先日、大阪市天王寺区夕陽丘の浄春寺の門前で芭蕉塚と対面いたしましたが、今日は花園ラグビー場の近くの墓地で、芭蕉碑に出会いました。これまで、何度となくその前を通っていましたが、その存在に気付きませんでした。このような場所に芭蕉の碑と言うか芭蕉の塚と言うか、このようなものがあるとは驚きでありました。
コチラ
。
台座の石には「門人」と刻まれている。芭蕉の門人に連なる人(または人々)が建立したのでしょう。傍らの副碑は「暗峠を越えて大坂に向かった芭蕉が当地を通行中、急な病を得て暫く当地に滞在し、その折、地元の人々に俳諧の手ほどきをした。後年、教えを受けた子孫たちが報恩のためにこの供養塔を建立した。」「芭蕉の流派を継ぐ地元の門人の一人が、芭蕉の遺骨を分骨して建立した。」などの伝承があることを伝えている。

(同上副碑)※特大サイズ画面は コチラ
。
芭蕉碑のあった墓地というのは、下の地図( 赤丸印
)でもお分かりのように、花園中央公園・花園ラグビー場の西側、道路を挟んで隣接しています。花園中央公園北側の道は暗
(くらがり)
峠を越えて奈良へとつながる暗越奈良街道であるから、元禄7年(1694年)9月9日(旧暦)、暗峠を越えて奈良から大坂へと入った芭蕉はこの道を通ったに違いありません。
暗越えのこの折の芭蕉の句は、「菊の香にくらがり登る節句かな」であるが、その句碑は、この暗越奈良街道を東に進み、枚岡公園南入口の椋ヶ根橋から少し上った坂道の途中に建っている。
<参考> 暗(くらがり)峠
2009.1.29.
(芭蕉碑のある場所)
上賀茂神社で、藤原家隆の歌碑を撮影したことから、大阪市天王寺区夕陽丘の家隆塚と浄春寺を訪ねる運びとなり、浄春寺門前に芭蕉塚を見て、今日たまたま近所で芭蕉碑と遭遇。となれば、梅旧院や四天王寺や円成院の芭蕉墓も訪ねてみようかと思いますが、何やら芋蔓式と言うか、泥縄式と言うか、いかにもヤカモチ流の銀輪散歩と言うべき趣向であります。最近は、近隣散歩もネタ切れ・テーマ切れの気味がありますので、芭蕉ネタは「大助かり」というものであります(笑)。
家隆のみそぎの歌も芭蕉の縁 (筆蕪蕉)
話は変わって、昨日は若草読書会の日でしたので、そのことを備忘録程度に簡単に書き記して置くこととします。
参加者は、智麻呂・恒郎女ご夫妻、凡鬼さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、偐山頭火さん、香代女さんと偐家持の8名。
課題図書は、加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書)
発表者は、槇麻呂さん。同氏は最近「満州国」に興味を持ち、関連の本を色々と読み漁って居られるよう。満州国に興味を抱いた経緯やこの時代の世界情勢、日本国内の情勢などを解説いただきましたが、詳細は省略です。
自宅療養記・花園中央公園、ライフ新石切店 2025.11.07 コメント(2)
自宅療養記・ホルター心電図と枚岡神社な… 2025.11.04 コメント(2)
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