( 承前 )
29日の銀輪散歩の続きです。
北山十八間戸の見学を終えて、三角屋さんのお店の前に駐輪していたトレンクルのロックを開錠していると、店の前まで出て来られた吉備郎女さんが、奈良少年刑務所も廃止になったが、表から建物を見ることが出来るから見て行け、と仰る。で、既に何度も見てはいるが、ブログには掲載していないので、ともかくもと坂道を上って刑務所へ。
<参考> 奈良少年刑務所
・Wikipedia
※
以下の掲載写真の特大サイズ画面はフォト蔵の画面でご覧いただくものでありますが、フォト蔵がメンテナンス中の場合やデータ障害などのトラブルを生じている場合はご覧いただけないこともありますので、ご了承下さい。

(奈良少年刑務所)特大サイズ画面は コチラ
2020年を目途に、内部が改装されてホテルに生まれ変わるそうだが、 そうなれば、この鉄の門扉も開いたままとなり、自由に誰でも出入り出来るようになるのでしょう。

(同上)特大サイズ画面は コチラ
奈良少年刑務所から、般若寺に出て、奈良坂を更に北へ500mほど行くと奈良豆比古神社である。

(奈良豆比古神社)特大サイズ画面は コチラ
<参考> 奈良豆比古神社
・Wikipedia
(同上・鳥居脇の説明碑)

(同上・祭神)特大サイズ画面は コチラ
<参考> 志貴皇子
・Wikipedia
春日王
・Wikipedia
志貴皇子は天智天皇の息子、光仁天皇の父親、桓武天皇の祖父ということになるが、万葉集に秀歌を残す万葉歌人でもある。また、その志貴皇子の息子である春日王も1首万葉集に歌をとどめている。この二人が祭神とあっては、偐万葉の銀輪散歩としては近くを通りかかったからには是非にも立ち寄らねばならぬ神社ということになる。
では、志貴皇子の歌6首と春日王の歌1首を掲載して置くこととします。
<志貴皇子の歌>
采女 の 袖吹きかへす 明日香風 京 を遠み いたづらに吹く (巻 1-51 )
(采女の袖を吹き返す筈の明日香の風は、都が遠くなってしまったので空しく吹いている。)
葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き 夕 は 大和し思ほゆ (巻 1-64 )
(葦辺を行く鴨の翼の重なる処に霜が降って、このように寒い夕べは大和のことが思われる。)
むささびは 木末 求むと あしひきの 山の 猟夫 に あひにけるかも (巻 3-267 )
(ムササビは高い木の梢に登ろうとして、山の猟師に出くわしてしまったのだなあ。)
大原の このいち柴の いつしかと 我が 思 ふ妹に 今夜 逢へるかも (巻 4-513 )
(大原のこのいち柴の名の如く、いつになったら逢えるのかと思っていた妻に、今夜は逢えたのだ。)
石 ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (巻 8-1418 )
(岩の上に流れ落ちる滝の傍らの蕨が芽を出す春になったのだなあ。)
神奈備 の 磐瀬 の 杜 の ほととぎす 毛無 の岡に いつか 来鳴 かむ (巻 8-1466 )
(神奈備の磐瀬の杜のホトトギスは、毛無の岡にはいつになったら来て鳴くのだろう。)
<春日王の歌>
あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ (巻4-669)
(山橘の実のようにはっきりと色に出しなさい。そうすれば人々が語り伝えて逢う機会もあるでしょう。)
(注)万葉集にはもう1首春日王の歌があるが、これは持統天皇の吉野行幸に付き従った折の弓削皇子の歌に和して春日王が詠んだ歌であり、時代が合わないので、別人の春日王と考えられている。
滝の上の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと 我が思はなくに (弓削皇子 巻3-242)
(吉野川の急流の上の、三船山にかかっている雲のように、いつまでもこの世にあろうとは私は思っていないのだけれど。)
大君は 千歳にまさむ 白雲も 三船の山に 絶ゆる日あらめや (春日王 巻3-243)
(大君は千年もすこやかにいらっしゃることでしょう。あの白雲も三船の山に絶える日がありましょうか。)

(同上・本殿)特大サイズ画面は コチラ
今月14日に妹たちと、志貴皇子の山荘であったとされる白毫寺を訪ねたばかりであるから、今回、このように志貴皇子を祀る神社へと足が向いたのは、それと無関係ではないかも知れない。

(同上)特大サイズ画面は コチラ
中央の本殿が平城津彦(この地の神様)、左殿(向かって右側)が志貴皇子、右殿(向かって左側)が春日王を祀る。

(翁舞説明板)特大サイズ画面は コチラ
奈良豆比古神社から更に行って奈良自転車道に入り、磐媛陵などを経由して平城宮趾へと戻ることも考えられたが、昼食が未だであったので、奈良市街へと引き返すこととする。北山十八間戸の手前の夕日地蔵にご挨拶申し上げて、近鉄奈良駅方面へと走る。

(夕日地蔵)特大サイズ画面は コチラ
夕日地蔵の傍らには木製の会津八一歌碑がありました。
ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり
偐家持も和して2首であります。
ならざかの いしのほとけに あはむとて あせながしつつ われはきにけり
ならざかの いしのほとけは かはらねど きなるやいちの かひはあせける

(会津八一歌碑)特大サイズ画面は コチラ
これと言った店が目にとまらぬままに走っていると、近鉄奈良駅前は通過、いつの間にやらJR奈良駅前に。銀輪散歩の場合の店選択の基準は、自転車を駐輪するに適当な場所が店先にあること。次に、余り混んでいたりしないこと。
で、結局、新大宮駅近くままで来てしまい、余りはやっていそうでもない店のドアにOPENの表示があったので入ってみた。店の前に駐輪できる場所もある。パスタランチと昼のメニューが一つなのもいい。何にするか迷わなくていい(笑)。
少し遅めの昼食を済ませて店を出ると近鉄新大宮駅の前に出た。では帰るかとトレンクルをたたみ専用バッグに収納し、帰途に。急行が来た。乗る。わが最寄り駅は急行は停まらないので手前の石切駅で各駅に乗り換えないといけない。石切駅に到着。気が変ってこの駅から自転車で帰ることにする。石切駅前の道路脇でトレンクルを取り出し、組み立てて再びトレンクルの人に。
途中、東石切公園に立ち寄り木陰で涼む。そよ吹く風に吹かれながら、水分補給、煙草一服。公園の時計はまだ2時半にもなっていない。帰宅するには少し早過ぎるか。では、ペリカンの家にでも行って珈琲休憩にするかと、道を下る。ほぼ下り切った場所に喫茶・ペリカンの家はある。先客は二組。女主人のももの郎女さんと雑談。途中、越の郎女さんも立ち寄られました。その雑談の中でこの日走ったコースの途中にあった奈良育英高校がももの郎女さんの母校であったことを知ったのも愉快なことでありました。
というようなことで、叡尊墓及び北山十八間戸ほかのこの日の銀輪散歩は終了です。
<関連過去記事>
(志貴皇子関連)
〇 奈良銀輪散歩(その1)
2009.5.19.
〇 奈良銀輪散歩(その2)
2009.5.20.
〇 降る雪はあはにな降りそ・・
2011.12.25.
〇 古事記撰上1300年銀輪散歩・頭塔から田原の里へ
2012.2.28.
〇 退院・墓参・燈花会
2017.8.15.
(奈良自転車道関連)
〇 奈良自転車道銀輪散歩(平城京址公園から般若寺へ)
2010.3.10.
〇 奈良銀輪散歩
2010.11.7.
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