( 承前 )
西念寺から竹内街道を通って石川べりの自転車道へ。河川敷の道の例によって葦が生い茂る道。葦の葉が光る。穂が風に靡く。葦の風を切って全速力で走る。もう足がダメ、と思われる時に、何とか我慢して更に力を入れて漕いでみると何とか未だ漕げる、そんなことを繰り返しながら走れるのも信号のない自転車道なればこそであります。
自宅から大和川に出る銀輪散歩コースとしては、恩智川沿いの道コース、国道170号外環状道コース、旧170号国道コース、山沿い上ツ道コースなどがある。今日(9日のことです。)は往復とも上ツ道コースを走りました。
尤も、上ツ道というのは小生がそう呼んでいるに過ぎず、そのような名の一貫した道がある訳ではない。自宅前の道をひたすら道なりに南に走る。突き当れば東に上るか西に下るかして適当に南行きの道を選んで行くというもので、色んなバリエーションがある。しかし、何度も走っているとコースは自ずから一定のものに収斂して行くよう。それを小生は上ツ道と呼んでいるという次第。
その上ツ道コースにあるのが心合寺山古墳。復元整備された堂々たる前方後円墳である。復路はここで小休止。ペットボトルの飲み物が空になり、この古墳の資料館前の自販機で新しい飲み物を購入しようということでもありました。
心合寺山を「しおんじやま」と読める人は、地元の人は別として、そう多くはないだろう。上ツ道コースは心合寺山古墳から少し北に行って西に入り、道なりに北へと進むのであるが、ちょっと寄り道して鏡塚古墳へと向かう。
鏡塚古墳は心合寺山古墳の前の坂を西に下り、国道旧170号に出る手前にある。古墳時代中期の前方後円墳であるが、その一部を残すのみで原形はとどめない。
墳丘が削れて低くなっている処に、何を祀るのかは知らね、小さな祠がある。宝山神社という碑が墳丘の反対側にあったから、これと関係があるのだろうか。
鏡塚から来た道を心合寺山古墳方向へと戻る。背後からやって来たクロスバイクの青年が小生を追い抜いて行く。彼は心合寺山古墳の前で左にカーブしてS字に上へと行く坂道を上って行ったので、或は十三峠を越えて奈良県側へと行くのでもあるか。
この辺りは八尾市楽音寺地区。八尾市の北の端で隣は東大阪市横小路地区である。小生はS字坂道には入らず、西に少し下って北へと続いている上ツ道コースを取り、東大阪市へと入る。
ここでまた寄り道。今度は西に下らず、東に上る。結構な坂道。程なく大賀世神社の前に出る。
この神社も古墳の上に築かれたもの。
「大賀世」は「おおがせ」と訓むのだろうと思いましたが、説明板のフリガナもその通りでした。御由緒碑を見ると、この地の字名は「大風」、祭神は龍田大社のそれと同じ風の神様。となると本来は「おおかぜ」であったのでしょうな。
墳丘上の神社だけあって、西方向の眺めは頗る良い。
龍田彦 坐す丘なり しましくは 吹かれてもみむ 秋のこの風 (偐家持)
大賀世神社から更に坂道を上ると小さな公園がある。公園の東隣にあるのが常光院。地蔵寺とも呼ばれる。こじんまりといい佇まいの寺である。寺と言うより「お堂」と言う方がしっくりする。
地蔵寺と呼ばれるだけあって地蔵さんが隊列を組んで居られます。地蔵さんは村の外れにポツンと孤独におはしますイメージですが・・。
醍醐寺の建物は寺院風でなく普通の民家風なのも味があっていいですな。まあ、醍醐味はありませぬが(笑)。
今年初めて目にした彼岸花。赤よりも先に白を見てしまいました。
その近くにはヤブランも咲いていました。紫色が綺麗。万葉人なら我妹子を思い出さなくてはいけませんかな。
以上で安閑天皇陵までの銀輪・近隣散歩全2巻完結です。
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