( 承前 )
相楽神社を出て国道163号を走っている時に後輪ブレーキが故障。前輪のブレーキしか効かなくなってしまいました。そんなことで早めに銀輪散歩を切り上げるべく、平城宮址公園に向かうこととしたもので、当初は木津川べりを走ってなどとも考えていたのでありました。
さて、県道751号に並行して舗装のされていない地道があることに気付く。うたひめの道とある。歌姫古道である。銀輪万葉とあればこの道を行かぬ手はない。
歌姫というのは、何でもその昔、舞をする美しい姫がこの辺りに住んでいたとかで、それに因んだ名だという。
しかし、姫ということで思い浮かぶのは、古事記や日本書紀に出て来る丹波国の姫である。古事記では4人、日本書紀では5人の姫が垂仁天皇の後宮に入るが、その中の2人(日本書紀では1人)は「形姿醜きに因りて」丹波国へ帰されることとなるという話。
その姫というのは古事記では、比婆須比売、
弟比売こと沼羽田之入比売、歌凝比売
、円野比売の4人。歌凝比売と円野比売の二人は「いと醜きにより本つ主に返し送りたまひき」とある。円野比売はそのことを慚じて山代国相楽にまでやって来た時に「樹の枝に取りさがりて死なむ」と思ったので、その地を「懸木
(さがりき)
」と名付けた。それが相楽
(さがらか)
の語源である、としている。また、弟国に到った時に彼女は淵に身を投げて死ぬ。それでそこを「堕国
(おちくに)
」と名付けた。今にここを弟国(乙訓)と言う所以であるという。
日本書紀では、日葉酢媛、渟葉田瓊入媛、真砥野媛、薊瓊入媛、竹野媛の5人で、丹波へ送り返されたのは竹野媛1人となっている。竹野媛は、葛野(現在の京都市右京区辺りとされる)まで来た時に「自ら輿より堕ちて」死んだとある。其の地を「堕国」と呼ぶようになり、弟国に転訛したとある。古事記と同様の「乙訓」地名起源説話である。
丹波国へと送り返されることとなった姫がどの道を通ったかは勿論分からないが、「うたひめのみち」という名からしてこの道を行ったと想像したくなるというもの。県道751号だの木津平城線だのという名ではそういうロマンは望むべくもない。
をみならの かなしきこゑを きけとかも
秋風さやぐ うたひめのみち (偐家持)
やがて「うたひめの道」は県道751号のアスファルト道に吸収されて、緩やかに歌姫峠へと登って行く。
歌姫峠にあるのは添御縣坐神社。旅の無事や留守家族のことを思い旅人はここに手向けをして、旅を続けたのであるのでしょう。境内には、長屋王と菅原道真の手向けの歌の歌碑が建てられている。
佐保過ぎて 寧楽の手向に 置く 幣 は
妹を目 離 れず 相見しめとぞ (長屋王 万葉集巻3-300)
(佐保を過ぎて、奈良山の手向けの地で幣を神に奉るのは、妻にいつも逢わせて下さいという気持からです。)
長屋王については下記記事でも取り上げていますので、省略します。
<参考> 平群-竜田川-大和川-竜田大社-竜田越え
2009.9.4.
このたびは 幣も取りあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに(菅原道真 古今集420)
(このたびの旅は、神にささげる幣も用意する暇もありませんでしたから、この手向山の錦織のように美しい紅葉を幣としてささげます。神のお心のままご覧下さいませ。)
菅原道真については、下記記事をご参照下さい。
<参考> 菅公縁起絵巻
2014.8.7.
神社で富雄から歩いて来たと仰るご婦人と出会う。暫く立ち話。奈良坂の方まで行くと仰る。小生は751号を直進して平城宮址公園に出る心算でいたが、彼女が奈良坂への道を盛んに薦めるので、ならば久しぶりに磐之媛陵に回って行くかと奈良坂方向つまり東方向へと向かう。
県道から一歩脇道に入ると長閑な田園風景。ヒガンバナやコスモスが咲き、池の風情も趣がある。
磐之媛陵へと続く石畳の道に入るとキンモクセイの香りが流れて来ました。やがて金木犀の大木とそれにはさまれるようにして大きな芭蕉の木が現れました。
間もなく磐之媛陵ですが、今日はここまでとします。続きは明日です。
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