不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/06/22
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カテゴリ: 日本旅行記
◇国府史跡から移動する途中に「国庁跡」があります。
スポーツ施設の駐車場に停めて歩いていきました。
田んぼの真ん中にあるので、見つかりにくかったです。
碑があるだけでした。

二十九番札所国分寺にも寄りましたが、一度訪れているので足早に移動しました。

国道の反対側に移動し「歴史民俗資料館」方面へきました。
上がる途中の所に 伝・香川五郎次郎親和の墓 の看板がありました。
元親の次男・親和は、讃岐の香川家を継いだが、秀吉の四国征伐によって香川家は改易となり、親和は人質として郡山に居た。
後岡豊に帰り東小野村に蟄居して居た。
元親の長男・信親戦死の直後、この親和に対し、秀吉の使いが土佐に下り、朱印状が与えられたといわれるが、世継ぎの件が四男・盛親にきまると、彼は怏怏として楽しまず遂に病死した。
累代の墓に葬られず一人寂しく眠っている。

道から20mぐらい下った所にありました。

他家を継いでいたのだから、家を継ぐのは難しかったのかな?
推測でしかわかりませんね(笑)。

資料館のあがりみちに看板ぐらいあるのかと思いましたが、下の道に 伝・長宗我部氏一族の墓 の看板がありました。
岡豊山から西や北におりる谷間一帯には、玄陽院・瑞応寺・東谷庵などの寺院跡があり、長宗我部氏代々の墓所が残っている。
二十数基の墓は、ごく粗末のもので歴史を物語るにはあまりにも貧弱なものである。
上段は国親又は信親と言われる墓碑があり、下段には累代の墓が立ってある。
ちなみに元親は長浜天甫寺山にあり、長男・信親の墓は長浜雪けい寺境内に、次男・親和の墓は累代の墓東方50mの所にある。
三男・盛忠の墓は土佐山田町神通寺にあり、四男・盛親は大坂夏の陣に出陣し捕らえられて京都・六条河原で斬られ、今は京都五条寺町蓮光寺に眠っている。

道端に車を停めて歩きました。
細い道を50mぐらい進んだ山の裾野にありました。
五輪の塔が数基あり、戦国大名としては小さな墓である。
他の場所にあるのも、それほど大きくはなかった。
秀吉、家康に負けた戦国大名だから仕方は無いかもしれませんね。
「伝」なので、真実はわかりません。
でも、四国の英雄の地を訪れれたのは良かったです。

土佐c伝・長宗我部氏一族の墓
高知旅行 で訪れた所


土佐まほろば旅行は、まだ続きます





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Last updated  2010/06/22 08:58:56 PM
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