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することになりました。バングラデシュのストリートチルドレン(特に迫害を受けている娼婦の子供達)の社会復帰を目指した活動を支援するチャリティ講演会で、縁あって講演することになりました。ありがとうございます。┏━━━━━━━━━★ *↓↓講演会の詳細↓↓* ★━━━━━━━━━━━┓[日時] 6月8日(日曜日)開始PM3:00~5:00[場所] 東京都武蔵野市吉祥寺本町3-10-13アトリエオアシス[最寄り駅] JR 井の頭線 吉祥寺駅 南口出口 徒歩10分[主催] ワールドチャリティーアソシエーション[Tel] 0422-23-2567[E-mail] wca2003@sanga.co.jp<会場のご案内>吉祥寺南口より、井の頭通りを三鷹方向(旧リバイタルの方向)に向かうと7分ほどで、右手にスーパー紀ノ国屋が見えてきます。紀ノ国屋の次の角を右折して2軒目、ラ・ポール吉祥寺の奥の一戸建てがアトリエオアシスです。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━★*チャリティーの主旨* ★━━━━━━━━━━━━━┓[今回のチャリティーで集まったお金で援助する人々・団体]・NGO 「エクマットラ」更生センター 担当渡辺大樹さんバングラデシュのストリートチルドレン(特に迫害を受けている娼婦の子供達)の社会復帰を目指した活動です。現在は、「自分という人間が存在した事で一人でも多くの子供達が可能性を感じ、自由に未来を夢見る事が出来たら」という思いのもと、ストリートチルドレンの中でもさらに迫害を受けている娼婦の子供達に教育と医療と遊びの場を提供する活動をされています。《今回のチャリティーの趣旨》2007年11月15日にバングラデシュを直撃した超大型サイクロン「シドル」は各地に非常に大きな爪あとを残していきました。今回のチャリティーカラオケ&食事会で集まった資金は全額バングラデシュ南部サイクロン被災地救援活動を行う「エクマットラ」にあてられます。※以下エクマットラ振込み先になります。ご厚意のある方はご協力よろしくお願いします。〈振込先〉三井住友銀行 あざみ野支店店番号 573 口座番号 6660026エクマットラ ダイヒョウ ワタナベヒロキ<以前にエクマットラを支援した活動風景は下記アドレスをご覧ください>http://www.e-utopia.info/oasis/utopia/wca/wca_page/wca_093.html┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━★講演者紹介 ★━━━━━━━━━━━━━━┓講演者:吉村英樹 博士【自分を生きる~思う気持ちは言葉を超えて~】『素直に生きる』誤解されても、叩かれても、けなされても、たとえ独りぼっちになったとしても、野武士になって自分のことを大切にしてみる・・・そう思って実際に生きてみると、世間様から総スカンをくらって本当に独りぼっちになって立ち尽くしてしまい、寂しくて寂しくて仕方がなかったあの頃が、今では本当に愛おしいです。『大切なものは何ですか?』体験してしまった自分のこの感覚だけは疑えないんです。体験は、私のそれまでの認識を根底から覆し、感覚ごとまるで別人のような自分へと導いてくれました。イライラして喧嘩ばかりで、毎日生きにくくて仕方のなかった自分や、どうしていいか分からず、葛藤に押し潰されそうになってた自分、また、人騒がせのくだらない生き方に、生きることを終わってしまいたいばかりだった自分からは想像も出来ないくらい変化してしまいました。そんな今の私の思いを初めてお伝えさせて頂く機会を与えて頂きました。みなさんに出会えることを楽しみにしています。ありがとうございました。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
2008.06.06
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昨日は10時~13時半まで3時間半、元読売新聞部長の硬い身体を弛めさせて頂きました。施術を続けてきた甲斐があり、随分変わってきました。◆首が硬くて振り向けなかったのが、大椎(頸椎6、7番)がスラストで抜けるようになり、振り向けるようになったり、握力が戻ってきたり。◆首の可動域が増え、肩甲骨が剥がれ自由に動くようになってきて、手を後ろで組めるようになり、ゴルフのバックスイングが大きくなって飛距離が伸びたり。◆長年の喘息の咳が止まってきたり。◆黒い痰が出てたのが、普通の色に戻ってきたり。◆歩くのが遅くなっていたのが、人波に着いていけるようになり、更に少し早歩きに挑戦されようとしていたり。◆打ちっぱなしの球数を、これまでの倍にしても疲れなくなったり。◆定期的に行っている杏林大学の病院で先生に診て頂くとき、膝が痛くていつもヨタヨタと椅子に座っていたのが、ためらいもなくスッと座れたことに先生の方が気づいてビックリされていたり。◆禁煙される前、毎日60本のタバコを40年以上吸われていたので、肌がどす黒く透明感がなかったのですが、どんどん白くなり血色が回復して来ていたり。◆いつも、普通に履いていても靴下が破れるほど足裏が硬くて荒れていたのが、手足の甲や平が若い人以上に柔らかくなってきて、鬱血が取れてきていたり。◆足が胴体の“オマケ”のようになっていたのが、精気が出てきてもう一度身体として加わってきていたり。◆麻痺していたセンサーが回復し始めたのか、だるさやしんどさを感じられるようになり、よく眠れるようになって来ていたり。・・・まだまだ細かいことはあるのですが、本当に回復されてきています。骨のようになった肩甲骨周辺の筋肉が砕け、柔らかく再生してきています。そして、17時から日本舞踊界の重鎮がお見えになり、22時まで5時間の施術をさせて頂きました。76歳ですが、まだまだ現役で踊ってらっしゃいます。膝が悪く、挫骨神経痛もあり、足を弛めて流すだけでも片足2時間ほどかかりました。肩は、前回の一度で弛んでいて、『毎日あんなに痛かったのに・・・』と、ビックリされてました。触ってみると本当に弛んでいて、自分でもビックリでした。大椎をスラストで抜くと、竹を捻り割った時のような凄い音と共に首の可動域が増え、目の前が一気に明るくなったそうです。発表会があるということで、顔のマッサージもやりました。基本は、今ベストセラーになっている田中宥久子さんの『造顔マッサージ』なのですが、マッサージの後に御申杖で流し、美粧奄ジェルで抑えることで効果を高め持続させます。顔筋のこりをほぐし、毛穴に詰まった汚れを落とし、リンパの流れを良くすることで、ほうれい線がかなり薄くなりました。毛穴の汚れもたくさん出てきました。続けていくと化粧をしなくてもよくなると思います。施術が終わって帰られた後、同居している娘さんが帰ってきたお母さんを見てメールを下さいました。首が伸びていて、胸、両肩が開いていて、顔がピカピカになり、若返って帰って来たお母さんを見てびっくりされたそうです。これまで何百人の身体を見させて頂いて、どこからでも立ち上がっていくことを実感しています。免疫力があるうちなら、定期的に施術を続けていけば寿命は延びます。余命を宣告された所からでも延ばしていけるのですから、まだ未病の段階ならコンディショニングやメンテナンスをすることで、元気で天寿をまっとう出来るのではないでしょうか。足から老化は始まるようです。胴体から出る部位(首・腕・腿)が詰まり、末梢に症状が出てきます。元気に歩けているかたでも、知らずに足の老化が進んでいるかたは多いです。どうか、元気でいて下さい。赤ちゃんが生まれて来る時も、誰かが亡くなる時も、みなさん『元気でさえいてくれれば・・・』と、おっしゃいます。自分のことを大切にして、どうか元気でお過ごし下さい。
