偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2018.09.26
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カテゴリ: 銀輪万葉
​​​​(​ 承前 ​)​
 勝楽寺の境内南側に正楽寺山への登山口がある。
 境内の案内板では往復1時間半~2時間とあるので、登ってみることに。​

(正楽寺山ハイキングコース案内図)
 登山口に入ったところで振り返ると勝楽寺境内はこんな風に見える。​

(登山口の石仏群)
​ この石仏群の前に、先程ご挨拶申し上げたご夫妻が立って居られましたので、上りではこれを撮影せず、下って来た時に撮影したのがこの写真です。​
 石仏群の場所から少し上った処に金属製のネットフェンスが張り巡らされていて、ロックできる扉が付いている。山からの害獣が侵入するのを防ぐためのもののよう。出入りする人は必ず施錠するようにという注意書きがあった。ロックを外し扉を開け、閉めて施錠する。注意書き通りに致しました。
 ひょっとすると、この扉の部分までが勝楽寺の境内で、登山口はこの扉の外側なのかも知れない。
 小さな川があって橋が架かっている。橋から上流を見上げると石積みの砂防ダム。

(砂防ダム)
 橋を渡った先にあるのが「仕置き場」。ここにも石仏群がある。​
 置かれている説明書きには「高筑豊後守が、城主にそむきおきてに反したものを処刑した場所(1368年頃)。その霊を弔うため多くの地蔵菩薩がつくられた。」とある。
 高筑豊後守とは、この勝楽寺城を築城した武将である。

(仕置き場)
 この辺りから山道らしくなり、急峻で滑りやすい所もあったりするので、足元には注意しなければならない。​

(経塚、狐塚、城趾へ)


(シダの群生)
 シダの群生する道を行く。​

(経塚) ​​

(同上・説明碑)
 この経塚のある部分は奥に向かって平坦になっていて、奥に突き当たって右に回り込み、少し下ると、黄色いキノコが群生している場所があり、其処から再び上り坂の山道となる。​

(狐塚付近から西方向を望む。)
 狐塚の下付近では眺望が開けて、琵琶湖も遠望される。​

(狐塚)
 この狐塚にまつわる伝説は次のようなもの。
 「むかし、この寺に『璞蔵主
(はくぞうす) ​』という和尚がいた。その和尚の実弟に金右衛門という狩猟ずきの男がいて、かねてから和尚がその殺生を戒めていたが、ある日、璞蔵主が外出して山道にさしかかったとき、金右衛門のために白狐と誤られ、非業の最後を遂げてしまった。そこで、金右衛門は初めて兄の殺生の戒めに気付いた。」
 勝楽寺の寺伝では、この璞蔵主は、歴代住職の内の一人、九岩和尚のことと伝えられているとのこと。
 この話が元になって狂言の「釣狐」が作られたとし、ここが狂言・釣狐の発祥の地と言われているのだという。
 前掲書の「南北朝」の本では、釣狐伝説は、堺市の少林寺にも、大和の西大寺にもあると記されているので、何処が本家「釣狐」かは定め難いというものではある。
 「南北朝」の著者・林屋辰三郎氏は、大多数の狂言の作者が叡山の玄恵法印に擬せられていること、狂言大蔵流の祖は日吉弥太郎と呼ばれていたのは、近江坂本と無関係ではなかっただろうと思われること、狂言の中の傑作「靫猿」を始め猿に由縁の深い曲が多くあるのも、猿を日吉山王の使獣とする山門領下から生まれたのではないかと思わせること、などから、狂言のふるさとを近江の農村に擬したい、と言って居られます。
 まあ、ここは「猿」の話ではなく「狐」の話なのであるから、この釣狐のふるさとについては、同氏もニュートラルのようです(笑)。

(同上)
 再び、シダの群生する道があって・・・。​

(またしてもシダの道)
 何故か、サワガニがいて・・・。​

(サワガニ)
 このところ雨がよく降ったので、小川状態になった山道を沢と勘違いして上って来たのか、それとも近くに水の湧く場所でもあるのか。
 東海の​小島の磯の白砂ではなく、近江の甲良の山中にてあれば、カニと戯れている訳にも参らず、先へと急ぐ。​

