偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2018.07.29
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カテゴリ: 銀輪万葉
承前
​ 和泉府中駅発日根野行き普通電車に乗車。
 日根野駅到着。電車は車庫入りするようだが、ふと見ると高校生が窓にもたれて居眠り。日根野に着いたことに気が付いていないよう。ホームから窓ガラスをトントン叩いて彼を起こす。最初はキョトンとしていたが、直ぐに状況は理解したよう。笑いながらホームに出て来た。
 次の和歌山行きは15時06分発。暫くホームのベンチで待っていたが、暑いので冷房のあるホーム待合室に移動。すると、そこに先程の高校生君。何やら問題集だか参考書だかを読んでいる。彼の隣に座るも、勉強の邪魔をしてはいけないと声は掛けないでいた。
 やがて、目の前に電車がやって来た。見ると「関空快速」と表示されている。これが出た後に和歌山行きが来るのかとのんびり構えていたが、ほぼ、15時06分になって居るのに、この関空快速は発車しない。ひょっとして、と思った時、隣の高校生君が「どちらまで行かれるのですか?」と聞いて来た。「次の駅の長滝まで。」と答えると、「それなら、この電車の後方車両です。」と教えてくれる。彼もそれに乗るよう。走って、後方車両に飛び乗る。何とか間に合った。高校生君はもっと後ろの車両に乗ったよう。若者と老人の差、それとも自転車の入ったバッグを肩にしている者とそうでない者との差であるか、彼の方がはるかに速く走った(笑)。​
 ひと駅で長滝駅到着。再びトレンクルを組立てて出発である。
 長滝駅の改札口は駅の北東側、和歌山方面を向いて右側にある。改札を出て左に行くと府道248号である。これを左に取って、踏切を渡り、南東へ道なりに進む。何番目かの辻で右に道を入らねばならないのだが、やり過ごしてしまったようで、目の前に上之郷小学校の校舎。これは来過ぎたと右に入るが、入り組んだ路地で迷路状態。忽ち方向感覚が狂ってしまい、殆ど出鱈目に走っているに近い。これではいかんと元の道に戻ろうとして小さな公園(記憶が曖昧で自信がないが中村公園という表示があったような気がする。)の脇を通りかかる。これではないか、と中に入って行くと、果たして、その通りでありました。
 何処へ行こうとしていたかと言うと、衣通郎姫
(そとほしのいらつめ) ​の墓なのであります。​


(衣通姫の伝説と宮跡の碑)
 衣通郎姫(現地の表示では、衣通姫)というのは、第19代・允恭天皇の寵妃である。允恭天皇は仁徳天皇の第4皇子。母は磐之媛。皇后は忍坂大中姫 (おしさかのおほなかつひめ) ​である。衣通郎姫​は皇后の妹。「容姿すぐれてならび無し。そのうるはしき色、衣よりとほりて、てれり。」(日本書紀)という絶世の美女であったようで、天皇の目にとまり、紆余曲折を経て、天皇の寵愛を受けることとなるが、これに嫉妬する皇后を恐れて、天皇は、河内の茅渟に宮を建て、彼女をそこに住まわせ、狩にかこつけて彼女のもとに通う。
 日本書紀には「しばしば日根野に遊猟したまふ」とある。
 その茅渟の宮趾が此処だと言う訳である。公園の一隅に「茅渟宮舊蹟」と刻まれた石碑が建てられてあり、その奥には、彼女が詠んだ歌が刻まれた墓碑がある。

(中村公園)
​​ ​ 天皇が余りにも頻繁に茅渟の宮に通うので、皇后に「回数を減らしなさい、民が迷惑します。」と叱られてしまう。それで以後は天皇の行幸が稀になったと日本書紀は記しているから、允恭天皇は皇后に頭が上がらない気の弱い天皇であったようだ。
 そんな折に衣通郎姫が詠んだ歌がこれである。

とこしへに 君も会へやも いさな取り 海の浜藻の 寄る時時を(日本書紀)

原文:等虚辭陪邇 枳彌母阿閉椰毛 異舎儺等利 宇彌能波摩毛能 余留等枳等枳弘

​​​ (すっかり安心して、いつも変わらずに、あなたにお逢いできるのではありません。海の浜藻が波のまにまに岸辺に近付き漂うように稀にしかお逢いできていません。もっと度々お出で下さいませ。)
(注)
とこしへ=床石上が語源。盤石、安定の意から不変の意が派生した。
いさな取り=海にかかる枕詞。いさなは鯨魚。