2008.05.23
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まず、あんなに出ていたお腹がドンドン凹み、体重が一気に落ちて来ました。毎朝ベルトのバックルを外して、ハサミで1センチほど切って詰めていました。そうしないとズボンが落ちるのです。自分は糖尿か癌かと思うくらい急激に痩せて行き、気が付くと2ヶ月で26キロもの減量になっていました。80キロから54キロ。サイズも3LからMに変わりました。サイズの合わなくなった服を自分でフリーマーケットに出したら、一日で3万円を超えました。ダイエットってお金になるなぁ…そう思いました。お風呂で気が付いたのですが、肌が透き通って来ました。手をかざして毎日見とれるようになりました。あれだけ治らなかった水虫も綺麗になっていました。爪がシッカリして来ました。体毛が減り、髪の毛が増えて来ました。汗をかいた後もとても爽やかで、ワイシャツの襟元が汚れません。運動しても息が上がらなくなり、イライラしなくなり、コラなくなり、疲れなくなりました。匂いや味に敏感になり、味覚が変わり、体臭や口臭が治まり、交通事故の後遺症や古傷も痛まなくなり、傷の治りも驚くほど早くなりました。大便の後、紙で拭かなくてもよくなりました。ウォシュレットって食事がおかしくなったから出てきたものなんだ…と、その時思いました。もちろん女性にはウォシュレットは優しいものだと思います。人間の体ってホントに上手く出来ていると感心していまいました。それから、目がよく見えるようになり、関節の可動域が増え、声が出やすく伸びるようになり、花粉症が治り風邪をひかなくなりました。他にもまだまだたくさんありますが、一番驚いたことは、意識が突き抜けていくような感覚でした。
2008.05.22
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『一口50回の咀嚼』最初にぶつかった壁は噛むことでした。普通に食事をしていると多くて10回ほど。少ない時などは3~5回ほどで飲み込んでいました。こんなにも噛んでいなかったことに改めて気付かされました。いつ飲み込んでしまうのだろう…。そう思って自分をよく観察してみると、次の食べ物を口まで運んできた時に自動的に飲み込んでいるのが分かりました。これだ!と思い、一口入れては箸を置くことにしました。しかし、またいつの間にか飲み込んでいます。いつ飲み込んだのだろう…。そう思って再び観察してみると、テレビに気を取られた瞬間に飲み込むのが分かりました。ならテレビを消せばいいか。そう思いテレビを消して、一口入れたら箸を置いて、実際に指を折りながら50回数えてみました。次第に一口50回噛めるようになってきました。50回噛めれば100回は噛めます。こうして噛むことは出来るようになって来ました。『無意識を意識化する』何気に、無意識にやってしまってることってとても多いと思います。習慣になってしまっているもの、癖、つい…、また自分はそう云う人間だと思い込んでいたり、感情が言うことを聞かなかったり…。そんな自分に気が付くとそれらを放すことが出来ます。無意識の自分も間違いなく自分自身です。自分のことが分かる範囲でしか相手のことも、世の中のことも理解出来ません。自分のことを自分で理解していくだけで、相手は自分のことを理解してくれるようになります。自分の顎が動かせませんでした。その顎で人を動かそうとしてました。自分の顎も自分で動かせないのに、その顎で人が動くわけがないか…そう思いました。そして、噛み続けました。さて、自分と向き合って噛めるようにはなりました。ところが、実際に本気で噛んでいくと、これまで噛んでいなかった歯が持たなくなりボロボロになっていきます。顎はガクガクして痛くなり、上の歯と下の歯は刺さるような、一瞬刺さって止まるような感覚で、歯も顎も痛くてたまりません。たまらず先生に相談すると『噛んで下さい』とのこと。噛み続けるしかありませんでした。痛いままに噛み続けていると、今度はガチガチになって来ました。知覚過敏や歯槽膿漏は改善し、唾液の味が変わり美味しくなって来ます。唾液が美味しいなんて…。不思議な感覚でした。顎もガクガクしなくなって来ました。唾液の味が変わったことで口の中がとても爽やかになり、後味がサッパリするようになりました。噛めば噛むほど美味しく感じるようになり、マゴワヤサシイを自分で作って、一口50回噛んで食べることが楽しみになっていました。そして、その頃から体中に変化が起こるようになって来ました。
2008.05.19
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2001年に分子栄養学に出会い、食事に向き合うことになりました。この2001年から出会いが大きく変わって行きました。出会ったきっかけは、ある日、体が言うことを聞かなくなり、朝起きれなくなったからでした。病院へ行っても原因が分からず、気のせいだと云うことで心療内科や精神科へ回されてしまいます。そんな時、紹介されたのが食事療法でした。父の会社に戻った私は営業をやっていました。それまでの自分の生き方が後押しをしてくれたお陰で営業成績も良く、気が付くと朝早くから夜中の接待までメチャクチャな生活をしていました。仕事が楽しくて楽しくて、また何でも出来る自分は何でもしようとしてしまい時間が足りません。そんな生活を続けている内にとうとう体が動かなくなってしまったのでした。分子栄養学のカウンセリングは、まず毛髪分析で体内のミネラルバランスをみて、その結果に基づいて行なわれます。『こんな食事をしていたら、そうなって当然です』『そうならない方がおかしい』先生は私の食事内容を聞くと始めからそう言い切りました。ちょっと人を小馬鹿にしたような態度に面白くなかった私は、最初はギャフンと言わせるつもりでした。意地悪な質問をして困らせてやろうと思うのですが、先生にことごとく返されます。そして、その説明が見事に腑に落ちるのです。次第に興味が出始め、気が付くと素直にメモまで取るようになっていました。カウンセリングが終わり、帰りに2万円分ほどのサプリメントと無添加調味料を買って帰り、家にある調味料やダシ、冷蔵庫の中にあるこれまで普通に使っていたソースやマヨネーズ、その他の『食べなくても生きていけるもの』を全部捨てました。そして、次の日からマゴワヤサシイを一口50回噛んで食べることにしました。マゴワヤサシイとは食材の頭文字で、豆・ゴマ・ワカメ・野菜・魚・椎茸・いも…のことを言います。それらを使ってシンプルな食事にしてみました。
2008.05.18
