昨日の囲碁例会に出るための銀輪散歩の途中に立ち寄った神社で思わぬ発見がありました。その神社というのは深江稲荷神社。布施駅前商店街を北へ大阪枚岡奈良線道路を過ぎて二つ目の辻を西に入った処にある。境内で見つけたのは高市黒人の「四極山・・」の万葉歌碑でありました。
四極山 うち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠る 棚なし小舟
(高市黒人 万葉集巻3-272)
四極山というのは、四方を見渡せる山という意であり、山というものは概ねそのようであるから、何処の山とも決め難く、諸説あって何処とも定まらない。大分の 高崎山だとする豊後説や契沖の三河説、賀茂真淵の摂津説などがある。下掲の副碑(写真をクリックするとフォト蔵画面に切り替わり拡大写真でご覧戴けます。)によると四極山摂津説に依拠し、本居宣長の説にからこの付近が笠縫島である、というのが此処にこの歌碑が設置された根拠であるようです。昨年11月に建立された新しい歌碑である。
深江稲荷神社は、この地で菅笠編みを生業とする笠縫氏がその祖先神である下照姫を祀ったのが最初で、元明天皇の頃、和銅年間に伏見稲荷から分霊を勧請したものとのこと。
神社の門前には深江菅笠ゆかりの地の碑と摂津笠縫邑跡の碑が並び立っている。この地域は「管笠の里」の別名があり、明治頃までは笠づくりが盛んでこれに従事する人が多くいたらしい。伊勢神宮式年遷宮と天皇即位式大嘗祭には今も此処から管笠が奉納されているとか。
万葉集にも管笠の歌がある。
おしてる 難波管笠 置き古し 後は誰が着む 笠ならなくに
(万葉集巻11-2819)
<照り渡る難波の菅で作った笠を着けもせずに置き、古びさせて、後で誰かが被る笠というのでもないのに。>
(注)笠は女性の比喩として使われている。
神社の北側には菅田が復元されていました。地元の人たちによる菅田保存会がその保存活動をされているようである。
神社の近くにある、南深江公園の一角にも菅が植えられていました。これは管田とは言えませぬが。
深江の菅に暫し心遊ばせてから、いつものコースに戻り、囲碁例会の会場である梅田スカイビルへと向かいました。
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