薬 天 市 場

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『変身』





興味深いのは、話の視点が主人公グレーゴルから描かれるのにもかかわらず、
グレーゴルたる虫の死において、小説において大きく取り上げられる死が、あまりにあっさり書かれている点にある。

すなわち、小説的にも、死は人の死ではなく、虫の死として扱われる。
そして、その後の家族の未来は開け、主人公の死によって、展望明るくなるというシュールさを持つ。



『変身』を呼んでいて、最初から最後まで、結局この小説の虫とはなんなのかということを考える。
実物として捕らえるのに空想的で無理があって、では何かの象徴としてと考える。
そこで、意識と人間社会の対比だと考えられないか。
そのための表現手段として、任意的に虫になる必要があった。



グレーゴルは勤め先への不満を持ち、社会の自分と自意識に乖離を持っていたときに虫に変わる。
そして、姿が変わり、言葉さえも話せなくなっても、意識だけは持ち続ける。

他の家族は、変身後、社会になじみ、生活し、他人である下宿人の登場によって、家庭の中までも、社会になる。

そこにおいて、主人公と家族のズレを通して、社会と意識の対比が表現されている。
そして、意識は社会に破れる。父という、家族の中で一番の権威的存在に破れる。

よって、意識の死がグレーゴルの死であり、その後の死体は虫の扱いで良くなる。
下女の解雇について話したり、結婚について話始める家族はやはり社会だろう。
主人公の死によっても、社会は動き続ける。



約100前に描かれた『変身』の、社会にコミットできず意識だけを有するものは破れていく構造は、現代に通じる。

まさに、名作。


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