(ほぼ山頂、尾根に到着)
 尾根に到着。
 先ず、左側の城跡へと向かう。​

(城跡) ​​

(同上・説明碑)
 城跡から先は下りとなる。かなり下って行くも一向に眺望が開けず、「見張り台」らしきものが見えて来ないので、引き返すことにする。
 上って来た尾根の地点まで戻り、今度は反対側の「上臈落とし」という奇妙な名前の場所へと尾根を歩く。再び、かなりの上りになって、開けた場所に出る。​

(上臈落とし) ​​

(同上・説明碑) ​​

(上臈落としからの眺望)
 少し右にカメラを振ってズームアップすると犬上川がよく見える。​

(犬上川遠望)
 犬上川は万葉集に登場する不知哉川のことだとする説があることは、以前の日記で紹介済みである。

近江路 ( あふみぢ ) の  鳥籠 ( とこ ) の山なる  不知哉川 ( いさやがは ) ( ) のこの頃は 恋ひつつもあらむ (万葉集巻 4-487

(近江路の鳥籠の山を流れるいさや川。その「いさ<さあ>」のように、この先どうなるか分からないけれど、しばらくは恋い慕いながら生きていくことでしょう。)

犬上の 鳥籠の山なる 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名のらすな (万葉集巻 11-2710

(犬上の鳥籠の山にあるいさや川の名のように、「いさ<さあね>」とでも仰って下さい。私の名を明かさないで下さい。)

<参考>​ 彦根小旅行銀輪散歩下見(その2) ​ 2013.7.30. 
 下山して来ると13時35分頃。12時20分頃に登山を開始したから、往復1時間15分である。写真を撮ったりのロスタイムがなければ1時間程度で往復できそうである。
 さて、犬上川を渡って、次の目的地多賀大社へと向かいます。
 犬上川を渡ると県道226号に出る。
 左折して226号を西(下流)方向へ走る。
 名神高速道路の高架下を潜る手前で見たのが23日記事の2枚目、3枚目の写真のヒガンバナの群生である。
 名神高速道路の高架下を潜る辺りから道は右にゆっくりカーブして西向きから北向きに変わる。​
 常徳寺という寺を過ぎて道がカーブする付近で見たのが畑一面に咲く蕎麦の花でありました。

(蕎麦畑)
 大きな池のある処で国道307号にぶつかる。
 敏満寺中交差点である。
 此処からは国道307号を行くのであるが、ここでこんな石碑を見た。​

(馬頭鳥居趾)
 馬頭鳥とは何であるか。
 山頭火なら「偐」は付くものの、身近に居るのだが(笑)。
 そこで、気が付いた。馬頭・鳥居趾と読むべきことに。
 馬頭というと馬頭観音などが思い浮かぶだけであるが、多賀大社の大祭・古礼祭を馬上で指揮する人を馬頭人と呼び、祭を馬頭人祭とも呼ぶそうだから、これと関係があるのかも知れない。
 背後に見える山は青龍山(標高333m)。
 道は上り坂になって、再び名神高速道路の下を潜る。
 潜って反対側に出た処で右に見えるのが胡宮神社。気にとめずやり過ごしたが、帰宅して調べると、聖徳太子開基の敏満寺という大寺がこの地にあったが、戦国時代の戦乱で消失、廃寺となったこと、神社だけが再興されて、それが胡宮神社であること。胡宮神社は多賀大社の別宮、奥の院のような位置づけになっていることなどが分かりました。
 また、胡宮
(このみや) ​は高の宮 (こうのみや) ​のことであり、多賀の宮は高の宮 (たかのみや) で、同じ信仰​形態に由来し、共に水源である山を敬う信仰を起源とする、というような説もあることなども知りました。
 その胡宮神社近くの国道脇にあったのが、このSL。​

(何故か道路脇にSL)

(同上) ​​

(同上)
 型式はD51ですな。
 それにしても、何故このような処にD51が放置されているのであるか。
<追記>​このSLについて新潟のブロ友のふぁみり~キャンパーさんから「多賀SLパーク」の残骸だとご教示いただきました。詳細は下記<参考>をご参照下さい。
<参考>​ 多賀SLパーク ​・Wikipedia

 そして多賀大社に到着です。​

​​​
(多賀大社)

