本日は墓参。雨が降る前にと思っていたのですが、出掛ける頃にはパラパラ、しとしと、と雨が降り始めて、雨の中の墓参となりました。
墓地は生駒山西麓の高みにあるのだが、その墓地の中にクスノキの大木がある。先月の墓参は3月2日であったが、その時には咲いていなかった菜の花が、そのクスノキの根方に咲いているのでありました。
菜の花には雨が似合う。
吾子
眠る 坂の 上 の墓 手向 けばや 菜の花越しに眺める大阪平野も雨に煙っている。
夜には嵐になるらしい。
墓への坂道の途中に寺がある。門前に毎回なにがしかの言葉が掲示されているのであるが、今日は上のような言葉。藤原鉄乗師の言葉でありました。この方の歌に次のようなのがある。
葉は落ちて はたかとなれる へうたんの
かほに雨ふる 秋のあさかな (藤原鉄乗)
歌の意味は別として、語調を真似て、今朝の墓参を歌にすれば、
花ちらす 雨の降りそむ 坂の
上
の 墓にしまゐる 春のあさかな
(偐家持)
でありますかな。
思ほえば 逝きにし人も わが生くる
かぎりは胸に 生きてぞあれる (偐家持)
でありますれば、時にわれわれは先に逝きたる人を思い出してあげなくてはならないのでありますな。
墓というものはそのためにある。
小生の墓参はそのようなものとしてあるのだけれど、思い出さなければならない人が増えて行くというのは寂しいことでもあります。
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