< 承前 >
行宮跡・医王寺を後にして坂道を下って来ると、カラスウリやハゼの実が秋らしい景色を醸している。と言っても今日7日は立冬であるのだから、話がややこしい(笑)。そして、この記事は昨日の記事の続きであり、今日は9日であるのだが、記事上の「今日」は7日のことであるのだから、更にややこしい(笑)。
医王寺から県道580号に戻って来ると道脇の民家で庭掃除をされている年配のご夫婦が居られた。「こんにちは。好いお天気ですね。」と声を掛けて庭先で暫し雑談。大阪からやって来て当てもなく自転車散歩をしている、と申し上げると、奥さんの方が「こうちの滝」に行きなさい、と仰る。其処へはご夫婦でよく散歩に行かれるらしく、今朝も歩いて来た処だと仰る。この坂を越えて、橋を渡って右に行くと山に入る道となるから、それを行けばいい、と道順も教えて下さる。ここまで薦められては「では、行ってみますか。」と言うほかない(笑)。
しかし、坂を越えた辺りで、滝の名前は忘れてしまった。橋を渡る手前で右だったか、橋を渡ってから右だったかも記憶が曖昧になっていた。渡って右の道の方がそれらしく見えると、行ってみる。すると、途中で軽トラックと軽乗用車が対向する形で並んで停まっていて、運転席の窓を開けて男性二人が何やらお話をされている。
厚かましくその間に割り込み、「ナントカの滝はこの道でいいのですか?」と間抜けた質問をする。
「ああ、’’こうちの滝’’だね。この道をアト4kmほど行くとある。」と教えて下さった。「大した滝じゃないよ。」と水を差す言葉も。まあ、滝だけに「水」を差されても致し方ないのである。
畑中の道を暫く行くと、やがて道は坂道となり杉林の中に入って行く。
坂の勾配も徐々にきつくなって来る。
これがそうか?
「大した滝でない」とは言え、いくらなんでもと先へ進む。
更に勾配がきつくなり、道もアスファルトから滑り止めの溝が刻まれたコンクリート舗装の道となり、杉の落ち葉も積もっていて走りにくい道となって来る。
息が荒くなって来た処で、それらしき滝が現れた。傍らには「修験道場」という看板の掛かった小屋があった。
少し上にも何やら小屋のようなものがあるので行ってみると、小さな祠であった。軽トラックのおじさんが「弁天さん」とか仰っていたのはこれであるのだろう。
弁天さんの祠の奥にも小振りの滝がありました。
此処で気付きました。「こうちの滝」の「こうち」とはどんな漢字表記をするのか聞いていなかったのでした。ここは三重県だから「高知」ではあるまいと思うが「河内」や「高地」もしっくりしない。「小内」や「幸地」「香落」あたりがいいか(笑)。巧緻や狡知ではよもあるまい。「子落ち」とか「鼓打ち」とかもあり得るか。
<追記>ふろう閑人氏がネットで「こうちの滝」を検索下さったが判然としなかっ
たとコメント下さったので、小生も筆者の責任として調べてみましたら、
「こうちの滝」は「河内の滝」でありました。そしてそれは真龍滝という
別名も持っていました。更に判明したのは、上で「こうちの滝」と断定し
た滝は、実は「関ノ宮不動滝」で、弁天堂の奥の「小振りの滝」が「こう
ちの滝」なのでありました。訂正して置きます。
(参考) 瀑好さんのブログのこの記事
帰途は下り。忽ちに県道580号に戻って来た。県道15号との交差点角にあったレストランに向かう。
店の外観写真は撮っていなかったよう。店の駐車場に駐輪したトレンクル君を店内から撮った写真で代用です。
昼食後は雲出川べりに出てみる。出雲をひっくり返した名であるが「くもず」と訓む。
この川と後方の山並みなどの景色は聖武天皇も大伴家持も眺めたものであるのだろう。高圧線の鉄塔や家々を消し、川の水量を増やした光景を想像してみる。
山並のよろしき国、川波の立ち合ふ里、と田辺福麻呂の恭仁京讃歌の一節が思い出されたりもする。こちらは「雲出づる川」、あちらの木津川は「木出づる川」ということであったのか、と思ったりもする。
直ぐに来る時に渡った八ッ山橋に来てしまった。周辺を「徘徊」乃至は「彷徨」してみましたが特に目欲しきものもなし。
八つ山の 橋は高みか 雲の上に 立ちて眺むる 川瀬清しも (偐家持)
雲出川 川波立ちぬ 空青く 風つめたかり 冬立つらしも (偐家持)
さまよへるヤカモチも、榊原温泉口駅の方へと来た道を引き返すことと致しました。( つづく )
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