(同上・多賀大社建造物十一棟説明碑)
<参考>​ 多賀大社 ​・Wikipedia
    ​ 多賀大社公式サイト

 多賀大社については、上記参考のウィキペディアや公式サイトの記載するところをご参照いただくこととしましょう。
 ヤカモチも今回が初めての訪問であります。​

(同上)
 「おくのほそ道」には多賀大社での句は登場しないが、曾良旅日記には「十三日
(元禄2年<1689年>8月13日) ​ 雨降ル。 多賀ヘ参詣。鳥本ヨリ弐里戻ル。帰テ、摺針ヲ越、関ヶ原ニ至テ宿。夕方、雨止。」とあるので、この時、芭蕉も多賀大社に参詣したかも知れない。曾良と芭蕉は時に別行動をとっているから、何とも言えないのであるが。
 鳥本とは彦根市鳥居本のこと。中山道の宿場である。前日の12日に鳥居本に宿泊しているから、13日は鳥居本を発って中山道を南下し、高宮経由で多賀大社に向かったのであろう。参詣を済ませ、鳥居本に戻り、そこから摺針峠越えで関ヶ原に入って宿としているから、その健脚たるや何ともはや、である。
 参集殿の裏手に駐輪場があるので、そこに駐輪して、ざっと見て回り、ペットボトルのお茶が無くなったので、神門脇の休憩所の自動販売機で新しい飲料を購入しようと、千円札を入れたところ、中で詰まってしまったようで、機械がストップ。仕方なく隣の自販機に別の千円札を入れて飲み物をゲット。それを飲みながら、詰まってしまった自販機に表示されている電話番号へ電話して、事情を説明する。追って担当の方から電話させていただくとのこと。
 25分後に担当者から電話が入ったのだが、その時は既に現場から離れて、JR南彦根駅に向かって銀輪を走らせていたのでありました。詰まってしまった千円札は1000円のクオカードで返還して貰うことで合意。送付先を相手に告げて一件落着でありました。
 ところで、南彦根駅へと向かう前に多賀大社の門前の通りで村山たか女が住んでいた処と表示された建物を見掛けました。
 村山たか女は此処多賀町で生まれ育ったようです。
<参考>​ 村山たか ​・Wikipedia
 村山たか女の参り墓と彼女が建立したという弁天堂は、京都の金福寺境内でお目にかかりましたが、それらの写真は、その折の金福寺訪問が与謝蕪村がテーマであったので、ブログに取り上げる機会もなく眠ったままになっている。今後、彼女をテーマにした銀輪散歩をする見込みもないから、ここにそれらも併せ掲載して置くこととします。
<参考>​ 京都・蕪村銀輪散歩(その4) ​ 2015.5.25. ​​

(村山たか女の住処)
 ​
(村山たか女の参り墓) ​​
​ ​
(金福寺・弁天堂)

(たか女さらし者図)
 そして、JR南彦根駅到着。​

(JR南彦根駅)
 南彦根駅到着15時15分。河瀬駅を出発したのが10時7分位ですから5時間余の銀輪散歩。これにて完結であります。僅か5時間のそれを三日間にもわたってお付き合いいただき恐縮でございました。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2018.09.27 20:41:23
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Re:甲良・多賀銀輪散歩(その3)(09/26)  
石仏がすごいですね・・・・

そのSL・・・・
たぶん多賀SLパークの廃墟かと。。。
SLホテルとして利用されていたけれど連結されていた寝台車は解体されて機関車だけが残ったと。。。

車体は確かにD51のはずです。 (2018.09.27 19:44:25)

ふぁみり〜キャンパーさんへ  
けん家持  さん
  >石仏がすごいですね・・・・
 壬申の乱然り、藤原仲麻呂の乱然り、賤ケ岳の戦いも関ヶ原の戦いも、この付近は古来から幾多の戦の舞台となり、多くの人が亡くなっているということもあってか、それら戦没者の供養のためとて、お地蔵さんだと思いますが多くの石仏を見掛けます。この寺の石仏は少し性格が違うのかも知れませんが、亡き人の供養のためということでは共通のものであるでしょう。
  >そのSL・・・・
   たぶん多賀SLパークの廃墟かと。。。
   SLホテルとして利用されていたけれど連結
   されていた寝台車は解体されて機関車だけが
   残ったと。。。
   車体は確かにD51のはずです。
 仰る通りでした。Wikipediaで確認し、それを本文に追記させていただきました。ご教示ありがとうございました。関西人ながら多賀SLパークなど全く存じ上げませんでした。越後のお方に教えていただくとは不覚千万であります(笑)。
(2018.09.27 20:57:37)