(衣通郎姫の墓)<参考> 衣通姫・Wikipedia
​​​​​​​​​​​​​​​​  墓石に刻まれているのは、衣通郎姫の上記の歌の原文の方である。従って、これも歌碑と言うべきであるが、お墓になってしまっては、歌碑とは呼びにくい(笑)。
 それはさて置き、この歌を贈られた允恭天皇は「この歌は他の人に聞かせてはいけないよ。皇后が聞いたら恨みに思うから。」と言う。何処までも皇后にびくびくの天皇である。
 允恭天皇の宮の所在について日本書紀には記載がない。住所不定、ホームレス天皇であった筈もないから、書き忘れたよう。古事記によると遠飛鳥。大和飛鳥と見られるが、これを河内飛鳥とする説もある。何れであれ、此処、泉佐野市上之郷とは随分離れている。大和飛鳥なら加えて山越えであるから、衣通郎姫との関係では河内飛鳥に宮があったとする方が自然かも知れない。尤も、茅渟宮の前後では藤原宮(大和飛鳥のお隣)が彼女の居所であるから、やはり大和飛鳥の方が自然か(笑)。
 允恭の母・磐之媛皇后は仁徳の浮気に激怒し別居してしまうが、忍坂大中姫皇后はそこまでは嫉妬しなかったよう。允恭天皇との夫婦仲も悪くはなかったようで、5男3女をもうけている。安康天皇と雄略天皇は彼女の息子である。
 万葉集第1巻の巻頭を飾る雄略天皇と万葉集第2巻の巻頭を飾る磐之媛皇后は、古代を代表する第一の男、第一の女とされるが、二人の関係は祖母と孫の間柄なのである。
 中村公園を出て、もと来た道に戻ろうとするが、方向感覚がおかしくなっているので、ともかくも上之郷小学校の校舎を探す。やみくもに走っていて、立ち寄った川がこれ。樫井川と橋の欄干に記載がありました。

樫井川 ・上流側)
 帰宅して調べると、この川は、和歌山県打田町北部の紀泉の山に発する二瀬川と泉佐野市南部の和泉山地に発する犬鳴川とが泉佐野市大木で合流して樫井川となり、泉佐野市と泉南市の市境を流れて泉南市岡田で大阪湾に流入する、全長16.3kmの河川である。
 上之郷小学校から南へ、かなり離れてしまったよう。北に戻り同小学校の裏側を廻って、北側の校門前に来たところで、ようやくにやって来た道路を発見、長滝駅方向に戻る。
 次に目指すのは塙団右衛門の墓。
 允恭天皇の時代から大坂の陣の時代まで一気に1000年余を走り抜けるのであるから、支離滅裂と言うか、脈絡の無い暴走という奴である(笑)。
 JR阪和線踏切を越えて府道248号を直進。この道は府道64号に突き当たる。左折して府道64号を行けば道路脇にその墓がある筈なのである。持参した地図でこれを確認して進む。
 踏切から600mほど来たところで、右手に何やら由緒ありげな神社が目に入ったので立ち寄ってみた。
 下調べの時は、この神社の存在に気が付いていなかったので、言わばオマケの立ち寄りであるが、こういうオマケも銀輪散歩の楽しさではある。
 蟻通神社とある。衣通姫墓に蟻通神社。何やら語呂合わせのような取り合わせとなりましたが、これも縁です。​

(蟻通神社)
​ 鳥居前の木製の碑には謡曲「蟻通」のことが紹介されている。​
 「蟻通」という謡曲のことは存じ上げなかったが、紀貫之とこの神社の神様にまつわる話であるようです。


(謡曲「蟻通」の碑)

(蟻通神社境内・舞殿)

​(同上・拝殿)
<参考>
蟻通神社(泉佐野市)・Wikipedia
 広い境内、風格のある佇まいである。
 鳥居の右側、府道248号に沿った境内地に紀貫之冠之淵の碑がある。

