母が入院していた10月17日から亡くなる12月3日までの48日間は毎日病院詰め、妹らが代ってくれる場合以外は泊り込みであったので、半分はこちらも入院しているみたいなものであり、銀輪散歩も遠出などは無理でありましたが、それでも、病院の駐輪場に持ち込んだわが愛車のMTBで近くを走る位のことはできました。
病院の庭の木々や雀や生駒山を写真に撮ってはブログの記事にしていましたが、脈絡もなく撮影した写真などは、どう記事にしていいかも分からぬままに結構溜ってしまいました。それらを没にするのも何やら寂しい気がするので、この際、それらを使って記事にすることとします。当然に脈絡もない記事となりますので、その辺はご容赦を。
1.紅一点
石切生喜病院の入院病棟の庭に咲いて居たサザンカです。
白いサザンカに魅せられて撮っていると赤い花が「私も撮って」と言っているみたいな気がしたので1枚だけ撮りました。紅一点であります。
紅一点というのは、男性ばかりの中に一人だけ女性が居て目立つ状態を形容する言葉であるが、王安石の詩「詠柘榴詩」の一節「万緑叢中紅一点」に由来する。緑の草叢の中に一つだけ赤い柘榴が咲いて居る、というのであるから、緑の中の紅であり、花は柘榴の花であるのだが、此処では白い花の中の赤い花であり、花もザクロではなくサザンカなのである。
2.葉の意匠
葉は花の引き立て役であることが多い。観葉植物という葉自体を楽しむものもあるにはあるが、一般には花が主役にて葉は脇役またはその背景である。しかし、そのような葉もよくよく眺めるとそれなりの美しさがあるというものである。
以上は、サツキの葉。集団としての美しさ、ですな。
シャクナゲの葉の場合はこんな感じ。これは単独で見せる意匠。
枯れ落ち葉だって、じっくり(万葉風に言えば、つばらに)見れば、なかなか味のある表情をしているのである。
枯れてこそ 味は深みか 落ち葉らを
つばらに見つつ 来し方思ほゆ (偐家持)
3.道の辺の草
銀輪散歩で走ることの多い恩智川べりであるが、病院はその恩智川べりにあったので、病室を出ての束の間の散歩も恩智川べりということになる。その道の辺の草たちも冬支度。次の世代へと命をつなぐことにいそしんでいる。
大伴家持の歌に「・・菖蒲草 蓬かづらき 酒宴 遊びなぐれど・・(万葉集巻18-4116)」というのがあるが、5月の酒宴に蘰に巻いた蓬もこのようになっては道端に放置するほかありませんな。
銀輪花散歩・リュウゼツラン、キンエノコ… 2025.10.19 コメント(4)
銀輪花散歩・平城宮趾公園&佐保川畔 2025.03.27 コメント(4)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
ビッグジョン7777さん
七詩さん