に見える月瀬橋から銀輪散歩にて高山ダムへと向かうのが今回の主目的であるからだ。
スミレさんにもご挨拶。されど赤人にあらねば「一夜寝にける」とは参らぬヤカモチであります。
県道に降り立ちトレンクル始動。
月瀬橋畔の「梅の資料館」前でひと息入れてから出発。
富岡鉄斎には名画「月瀬図巻」という作品があり、彼はこの地を愛し、度々訪れ、村人とも親しんだらしい。
さて、月瀬橋からいよいよ銀輪散歩となります。暫くは上りが続くが、それをクリアすれば、後はひたすら下るだけの快適なコースとなる筈。
竜王梅林の前には谷崎純一郎の歌碑もありました。
わがや
度
の 梅のさかりを よそにして
たづ
年
てそこ
新
月ヶ瀬
農
里 (谷崎潤一郎)
走り出したばかりですが、どうやら文字数制限のようです。続きは明日ということに致します。( つづく )
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