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身体の酸化と還元の話で孟宗竹の話を少ししました。自然科学では、手当てや医食品の中でも植物の力を借りますが、春になると竹の子として地面から顔を出し、すごいスピードで成長する竹にも、やっぱり大きな力が秘められているのです。江戸時代の文献である『本草学』に「竹は癇癪(かんしゃく)とよう脹に効く」というくだりがあります。癇癪とはストレスようちょうは癌という意味に解釈できます。昔から「竹」の力が知られていたのですね。竹の中でも、日本に一番多い、「孟宗竹」の成長力は凄いものがあります。1日に1m以上伸びるのです。ところが、ある時突然成長が止まり、同時に横にも太らなくなる。竹の驚異的な成長力が突然止まるのです。なぜか。それはアブシジン酸という成長抑制ホルモンの働きによるものです。成長というのは酸化作用。これが行きつくところは老化。それに大して成長の抑制というのは、実は還元作用なのです。だから、竹にはものすごい成長力を抑制できる強力な還元作用があるといえるのです。孟宗竹はイネ科であり、その染色体は人間の染色体数と同じ48本です。だから人間と竹というのは非常によい相性にあるといえる。ホルモンの働きかけもすんなりといくと考えられています。例えば癌患者が孟宗竹の抽出液『バンブリアン』を飲みはじめると、当面は孟宗竹のサイトカイニンの一種にあるインターロイキン2が補充されるため、プラズマ細胞から液性免疫であるIgG(免疫グロブリン)が分泌され、その補体結合によりガン細胞の細胞膜が溶かされて白血球がガン細胞の中に入り込めるようになります。白血球がガン細胞を捕食するためガンは縮小していきます。次第にアブシジン酸の還元作用により、Tリンパ球が充分に分泌されると、独自にインターロイキン2を生産可能な体になれば、ガンは治癒していきます。T8細胞も生産され、ガンの転移を防ぐことも可能になります。ただ、還元作用が充分に行われるには時間がかかります。年齢や個人差等があって、期間は一概には言えませんが、3ヶ月から1年程度を要します。その間に、ジベレリンがガン細胞により犯された細胞を修復します。人間の病気の原因には大きく2つあって、老化による細胞機能低下とストレスです。竹のもつ力によってこの2つの問題を克服することが可能になったら苦しんでいる多くの人たちが元気に、健康になれるのではないかと思います。
2008.05.16
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よく言われている酸化や還元。でも具体的にはどういうことなのか、よくわからなかったりしますね。今日はそのあたりのことを。酸化とは錆びること。体や細胞が錆びていくことそのものが成長であり老化です。人は生まれた瞬間から何もしなくても、ただ生きているだけで錆びて老化していきます。『老化』と聞くと、30歳辺りを過ぎてから・・・と思いがちですが、成長することそのものが酸化作用によってもたらされているので、生まれた瞬間から老化は始まっています。子供のころは身体の中の『抗酸化作用』が強いので、みずみずしく保てていますが、赤ちゃんから老人まで呼吸をすることで酸素を取り入れ、細胞の中でエネルギーサイクルを回していることに違いはありません。酸化の度合いは食生活やストレス等によってもずいぶん違いが出てきます。加齢と共に脳の神経伝達物質であるドーパミンが欠乏してくると免疫の秩序が保てなくなり、記憶を貯めているといわれる脳の海馬を自分自身の免疫細胞が捕食し始め、記憶が引き出せなくなります。これが認知症で、小脳を捕食されるとパーキンソン病になります。自分の免疫細胞が自分の細胞を食べるのです。歳をとっても認知症にならない人は、元々ドーパの多い人や遺伝、普段の食生活が抗酸化作用のある野菜中心だったり、少食の人、またストレスを溜め込まず適度に身体を動かして自然に免疫力を維持できてきた人なんかが多いのではないでしょうか。今の自分に、子供の頃のような抗酸化力があればアンチエイジングすることは可能なんです。体の酸化作用を抑えるもので『身体に良い』と言われているものは、すべて『抗酸化作用』のあるものなのですが、老化した細胞機能を回復させるには『抗酸化作用』の段階ではまだ不充分で、『酸化させない』のではなく『還元』するところまで導いてくれる力が必要です。還元とは酸化の反対の働きで、錆びた鉄をそれ以上錆びさせないようにするのが『抗酸化』、元のピカピカな状態に戻すのが『還元』です。還元は、酸化を奪うか水素を得るか、マイナス(電子)を得るかで行われます。『マイナスイオンが身体に良い』と言われるのは、マイナスを得ることになるので小さな還元力(抗酸化作用)になっているのです。普段、身体の中ではビタミンが担当している作用です。『マイナスイオンは空気のビタミン』と言われるのはこの為です。孟宗竹は人のDNAの染色体と同じ48本の染色体を持っています。食養学的には中庸と言われています。ちなみに玄米も中庸。孟宗竹のエキスを抽出して作られたバンブリアンは、孟宗竹にしか含まれないアブシジン酸の力で直接酸素を奪い、細胞を強力に還元していき、ジベレリン(竹のホルモン)の作用で細胞を修復し、細胞機能そのものを蘇生化していく力があります。1日に120センチも成長する孟宗竹の酸化を一気に止めるアブシジン酸の還元力は、他のどんな食物より、またマイナスイオンやビタミン等よりも遙かに強力で、失われた一つ一つの細胞機能を回復させる力があります。身体が充分に還元され、脳の海馬の捕食された部分が回復してくると、なんと記憶が蘇ってきます。結果として、認知症やパーキンソン病なども回復していき、先日は『リー脳症』という脳が壊死していく病気だった1歳の男の子が半年で治癒しました。また、現代医学では前例のない末期の卵巣ガンも完治しました。
2008.05.15
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今日、余命1ヶ月の花嫁の続編が放送されます。同じような状況のかたが、今この瞬間にもたくさんいらっしゃると思います。先日、末期の卵巣ガンのかたが手術することなく治癒されました。卵巣ガンは、発見された時は既に末期のことが多く現代医療の現場では治癒した前例がないようですが、その末期の卵巣ガンが治癒していきました。余命に向き合わされた時、多くの人は初めて自分を生きようとすると言っても過言ではないのではないでしょうか。いつもは『今』を生きてるようで実は『今』を生きてらっしゃらない。過去の経験の中で『判断』しながら、未来の『不安』を回避するような『今』を過ごされています。日常の中で、『今』、たくさんの大切なものが置き去りにされていきます。あれが嫌だ、これが嫌いだと言って、幼い自分自身を超えられない(育めない)ばっかりに受け入れられないことから目を背けるだけの毎日。『元気で生まれて来てくれさえすれば・・・』親は子供が生まれる時それだけを願っていた筈なのにいざ生まれてくると、いい学校に、いい会社にと期待されるようになる。将来のために今を生きるような毎日の繰り返しに疲れきっている子供達。テレビは、そんな心の隙間に都合よく入ってきてくてれて観ている間、自分の本当の気持ちを紛らわせてくれます。大切なことは何ですか?。そう言って、国家権力に向き合ったことがありました。人間の純粋で素直な思いを無視して、法律が大きな顔をしてしまう精神性。『処理』と『解決』を同じように扱っていませんか?。あなたが生まれてきた意味、生かされている理由は『愛』という情緒的で掴みどころのない不安定なものを確かなカタチあるものとして見出だすこと。決して、一生を不安なく過ごせるように、学歴や社会的地位や、たくさんのお金や、大きな家で自分を護ることではないのです。がんと向き合う時、現代医療の限界にぶつかってしまいます。その時、少なくとも3つのことが言えるのではないでしょうか。一つ目は、病気になってしまった原因があるということ。二つ目は、病気になったのは自分自身だということ。そして、三つ目は、何をしても治らなかったということ。このことに、本人や医師を含む関係者のみなさん全員が謙虚にさえなれれば、哀しい現実を現象化させる必要はなくなっていくような気がします。
2008.05.06
