( 承前 )
右目の手術無事完了。次は10日に左目です。
先程、右目の覆いを外して戴きましたが、世界の明るさ、色の鮮やかさが一変。左目の旧来の目で見る風景と右目の新しい目で見る風景がまるで違う。物みなが新品に入れ換わったように鮮やかに見える。
さて、宝塚・伊丹銀輪散歩を続けましょう。これだけよく見えたら銀輪散歩もはかどるというものである(笑)。
猪名野神社を出て、県道13号を南下する。
猪名野と来れば、誰しも思い浮かぶのは百人一首のこの歌。
ありま山 猪名の笹原 風ふけば いでそよ人を 忘れやはする
(大弐三位 後拾遺集709 小倉百人一首58)
作者大弐三位は藤原賢子、紫式部の娘である。正三位大宰大弐高階成章の妻となり、後に親仁親王(後の後冷泉天皇)の乳母となったことで、後冷泉天皇即位後、従三位を賜る。というようなことで大弐三位と呼ばれることとなる。
「ありま山~風ふけば」の上3句は「そよ」を導くための序詞。「いでそよ」(いや、全くそうですよ。)という言葉を言いたいために、有馬山、猪名の笹原、吹く風まで動員して来るのだからすごい。そして、彼女が言いたいのは勿論「いでそよ」ではなくて、「人を忘れやはする」(あなたを忘れたりするものですか。)なのである。
この歌は「かれがれなるをとこのおぼつかなくなどいひたりけるによめる」とあるから、離れ離れになってご無沙汰の男から、あろうことか「貴女の気持ちがもひとつたよりなくて疑わしい」と言って来たことへの返事である。ご無沙汰男としては、あんたの心が離れているからだと
相手の所為にする常套手段を取ったのだが、ピシャリとやり返されてしまったという次第。
以前にこの近辺を散策した折にはこの歌の歌碑や次の高市黒人の万葉歌の歌碑なども見た気がするのだが、下調べもなくやって来たので、それが何処にあるのか分からぬままでありました。しかし、このブログは偐万葉、万葉歌は歌碑を見落としても掲げて置かなくては義理が果たせない(笑)。
我妹子
に
猪名野
は見せつ
名次山
角
の松原
いつか示さむ
(高市黒人 万葉集巻3-279)
しなが鳥 猪名野を来れば 有間山 夕霧立ちぬ
宿
はなくて
(万葉集巻7-1140)
県道ばかり走っていては、笹原もなく、風も吹かない。猪名川べりも少しばかり走ってみる。
蝶麻呂君が橋の上から猪名川の写真を撮っています。
わが背子に 猪名川見せつ 青屋根の ブロ友の店 つぎに示さむ
(河内黒人)
とて、この後、新伊丹駅に向かい、1
月31日の記事
に書いた通り、てらけん氏の経営される喫茶店へと向かうのでありました。
この段落は先の記事と重なるので省略。店を出た処から始めます。
「さあ、帰ろう。」と蝶麻呂君。
「まだ昆陽池が残っている。」とヤカモチ。
かくて、昆陽池公園に向かう。と言っても遠回りになるのではない。宝塚駅前へと戻る道すがらにあるのであれば。
ほどなく到着。
この池は天平3年(731年)に行基が灌漑用に開削した池である。大伴家持が13歳の時に出来た池ということになる。伊丹空港から離陸すると飛行機は左旋回するが、この時に左窓から見えて来る、日本地図の人工島のある池、と言えば、多くの人があれかと思い当たる池である。
(国土交通省空中写真)
今は埋め立てられて小さくなっているが、対岸が霞んで見えないなどと詠っている歌があるように元は北の瑞ヶ池も含む広大な池であったようだ。余呉湖を少し小さくした位の大きさであったのだろう。
昆陽池公園には歌碑など文学碑が多く設置されているようだ。しかし、それを知ったのは帰宅してネット検索した結果であって、アトの祭。「獺の祭」なら、芭蕉さんも「見て来よ瀬田の奥」と言って居られますが、「後の祭」ばかりは誰も見ることを得ず、出直すの他なきものにてありまする。
来
や
来
やと
昆陽池
いへば くさぐさの
歌碑見むために また尋ね
来
や (偐家持)
(昆陽池) <参考> 昆陽池公園
・Wikipedia
それでも、偶々、待賢門院堀河さんの歌碑は見掛けることが出来ました。この女性は待賢門院璋子(藤原璋子、鳥羽天皇の中宮、崇徳天皇の母)に仕えた女性。
昆陽の池に 生ふる菖蒲の ながき根を
ひく白糸の 心地こそすれ
(待賢門院堀河 詞花和歌集)
こちらは言わば「白の歌」。この女性の歌で皆が知っているものと言えば百人一首の次の歌。
ながからむ 心もしらず 黒髪の
みだれてけさは ものをこそおもへ
(待賢門院堀河 千載集801 小倉百人一首80)
こちらは「黒の歌」。どちらも意味や雰囲気は共通である。歌の出来は従って白黒つけがたい(笑)。
小生一人なら昆陽池公園を廻ってから帰る処なれど、今日は蝶と共にの散歩にてもあれば、堀河さんの歌碑のみ見てや帰りなむ、であります。
武庫川に出ればよし、で大雑把に方向感覚だけを頼りに走る。やがて武庫川べりに出る。この川は2011年に蝶麻呂君と河口までの往復を走っている。
<参考> 武庫川銀輪逍遥
2011.1.14.
(武庫川)
小さな川が流れ込んでいる処で武庫川に別れ、一般道に戻る。
今年は宝塚歌劇団が誕生して百周年に当たるのだと蝶麻呂君に教えられる。そう言えば、道路(「花の道」という名が付いている。)にもその旨の旗が下がっていました。
歌劇場の前を通ると、沢山の女性たちが並んでいました。宝塚のスターのお出ましを待ち受けているのか、その辺の処は万葉ヤカモチの与り知らぬことである。
宝塚駅前到着午後4時40分位。自転車をたたみ、バッグに詰めて、本日の銀輪散歩終了。途中の昼食や喫茶店「青い屋根」での休憩時間なども含めて約7時間の銀輪散歩無事終了であります。お付き合い有難うございました。駅構内のレストランで蝶麻呂君と軽く夕食を取って家路に・・。(完)
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