<1月10日(1)>
本日は福岡県筑紫野市の二日市温泉の宿からです。
新大阪9時29分発のぞみ7号で博多経由鹿児島本線二日市駅到着が12時18分。ホテルに荷物を預け、宅配便で送って置いた自転車・トレンクルを受け取り、銀輪散歩に出掛けました。今日の予定は、筑紫野市の主な万葉歌碑を訪ねるというもの。偐山頭火氏やブロ友のふぁみり~キャンパー氏のように温泉目当てではありません。
今月末と2月1日に、ナナ万葉の会と若草読書会で、それぞれ大伴旅人の歌を取り上げてお話することとなっているので、太宰府も訪ねて置かねばなるまいと、やって参りました。大昔に来たきりなので、殆ど初めてのようなもの。特に、二日市温泉は初めてであります。
駅に降り立って出迎えてくれたのは、万葉歌碑ではなく、野口雨情の歌碑でありました。
山ぢゃ天拝月見の名所
梅ぢゃ太宰府天満宮
梅と桜は一時にゃ咲かぬ
うすらおぼろの夜がつづく
今日は武蔵の温泉泊り
旅の労れを湯で治す
月見とも観梅とも無縁の冬の旅とあっては、共通するのは「武蔵の温泉泊り」という部分だけですな。
駅からぶらぶらと二日市の温泉街に入って行くと、偐山頭火氏のブログで見た「御前湯」というのがあった。
建物の前の説明板
(注:1月10日(2)の記事に写真掲載)
によると、二日市温泉は、白雉4年(653年)武蔵寺の創建者・藤原登羅麿が薬師如来のお告げにより開いたとされ、万葉集にも詠われた歴史ある温泉です、とある。「薬師の湯」とか「武蔵の湯」とも呼ばれたのはこれに由来するのですな。万葉集では大伴旅人の歌(巻6-961)の題詞に「帥大伴卿、次田の温泉に宿りて」とあるが、それが二日市温泉のことだと言われている。そう言えば、先程渡って来たJRの踏切が「次田踏切」と表示されていました。
小生が宿泊のホテルの前にはその大伴旅人の歌碑がありました。漸くに万葉歌碑がお出迎え下さいました。
湯の原に 鳴く芦田鶴 (たづ) は わがごとく 妹に戀ふれや 時わかず鳴く
大伴旅人は神亀3年(726年)または同4年(727年)に大宰帥に任命され赴任している。ところが、神亀5年(728年)妻・大伴郎女を病で亡くす不幸に見舞われる。そして、翌・天平元年(729年)長屋王の変で、長屋王が自殺に追い込まれる。皇親派の大伴氏であるから、旅人にとってもこれは青天の霹靂であったことだろう。そんなこともあって体調を崩したかどうかは分からぬが、天平2年(730年)6月、足に腫物が出来て悪化、重病となる。この時に、弟の稲公や甥の古麻呂を九州に呼び寄せているから、旅人は死をも覚悟したと考えられる。
この時、長男の家持は11歳か12歳。次男の書持は10歳未満であったかも知れない。息子達のことをよろしく頼む、というようなことであったのではないだろうか。異母妹の坂上郎女も、この時か大伴郎女が亡くなって直ぐであったかは不明であるが、九州にやって来て、旅人の身の回りの世話をしている。
この病を治すために、旅人はこの二日市温泉に通ったのでありました。その折に詠んだ歌が上の歌である。亡くした妻のことを思いつつ、悲しみに暮れている彼の心根が思われる歌である。
夜が更けました。旅先ゆゑ、この辺で一応のキリとします。未だ、銀輪散歩に出る前の段階でありますな。この後、万葉歌碑を尋ねて、天拝湖、山神ダムへと銀輪を走らせるという言わば「本編」に入る前に「ダウン」で申し訳ありませぬ。続きは明日に。( つづく
)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん
New!
ビッグジョン7777さん
七詩さん