久しぶりに若草山、高円山を巡って来ました。
目的は、高円山の頂上付近にある犬養万葉歌碑を訪ねるというものでありました。
先ず、若草山山頂に向かい、そこから奈良奥山ドライブウェイに入り、春日山原始林の中の道を行き、高円山へと向かう。奥山ドライブウェイは車は有料であるが、歩行者や自転車は無料で通れる。
春日山というのは、北に若草山、中央前面に御蓋山、背後に花山、南に高円山という配置で並んでいる山々の総称であると理解していましたが、花山の別名又は御蓋山(前山)と花山(奥山)とを併せた総称と説明しているものもありで、かなり曖昧なようだ。
高円山は若い頃に百毫寺の裏から登ったことがあるのだが、犬養万葉歌碑はその頃は未だ存在していなかったのであります。
若草山山頂は、調べると2008年5月27日に銀輪散歩で立ち寄っているが、それ以来なので7年振りということになる。何故かこの時の銀輪散歩は記事にしていない。ということで、今回は若草山山頂から記事を始めることとします。
(若草山山頂から西方向を望む。)
若草山山頂では鹿たちがのんびりと草を食んでいる。
西方には金剛山、葛城山、生駒山の山並が青く霞んで見える。
(若草山山頂・ 鴬塚古墳
)
若草山山頂にある古墳が鴬塚古墳。下掲写真の説明板にも記載の通り、枕草子で「みささぎはうぐひすのみささぎ・・」(第17段)と清少納言が御陵の第一に挙げた「鴬の御陵」は此処の事だと言われている。尤も、大阪府太子町にある孝徳天皇陵のことだと説明しているものもあり、その論拠などは知らない。
古墳の頂上部には「鴬陵」の碑が建っている。此処が「うぐひすのみささぎ」であると主張して居ります。この古墳は古くは磐之媛(仁徳天皇皇后)の御陵だと考えられていたようです。万葉集巻2の巻頭の4首が磐之媛の歌として掲載されているが、その2番目の歌「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根し枕きて死なましものを」の歌のイメージに相応しい山頂の墓ということになるが、明治になって磐之媛陵は奈良市佐紀町ヒシゲにあるヒシアゲ古墳がそれであるとされた。
鴬がケキョケキョと鳴く奈良奥山の道を行くとこんな碑がありました。東大寺の境内地はこのような処まであったのですな。若草山の山焼きは東大寺と興福寺の領地争いに起因するという云い伝えがある位だから、まあ、納得です。
更に行くと、大仏殿を建てる際の石材を切り出した跡だという石窟に彫られた石仏群もありましたので見て行くことに。2008年5月の折は、交番の前で右に入り春日大社の方へと下ったのであるが、凸凹道を走り下っていてトレンクルがパンクしてしまったという苦い記憶がある。
直近では2011年7月29日の柳生の里での銀輪散歩の帰途でこの道の一部を走っているが、その折のことなども懐かしく思い出される。ついこの前のことのように思っていたがもう4年も前のことになるのである。
<参考> 柳生銀輪散歩(下)
2011.8.3.
地獄谷の道を過ぎて高円山頂上近く、高円山ドライブウェイ展望休憩所にある犬養万葉歌碑に到着です。
この歌碑は、平成2年(1990年)9月24日に「万葉の大和路を歩く会」10周年を記念して建立されたもの。
多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良武可
高円の 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ牡鹿 出で立つらむか
(大伴家持 万葉集巻20-4319)
<高円の秋野の朝霧の中に、妻を呼ぶ牡鹿は立っているだろうか。>
今は未だ夏ですから、夏の歌に言い替えると、
高円の 夏野の原の 朝露の 草押し分けて 牡鹿は行くか (偐家持)
でしょうか(笑)。
<参考> 銀輪万葉・奈良県篇
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