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昨日の夜、ホームセンターへ買い物にいきました。時間も遅かったのでお客さんも少なく、入る時から自転車置き場のガードマンのおじいちゃんは暇そうでした。帰る時、自転車の鍵を外していたら、先ほどの暇そうなガードマンのおじいちゃんに話しかけられ捉まってしまいました。『立ちっぱなしは大変ですね』と言うと『ウロウロしてるから、そんなこともないんだけど・・・』と言いかけたおじいちゃん。『手が動かないんだよ・・・』と言ってグー、パーして見せてくれました。昔トラックの運転手をしていて、荷物が手積み手卸しだったので手を酷使し歳をとってリウマチも出てモノが掴めなくなったとのことでした。そんなことならと、ガードマンさんに手袋を外していただきその場で御申杖をして差し上げました。御申杖でみると、親指の流れが特に悪かったのですが、手首から先全体が詰まってる状態で、これでは手に力が入らないと思います。しばらく流すとかなり流れるようになってきたので『指を曲げてみて』と言ってグーパーしてもらうと『おぉ~、曲がる、曲がる』と言って喜んでくれました。私がやりたいことは、本当はこんなに簡単なことなんだと思います。今、この瞬間も死んだ方がましだと思うほどの痛みや痒みや重圧にただ耐えているたくさんの辛い方々がいらっしゃいます。力になれることたくさんあると思います。
2008.05.05
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今日は、アトピー性皮膚炎が良くなるのであれば・・・ということで、サルサの先生が来て下さいました。今回で2度目です。先生はとても綺麗な女性で、ダンスの先生をしておられるくらいですので姿勢もよく、周りから見ている分には健康そのものという感じがします。話しを聞かせていただいていてもとても話が上手で笑いがたえず、明るく楽しくて何時間でも聞いていたいほどです。けれど、施術を始めると御申杖が上滑りしているのが分かります。御申杖を受けられると過剰な電磁気エネルギーが体内から抜けるときに多少の痛みを伴うのですが彼女はまだその痛みもあまり感じられていない状態でした。一見華やかに見える舞台の裏で常に緊張状態にあり、身体も心も彼女は相当辛い思いもされてきたのだと思います。ストレスを受けると脳下垂体から副腎皮質ホルモンが分泌され副腎皮質を刺激し、グルココルチコイドと呼ばれるホルモンが全身に向けて放出されます。このホルモンは、皮膚バリアの回復を遅らせます。またアトピーの場合、表皮に進入している末梢神経の数が増え敏感になっている上に、表皮は増殖性異常の状態で、様々なサイトカインを作り出しています。末梢神経の数が増えているということは、過剰な電磁気エネルギーが発生し続けているということでもあり、それ故に御申杖が上滑りしてしまうのです。この帯電状態だと細胞機能が上手く働かず、また、ステロイドを塗っておられた時期もあり、皮膚も硬く思うように再生していきません。『もうこれ以上健康になれないのかも知れない・・・』そんな風に言われていました。1度目の施術で、『身体がこんなに軽くなるなんて!』とビックリされました。痒みもかなり治まり、後でアトピーの皮膚がボロボロめくれたそうです。今日は、擦り応えのなかった身体が少し反応し始めました。硬く凝っていた首~肩を弛めて、大椎(頚椎7番)をスラストで抜きました。長い間詰まっていた大椎が抜け、その手応えとともに首の可動域が増え、肩周りがかなり軽くなられたようでした。アトピーで硬くなった皮膚も少しですが柔らかくなっています。次回いらした時の変化が楽しみです。最後に足を揉みほぐして終わりました。笑いあり涙ありで、とても楽しい2時間半でした。ゆっくり眠れるといいなと思います。
2008.05.03
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今日は『光と私』について書いてみます。私(自分)自身が光そのものということ・・・『観る』ということを成立させているもの。それが光。『私(自分)』は、手前(今)のものと奥のもの(過去・未来)を同時に観る(認識)することが出来る位置(立場)にいるということを感じてみて下さい。今、過去を振り返ることも可能だし、未来に思いを馳せることも出来る。それは、本当は永遠と瞬間が同じものになる光(光速度)だから可能な話なんです。永遠(過去・未来)と瞬間(今)が同じものだとすると、光の世界では本当は時間は過ぎていないですよね。過去と現在と未来を“今”認識できる『私』の意識は、『観ること(観えてるもの)』そのもので、実は観るものと観られるものの間にあって、つまりそれは光と同じものだということ。時間がそのようなものであれば、裏表にある空間もまたそのようなものになってしまいます。つい、『視覚』にごまかせれてしまいますね。人間の目の前(知覚正面)はモノの世界。後ろ側(後ろの正面)は意識の世界。『親の背中を観て子は育つ』というのはそんな意味です。2013年、『私(自分)』が私自身の意識の位置に気づき、ごまかされていた視覚が感覚ごと変化し、鏡(鏡像)が開いて『後ろの正面(実像)』が観えてきます。問題は感謝に変わり、すべての二元対立はその意味を失くし、後ろの正面・・・それは『あなた』だということがハッキリと認識できる世の中に変わっていきます。もう遠くもないし、そんなに難しいことでもないような気がします。そんな日が来るまで、目に映る辛い方々を少しでも楽にしてあげられればいいなと思っています。私自身は、今のこの三次元がとても素敵で大好きです。分離しているからこそ抱きしめられるし、温もりを感じることも出来る。生まれてきたこと、そして多くの出会いがあり別れがあり、今こうして生きてるということそのものが一番素敵なこと。嬉しいことに、彼女と東京で一緒に住むことになりました。いつも一緒にいるのが一番です。大切なのは心の中心。それは、純粋に素直に思う気持ち。その気持ちさえ溢れてくれば、それを自分で止めることさえしなければ、認識システムそのものをひっくり返し、反転した意識の位置に気が付き、それを感覚化させることはそんなに難しいことじゃないと思います。2001年の激ヤセから始まった神秘体験はたくさんのことを教えてくれました。食は人を良くするということを。それは、決して体だけのことではなく、意識の進化を伴うということ。緑は創造の方向性、赤はその反映。緑は、植物・葉緑素・アルカリ性・還元・マイナス・女性性・秩序・進化・創造の方向性を持っているから、野菜や果物は結果として健康になるということ。マイナスイオンが体に良いと言われるのはこのため。赤は緑の補色。赤は、動物・赤血球・酸性・プラス・男性性・秩序の反映・退化・破壊(創造の反映としての)の方向性を持っているから結果として体は錆び、病気化するということ。これらもすべて二元対立で成り立っていること。同じ年のイエスの磔けの体験からは、『人間は知らないから勘違いしてるだけ』だということ。分離が他人を生み出すことを。2004年、外側に作りあげたアイデンティティを自分自身だと思っていたそのアイデンティティをごっそり抜かれた時には、心の中心にある純粋に素直に思う気持ちには、この三次元世界のすべてを超える力があるということを。そして、そこには自己が存在しないことを。2005年の4月にロスコさんのセッションを受けることになりました。2005年の12月、目の前の三次元世界から放り出されて風景が奥行きのないペッタンコの平面になってしまいました。突然のことで驚き、全身に鳥肌が立ち、暫く動けませんでした。時計を観ても『今しか無いのに何が過ぎているのだろう・・・』と不思議でなりませんでした。同時に、重力の秘密を知りました。重さをかんじるのは意識がモノ化しているから。人間の意識がモノの方向に集中しているから質量に対する重さが反映されてくるだけ。意識の方向が反転すれば、質量はあっても重さを感じなくなる。そんな風にしてピラミッドは出来たんだと思います。自分を済ます・・・それは自分を澄ますこと。勘違いや癖に気付き、それらは不安から生まれた思い込みだということ。そんな思いを澄ましていく。『正直』と『素直』は違う。正直には澄んでなくてもなれる。不安や恐怖のフィルターがかかっていても正直にはなれる。素直は不安の手前にある思い。澄んでいないと感じられない。72という数を基本にして世界が動いてる。72×2=14414万4千人というのは、7万2千組の夫婦ということ。伝えたいこと、まだまだ沢山あります・・・・
