( 承前 )
本日は、山部赤人歌碑を訪ねての第3弾、滋賀県東近江市の山部神社・赤人寺を訪ねての銀輪散歩でありました。
東近江市下麻生町にある山部神社・赤人寺へ行くこととしました。現地のスポット天気予報では曇り。降雪はなさそう。雪がどの程度積もって、消え残っているかが多少気がかりではあったが、幹線道路など舗装された車の往来する道は雪も消えて自転車での走行も可能だろうと読んで、トレンクル持参で出掛けました。
JRで近江八幡駅まで出る。此処からバスで行く方法(麻生口下車)と近江電鉄(八日市経由朝日野下車)で行く方法とがあるが、近江八幡駅南口のバス乗り場に行くとバスは出たばかり、バスの運行は1時間に1本。次のバスの発車時刻まで1時間近くある。近江電鉄の乗り場に行くと発車間際。飛び乗る。
八日市駅まで19分で到着。ここで本線に乗り換えて朝日野に向かう。待ち時間29分。
近江電鉄本線は米原駅・彦根駅から貴生川駅を結んでいる。八日市駅で西に分岐する八日市線は八日市駅と近江八幡駅を結んでいる。
貴生川行きの電車が入って来ました。かなりの人がこの駅で降りましたが、中に一人のご婦人がママチャリをそのままの状態で乗って居られて、それを手押ししながら下車されてホームを改札の方へと行かれました。
どうやら、この線は自転車をそのまま持ち込めるようです。
電車は2両編成のワンマンカー。八日市駅を出た時には10人余の乗客が居たかと思いますが、いつの間にやら乗客は小生一人になっていました。
朝日大塚駅に着く少し前にそれに気付き、上の写真を撮ったのですが、撮り終わって網棚を見ると何やらビニール袋に入った大きな忘れ物。運転手さんにそのことをお知らせして、朝日野駅で下車。一面の雪景色である。
それでも舗装道路は雪がとけて走れる状態。トレンクルを組み立てて、いざ出発である。高木神社、旭野神社・法雲寺などを経由して約30分で目的の山部神社・赤人寺に到着。
それは雪の消え残る、静かな集落の中にこじんまりとありました。
山部神社と赤人寺は隣接してある。山部赤人は若い頃に観音様から「汝は我が生まれ変わり也」との夢のお告げを受けて、田子の浦から一寸八分の如意輪観音を念持仏として迎え、歌道に霊験を得た。壮年におよんで蒲生野を訪れた折に、桜の木に掛けた冠がはずれなくなってこの地で一夜を過ごすということがあった。その夜の夢に「この地こそ仏法興隆の勝地なり。(如意輪観音を)この地に安置すべし。」とのお告げを受けた。そこで、赤人はこの地に寺を創建する。元正天皇より「養老山」の勅額を賜り、「赤人寺」と名づけられ、赤人は観音様を護持してこの地で生涯を閉じたと言い伝えられているとのこと。この地の神社は、松の木を神木とする産土神を祀る神社で「小松宮」と呼ばれていたようだが、江戸時代には「小松大明神」と称され、明治元年に「赤人廟碑」が建立された。その碑文には、赤人寺は山部赤人の創建であり、小松社は赤人の廟にあたり、近くには赤人の墓や赤人桜があった等が記されている。
明治9年に山部赤人を祭神とする山部神社に改称されて今日に至る、という。
昭和42年建立とのことだが、随分古びた様にて、文字の判読も容易ではないが、境内の説明板では歌碑の歌は万葉集のそれとあり、境内に備置されたリーフレットでは新古今集、百人一首のそれとある。どちらなのか、碑の写真を見てもよくはわからない。当然に万葉集のそれと思い込んでいたので、現地でよく見ていなかったので迂闊ヤカモチの本領発揮でありました(笑)。
田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(山部赤人 万葉集巻3-318)
田児の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
(山辺赤人 新古今集675 小倉百人一首4)
赤人廟碑の前にある歌碑は明治12年(1879年)建立であるが、こちらも殆ど判読不能である。 前記リーフレットには、以下のようにある。
山部宿禰赤人
春野に 寿すみれ摘
みにとこし我そ野を
なつかしみ一夜寝
仁計る
正八位渡忠秋謹書
春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける
(山部赤人 万葉集巻8ー1424)
隣接の赤人寺。手前に小さな地蔵堂。地蔵堂の扉には紙で作った花が沢山取り付けられていました。本堂の中には勿論入れませんが、ガラス戸越しに内部を撮影してみました。鎮座ましますのは赤人が念持仏とした如意輪観音像でしょうか。
本堂の裏に回ると、赤人の供養塔とされる石造七重塔があり、その傍らに墓石とも供養塔とも思しき石塔がある。
朝日野ゆ わが恋ひ来れば 真白にぞ 赤人墓は 雪に埋もれつ (偐家持)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん
New!
ビッグジョン7777さん