本日は、偐万葉シリーズ第
206
弾、閑人篇(その
2
)とします。
<参考>偐万葉・閑人篇(その1)は
コチラ
からどうぞ。
ふろう閑人氏のブログは コチラ
からどうぞ。
偐家持が閑麻呂に贈りて詠める歌17首
新しき 眼ありカメラも 新しく
なれど隠居に 顔はかこてり(東隠西居)
く
も白く すべ
なき遊子 わが見れば
や
らいの竹も いち
しろき哉(偐閑持)
(注)「く・すべ・や・いち」(楠部弥弌=陶芸家)の名を折り込んでいる。
いちしろき=目立って美しい。際立っている。現在も「いちじるしい」
「しるし」などの言葉として残っている。
松
が枝に 白き雲あり 竹
矢来 青みて奥に 梅
咲くらむか
(注)松竹梅を折り込んでいる。
(楠部弥弌作陶の地)
うつし世に 恨みのこせど やましろの
死して鬼にも なれぬぞあはれ (山師王)
(注)やましろ=山背大兄皇子。聖徳太子の息子。
いぶすくん ホームセンターに 見しわれぞ
燻製極めんと 一基買ひにける (
庭辺燻人
)
(本歌)春の野に すみれ摘みにと 来しわれぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける
(山部赤人 万葉集巻8-1424)
(いぶすくん)
短
けれ 味はた同じ 鴨川に 身はつくしても とらむとぞおもふ
(早過親王)
(注)た同じ=「た」は接頭語。「た・やすき」「た・遠み」などはあるが、
「た・同じ」の例はない。敢えて「た・めしてみた」という
次第(笑)。下の本歌の「いまはた」は「いままた」の意で、
接頭語の「た」ではない。
身はつくしても=身は「浸くしても」と「土筆でも」とを掛けている。
(本歌)わびぬれば いまはたおなじ 難波なる
みをつくしても あはむとぞおもふ
(元良親王 後撰集961 小倉百人一首20)
桜にも さきがけ咲くや さくらんぼ
明日香に咲きし 花もこれかや(桜桃麻呂)


(サクランボの花)
花
咲くらん
桜か桃か はた梅か
桜桃
にもなき 飛鳥の花よ (錯乱家持)
あそびをせむとや つくりけむ たはぶれせんとや うたひけん
つくれるうたを いまみれば このみさへこそ はぢらるれ
(狂人卑笑)
(本歌)あそびをせむとや うまれけむ たはぶれせんとや むまれけん
あそぶこどもの こゑきけば わがみさへこそ ゆるがるれ
(梁塵秘抄)
さわらびの 道を辿れる 君にして
よき春の日を 行けるめでたさ (宇治野晶子)
(本歌)さわらびの 歌を法師す 君に似ず
良き言葉をば 知らぬめでたさ (与謝野晶子)
(宇治上神社・さわらびの道)
埋もれ木に 花咲くことは なけれども
名こそ流れて 今もみるがね (偐三位寄道)
(本歌)埋もれ木の 花咲くことも なかりしに
身のなる果てぞ 悲しかりける (源頼政)
河内では 秘すべき恋の 埋もれ木も
宇治は三位の うらみぞ
埋
む (偐三位埋木)
(注)三位=源三位頼政のこと。
(本歌) 真鉋
持ち 弓削
の川原の 埋れ木の
あらはるましじき ことにあらなくに (万葉集巻7-1385)
(源頼政墓)
うつくしき つくし摘みてぞ 背子言ふや
こころづくしの 春とり召せと (京土筆麻呂)
花咲きて 風吹き来たり 月出づも 鳥 来鳴 かねば みやび欠くらむ
わが背子の 疎なる網よし ひよどりも
来たりついばむ 実もややあらむ
(サクランボ)
折角の 六角堂を など隠す 御簾 をぞ上ぐる 宮の人もが(閑人納言)
(六角堂の前の喫茶店にて)
あしひきの 生駒の山の 帯にせる 恩智の川辺 いちにの三 四五六ナナに
栂
の木の 継ぎてぞ伝ふ くさぐさの
民
の笛もて うま人の
奏
づ調べは 神々の 癒しにあれば 行く雲の 姿にもあれ 照る月の 姿にもあれ 降る雨の 音にしもあれ 鳴く鳥の 声にしもあれ 絶ゆるなく 水は流れよ 絶ゆるなく 風吹きそよげ 谷くぐり 山越え行かな 波くぐり
海坂
行かな うつそみの た遠き道の 旅行く我は
(注) ナナ=八尾市恩智にある喫茶店、cafe de nana のこと。
あしひきの=山に掛かる枕詞。
栂の木の=「継ぎ」に掛かる枕詞。
くさぐさの=種々の
うま人=貴人。ここでは音楽家山本公成氏のこと。
<注>掲載の写真は、ふろう閑人氏のブログからの転載です。
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