二十三年の秋 九月 の 丙寅 の 朔 丁卯 に、 群卿 に 詔 して 曰 はく、「 誉津別王 は、 是 生年 既 に 三十 、 八掬 髯鬚 むすまでに、 猶 泣 つること 児 の如し。常に 言 はざること、 何由 ぞ。因りて 有司 せて 議 れ」とのたまふ。
冬 十月 の 乙丑 の 朔 壬申 に、 天皇 、 大殿 の前に立ちたまへり。 誉津別皇子 侍 り。時に 鳴鵠 有りて、 大虚 を 度 る。 皇子 仰 ぎて 鵠 を 観 して 曰 はく、「 是 何物 ぞ」とのたまふ。天皇、 則 ち皇子の鵠を見て 言 ふこと得たりと 知 しめして喜びたまふ。 左右 に 詔 して 曰 はく、「誰か 能 く 是 の鳥を捕へて 献 らむ」とのたまふ。 是 に、 鳥取造 の 祖 天湯河板挙 奏 して 言 さく、「 臣 必ず捕へて献らむ」とまうす。 即 ち天皇、湯河板挙に 勅 して 曰 はく、「 汝 是の鳥献らば、必ず敦く 賞 せむ」とのたまふ。時に湯河板挙、遠く鵠の飛びし 方 を望みて、追ひ 尋 ぎて出雲に 詣 りて、 捕獲 へつ。 或 の 曰 はく、「 但馬国 に得つ」といふ。
十一月
の 甲午
の 朔
乙未
に、湯河板挙、鵠を献る。誉津別命、是の鵠を 弄
びて、 遂
に 言語
ふこと得つ。 是
に 由
りて、 敦
く湯河板挙に 賞
す。則ち 姓
を賜ひて 鳥取造
と曰ふ。因りて亦 鳥取部
・ 鳥養部
・ 誉津部
を定む。
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