2008.05.01
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あきる野市からいらしている子宮内膜症と、甲状腺(橋本病)と、糖尿病と、腎臓病を併発している女性も担当させていただいてます。初めてサロンに来て下さった時、体中がむくんでいて、特に足が酷くて膝と足首がなく、丸太のような、象のような、ホントに『滅茶苦茶』という表現しかないような状態でした。あんな足を初めて見ました。十数年間も、15錠ずつ毎日飲んでいた病院からの薬ですっかり体が参ってしまい、薬を飲んでもオシッコが出なくなっていて、病院でもそれ以上手の施しようがないような状態だったそうです。私はもう元気になれないのかな・・・。初めて来られた時、ずっとそんな言い方をされていました。一回目の施術後から、自ら薬を一切止められました。それほど施術の効果を実感されたのです。薬を飲んでも出なかったオシッコが、毎日大量に出るようになり、体が軽くなっていきました。むくんだ足に触れると哀しみがいっぱい詰まっていて、私自身、施術中涙が止まりませんでした。2回、3回と施術を重ねていく内にむくみが取れてきて、パンパンだった足に足首が出来、軟らかくなってきました。好転反応も出るのですが、だからと言ってこれまでの病院と薬を続けても何も解決しないことが痛いほど分かっておられるので、そのまま過ごし、乗り越えて下さっています。先週の月曜日で7回目でしたが体質が変わり始めていて、痛みを感じるようになり、ようやく抜けやすい状態になってきました。更に楽になられ、少しずつ無意識に抑圧した感情が動き始めています。その日は、小学3年生の息子さんと一緒に来られていました。電車や地理や読書が好きで、よく喋る元気で賢い少年なのですが、学校で虐められてるそうです。大丈夫。その経験が感謝の変わる時がきっと来るから、必ず来るから。そう思いながら彼の話しを聞かせて頂いてました。本当に素敵な時間でした。明日、8回目の施術に来られます。
2008.04.27
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今、乳がんの女性を担当しています。そのかたは、脊椎の圧迫骨折と両手のリウマチも併発されていています。これまで健康には気をつけて来られて、塩分も控えめに、サプリメントなんかもたくさん摂っておられました。それが裏目に出たのでしょうか。塩分や水の控えめは、細胞の機能をとことん低下させていきます。今は、出来るだけサプリメントは止めて頂くようにして、孟宗竹の抽出液を大量に摂りながら水と塩を増やして頂いています。その上で、御申杖療法に足心法を加え、チャクラも整えながらリンパを流し、身体を強力に還元し、蘇生していっています。手術をしなくて済むように、まだまだ長生きできますように・・・。どうやらその願いを叶えられそうです。酷いアトピーのお客さんが、今しっとりとして綺麗な肌に変わりました。何処へ行っても弛まなかった肩こりが弛みました。病院でもお手上げだったむくみが、オシッコが大量に出るようになり解消しました。酷い花粉症もその場で止まります。リウマチも改善しています。辛い方々の確かな心のともし火になれればいいなと思っています。
2008.04.24
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カウンセリングという仕事の中でクライエントの身体の緊張をほぐすということはとても大切なことです。悩み、ストレスを抱えていらっしゃる方々は皆さん一様に身体をこわばらせ、緊張しているのです。涙が止まらなくなる方も自分の思いを言葉にすることが出来ない方も興奮して言葉が後から後から溢れるように出てとまらない方もそれは一種の脳の緊張から来ています。そんな時脳幹のリラクゼーションを施すと大抵の方は驚くほどに穏やかになります。涙も自然と止まり言葉も滑らかになったりします。そのまま眠ってしまう方もかなりいます。身体の緊張・・・コリを取り除くことをすることもあります。足つぼのマッサージをするだけでも滞っていた気が流れていくそれによってずいぶん心の緊張も取り除けたりします。そして、御申杖(ごしんじょう)を施したりもします。初めてきく方も多いでしょう。長さ約10cmほどの純金の棒(2本)で皮膚を撫で擦ったり、押さえたりする施術です。現代人の体には、携帯電話や家電製品などによる生活環境の中の悪影響(電磁波・化学物質・他)により、体の中では体内にかなりの過剰の電磁気エネルギー=邪気が溜まっています。それが様々な病気(痛みやアレルギー、冷え、婦人科系その他あらゆる病気)の引き金、要因となっているのです。その身体に停滞している邪気・電磁波をごしんじょうを使い体外に流し、体内の氣の流れを本来の正しい気(エネルギー)の流れにするのです。これにより細胞が正常に働ける環境を作ります。身体を細胞レベルで改善させていく・・・そして身体をまず健康な状態に戻す。それが心の健康を取り戻す時にまず必要になってくることだと考えています。
2008.04.22
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TBSのイブニングファイブというドキュメンタリー番組の小説化で、今ベストセラーになっています。国立がんセンター中央病院での出来事でした。乳がんの切除手術のあと肺に転移し、2007年5月6日、ゴールデンウィークの終わりとともに27歳という若さでこの世をあとにされました。現代医療の限界・・・という言葉がでてきます。わずか12日前にチャペルで笑顔を見せていた娘の苦しみに悶える背中をさすりながら、本当にこの手にハンドパワーがあれば、娘を少しでも楽にさせてあげられるのに・・・。そう言ってお父さんはご自身を責められました。
2008.04.16
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まだ40年しか生きていませんが、こんな風に思い返してみると、上手くいっていた時よりも、自分探しに押し潰されてしまいそうだった時や、これ以上先に進めず立ち尽くしてしまった時の、寒い冬の夜に新聞を配りながら見上げた星空や、恥ずかしい思いや情けない思いをたくさんしていた頃の自分の方が思い出深いですし、愛おしいです。自分のことを済ませ、自分自身になっていく中で、どうでもよくなることがたくさんありました。それまでこだわっていたこと、それがないと自分を感じられなかったもの、周りの方々の言動や癖、人の目、常識、世間体、法律、ルール、マナー、その他にも様々なことがどうでもよくなりました。『どうでもいい』と云う意味は、要らないと云うことではなく、自分に影響を与えないと云う意味です。自分が自分自身であればよくて、ルールやマナーといった倫理感や道徳心と云うものは、人間力の向上と共に言われなくても自然に身についてきます。それは、相手(自分)の気持ちがより理解出来るようになると云うカタチで現れてきます。それが『寄り添う』と云うことだと思います。タオの対極図のように黒が白に寄り添い、白が黒に寄り添うこと。あなたのことをまるで私のことのように感じられるようになるには、また、世の中の“他人事”が少しでも減っていくには、まず自分自身になることが大切だと思います。成功も、地位や名誉も、そして、今言われているような幸せや豊かさのカタチでさえも、人間に与えられた役割の本質からみれば、意味のあることではあるにせよ、さほど重要ではありません。真実の宇宙は心の方向にあると云うこと。まず、自分自身になること。大切なことは自分自身に向かうことだと思います。自分の中の不安や恐怖に向き合ってみる。自分の目の前(人生)から逃げない。自分の人生を“お役所仕事”にしない。決して相手次第の人任せにしないこと。自分で考えて、本気で生きてみる。威風堂々と地に足を付けて生きて行く。タオの対極図のように黒が黒になること、白が白になることが大切なのであって、決してグレーになることではありません。素直になること。それは、自分が自分自身になることです。自分の中の不安や恐怖と対峙する時、その時初めて地に足が付いてくるのではないでしょうか。