(紀貫之冠之渕の碑と紀貫之歌碑)
 紀伊国から京へと帰る旅の途中、紀貫之がこの神社の境内を乗馬のまま通り過ぎようとしたら、突如、一天かき曇り、風雨が吹き付けて来て、彼の冠を吹き飛ばし、馬が倒れ瀕死の状態になってしまう。来合せた里人が言うには、これはこの神社に祀られている蟻通し神の祟りだから、お祈りしてお詫びしなさい、と言う。そこで、貫之が次の和歌1首を奉じてお詫び申し上げたところ、風雨は止み、馬も元気を回復した、という伝説が伝えられているとのこと。
かさくもりあやめも知らぬ大空にありとほしをば思ふべしやは
 ヤカモチは自転車から下車して、鳥居脇に駐輪の上、参拝いたしましたので、いかなる変事も生じませんでした。尤も、ヤカモチは帽子が嫌いで、炎天下でも無帽であるから、仮に突風が襲って来ても貫之さんのようにそれを飛ばされてしまうということはなかったでしょう。

(同上)
​ 蟻通神社を出て500mほど行くと府道64号に突き当たる。
 これを左に折れて500mほど先、長南中学を過ぎた辺りに、大きな池があり、これを分断するように池の中央を道路が通っている。
 左側(南側)の池はオニバスがびっしりと水面を覆っている。​


(オニバスの池)
 ​右側(北側)の池は、菱だろうか。これも水面に繁茂している。
 どちらも、ちょっとした景観である。
 しかし、池の名前は確認できなかった。​


(菱の池)
 池から100mほど進んだ処に、目指す塙団右衛門の墓がありました。

(塙団右衛門の墓)<参考> 塙直之・Wikipedia
 万葉とは、エンもユカリもない団右衛門さんであるが、大阪の陣で豊臣方にて戦った武将たちについては、真田幸村、木村重成、後藤又兵衛、薄田隼人正などの墓は訪ねているが、塙団右衛門の墓は未訪問なので、衣通郎姫墓訪問のついでに立ち寄ってみようと思った次第。
 司馬遼太郎の短編小説に「言い触らし団右衛門」というのがある。
 その中に、この樫井の地で討死した塙団右衛門の辞世の詩なるものが記されているので、それを転記して置きましょう。
  中夏依南方
  留命数既群
  一生皆一夢
  鉄牛五十年

(同上・説明碑)
 塙団右衛門の墓から400mほど府道64号を進むと府道251号に突き当たる。これを右折し、国道26号、南海本線吉見ノ里駅を過ぎ、ひたすら海岸べりまで走る。りんくう吉見北緑地の手前の住宅団地で少し道を右往左往するが、海岸線を走る府道63号に出ることができた。
 この辺りは田尻町。大阪人たるヤカモチであるが、大阪府内市町村の中に田尻町というのがあるとは知らなかった。目の前に現れた巨大な橋は田尻スカイブリッジ。田尻港の湾の上を通っている橋で両サイドに歩道もあって、歩いても渡れる橋である。夕日が美しいデートスポットとか書かれている記事を見たが、夕日が落ちるまで待っていては熱中症になるというもの。

(田尻スカイブリッジ)

(同上)
 橋を上り切ると、関空大橋とその先にある関西国際空港が遠望され、海の青さと相俟って素晴らしい眺めである。手前眼下は田尻港の入江になるのだろう。

(田尻スカイブリッジから関空大橋を望む)
 ズームで撮ると関空大橋を通行する車もよく見える。

(同上アップ)
​ 目を転ずると進行方向にはりんくうタウン駅のある高層ビルが聳えている。神社や墓や歌碑などを見て来た目には、海と近代的吊り橋と白い高層ビルの眺めは何か​新鮮である。


(田尻スカイブリッジからりんくうタウンを望む)
 田尻スカイブリッジを渡り切ると、左側に広がる海岸緑地、マーブルビーチでは、家族連れなどがバーベキューをしたり、日光浴をしたりしてくつろいでいましたが、ヤカモチは通り過ぎるだけ。

(マーブルビーチから関空大橋と関西国際空港を望む)
 ようやくにして、りんくうタウンに到着です。
 トレンクルをたたみ、輪行バッグに収納して、たまたまやって来た南海電車の関空特急・ラピートに乗車して帰宅です。今更ですが、初めてラピートに乗車しました(笑)。
 これにて、「高石・和泉・泉佐野・田尻銀輪散歩」全3巻完結であります。3日間もお付き合い下さり、有難うございました。(完)




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最終更新日  2018.07.30 00:52:52
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