本日は囲碁例会の日。雨が気になりましたが、ザックに雨具を入れて降れば降ったでよしとMTBで出掛けることとしました。復路では少し雨がパラつきましたが、雨具を着用するまでもない程度で、事なきを得ました。今月は前回2日は欠席しているので、今回が初めて。出席者は福〇氏、平〇氏、荒〇氏と小生の4名。
最初に福〇氏と打ち、これは負け。続く平〇氏にも負け連敗。最後に荒〇氏と打ち、これは勝って1勝2敗。これで今年に入ってからの成績は11勝11敗と一進一退であります。
さて、会場の梅田スカイビルに行く前の今回の立ち寄り先は野里の住吉神社でした。先日、岩見重太郎こと薄田兼相墓を訪ねたことから、野里の住吉神社に岩見重太郎の伝説が残っているということを知り、ならば、と足を延ばしたものであります。
<参考> 薄田隼人正兼相の墓
2014.6.26.
野里住吉神社は国道2号線で淀川大橋を渡り、姫島通りの一つ先の野里本通り商店街を東に入った処にある。商店街のアーケードが途切れる処に神社の鳥居が「いきなり」という感じで突如出現する。
この神社の「一夜官女の祭」が岩見重太郎伝説と関係しているのであります。
当神社の由来などは下記の<参考>をご覧下さい。
<参考> 野里住吉神社・Wikipedia
拝殿右奥には淀川戎神社も合祀されている。
さて、その一夜官女の祭であるが、下掲の写真の説明文をお読み下さい。ネットで調べると祭の様子を撮影した写真を添えて詳しく紹介されているサイトがありましたので、下にリンクして置きました。興味を持たれた方は覗いてみて下さい。
(一夜官女の祭の由来)
<参考> 2011年に行われた一夜官女の様子
上の説明にある「乙女塚」の写真を撮り忘れたようです。後日、撮影してここに貼り付ける予定です(笑)。
<追記>本日(12日)青雲会囲碁例会に出るついでに、乙女塚の写真を撮影し
て参りました。下掲の通りです。
ついでに、司馬遼太郎の短編小説「一夜官女」をご紹介して置きます。囲碁の帰り道に近鉄小阪駅前の栗林書房に立ち寄り買い求めて先ほどパラパラと読んでみました。この野里住吉神社の祭と岩見重太郎伝説をヒントに書かれたもののようですが、ヒヒ退治などという話は登場致しません。姫路の医者に嫁いだものの夫婦仲がうまく行っていない小若という女性と岩見重太郎がこの住吉神社の祭礼で出会って、妙な成り行きになって・・というお話です。
神社の境内、鳥居の脇に「野里の渡し」の碑が建てられている。明治になって改修される以前には、淀川(旧中津川)はこの野里住吉神社の直ぐ傍を流れていたらしい。この付近に野里の渡しがあったようだ。また、この野里の渡しが日本書紀に出てくる「かしはの渡し」のことであるとのこと。
「かしはの渡し」というのは、磐媛皇后が熊野に出掛けている留守中に仁徳天皇が他の女性を宮中に引き入れていた、これを知った皇后さんが怒り心頭、熊野で摘んで来た「みつなかしは」を海に投げ捨て、淀川を遡り、難波宮には帰らず、山背の国・筒城の岡に籠ってしまうことになる、というエピソードに登場する、「みつなかしは」を投げ捨てた場所である。
<参考>
時に皇后、
難波済
に到りて、天皇、 八田皇女
を 合
しつと 聞
しめして、 大
きに恨みたまふ。則ち其の採れる 御綱葉
を海に 投
れて、 著岸
りたまはず。 故
、 時人
、 葉
散
しし海を 号
けて、 葉済
と 曰
ふ。(日本書紀仁徳天皇30年秋9月の条)
景行天皇27年12月の条にも「柏済の悪ぶる神を殺しつ」という記載がある。
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