9月になりました。
本日は、NHKの囲碁を観た後、雨も上ったので、智麻呂邸を訪問、新作の絵5点をゲットして参りました。手許の絵2点と合せて7点の絵が揃いましたが、もう2~3点増えてから智麻呂絵画展と致しますので、智麻呂絵画ファンの皆さまは今暫くお待ち下さいませ(笑)。
本日は偐山頭火氏も智麻呂邸に来て居られたようだが、小生がお伺いした時にはもうお帰りになった後、入れ違いでありました。
帰宅後、月例の墓参に。朝のうちは雨でもあったので、遅い墓参となりました。道すがらの寺の門前の掲示板の言葉は、今日はこのようなものでありました。
( 今日の言葉
)
仲野良俊氏がいかなるお方かは存じ上げないが仏教指導者のお一人であるのでしょう。墓参の都度、目にしていた寺の門前に掲示の言葉であるが、出典は真宗大谷派大阪教区の「銀杏通信」の「今月の言葉」からのものであることが、最近になって、ネット検索の結果、それと分かりました。
人間は一生を通して、誰になるものでもない、自分になるのだ。
「お前は一体何をして来たのだ」と吹き来る風に言われようと、自分は自分。自分でしかないのであってみれば、まあ、この道を行くのほかありませんですかな。
先日(8月27日)の日記に掲載した睡蓮の花や向日葵の花の写真を印刷に打ち出して欲しいという要望を智麻呂氏から戴きました。絵の題材にされるのでしょう。そんなことも思い起こされたので、墓参の道の辺の咲いていた向日葵の花を写真に撮ってみました。
こちらは、ひと際大きい花で重たげに少し俯いて咲いているのを下から見上げるようにして撮影しました。ヒマワリは「向日」の「葵」と書きますが、ここまで花が大きくなると、日に向かうよりも俯き加減になるのも止むを得ない。恰も9月になってもこんなにノー天気に咲いていてゴメンナサイ、と言っているようでもあるか。もしそうなら、この向日葵さんにも上の言葉を贈りましょうか。まあ、人も花もある時期からは自分の顔に責任を待たなくてはならないのであります(笑)。
本日の墓参でお見かけした花は少し「時じく」の感もなきにしあらずの向日葵の花でありました。
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
MoMo太郎009さん
New!
ビッグジョン7777さん
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん