( 承前 )
三雲城址から坂を駆け下って野洲川畔の道へと向かいます。県道4号に出るが、信号が無く、次々と車が走って来るので横断が出来ない。止む無く信号のある交差点まで県道4号を走る。信号機のある交差点で右折、野洲川沿いの道に出る。河川敷は広々とした公園になっている。甲西高校を過ぎた辺り、前方に近江富士、三上山が見える。

(野洲自転車道)※特大サイズ画面は コチラ

(同上)※特大サイズ画面は コチラ
しかし、この自転車道は未完成と見えて、野洲川運動公園が尽きる辺りで突然行き止まりとなる。一般道に出て左折、県道4号に戻り、これを走る。空腹を覚え、時計を見ると11時50分。すき家の看板が目に入る。工場街のような感じで他に店も無さそうなので、ここで昼食とする。ネギ玉牛丼。店は近くの工場の方たちなども食べに来るのか結構賑わっていました。店を出て、直ぐに脇道に入って裏道を走ることとする。車、それも大型トラックの走行が多いので、自転車にはプレッシャーでありました。裏道を数百メートルばかり行った処で、広い道に出たのでこれを右折し、県道4号に戻る。大きな歩道橋があったので、これを使って県道4号を渡り、野洲川へと向かう。再び自転車道に出たのでこれを行く。しかし、これも1kmも行かぬうちに県道4号に合流してしまう。
300m程先の石部大橋を過ぎると道は国道1号となる。

(石部頭首工と三上山)※特大サイズ画面は コチラ
三上山が随分と近くなりました。

(石部頭首工から石部大橋を振り返る)※特大サイズ画面は コチラ

(石部頭首工)※特大サイズ画面は コチラ
(注)頭首工 (とうしゅこう)
は、用水の取水にかかわる一連の施設全般を指す言葉で、用水路の「頭首」に存在する取水用の堰と用水の取り入れ口、魚道などを総括している。従って、必ずしも堰というわけではない(例えば、最上川の草薙頭首工は取水口である)。<Wikipediaより>
国道1号を暫く走り、名神高速の高架下を潜った先で、川沿いの道に入る。道路入口には陥没した穴が随所にあるので注意するようにという警告看板が出ていたが、こんな看板を設置する前に穴を埋めたらどうかと思うが、そうも行かぬ事情があるのでしょうな。
確かに陥没した処が次々と現れる手強い道である。それらを避けながらの走行。車輪を突っ込めば転倒間違いなしの陥没穴であるから余所見は禁物である。それもすぐに終わり、滑らかな舗装道路となったものの、この道も1.5kmほどで終点。パナソニック電工栗東工場の前で県道11号に合流である。合流地点では野洲川対岸正面に三上山が美しい山容を見せていました。野洲川河口も間もなくだろう。

(三上山)※特大サイズ画面は コチラ
県道11号は、国道8号が通る野洲川大橋までの500m足らずで終点。県道11号も、野洲川大橋を過ぎた先の道も、車の走行が余りないので、自転車には快適な川沿い道ということになる。

(三上山と野洲川大橋)※特大サイズ画面は コチラ
野洲川大橋を過ぎると、三上山は既に背後に見える山となっていて、前方には東海道新幹線の高架があり、のぞみかひかりかこだまかは分からぬが列車が通過して行くのが見える。
新幹線、次にJR在来線(東海道本線)の高架下を潜ると野洲川橋。野洲川橋の先から河川敷の道に入る。

(野洲川河川敷の道)※特大サイズ画面は コチラ

(同上)※特大サイズ画面は コチラ
上の写真の奥の川田大橋だろうか、その橋の下の影に入って暫し休憩。しかし、橋の先で道は行き止まりとなっていた。少し引き返して土手の道に上がる。
河川敷の道よりも土手の道の方が、風が通り抜けて涼しく快適である。そして漸くに、河口に架かる橋、中洲大橋が見えて来た。
そろそろ野洲川ともお別れであるが、ここで銀輪万葉らしく万葉集の歌と関連づけて置きます。
古事記や日本書紀に「天安河
(あめのやすかは)
」というのが登場する。高天原にある川の名である。アマテラスが岩戸に隠れてしまった時に神々が集まって対策を協議したのもこの天安河の川原であった。天安河は野洲川のことだとする高天原近江説もあったりする。
中国から七夕伝説が入って来ると、天の川と天安河とは習合して行き、同一視されるようになる。
万葉歌では天の川の意味で「安の川」と言ったりしている。従って、野洲川は天の川でもあるということになる(笑)。
天の香具山は天から降って来た山とされるが、ならば天の野洲川も天から降って来た川としてもいいのではないか(笑)。
天の香具山(アメノ カグ
ヤマ・アマノ カグ
ヤマ)
天の野洲川(アメノ ヤス
カハ・アマノ ヤス
カハ)
では、「安(野洲)の川」の万葉歌(と言っても七夕の歌なのですが)を紹介して置きます。
天の川 安の渡りに 船 浮 けて 秋立つ待つと 妹に告げこそ (万葉集巻 10-2000 )
天の川 安の川原に 定まりて 神し 競 へば 年待たなくに (同巻 10-2033 )
(注)第三句以下の原文は「定而神競者磨待無」で訓が定まっていない。
天地の 初めの時ゆ・・天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに・・(同巻 10-2089 )
天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向かひ立ち・・(大伴家持 同巻 18-4125 )
安の川 い向かひ立ちて 年の恋 日 長き児らが 妻問ひの夜そ (大伴家持 同巻 18-4127 )

(野洲川河口・中洲大橋)※特大サイズ画面は コチラ
琵琶湖畔に出た処、なぎさ公園で暫し休憩。
この後、湖岸道路、さざなみ街道を、近江大橋まで南下しますが、本日はここまでとし、続きは明日とします。( つづく
)
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