毎月初旬に行っている墓参。昨日の墓参は夕刻の墓参となりました。
墓参の度にご紹介している、途中にあるお寺の門前の言葉でありますが、この日のそれはこの人のものでありました。
往く道は 精進にして 忍びて終わり 悔いなし -高倉健
悔いなしと 言へば悔いなし 道草の
ごとに散りゆく この身ひとつも (偐家持)
墓参を済ませて西の空を見やると、落日が沈もうとしている処でした。
「落陽は慈愛の色の金の色・・」とか
(注)正しくは「落陽は、慈愛の色の 金のいろ」です。
「やがても蜜柑色の夕日、欄干にこぼれたり」とかの
(注)正しくは「やがても密柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり」です。
中原中也の詩の断片が思い浮かんで来るのでもありました。
今日ひと日 無事にありたり 金色の
夕日落ちゆく 見らくしよしも (偐家持)
音もなく日は沈んで行く。
はい、すっかり沈んでしまいました。
墓の近くには月見草が咲いていましたが、日がすっかり沈んで、坂道を下り、振り返ると東の空には月がぽっかり出ているのでありました。
「月がぽっかり出ましたら 船を浮かべて遊びませう」
(注)正しくは「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けませう。」です。
これも中也の詩の一節ですが、偐家持なれば「月がぽっかり出ましたら、銀輪駆けて帰りませう」でしょうか。
西の野に 赤き夕日の 落つ見えて
返り見すれば 月のぼり来ぬ (偐人麻呂)
(本歌)東 (ひむかし)
の 野にかぎろひの 立つ見えて
かへりみすれば 月西渡 (かたぶ)
きぬ
(柿本人麻呂 万葉集巻1-48)
上の如き馬鹿歌を口づさみながら家路を辿りました(笑)。
昨日の墓参の日記でありました。
(脚注)上記(注)は5月4日の追記です。偐万葉的にはどうでもよいことなれど、
中也さんに失礼になってもいけませんので、訂正注記して置きます。
なお。上記「密柑」は本来「蜜柑」ですが、中也さんご自身が間違って
表記されたようで、中也全集でも「密柑」のママとなっています。
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