これは、3月14日の銀輪散歩の記事であります。二日遅れのアップとなります。
室生寺には何度となく行っているので、今更という感じでもあったが、当ブログには未登場なのと、その奥にある室生龍穴神社には行ったことがなかったことから、この日は室生銀輪散歩と致しました。
2004年3月には榛原から室生湖・ダム経由で室生寺へと自転車を走らせているが、この頃はブログを始めていなかったので、記事にはなっていない。それにしても、もう10年も前のことになるのでありました。
今回は室生寺は従で、主目的は室生龍穴神社。この神社を意識したのは、時々ご訪問させて戴いている龍水さんのブログ記事( 室生龍穴神社
2014.1.30.
)で知ってからのこと。ということで、トレンクルを持って近鉄電車で室生口大野駅までやって参りました。
朝9時半、駅前でトレンクルを組み立て出発。
先ずは、定番の大野寺です。大野寺は白鳳9年(681)に役小角が開き、天長元年(824)に弘法大師が室生寺を開創した際に、ここを西の大門と定め一宇を建て、本尊・弥勒菩薩を安置して慈尊院弥勒寺と称した。その後、この地の地名を名とし大野寺と称するようになったという。
大野寺の前を流れているのは宇陀川。上流は室生ダムのある室生湖になっている。
宇陀川は、大野寺の前で大きく蛇行して三重県で名張川に合流する。昨年3月に月ヶ瀬梅林などを銀輪散歩した際に川沿いを走ったのが名張川、木津川である。宇陀川は名張川に流れ込み、名張川は木津川に流れ込んでいるが、道路や鉄道で陸路を移動する生物であるヤカモチにはこれらの繋がりが頭の中ではうまく像を結ばない。
大野寺と言えば、宇陀川の対岸の崖の巨岩に彫られた弥勒摩崖仏である。
摩崖仏は、鎌倉初期、承元元年(1207)に興福寺の雅縁大僧正の発願により、後鳥羽上皇に奏上し、上皇の勅願を得て造立された。人々は宇陀川の対岸(即ち彼岸)に、弥勒浄土をイメージしたのでもあるか。
阿弥陀浄土は西方浄土であるが、弥勒浄土は東方浄土。大野寺からは真東に摩崖仏はある。
県道28号は宇陀川を渡って、支流の室生川に沿うようにして室生寺へと緩やかにのぼって行く。
途中で歩道をジョギングしている男性を追い抜く。
しかし、仙人の岩屋とある場所で、どれが岩屋なのかと判断しかねて、撮影にモタモタしているうちに、先程の男性に追い抜かれる。
説明文を読んでもよく分らない。近くの大岩がそれなのか、もっと高い場所にあるのか・・しかし、上に登れそうな道があるようでもない。
弘法の井戸の辺りで、折り返して来たジョギング男性とすれ違う。室生寺は直ぐそこであるが、帰途に立ち寄ることとし、龍穴神社へと走り続ける。
杉の巨木が林立する森閑とした境内。清浄な空気が漂う。
龍穴神社の祭神はタカオカミの神。イザナミが火の神カグツチを産んだため死んでしまったことに怒ったイザナギがカグツチを切り殺すが、その時にこの神が生まれている。火や水を司る神である。それで思い出す万葉歌はこれ(笑)。
わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
雪の
摧
けし そこにちりけむ
(藤原夫人 万葉集巻2-104)
暫く境内や周辺を散策した後、奥宮の龍穴に行こうとするのだが、入る道が分からない。上の地図でもお分かりの通り、龍穴への登り口は神社からかなり奥にある。
幸いに簡易舗装された道なので、坂道であるが自転車に乗ったままで上って行ける。
途中に「天の岩戸」がありました。そこからもうひと登りすると龍穴の入口である。
それほど寒いとも思わなかったが雪が舞い出しました。龍神が何らかのメッセージを送っているのだろうか。
本日はここまで、龍穴は次回とします。( つづく )
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