やさか風の里(風の里からのひとりごと)

やさか風の里(風の里からのひとりごと)

姉への思い

私の姉は、昭和33年生まれ。生後1歳の時、掘りごたつ(コタツの中に炭を入れたコタツ)の中に落ちて、後頭をやけどし、母は、100日間歩いて1時間かかる病院まで毎日姉を背負って通ったそうです。
 姉のやけどした後頭は、黄色い膿や汁が出て「脳ミソが焼けて出てるのでは?」と母は思ったそうです。その後の姉の発育は、どんどん遅れていき、小学校を上がる年齢に達しても、みんなとはついていけない姉を見て母は「このまま小学校に上げても、ついていけないから1年遅らせて欲しい」と1年遅れて小学校に入学させたそうです。
1年遅らせて入学させた所で、姉の発達はみんなと同じようについていけるわけでもなく、言葉もどもりになったり、人と話すことが出来なかったり、学習面ではまったくついていけませんでした。
私と姉は4歳違い、私が物心ついたとき、母が姉を机に座らせて、一生懸命文字や時計の読み方など教えてる姿を覚えています。その教え方がとても厳しく「そこまでしなくても・・」と思うくらいでしたが、今になって思えば、母の一生懸命な姿には頭が下がる思いです。

 昭和33年頃といえば、まだまだ、障害者を隠そうとする時代です。母は、隠そうとはしませんでしたが、1年小学校を遅らせて入れる事で、母なりの想いがあったのだと思います。
 今姉は、47歳。クリーニング屋で働き、結婚もしています。母は、手をつなぐ育成会に入り、仲間と一緒に色々な所に行き勉強をしたようです。でも、農家の為、みんなほどはあちこちへは行けなかったようですが、私は子供ながらに、父に文句を言われながら、あちこちと出かけてた母の姿のを覚えています。
こうして、仲間と一緒に動いた事で障害者としてその当事、桑の木園から第1号として姉は一般就労をしたのです。

 姉が小学校6年生の頃、ある姉の同級生が姉を苛めていました。苛めているというか、今思えば悪口を言っていたように思うのですが、私はそれがどうしても我慢できず、登校拒否をし、その悪口をいった人達に、我が家へ謝りにこさせたという事がありました。私は当事、姉が障害者である事が恥ずかしいとは思いませんでした。小さな学校だったという事もありますが、私は「姉を守る」その思いだけだったと思います。
そうしているうち、姉は中学校に行き、姉と私は4歳違いなので中学校に一緒にいくという事はなく、ただ、姉の様子を母から聞く程度で、また、中学校ではそんなに苛めとかなかったように思います。だから、穏やかに過ぎていったと思っています。

 私は、物心ついた時から母に「あんたはおねえちゃんの面倒を見るんだから、家を継いで家におらんといけんのよ」そう言われていました。いつもいつも・・・。
私は、それを嫌な気持ちで聞く事もなく「家を継がなきゃ、お姉ちゃんを見なきゃ」そう思って育ちました。
 今私は、主人に養子に来てもらい、母がいうように家を継ぎ、結婚した姉を時々見に行っています。
姉は、自分で食事のしたくも出来るので、重度の障害者の人達よりとても面倒を見ることに関しては楽だと思います。
それなのに私は時に、姉からの電話が面倒になる時があるんです。私も結婚して子供を3人授かり家庭を持っています。そうなると、姉の頼みごとを聞いてあげられない事もあって、悪いなと思いながら自分の家族を優先する私がいます。
今は、姉は結婚していてご主人がいますが、ご主人がいなくなったら私が引き取らなければなりません。私の主人にも、姉を引き取る事になるかもしれないという事は話していますが、いざ、ほんとに引き取ることになったら主人はどう思うんだろうって。私だけなら何とかなっても、主人は他人です、ほんとに理解してくれるんだろうかと・・・。悩んでいても仕方がない、なるようにしかならない・・それが私の考え方ではあるのですが。

(つづく)


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