( 承前 )
中山寺山門前から南へ下り、国道176号に出て左折、東へ。中筋4丁目で南に入ると正面にJR中山寺駅。駅前ロータリーには真新しい聖徳太子の騎馬姿の像があったが、線路を渡る道はない。東側の池に沿う道を行くと果たして踏切。南下すること700m位で川に出る。橋の銘板には天王寺川とある。 川に出ると本能的にその川べりを走りたくなるのがヤカモチ。
暫く天王寺川に沿って走る。間もなく中国自動車道。これを潜った処で東に向かい荒牧交差点で県道336号に出る。これを暫く南下した後、地図での下調べで設定したのは天神川沿いの道であったので、左折して天神川に出る。
天神川沿いを下り過ぎて、帰途に立ち寄る予定であった昆陽池の前に来てしまう。瑞ヶ池から緑ヶ丘公園へのコースに引き返すべしであるが、時刻を見ると11時55分。先ず腹拵えである。昆陽池公園入口前の中華レストランで昼食。
昼食後、緑道(遊歩道)に入り、瑞ヶ池に向かう。
(瑞ヶ池)<参考> 瑞ヶ池公園
瑞ヶ池に向かう途中であったか、その後であったか、今は記憶も曖昧になっているが、
1月31日のブログ記事
でご紹介したラクウショウの気根を見付けたのは、この緑道の何処かでありました。
瑞ヶ池から緑ヶ丘公園までは300mほど。
( 緑ヶ丘神社
)
先ず、公園の北東隅にある臂岡天満宮に立ち寄る。
ここは、大宰府に向かう菅原道真が立ち寄って休憩した場所とのこと。道真は万葉集を大事にした人物。今日に万葉集が残ったのは彼の力も大いに与っていると言うべきなれば、「このたびは幣もとりあへず」であるが、偐とは言え、万葉のヤカモチ。ご挨拶申し上げるのが筋と言うものでありましょう。
( 臂岡天満宮
)
道真の叔母が道明寺に居り、大宰府に向かう折に彼はこの叔母を訪ね別れを惜しんだこと、翌朝に「 鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もがな 」という歌を詠んだということなどは、道明寺天満宮境内の一茶の句碑に関連して 以前の記事 で述べた処であるが、道真は夜明けと共に河内国の柏原を発ち、此処、猪名野に至って、休憩を取ったということになるのですかな。
緑ヶ丘公園は、昔、友人の草麻呂氏と銀輪で訪れた他、何度か訪問しているが、久々の訪問にて懐かしきことしきり。
ここの梅林もなかなかいいのですが、まだ梅は早かったか、咲いているのは蝋梅ばかり。蝶麻呂君も梅林に入り込んで、花を探して居られましたが、さすがの「蝶」も花は見つけられなかったようであります(笑)。
緑ヶ丘公園から猪名野神社へ向かう。
途中に和泉式部墓の標識があったので、それが示す方へと行く。
和泉式部や小野小町などの墓は銀輪散歩をしていると彼方此方で目にするので、そういったものの一つか。此処でもお隣の家の犬に吠えられましたワン(笑)。
緑道に戻って少し行くと。藤原良経歌碑や白洲次郎の実家の屋敷跡の碑などがありました。
歌碑の文字はちょっと読み辛いが、歌は次の通り。
猪名山の 道のささ原 埋れて
落葉が上に 嵐をぞ聞く (藤原良経 秋篠月清集)
(猪名野の丘の道を行くと、道は笹の葉に埋もれて、その落ち葉の上を吹き抜けていく嵐の音が聞こえるばかり)
そして漸くに猪名野神社です。
猪名野神社の地は、戦国時代の荒木村重の居城・有岡城の北端を防御する砦(きしの砦)の跡地で、本殿裏には土塁の跡が今も残っている。我々は裏から境内に入ったので、それと知らずにその土塁跡を越えて来たのであった。詳しくは下記の<参考>をご覧下さい。
(猪名野神社)<参考> 猪名野神社
・Wikipedia
では、そろそろ、手術の時間も迫って参りましたので、こんな処で切り上げることとします。続きはまた、明日、ということで(笑)。
( つづく
)
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