Re:甲良・多賀銀輪散歩(その3)(09/26)  
偐山頭火 さん
馬頭鳥とは何であるかとの、くだりで登場させられた「偐山頭火」です。年中、毎日いつも酔って彷徨っているので、馬になったり鳥になったりはては馬頭琴にもなったりしますが、いまだかつて石柱になった覚えはありません。でも、

しとどに酔えばこれにて道標に    偐山頭火

と云うことになっているのかも知れません、なにせ酔っているうちは何をしでかすか分かりませんので。 (2018.09.27 21:27:14)

偐山頭火さんへ  
けん家持  さん
  >馬頭鳥とは何であるかとの、くだりで登場さ
   せられた「偐山頭火」です。・・・・いまだ
   かつて石柱になった覚えはありません。
 頭の前後に漢字がある場合、「〇頭〇」をセットとして読んでしまう脳の症状、こういうのを医学的には山頭火シンドロームと言うらしい。
 裏磐梯へ行った折も、磐梯山噴火記念館があったのを、へえ、磐梯にも山頭火記念館があったのか、と早とちりしましたが、墳が頭に見えてしまうのは、やはり「病気」でしょうな(笑)。
 もう少し病状が重くなると、馬頭観音でさえも「馬頭観・音」に見えてしまうそうだが、吾輩はそこまでは病状は進んでいないようだから、ステージ3位でしょうか。

しとどに酔えばこれにて道標に    偐山頭火
へべれけ土俵で立ち往生       偐相撲協会

 しかし、「馬頭鳥居趾」なら、馬の頭に鳥が居た跡となって、不自然ではない。これが「鳥頭馬居趾」と馬と鳥がひっくり返ったりすると、鳥の頭に馬が居た跡となって、とても愉快なと言うか、あり得ない図となって、一種の奇蹟の跡になるというもの・・へべれけ談義でありました(笑)。
 酔わなくても「へべれけ談義」をしてしまう、というのも「山頭火シンドローム」の症状例らしいとか(笑)。
(2018.09.27 22:08:20)

Re:甲良・多賀銀輪散歩(その3)(09/26)  
小万知 さん
読書会の課題図書、「南北朝」は久々に日本史の教科書を読んでいるような感じで人名を追いかけるだけでも青息吐息(笑)でした。
 佐々木道誉に所縁のある地を訪ねて下さり、沢山の美しい写真とおまけのお話がいっぱい、お陰で道誉の名前はしっかり頭の中に残りました。
犬上川沿いの小径を真っ赤に染めたように咲いている彼岸花の群れが見事ですね。
爽やかな秋雲がたなびき、伊吹山も遠くに望み、近江平野の広々とした田園風景の中を銀輪で走られ気分良かったことでしょう。
八幡神社の藤も春には見事な花房を見せてくれるのでしょうね。
勝楽寺では正楽寺山まで登山もされ、これで水泳があればトライアスロン並みの強行軍と思いました(笑)
お疲れ様でした。 (2018.09.28 00:14:14)

Re:偐山頭火さんへ(09/26)  
偐山頭火 さん
けん家持さんへ、偐特定疾患に指定されている<詐病>の代表格であります「山頭火シンドローム」のステージ3とか。お見かけすると貴兄は洒落ばかりか、「俳句」や「和歌」にも浸潤が進んでいるようですね。かなり重症です、お見舞い申し上げます。

最近の情報に寄りますと、その山頭火記念館と間違えた磐梯山噴火記念館近くの「横向温泉」の効能としてその病に効くとか。聞く所によると、この湯は真っ直ぐなものを横向きにするので、横向いたものが入湯すると真直ぐ正面を向くと云うことです。私は以前入湯しましたが、以来真正直な偐山頭火を演じ続けて降ります故、入湯効果絶大と判断いたします。
専門的になりますが、温浴効果の「転地療養」は地磁気が変化するほどの場所移動と温泉との組み合わせ効果です。その、「地磁気」がこの温泉では特に強く曲がったものを真っ直ぐに、真っ直ぐなものは横向きにとするのではないかと思われますので、真正直な人にはあまり薦めておりません。で、貴兄には特にお勧めです。

