偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2015.05.23
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カテゴリ: 銀輪万葉

承前

 再び烏丸通りに戻り、北へ。ここは自転車OK。京都御苑を右に見ながら更に北へ。今出川通りの同志社大学裏手の相国寺へ。相国寺は2007年12月以来であるから7年半ぶりの訪問となる。
<参考>「 定家卿之墓 2007.12.29.
 前回は偐山頭火氏との二人連れ、目的は藤原定家の墓であったが、今回は一人っきり、目的は伊藤若冲の墓である。蕪村と若冲とは絵の方向が全く違うので同時代の絵かきとは言え、親しい交流があったのかどうか。しかし、同時代の画家でもあれば、これも蕪村関連ということになります。前回、定家の墓を訪ねた際に偶然にその隣に若冲の墓があることを発見したのだが、そのことが何故か鮮明に記憶に残っていたので、ついでにお訪ねしようと思った次第。
 「恋しぐれ」では応挙と蕪村は親しく交流しているが、蕪村は1716年生まれ、応挙は1733年生まれで17歳も年齢が離れている。一方の若冲は蕪村と同じく1716年生まれで年齢的には親しい交流があっても不思議ではないが、相性というのもありますからね。

相国寺、藤原定家、足利義政、伊藤若冲の墓 (藤原定家、足利義政、伊藤若冲の墓)

 時代も分野も異なるこのお三方の墓が並んで居るというのも面白いことである。何処か別の処にあったものを此処に持って来たということであるのでしょうか。
 今回はお隣のお二方はお呼びではありません。

相国寺、伊藤若冲の墓 (伊藤若冲の墓)

 相国寺は足利義満の発願・建立の寺。京都五山第二位、臨済宗相国寺派の大本山寺院。正式名称は萬年山相國承天禅寺。金閣寺・銀閣寺は相国寺の山外塔頭になる。

相国寺、法堂 (1)
(相国寺法堂)<参考> 相国寺 ・Wikipedia  相国寺公式ウェブサイト

 若冲の墓は法堂の左側の道を奥に行った処にある墓地の一画にある。
 墓からの帰途に目に入った石碑には、後水尾院天皇御歯髪塚と刻されていた。元々、この場所には足利義満建立の宝塔があったらしいが応仁の乱の戦火で焼失。承応2年(1653年)後水尾上皇がそれを再興し、上皇落飾(出家)時の髪と歯を上層柱心に納めたとのこと。しかし、その建物も天明8年(1788年)の大火で焼失。その跡地に歯髪塚を建てたものと考えられている。
 蕪村は天明3年(1783年)に没しているから、天明の大火を彼は知らぬことになる。

相国寺、後水尾院天皇御歯髪塚 (後水尾院天皇御歯髪塚)

 この塚の写真を撮っていると、何やら声高に楽しそうに語らいながら年配のご婦人お二人が通りかかられました。その内のお一人が「カメラを持って来たので二人の写真を誰かに撮って貰おう。」と言って居られるのが耳に入る。「写真、私が撮りましょうか。」と小生。まあ、会話が耳に入ってしまっては放って置けないヤカモチさんでありました(笑)。
 塚の前では些か雰囲気が悪いので隣の宝塔を背景にパチリ。「どちらからお越しですか?」とお聞きすると、カメラの方のご婦人は東花園からとのこと。小生のご近所さんみたいな方ではないか。もう一人のお方は「わたしは京都。いけずどすえ。」と仰っていました。「いけず」というのは「意地悪」という意味であるが大阪人にもお馴染みの言葉であるから十分に通じる冗談である。

 再び今出川通りに戻り、東へ。鴨川を渡り、出町柳から高野川沿いを上流へ。蕪村の墓などがある金福寺へと向かう。

鴨川と高野川 (鴨川<手前・左>と高野川<奥・右>)

 賀茂大橋を渡る。高野川沿いに川端通りを北へ高野橋東詰まで。
 北大路通りを東へ。白川通りにぶつかった処で左折、二つ目の辻を右に入って坂道を上ると突き当りが本願寺北山別院。

本願寺北山別院 (1) 本願寺北山別院 (3)
(本願寺北山別院)

 北山別院の手前を右に入ると奥に金福寺がありました。
 門前で時計を見ると12時40分。で、取り敢えず「腹ごしらえ」とて、門前に唯一ある「かぐや姫」という喫茶店に入る。

金福寺 (1) (金福寺)

 客はわれのほか誰とてもなかりき、で女主人と世間話をしながらのゆったりした昼食と食後の珈琲でありました。もう30年も此処で店をやっているという女主人の話でした。「そうどす。そうどす。」という相槌を打つ京言葉も何やら気分をほっこりさせてくれる居心地の良さでありました(笑)。

 金福寺は貞観6年(864年)安恵 (あんね) 僧都が慈覚大師・円仁の遺志により創建した寺。 大師自作の観音像を本尊として安置したのがその始まりで、もとは天台宗の寺であったが、後に荒廃し、江戸時代中期に鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺となって今日に至っているとのこと。 当寺の草庵に閑居していた住職の鉄舟和尚のもとを芭蕉が訪れ、親交を深めたという。和尚は草庵を芭蕉庵と名付け芭蕉を偲んで居られたそうな。後年、芭蕉の足跡を慕って蕪村が当寺を来訪した頃には芭蕉庵はすっかり荒廃してしまっていたらしい。その荒廃を惜しんだ蕪村は、安永5年(1776年)に芭蕉庵を再興する。

金福寺 (3) (金福寺の庭。奥に見えるのが芭蕉庵)

金福寺、芭蕉庵 (1) (芭蕉庵)

