昨日(16日)は、暫くご無沙汰の柏原市方面へ銀輪散歩して参りました。
掲載写真が多くなりましたので、説明文も極力省略し、現地説明板の写真でそれに代えさせて戴きます。写真をクリックして拡大サイズでお読み下さいませ。
(注)写真を1回クリックするとフォト蔵の写真ページに移行します。
それをもう一度クリックすると、写真サイズが選択出来るペー
ジに変ります。
大阪府柏原市は大和と河内を結ぶ龍田道の河内側の地。そんな地理的条件もあって、河内国分寺を始め多くの寺があったのでしょう。
此処、片山神社も片山廃寺跡とされ、古くは大寺の建つ地であったのでしょうな。神社裏の薬師堂がその名残りをとどめている。
今回の散歩は随分以前に偐山頭火さんから戴いた「柏原市ウォーキングマップ」によっていますが、そのパンフレットにあったのが、この教会。玉手山丘陵の登り口にある。
教会から丘陵の高みに上って行くと、玉手山古墳群があり、この辺りは大坂夏の陣で戦場となった地であり、それに因む碑などがある。
1号墳の登り口は何やら工事中で通行出来ず、登頂を諦めました。
3号墳は老人福祉センターの玄関口が登り口。登ってみましたが、ベンチの他は何もなし(笑)。まあ、それが普通ですが。
更に坂道を上ると玉手山公園。かつては近鉄が経営する玉手山遊園であったが、今は柏原市が管理する市民公園となっている。自転車は乗り入れ禁止なので、門前に駐輪し、徒歩で行く。一茶の句碑と後藤又兵衛之碑を撮影するのが目的。
(玉手山公園案内図、クリックして拡大サイズでお読み下さい。)
一茶は今から218年前に玉手山を訪れているのですな。
初蝉や 人松陰を したふ 比 雲折々 適 に青菜見ゆ 玉手山
「寺は道明寺と云ふ。わづかに行けば玉手山、尾張公の荼毘処あり。龍眼肉の木ありて、此の界隈の景地也。艮の方にかつらぎ山見由る。折から遊山人処々につどふ。下山して遠望。雲折々適に青菜見ゆ玉手山」(小林一茶「西国紀行」)
後藤又兵衛は、大坂夏の陣・小松山の戦いで徳川方大軍の前に重傷を負い、吉村武右衛門の介錯で自刃する。二人の供養碑が公園内に建っている。
玉手山と近鉄線を挟んで東側にある丘陵地にあるのが春日神社。ここも田辺廃寺跡とされる。
大伴家持とも交流があり、自らもすぐれた歌を万葉集にのこす田辺福麻呂を思い出すが、その田辺氏の一族の寺であったのだろう。
近くには、こんな稲荷神社もありました。伏見稲荷の千本鳥居には及ぶべくもありませぬが、十本鳥居以上ではある。
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