湖東は石の文化>
白洲も書いています、私も狛坂廃寺や石塔寺を見ているとそう感じます。その文化が、南北朝時代にも石仏群として息づいているのですね。紅葉となると、バスが団体を連れて大変ですが、隙間でも狙って再訪してみたいと思います。
琵琶湖の反対比良山の裏側には、千早赤阪城を攻めた一族の菩提寺(興聖寺)もあります。旧秀隣寺庭園と呼ばれる枯山水が優れものです。 (2018.09.28 09:11:03)

小万知さんへ  
けん家持  さん
  >読書会の課題図書、「南北朝」は久々に日本
   史の教科書を読んでいるような感じで人名を
   追いかけるだけでも青息吐息(笑)でした。
 そうですね。小生も同様の感想です。様々の人物が絡んで複雑な展開、太平記世界はややこしい(笑)。
  >お陰で道誉の名前はしっかり頭の中に残りま
   した。
 この時代の空気感を代表するのがバサラ大名・佐々木道誉のような気がします。そんなことで道誉さんのお墓参りをして参りました(笑)。
  >犬上川沿いの小径を真っ赤に染めたように咲
   いている彼岸花の群れが見事ですね。
 2013年9月の若草読書会彦根旅行も彼岸花が咲く時期でしたね。この折のサイクリングでは中山道を芹川まで走り、彦根城へと芹川を下ってしまいましたが、当初計画では、中山道を更に南下し、犬上川を下る予定でした。皆さんのペースがゆっくり目であったので、犬上川は諦めた次第。今回は、その犬上川の更に上流の区域になります。
  >近江平野の広々とした田園風景の中を銀輪で
   走られ気分良かったことでしょう。
 琵琶湖岸に限らず、滋賀県は何処も銀輪散歩には快適なコースとなります。
  >正楽寺山まで登山もされ、これで水泳があれ
   ばトライアスロン並みの強行軍と思いました
 湖岸まで走り琵琶湖で泳いだなら、たしかにトライアスロンもどきでしたが、そこまでの体力も、気力も是無く候でありました。
(2018.09.28 10:55:58)

再び、偐山頭火さんへ  
けん家持  さん
  >磐梯山噴火記念館近くの「横向温泉」の効能
   としてその病に効くとか。
 そうですか。草津の湯でも治らぬこの病も横向きで治りますか。横向温泉は河内源氏の申し子・源義家が発見した温泉とのことですから、河内温泉大学が推奨されるのも納得でありますが、効能については納得までは参らず、「納豆」程度です(笑)。
  >湖東は石の文化、白洲も書いています
 勝楽寺の石仏群は南北朝時代のものではなく、もっと時代が下がっての後世の人たちが奉納したものだろうと思いますが、こういう風景はこの地域では馴染みのものですね。
  >比良山の裏側には、千早赤阪城を攻めた一族
   の菩提寺(興聖寺)もあります。
 朽木氏ですね。この寺のことは存じませんが、興聖寺というと道元さんの宇治の寺の方が思い浮かびます。
(2018.09.28 11:34:55)

Re:甲良・多賀銀輪散歩(その3)(09/26)  
>背後に見える山は青龍山(標高333m)

多賀大社、村山たか女、青龍山・・・
何やら聞き覚えがあるぞ、と思ったら

3の字が並ぶ平成33年3月3日に
333mのこの青龍山を訪ねる

そんな目的で青龍山に出かけたのですが
平成33年がめぐってこなくなりました
トホホ!

(2018.09.28 21:03:03)

ビッグジョン7777さんへ  
けん家持  さん
  >3の字が並ぶ平成33年3月3日に
   333mのこの青龍山を訪ねる
   そんな目的で青龍山に出かけたのですが
   平成33年がめぐってこなくなりました
   トホホ!
 33年3月3日なら、333ではなく3333ですから、新しい元号〇〇3年の3月3日、つまり2021年3月3日に行かれてはどうですか。それは結局、平成33年と同じ年月日になるのであり、当初予定の通りです。加えて数字の並びも3333ではなく333とピタリ合致ですから、トホホではなくむしろ「オホホ」と言うものでしょう(笑)。
(2018.09.28 21:29:42)

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