こもりくの 泊瀬 の山 青旗 の 忍坂 の山は 走 り 出 の 宜 しき山の 出 で立ちの くはしき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく 惜 しも (万葉集巻 13-3331 )
(<こもりくの>泊瀬山、<青旗の>忍坂山は、裾を長く引いた好ましい山で、高く際立った美しい山だ。愛すべきこの山の荒れているのが惜しいことだ。)
この碑のある場所から南東方向を見やると、忍坂山がいかにも「出で立ちのくはしき山」の姿そのままに、先ず目にとまるのである。
夕さらず かはづ鳴くなる 三輪川の
清き瀬の音を 聞かくし良しも (万葉集巻 10-2222
)
(夕方になるごとに蛙が鳴く三輪川の清い瀬の音を聞くのはいいものだ。)
紫は 灰さすものそ 海石榴市
の
八十
の 衢
に 逢へる 児
や 誰
(万葉集巻 12-3101
)
(紫に染めるには灰をさす、その灰を取る椿の海石榴市の辻で出会ったお嬢さん、あなたは誰ですか。)
(注)紫草の根で布を染める際には椿の木を燃やした灰を媒染剤として使う。市には目印となる木が植えられていたようで、椿の木が目印とされていた市が立っていたので海石榴市(椿市)という地名になったと見られる。「紫は灰さすものそ」は「海石榴市」を導くための序詞である。
この歌碑は、直近では友人の偐山頭火氏との銀輪散歩の時に撮影したのではないか、と過去記事を探してみるも見当たらず。撮ったつもりで撮らなかったのか。海石榴市観音堂にもその折に立ち寄った筈なのだが、記事が見つからない。どうも人間の記憶というものはかくも不確かなものであるか。
我
が 衣
色どり染めむ うまさけの
三室
の山は 黄葉
しにけり
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻 7-1094
)
(私の衣をその色で染めよう。<うまさけの>三輪山はすっかり色づいたことだ。)
うまさけ 三輪の 社
の 山照らす
秋の 黄葉
の 散らまく惜しも (長屋王 万葉集巻 8-1517
)
(<うまさけ>三輪の神の領域である三輪山の黄葉の散るのは惜しいことだ。)
此の 神酒 は 我が 神酒 ならず 倭 成 す 大物主 の 醸 みし 神酒 幾久 幾久 (日本書紀崇神天皇 8 年冬 12 月の条)
(この神酒は私の神酒ではない。大和の国をお造りになった大物主神がお作りになった神酒である。幾代まで久しく栄えよ、栄えよ。)
大神神社から「くすり坂」と名付けられた坂道を上って、狭井神社へと向かう。道の両脇には薬草となる草や木が植えられている。上り口の右手にあったのは「メグスリノキ」でした。
佐韋河
よ 雲立ち渡り 畝火山 木
の葉 騒
ぎぬ 風吹かむとす
(伊須気余理比売 古事記神武記)
(狭井川より雲が立ち渡り、畝傍山では木の葉がざわめいて、嵐が吹こうとしている。)
(注)この歌の背景事情については、末尾記載の参考記事「山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その2)」をご参照下さい。
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山 山のまに い 隠 るまで 道の隈 い 積 もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放 けむ山を 心なく 雲の 隠 さふべしや (額田王 万葉集巻 1-17 )
反歌
三輪山を 然
も 隠
すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
(同上 同巻 1-18
)
(<うまさけ>三輪山よ、<あをによし>奈良の山の、山と山の間に隠れてしまうまで、いくたびも道を曲がって行くまで、しげしげと見つつ行きたいのに、何度も何度も見やり眺めていたい山なのに、つれもなく雲が隠していいものか。)
これは、有名な歌。
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