2008.03.31
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カウンセラーをやられてる方のカウンセリングをよくします。分かりやすいと大好評です。いま、人間関係で困ってらっしゃる方、ウツが酷い方、生きずづらくて仕方ない方、もう終わってしまおうと思われている方・・・また、ダイエットやアレルギー、病院へ行っても良くならない症状など・・・誰に相談しても手応えを感じられない方。お気軽にご相談ください。詳しくは、メッセージを入れてださい。
2008.03.30
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『気持ちを澄ます』と云うことは、出来ないと思い込んでいた自分に向き合い、不安や恐怖と言った気持ちを自ら超えていくこと。言い換えれば、そのままの自分を認めること、受け入れることでもありました。成りたい自分になり、随分変わったように思えていた自分と云うのは、実は、より素直な自分だったり、“判断”や、それによって“評価”しなくなった自分だったり、“評論家”ではなくなった自分だったりと、それまで気付かずにかけていた色メガネを外した自分でした。好きでこだわっていたことも、自分の中では意味はあってもさほど重要ではなくなり、どんどん手放せるようになりました。自分が自分でありさえすればいい。何者になる必要もなく、何者でもない自分が一番自由で、一番心地のいい自分でした。自分を大切にすると云うことは、このまま(個のまま)でいいことに、また、そのまま(素のまま)でいいと云うことに気付くこと。ありのままに表現して、あるがままに受け取る。まだ40年しか生きていませんが、こんな風に思い返してみると、上手くいっていた時よりも、自分探しに押し潰されてしまいそうだった時や、これ以上先に進めず立ち尽くしてしまった時の、寒い冬の夜に新聞を配りながら見上げた星空や、恥ずかしい思いや情けない思いをたくさんしていた頃の自分の方が思い出深いですし、愛おしいです。
2008.03.24
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2回目、3回目と施術を重ねていく内に、どこをどれだけ強く揉んでも気持ちいいくらいでしかなかった体が少しずつ弛みだし、次第に痛みを感じるようになってきました。腰の痛みはかなり楽になり、おりものも少なくなりはじめました。お尻の筋肉がかなり凝っていました。腰とお尻は御申杖もしっかりやり、入念にほぐしていき、リンパにも時間をかけて流しました。ホントに気持ち良さそうです。あれだけ大変そうだった子宮脱でしたが、ひと月ほどで子宮が落ち着いてきて、ふた月ほどすると、なんと子宮を中から持ち上げていたリングを外すことができました。リングが外れた後は、足やお尻のリンパを流すとダイレクトに子宮に響くようになり、子宮がブルブル震えながら上がっていくようで、本人もビックリされていました。その頃になると、あんなに痛かったのが不思議なくらい足裏の反射区も痛くなくなっていました。
2008.03.20
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『11月の終わりにもう一度検査をして、手術することになりそうなんだけど、私手術したくないの』 去年の9月に、子宮脱で大変だった女性を紹介され、それから3ヶ月間、毎週日曜日に出張施術に行かせて頂くことになりました。 その女性は、商売をされていて勢いもあり、とても楽しいかたでしたが、体はトコトン錆びていました。体を観ていくと、首や肩や腰がパンパンに張っていて、まるで鉄板のようです。『肩は年中凝っていて、いつも朝起きると腰が痛くて、数十分ほどゆっくり動かしてからじゃないと起きあがれないの』と言われる通り、この肩と腰だとそうだろうと納得できます。確認の為に足裏の反射区も観てみました。どこの反射区も少し触れるだけで痛くて、もう片方の足で私の手が蹴られてしまうほどでした。食事内容を聞いてみると、油のバランスも悪く、病気になって当たり前のようなメニューでした。とりあえず、酸化した体を還元するように、出来ることから改善して頂くようにしました。マ・ゴ・ワ・ヤ・サ・シ・イを中心にしたメニュー。マゴワヤサシイとは、豆・胡麻・ワカメ・野菜・魚・椎茸・芋の頭文字で、分子栄養学に基づく体質改善メニューです。このメニューは、私自身が2001年に2ヶ月で26kgものダイエットをし、体のあらゆる不具合が改善していったメニューです。その上に、マグネシウムをリンゴ酢で吸収しやすくしたもの180種類以上の栄養素の入ったノニジュースあらゆる炎症を鎮める亜麻仁油強力な還元力や細胞を修復する力があり、ガン細胞の細胞膜に穴を開け白血球が入れるようにして、ガン細胞をも消滅させてしまう孟宗竹の抽出液 その抽出液で作った自然塩・・・なんかを足して頂き、体の中から強力に還元していきました。外からの施術では、まず御申杖(ごしんじょう)療法を全身に施していきます。御申杖とは、純金でできた鍛造こしらえの10センチ程の棒状の鍼です。御申杖で少し擦るだけで、体がどのくらい錆びているのか直ぐに分かります。その御申杖を使って、体の中に溜まった余分な電磁気エネルギーを抜き、全身を一気に還元していきます。御申杖と平行して按摩、指圧、マッサージ、リンパドレナージュ等を施していき、最期に足裏の反射区から刺激を入れていきました。鉄板のような凝りは、そのまま揉みほぐしてもなかなかほぐれませんが、御申杖をしながらだとほぐれていきます。しかし、ここまで硬くなった筋肉はほぐれるというより、破壊されていくように弛んでいきます。私は握力がかなりある方で、どんな凝りもほぐしていくのですが、どこをどれだけ強く揉んでも『気持ちいい』というくらい凝っていました。詰まり気味だったリンパもどんどん流していき、御申杖で滞らないように抑えていきます。腰や足、また子宮に近いところはとくに流れていませんでした。足裏の反射区は、少し触れただけでも痛く、子宮の反射区は特に痛そうでしたから、刺激を入れるというよりとことん揉みほぐしていきました。最後に整体で骨を整えます。うつ伏せ、仰向け両面で約2時間。1回目の施術で、あんなに酷かった朝の腰痛がかなりマシになったようで、楽になったととても喜んで下さいました。それでも、まだ大量のおりものがあり、トイレでは子宮が降りてきていました。・・・明日へつづく
2008.03.19
