千早城趾まで銀輪散歩して来ました。
石川沿いの道を行き川西大橋で国道309号に入り東へ。「道の駅かなん」で暫し休憩。この先、食事する店がないかも知れないと、昼食用に「山菜ごはん」のお弁当を購入。ついでに「よもぎ団子」も。
道の駅かなんの先の神山南交差点で右折し、南へ。直ぐに千早赤坂村となる。道の駅の手前までは富田林市、道の駅から神山南交差点までが河南町、交差点の少し南から先が千早赤坂村である。富田林市と千早赤坂村の間に割り込むような形で河南町の南端が突き刺さっているのであるが、その部分を通り抜けたことになる。
千早赤坂村に入ると道はひたすら上り坂となる。千早城趾まで約10km。ずっと上り坂が続くタフなコースである。花を見付けては写真に撮ったり、煙草を一服したり、お茶を一口飲んだり、これらを口実に足を休めながら、息を整えながらの、ゆっくり走行である。急坂ではギブアップして押して行く。復路の爽快な下りを楽しみにしての我慢・忍耐の往路である。
道は森屋交差点で国道309号と府道705号に分岐する。右側の府道705号を行く。府道705号は千早川沿いの道である。
上の写真の千早川を渡ってすぐの位置に左に入る道があり、楠公誕生地という表示板が目に入る。S字カーブの坂道を上った処に、それはありました。千早赤坂村郷土資料館の前にその碑がありました。
楠木正成は河内に生まれ育った小生には小さい頃から馴染んだ名前であるが、その誕生地を訪ねるのは初めてである。彼は湊川の戦いで亡くなるが、その地にある湊川神社は彼を祀る神社。あちら湊川の方はかなり前に訪ねているから、これでブログ上でも、誕生地と死亡地、両方の訪問を果たしたことになる。
<参考> 神戸クルージング
2009.9.26.
道沿いにはレンゲ畑が広がって、丁度今が花の盛り。
千早赤坂村役場を過ぎ、地元の物産直売所の前で右に上る坂道があり、下赤坂城趾の表示板。立ち寄ることにする。道は中学校の校門から敷地内へと通っている。学校の敷地内に無断進入しているみたいな居心地悪さを感じながらも、道なのだから自由に通れるのだろうと校舎の間を抜けて、上の高台に出る。
(下赤坂城趾)<参考> 下赤坂城・Wikipedia
上赤坂城・Wikipedia
そこには、高々と「史蹟赤坂城趾」の碑がありました。
今回は上赤坂城趾には立ち寄らずでしたが、これは次の機会に挑戦します。
高台からは下赤坂の棚田が一望できる。其処にはベンチや東屋があり、簡易トイレも設置されている。ということで、少し早いが此処で「お弁当タイム」とする。日本の原風景を眺めながらの昼食である。
<参考> 下赤坂の棚田・千早赤坂村観光協会
棚田では農作業する人の姿も見える。春草を除草して焼いているのだろうか、野焼きの煙がひとすじ空へと立ち昇る。雉の甲高い鳴き声も時折聞こえて来る。まだ田植えの時期でもなく水も張られていないが、水が張られたり、稲穂が黄金に実る時期には、さぞや素晴らしい眺めになることだろう。
この下赤坂の棚田は、日本棚田百選にも選ばれているとのこと。
昼食後、再び府道705号に戻り、だらだら坂の道を上る。
丁度村会議員選挙の最中らしく、候補者の車と頻りにすれ違う。何度も出くわすので、候補者の名前も4人ばかりは覚えてしまった(笑)。
河内長野市方向へと通じる道との分岐にて「山頭火」と遭遇。
(山燈花)
よく見ると「山燈花」であった。予約制とあるから、レストランか何かなんだろう。わが友人の偐山頭火氏に見せてやりたい看板である(笑)。矢印の示す方向は、わが行くべき道とは違っているので、その正体は突き止めぬままに、なお坂道を上る。
分け入っても 分け入っても 奥河内
で、延々と続く坂道は流石に疲れるのであります。
民家の佇まいも山々の景色もいい。
民家の写真を撮ったりしては、休憩。
山の景色を撮ったりしては、また休憩。
道の辺の草花を撮ったりしても、またまた休憩。
花については、最後にこれをまとめて掲載することとしますので、それまでお待ち下さいませ。
上の小さい写真は、やって来た道を振り返って撮ったもの。自動販売機があり、トイレもあったので飲み物とトイレ休憩をしたついでに撮ったものです。正面奥に見えている山が上赤坂城跡のある山であるのかも知れない。
千早大橋を渡って少し行くと眺望が開けた場所に出る。眼下に集落がある。千早の集落である。千早城趾が此処から見えます、と道脇の看板に表記があったので、それとおぼしき方向にカメラ向けたが、よくは分からない。
(千早城趾のある山) (集落背後の山)
漸くにして千早城趾に到着である。いや、正確にはその登り口に到着である。
道の向かいに交番がある。交番脇の広場に自転車を駐輪して、石段を上る。何とも急な階段である。
千早城に来るのも初めてである。
小学生の頃、父と銭湯に行った帰りに、その隣にあった貸本屋で本を借りて読むのが楽しみの一つであったが、3年生であったか4年生であったかは定かではないが、「風雲千早城」
(このようなタイトルであったかどうかも記憶が曖昧であるが)
とかいう本を借りて読んだことを何故かよく覚えている。太平記をネタ本にして、鎌倉幕府軍と楠木正成との千早城や赤坂城での戦いを物語にした本であった。
この石段、とても長い。九十九折に延々とある。ちょっとした登山であります。長い坂道を自転車で上って来た足には応える石階段にて候。上の写真の鳥居から下の写真の「千早城趾・千早神社」までの間に長~い石段があるのです。そして、漸くに到着です。
二つ目の鳥居の奥に千早城趾の石碑があって、その更に奥の一段高い処に、千早神社本・拝殿がある。
(千早城趾碑)<参考> 千早城・Wikipedia
拝殿前にあるこの碑を撮影したところで、デジカメの電池切れ。
仕方なく、拝殿はスマホで撮影。
予定では、千早城の裏側の道の奥に楠木正儀の墓があり、それに立ち寄ってから帰る心算でいたのだが、電池の切れ目が縁の切れ目、そのことも忘れて、山を下りると、そのまま、自転車で帰途についてしまいました。
(千早神社拝殿)<参考> 千早神社・Wikipedia
帰途は延々10kmの下り坂である。ほんの一部に上りもあるが、それを除けばブレーキを掛けることはあっても、ペダルを漕ぐ必要はないという楽々走行なのである。2時半位に千早城趾前を出発し、道の駅かなんに到着したのが、2時57分。30分を要せずに走り下れてしまいました。往路のしんどさは何であったのか。
そんなことで、復路の写真はありません。
往路で、休憩の口実に撮った花の写真を以下に掲載して、記事のまとめといたします。ただ、最後の白い花については名前が分かりません。名前を知っていると否とにかかわらず、これらの花に疲れを癒されながらの銀輪散歩でありました。
(フウロソウ)何フウロかまでは分かりません。
※写真をクリックして大きいサイズで見ることもできます。
<追記>小万知さんからヤワゲフウロだと教えていただきました。
ちはや道 咲きたる花は 草の王 ふうろすみれに 紫華鬘 (草家持)
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