金福寺、芭蕉庵 (4) (同上)

金福寺、芭蕉庵 (3) (芭蕉庵の由来)

金福寺、鉄舟和尚が芭蕉をもてなした翁の水 (2) (鉄舟和尚が芭蕉をもてなしたとされる翁の水) 

金福寺、芭蕉の碑 (2) (蕪村らが建立した芭蕉の碑。芭蕉の生涯をたたえる文が刻されている。)

 この碑建立の時に蕪村が「我も死して碑に辺 (ほとり) せむ枯尾花」と詠んだことから、この碑の後丘に蕪村の墓が建てられたとある。

 またも字数制限です。続きは明日とします。( つづく






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最終更新日  2015.05.24 10:35:36
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Re:京都・蕪村銀輪散歩(その2)(05/23)  
 偐山頭火 さん
やはりというか、行かれましたか。
私もその気があったのですが、本で済ませました。
京都の大路・小路という、京の道を軸にした本で課題小説の所縁の場所を追いかけていました。

仁和寺>
覚えておりますよ。確か、伏見港に車を置いて走りましたね。
また、お誘いください。 (2015.05.23 12:48:32)

Re:京都・蕪村銀輪散歩(その2)(05/23)  
ふろう閑人  さん
京都の南から北の端まで良く走られましたね。
藤原定家、足利義政、伊藤若冲の墓が並んでいるとは面白いといえば行けませんが変わった組み合わせですね。

またまた「かぐや姫」気になるところです。 (2015.05.23 14:23:53)

偐山頭火さんへ  
けん家持  さん
 まあ、京都ですから、ちょいと、という感じで行けますから、行かぬ手はなかろうと(笑)。貴兄にお声を掛けてお誘いすればよかったですかね。
 仁和寺ではなく相国寺ですな。その折は、年末の大掃除をサボっての煤逃げ男二人の銀輪散歩でありましたですね。

(2015.05.23 20:47:19)

ふろう閑人さんへ  
けん家持  さん
 京都は東山方面に踏み込まなければほぼ平坦ですから楽なものです。四条通りと河原町通りの一部が歩道も車道も自転車通行禁止となっていて驚きました。
 藤原定家、足利義政、伊藤若冲と奇妙な組み合わせの墓です。まあ、ご本人たちも「なんでやねん」と言っていることでしょうね(笑)。
 喫茶「かぐや姫」は、金福寺の門前にありますので直ぐに分かります。お近くに行かれることがありましたら、どうぞ覗いて下さいませ。
(2015.05.23 21:08:20)

Re:京都・蕪村銀輪散歩(その2)(05/23)  
こんばんは(^^♪

自転車通行可で 良かったですね(^o^)
お陰で たくさん廻られましたね。
鉄舟、芭蕉、蕪村の繋がりが 私にも よくわかるブログでした。
続きは、どこでしょうか?
楽しみにしています。 (2015.05.23 22:13:32)

Re:偐山頭火さんへ(05/23)  
偐山頭火 さん
そうでした。母校の裏庭を間違えましたね・
> 仁和寺ではなく相国寺ですな。その折は、年末の大掃除をサボっての煤逃げ男二人の銀輪散歩でありましたですね。

如何に学校へ通っていなかったかという証明でもありました。また行きましょう、お願いします・
(2015.05.24 08:45:13)

Re:京都・蕪村銀輪散歩(その2)(05/23)  
英坊3  さん
「寺院訪問」の際には予備知識を持って行くのが大事ですね。私は「相国寺」を一人訪ねた時には「法堂」と「宣明(浴室)それに「塔頭の雁の寺」で有名な塔頭の「瑞春院」。隣接地は「同志社大学」というのが印象的でしたよ。
京都弁の「・・だす」というのは「肯定の意の・・です」の意ですね。富山弁でも「肯定する語尾」は「・・ちゃ」ですちゃ。富山県西部も言葉は関西系ですから「だす。どす」は「異聞き」ではありませんちゃ」 (2015.05.24 09:14:21)

ひろみちゃん8021さんへ  
けん家持  さん
 京都ジグザグ銀輪散歩でありました。
  >続きは、どこでしょうか?
 金福寺の後は蕪村の師匠に当る夜半亭宋阿(早野巴人)の墓がある地蔵院(通称・椿寺)ですが、今日のブログ記事も金福寺でぐずぐずと過ごしますので、これは明日25日の記事になります。暫しお待ちを、であります。
(2015.05.24 10:51:31)

再度、偐山頭火さんへ  
けん家持  さん
 まあ、勘違いは誰にもあるもの。「如何に学校へ通っていなかったか」どうかはさて置くも、母校の裏庭を間違える位はいいでしょう。母校の名を間違えたら、これはもう認知症を疑わなければなりませぬ(笑)。
 徘徊二人男とならぬよう互いに頑張りましょう(笑)。
(2015.05.24 11:04:33)

英坊3さんへ  
けん家持  さん
  >「寺院訪問」の際には予備知識を持って行くのが大事ですね。
 そうですね。或る程度予備知識があるに越したことはありませんね。しかし、そこで新しい発見、思わぬ発見、というのもいいものです。
 瑞春院は烏丸通りから相国寺に入ってスグ左にある寺。右側は同志社大学の建物ですね。瑞春院は水上勉が若い頃に修行した寺で仰る通り「雁の寺」で有名。「雁の寺」という大きな看板を上げていました。今回は小生は此処から境内に出入りしました。
 京都の「どす」、大阪の「だす」は、富山の「ちゃ」ですか。「ちゃ」は「じゃ」の変形なんでしょうね。 (2015.05.24 11:31:37)

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