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自分がやりたかったことで出来なかったことは一つもありませんでした。あんなに難しく思えていた『この道一筋』の職人技も、やり始めればまるで自分と隣り合わせになっていたかのように近くにあって、次第に何でも出来るようになっていきました。また、技術を得るのに、一般に言われる程の時間はかかりませんでした。社長の技術を抜いて自分にお客さんがついてくると『独立したらどう?』なんて言う声が聞こえてくるようになります。好きなことではありますが、独立をしてやり続けていく先に自分の求めているものってあるのかな?・・・とイメージしてみても何もありませんでした。『今やりたいことをする』、『好きなことを趣味のままにしないで、実際に仕事として真剣に取り組んでみる』・・・そう思ってやっては来ましたが、その先に何かあるのかな・・・?。その頃はそんな風に考えるようになっていました。そして、『成りたい自分』にもいつの間にか成っていました。『成りたい自分』それは、何でも出来る便利な自分。また、いつでもその用意がある自分でした。『もう充分』自分のことが分からなくて、手探りで生きて来ましたが、色んな気持ちを済ませてくると、自分の為に生きるのはもう充分なような気がしてきました。自分が求めるより、誰かに求められるままに生きてみてもいいのかな・・・。人の為に生きてみてもいいんじゃないだろうか。そんな風に思えてきました。気持ちが済んでくると心が澄みます。そして、耳を澄まして心の声を聴くことが出来るようになります。こんな便利な自分は誰かの為に役に立つのではないだろうか・・・そう思うようになっていました。父が許してくれるなら、今の自分で改めて父の仕事を手伝ってみようと思いました。育っていなかった情緒をもう一度自分で育て直してみて、今の自分は父にどれだけ通用するのか、本当に親離れ出来ているのか、自分の実力はどの程度なのか試してみたくなったのでした。その頃には、世間様に『親の七光り』と言われても、『そうなんです、ホントに有り難いことなんです』と素直に言えるようになっていました。
2008.03.18
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皆に迷惑をかけ、独り立ち尽くしながら、それでも小田さんの詩の世界をそのまま生きてみました。詩の世界(理想)と現実とを区別せずに生きてしまいました。やり残したことを済ませ、今やりたいことをしてみる。感じるままに、思いのままに。評論家になって人の作品の批評ばかりする前に、自分を見つめて自分の作品(自分自身)を作ってみる。自分のやりたいことをしようとする時、『素人なんか使えない』・・・そう言って断られることが何度もありました。ある会社で雇って頂くのに、半年間、断られても断られてもお願いに行ったこともあります。半年後に社長はOKを出してくれました。動かない『人の心』はないのではないでしょうか。一人前になるまでに何年もかかるような職人技にも素人から何度も挑戦してみました。畑違いのこともやってみました。いつもド素人からでした。失敗するのも叱られるのも次第に慣れてきました。叱られていたことは、後になってとても大切なことだったんだと気づきます。叱られればいい。叱られている内が華でした。
2008.03.17
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1980年、中学2年生の時に出会ったオフコース。どこまでも伸びる澄みきった声と、誇り高い小田さんの生き方が大好きでした。以来ずっと聴き続けて来たオフコース。小田さんの詩の世界が生き方のお手本でした。曲の中で小田さんは、◆自分の感じたものを信じて、それが自分だから◆素直になって心の声に耳を澄ませて◆今あるものを例え全部失っても◆最後まで愛の行方を見届けて◆例え独りぼっちになったとしても◆誰かが見てるから、きっと誰かが見ていてくれるから大丈夫◆今は何も心配しないで◆だから素直になって・・・こんな風に歌ってるように感じました。小田さんはそう言うけど、現実にはとても耐えられないなぁ・・・。『素直になれ』と言うけど、実際に素直になると大変だなぁ・・・。周りの同級生達を見ていると、結婚して子供が出来、いい車を買い、家を建て始めてる人もいました。クラス会や同窓会に行ってもみんな立派になっていました。自分は離婚をし、会社を辞め、学生時代の彼女に突然会いに行ってプロポーズをして振られ、今は独り新聞配達をしながら毎日缶コーヒーを一本買うのが精一杯。今からではとても追い付けないだろうな・・・。何もかもが遅すぎたのかな・・・。そんな風に思いました。お金もないのに小田さんのコンサートへ独り行きました。夏の終りの野外コンサートでは、小田さんの高い声がたそがれ空に突き抜けていくようです。ステージの上で歌う小田さんを見つめながら、『小田さんの言う通りに生きてみたけど、辛くてたまらない・・・』そう思うと涙が止まりませんでした。家に帰るとまた新聞配達の日々が続きます。
2008.03.16
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でも働かないと食べて行けません。父の会社をあんなカタチで辞めたことで、世間では『親不幸者』で通っていました。ある時、それまでよく行っていた店に独りでご飯を食べに行きました。父の会社にいた頃はチヤホヤされていましたが、辞めてからは店主は目も合わさず、相手にしてくれませんでした。親が言っていた『世間』ってこう云うものか…とその時思いました。新聞配達をすることにしました。どこへ働き口を求めても『あの会社の息子』だと云うことで余りいい顔をされないので、皆が寝ている時間に働くのが迷惑にならないと思い、新聞配達にしました。配達だけでは食べていけないので、チラシも入れ、集金にも行きました。配達先は目いっぱい増やしました。配達はホントに速かったので、全国的に見ても相当配っていたと思います。チラシを入れるのもトコトン速かったです。速くしないと配れませんから。集金に行ってくると、その場で現金で集金代を貰えます。それが有り難くてよく行ってたのですが、集金に行くと、父の会社にいて偉そうな顔をしていた当時に喧嘩をしたり殴ったりした相手の家だったりして、穴があったら入りたいような思いを何度もすることになりました。配達先に同級生達の立派な新築の家があったりして、いい車が停まっています。自分は何をしてるんだろう・・・。集金に行って貰った少しのお金で野菜を買ってきて、独りで鍋をして食べていると、知らずに涙が溢れていました。頬を伝う涙に気がついて、拭いながらそれを見ると余計に哀しくて泣けてきます。真冬の新聞配達の途中、真夜中のピーンと張り詰めた空気の中、自動販売機の前で、新聞を満載してスパイクタイヤをはめて頂いた冬仕様のカブを停めてエンジンを切ると、シーンとしてホントに静かでした。毎日一本だけ買うことが出来る缶コーヒー。それ以上は赤字です。暖かい缶コーヒーを飲みながら満天の星空を見上げては、『自分はこのままどうなってしまうのかな…』と、いつもそんな思いに押し潰されそうになっていました。そんな時、頭の中ではいつも小田和正の歌が繰り返されていました。
2008.03.15
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『気持ちを済ます』またあの声が聞こえたような気がして、苛なまれながらも、まず、やり残したことを済ませてみよう…そう思いました。彼女への思いも澄んだわけだから、済ませて行けば進めるんじゃないか・・・。そう思って、『今さらこんなこと…』と思うようなことも自分で自分を裁かずに思い切ってやってみることにしました。恥ずかしいことも、情けないことも、もしかして迷惑をかけることになってしまうかも知れないようなことも全部です。 落書き帳を用意して、何をやり残しているのか、今すぐに出来ることは何なのか等、片っ端から書き出して行きました。そして、一つずつやってみることにしました。書き出したことを実際にやってみると気が済んでしまい、どうでもよくなることがたくさんありました。でも働かないと食べて行けません。父の会社をあんなカタチで辞めたことで、世間では『親不幸者』で通っていました。
2008.03.14
