本日は中学校の同級生有志によるミニクラス会でした。
参加者は、男性陣が喜麻呂君、木麻呂君、谷麻呂君と偐家持の4名、女性陣がひろみの郎女さん、嶌の郎女さん、堀の郎女さん、塩の郎女さんと大の郎女さんの5名。
ミニクラス会ということでは、今年の5月の恩師の墓参を兼ねての集まり以来のこととなるのであるが、この時は、男性陣は上記4名が参加するも女性陣はひろみの郎女さんを除き全員不参加であったので、男女全員が揃ってというのは、一昨年の12月の忘年会以来ということになる。場所もその忘年会と同じ、木津川市のお食事処・かま田というお店。
<参考> 中学恩師の墓参・ミニクラス会
2015.5.30.
中学の同級生有志男女9名の忘年会
2015.12.12.
見まくの欲しき瓊花そして墓参
2016.5.2.
同級生たちと墓参
2017.5.26.
午後1時集合。中学時代の昔に返って、飲んだり食ったりしながらの楽しいお喋りに時を忘れました。
店の佇まいはこんな感じです。国道163号沿い、恭仁歩道橋の東側にあります。店の正面には恭仁京跡・山城国分寺跡があります。
正面の森が恭仁京跡・国分寺跡です。
奥の山には海住山寺があります。740年(天平12年)9月藤原広嗣の乱が起ったことが契機となって、聖武天皇は平城京からこの恭仁の地に都を遷すことを決意、その年の12月から恭仁京の造営が始まる。翌年の8月16日、内舎人であった大伴家持は次の歌を詠んでいる。
今つくる 久邇の王都は 山河の さやけき見れば うべしらすらし(万葉集巻6-1037)
時に家持26歳。橘諸兄政権の下で官僚として歩み始めた青年家持の、未来への希望に満ちた明るい歌である。
<追記>
ビッグジョンさんのコメントで、3年前に万葉ウオークで恭仁京跡などをご案内したことを思い出しました。恭仁京のことなどはこの折のブログ記事でご紹介していますので、下記にリンクを貼って置くこととします。(7月23日追記)
恭仁京銀輪散歩
2014.10.23.
続・恭仁京銀輪散歩
2014.10.24.
同期会・青雲塾万葉ウオーク・第8回ナナ万葉の会
2014.11.29.
店のポーチのへりに小さな白い花が咲いていました。
ツタバウンラン(蔦葉海蘭)である。
何やら跳ねている黒いものがいたので、近寄ってみるとカエルさんでした。そろそろ帰るかという段になって、ひろみの郎女さんから、「和束茶カフェ」に皆で寄って行こうという提案が出て、そういう段取りとなる。車であるから、「和束茶カフェ」までは10分余程度と見込み、車2台に分乗して向かうこととなる。
ひろみの郎女さんは、ももの郎女さんのブログで紹介されていた茶畑と「天空カフェ」が目当てであったらしい。しかし、「天空カフェ」は活道ヶ丘公園の高みへと徒歩で登るしかないと知り、この猛暑の中、皆も不承知とあって断念、麓の「和束茶カフェ」で手を打つことと相成りました。
和束茶カフェも、活道ヶ丘公園も、安積皇子墓も、茶畑も今回写真に撮らなかったので、掲載できるものがありません。それで、それらが掲載されている当ブログの過去の記事やももの郎女さんこと☆もも☆どんぶらこ☆さんのブログ記事を下記にリンクして置くこととしますので、興味ある方は覗いてみて下さい。
<参考>
ももの郎女さんのブログ記事
和束茶カフェ
2017.5.30.
和束町へ。
2017.5.28.
当ブログ過去記事
茶源郷「和束」・安積皇子墓
2014.11.26.
以上、クラス会・2017年夏の陣の記事でありました。
なお、ひろみの郎女さんも既に今日のことをもっと詳しくレポートされていますので、下記記事も併せご参照下さい。
<参考> 今日は中学校のミニ同窓会で加茂町へ
2017.7.22.
自宅療養記・味覚異常の日々&三輪素麺 2025.11.09 コメント(4)
自宅療養記・西麻呂氏からお見舞いを受ける 2025.10.04 コメント(6)
梅田まで・大学同期の道麻呂君とランチ 2025.09.26 コメント(4)
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