北国は もみたひ雪も 降り来とや 里のもみぢは まだ見えなくに (偐家持)
北の方からの「もみぢ便り」が届き、北海道や東北では雪も降り、関東や近畿でも木枯らし1号が吹いたらしい。しかし、大阪の我が里では、桜の木などに少し色づきたる葉はあるものの、紅葉の本格的な季節はまだ先のようです。
銀輪散歩の途中に立ち寄った、小生がひそかに「紅葉の名所」と名付けている、とある場所の楓の木々も、未だ青い葉のまま。
そこで見つけたのは赤い実の木。名前が分からなかったが、ネットで調べてみると、ヤブサンザシであるということが判明。
サンザシ(山査子)には、オオサンザシ、ホソバサンザシ、ミサンザシ、クロミサンザシ、ヤブサンザシなどがあるようだが、赤い実で枝に棘が無いなどから、ヤブサンザシと判断したのが下の写真の木である。
ということで、紅葉の秋には未だ少し早い大阪。秋の実で「言葉遊び」と致します。題して「小倉百実一首」であります(笑)。
秋の野山には赤い実のなる木は多くある。ヤブサンザシもその一つに過ぎない。
野辺みれば をちこち赤き 実のありて
わが実ひとつの 秋にはあらず (薮山査子)
(本歌)月みれば ちぢにものこそ かなしけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
(大江千里 古今集193 小倉百人一首23)
赤い実と言えば、ハナミズキやサンシュユの実などもよく見掛ける。
ヤブサンザシやサンシュユの実は食べられるがハナミズキの実は有毒にて猛烈に苦い。小鳥たちもこの実は食べないのだろうか。地面に沢山落ちている。
あはれとも いふべきものか 地に落ちて
実のいたづらに なりぬべきかな (花水木)
(本歌)あは
れとも いふべき人は おもほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
(藤原伊尹 拾遺集950 小倉百人一首45)
サンシュユは山茱萸と書く。茱萸はグミである。グミなら食える筈と試しに齧ってみたことがあるが、味は忘れた。美味しいものでなかったことは確かである。
食ふことの たえてしなくは なかなかに
味をも実をも 忘れざらまし (山茱萸)
(本歌)あふことの たえてしなくは なかなかに
人をも身をも うらみざらまし
(藤原朝忠 拾遺集678 小倉百人一首44)
樹木にも個体差と言うか個性があるようで、花園中央公園では、このモミジバフウの木だけが早々と黄葉している。左奥にある同じモミジバフウの木は未だ青いままである。
モミジバフウの実はイガグリのように棘で覆われているが、栗のような鋭い棘ではなく、中途半端な棘である。この実の中の種子を食べる物好きな動物などいないという理由で、栗のように完全武装する必要がなかったのでしょうか。
見上ぐれば イガまたイガの 栗のごと
実を似せたるを あはれとぞおもふ (紅葉葉楓)
(本歌)わびぬれば いまはたおなじ 難波なる
みをつくしても あはむとぞおもふ
(元良親王 後撰集961 小倉百人一首20)
(モミジバフウの実)
ナンキンハゼの実は黒くなっているものもあり、既に弾けている実もある。
しかし、実は随分高い処になっていて、弾けている様などがうまく撮影出来ないのは残念。
弾けたる 実をば写せず 手近には
とれる実の無き をしくもあるかな (南京櫨)
(本歌)わすらるる 身をばおもはず ちかひてし
人の命の をしくもあるかな
(右近 拾遺集870 小倉百人一首38)
次はトサミズキ。しかし、これは実が見(実)当たらない。実と見えしは芽にてやあるらむ。
葉がさそふ あるやなしやも 知らぬ実の
くもがくれにし この実なりけり (土佐水木)
(本歌)花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
(西園寺公経 新勅撰集1054 小倉百人一首96)
嗅ぐ人も なきや町家の 裏垣に
なるやへくその 実も下がりつつ (屁屎葛)
(本歌)こぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに やくやもしほの 身もこがれつつ
(藤原定家 新勅撰集851 小倉百人一首97)
サルスベリの実が残ってしまいましたが、字数制限です。これまでとします。
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