昨日は生駒市在住の叔母の家へ。暑中見舞いの訪問であります。叔父が亡くなってからは、ご夫婦の間には子供もなく、ずっと独り暮しをされている。そんなこともあって、少しは気に掛けているという次第。
この叔母、何年か前から碁を始められて、時々そのお相手をさせていただいているのであるが、今日も叔母からの要望で2局ばかりお相手させていただきました。まだ初心者レベルなので、色々と指導しながらの碁であります。従って、少しばかり勝つか少しばかり負ける、という風に持って行って、折角に碁に興味を持ってチャレンジしている叔母のモチベーションそのものを損なうことのないように配慮しながらの碁ということになります(笑)。もう少し強くなって下さると面白いのですが、なかなかであります。
正午過ぎにお邪魔し、お昼をご馳走になり、お喋りをし、碁を打って、珈琲などしているうちに午後3時になっていましたのでおいとますることに。
実は、例によって小型の折りたたみ自転車・トレンクル持参で、生駒駅から叔母の家まではその自転車に乗ってやって来ていたのでありました。叔母宅訪問の後、少しばかり銀輪散歩をしようという計画であったからです。目当ての行き先は竹林寺。竹林寺には行基さんと忍性さんの墓があるということは以前から承知していて、何れ訪ねてみようと思いつつも、今日まで果たさずに居たのでありました。今回、訪ねてみようと思い立ったキッカケは、先日(7月6日)友人の絵が出展されている絵画展に出掛けた際に立ち寄った四天王寺で、四天王寺の西門前の石鳥居が忍性上人が再建させたものであるということを偶々知ったことでありました。このようなことを知ったのも何かのご縁と竹林寺詣でとなった次第。
<参考>謡曲「弱法師」と石の鳥居
竹林寺は国道168号の有里町交差点から北東に入って行く道筋にある。
(竹林寺)<参考> 竹林寺・Wikipedia
竹林寺は、行基が景雲元年(704年)からこの地に営んだ小庵・生馬仙房をその前身とする寺である。行基没後荒廃していたものを、西大寺中興の祖・叡尊やその弟子・忍性らが再興するが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となる。現在の竹林寺は平成9年(1997年)に再興されたもので、お堂などは真新しい。
寺の東側には国史蹟・行基墓がある。行基は天平21年(749年)に菅原寺(現、喜光寺)にて82歳で没する。因みに、大伴家持はこの時31歳である。
生駒山東陵で火葬に付され、この地に埋葬された。
(行基墓)<参考> 行基・Wikipedia
寺の西側の墓地には忍性の墓(供養塔)がある。寺のご住職の奥様でしょうか、参道のお掃除をされていた女性に、「忍性さんのお墓はどちらにありますか。」とお尋ねすると、「この先の広場の奥の墓地にあります。大きな供養塔ですから、すぐに分かります。」と教えて下さいました。
なるほど、ひと際大きい供養塔が中央にデンとあってすぐにそれとわかる。
墓前にはこのような印刷物も木札に貼り付けられてありました。
忍性墓の背後にはその旧墓石がこんな風に積まれていました。平成に入って竹林寺が再興された際に忍性墓も新しく建て替えられたのでしょうか。忍性さんのお墓にお参りしたからには、そのお師匠さんの叡尊さんのお墓にも参らなくてはなりませんな。叡尊さんのそれは西大寺の北側の道を奥に行った処にあるが、何れ近いうちに実施といたしましょう。
<参考> 叡尊・Wikipedia
竹林寺への参道は、有里町自治会館の東側と西側にあり、行基墓へは東側を行くのが近く、忍性墓へは西側が近い。東側参道の脇には竹林寺古墳なるものもある。
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