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『今』を感じれるようにはなったものの、嘘の上に築き上げてきた自分は、素直になってみると何もありませんでした。まさしく『自分がない』状態です。今は、『自分探し』なんて云う言葉もかなり一般的に理解されるようになりましたが、90年代の前半にそんな話しをしても世の中はバブル景気に湧いていて、私が知らなかっただけかも知れませんが、周りはそれどころではないような状況でした。『自分を探すより土地を探した方がいいんじゃない?』みたいなノリで、『素直に生きる』ことなんて受け入れられるような状況ではありませんでした。 素直になってみたものの、世の中から独り取り残されたような自分は、何をしていいのか分からなくなっていました。そして、何もない自分・・・。詰まらない生き方・・・。そんな自分に向き合うことになってしまったのでした。素直になったとは言え現実が見えてくると、離婚などと云うとんでもないことをしてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまったと毎日のように苛まれました。 詰まらない自分が皆に迷惑をかけて来ただけの人生。何の価値もない自分。自分のしてきたことが滑稽で情けなくて、そんな思いに押し潰されてしまいそうで、失くなってしまいたいばかりでした。何がやりたいのかも分からないまま仕事も辞めた為にしばらくプー太郎の日々が続くことになり、そんな状況もたまりませんでした。
2008.03.13
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次の日、不思議なことが起きました。“あの頃”のままずっと動かなかった心が、彼女と別れてから昨日までの10年弱の年数分一気に動き出しました。まるで走馬灯のように、“あの頃”が当時の本来ある記憶の位置までバックしていきます。頭の中で何が起こっているのか分からないくらい、『うわ~…』って思うくらいに過去が過去になって行きます。何という感覚でしょうか。昨日まであんなに懐かしかったあの曲を聴いても今はもう涙が出て来ません。懐かしささえどこかへ行ってしまったようにおぼろ気になってしまいました。『・・・気持ちを済ます・・・』・・・ふと自分の中から声が聞こえたような気がしました。気が済むってこう云うことを言うんだ・・・。これが『今』なんだ・・・。やっと『今』を感じれるようになったんだ・・・。本当にそう思いました。そして、それは確かな感覚として実感を伴うものでした。
2008.03.12
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プロポーズをしました。もうすぐ結婚する相手がいるから受けられない・・・と言われました。でも、いま独りなら・・・とも言ってくれました。嘘だとしても嬉しかったです。あっという間に時は過ぎて、別れる時間が来てしまいました。手紙を渡すのは止めようと思いましたが彼女が『見つかったらどうしよう…でも欲しい』と言ってくれたので渡すことにしました。『捨てられない…』とも言ってくれました。彼女を見送った後、とても爽やかな気分でした。これで終わった・・・。ホントにそう思えました。次の日、不思議なことが起きました。
2008.03.11
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彼女が出ました。随分声が低くなってるように感じました。『久しぶり』と挨拶をした後、すぐに本題に入りました。そして、会ってくれることになりました。ちょうど彼女も結婚をする前だったので、もしかしたら彼女にとってもいい時期だったのかも知れません。久しぶりに会う彼女は随分変わっているように感じました。時間が余りないようだったので、伝えたいことは手紙にしておきました。彼女としか出来ない“あの頃”の話し。二人で過ごした思い出の日々。そんなことを時間を忘れて話しました。当時のことを意外と彼女の方が覚えてくれてたりして嬉しくなりました。付き合ってる当時に私が作ったオフコースのカセットテープを、私が書いたインデックスカードのまま車の中に置いてあったりして、改めてそのテープを二人で聴きました。何年ぶりかに再会するあの頃の自分の字と、当時一生懸命に録音したカセットテープの音。本当に懐かしい…。嬉しいことに、彼女は私が一番好きな曲も覚えていてくれていました。プロポーズをしました・・・。
2008.03.10
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友達に、彼女が今どこで何をしてるのか探して貰いました。それまでは、こんな話題(今でも彼女のことが好きなこと)を友達に話すことさえ出来なかったのですが、正直に打ち明けました。しばらくして連絡先が分かりました。彼女の職場の電話番号でした。当時は携帯がありません。分かったもののイザ電話をかけるとなるととても時間がかかりました。電話をかける手が震えます。『やっぱり止めようかな…』何度もそう思いました。でも、『ここを通らないと自分は先に進めない』『“あの頃”のまま止まってしまった心が一生動き出さない…』そう何度も思い直して、とうとうかけることにしました。彼女が出ました。
2008.03.09
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離婚となるともちろん親は反対しました。また、会社を辞めるとなると親戚中が心配しました。当たり前ですし、とても有り難いことだと思います。何度も説得されました。『結婚てそんなもの』『親の七光りで車のことしか知らない、何の実力もないお前が会社を辞めてどうする?』『通用すると思う?』『皆がお前と同じように好きなことをしたらどうなると思う』『誰しも我慢をして生きてるものだよ』色んなことを言われました。また、たくさんの方々が『今の生活を維持する為には、また、今の人間関係を維持する為には、ある程度の妥協は仕方がないだろう…』と20代の若い私に言って下さいました。そんな優しい思いを振り切って『彼女さえいればいい』『このまま嘘をつき通すよりマシだ』…そう思って、それまでのすべてを投げ出す覚悟で離婚届を提出し、彼女に会いに行きました。自分の意見に賛成なのは自分だけだったので、この先どうなってしまうのか不安で不安でたまりませんでしたが、当時はもう戻ることさえ出来なくなっていました。
2008.03.08
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ずっと素直じゃなかった自分。大好きだった“あの頃の彼女”と、ずっと一緒にいたかっただけの自分。本当はただそれだけでよくて、それ以外には何も望んでいませんでした。その素直な自分の気持ちをごまかす為だけに作り上げてしまった外側の世界。嘘ばかりで本当に自分勝手で我が儘な生き方でした。でも、当時の自分にはどうしていいか分からなかったのです。『結婚て、人生ってこんなもの…』でももう、それも限界で、これ以上自分に嘘をつき通せなくなっていました。『このまま一生自分に嘘をつき通せない…』本当にそう思いました。今ならまだやり直せるんじゃないか…。そう思い、それまでの自分をここで一度ご破算にすることにしました。離婚をして会社を辞めて…。思ってはみたものの20代の自分にとっては簡単なことではありませんでした。『自分は取り返しのつかないことをしようとしてるんじゃないだろうか…』『こんな自分勝手なことが許されるるんだろうか…』『親が悲しむことになりはしないか…』『このまま人生の落伍者になってしまうのではないだろうか…』そんなことばかり考えてしまい怖くて怖くてとても決心出来ませんでした。 『このまま自分さえ我慢していれば全部丸く収まる…』『ワザワザ蒸し返さなくてもこのまま当たり障りなく過ごして行った方がいいのでは…』恐怖を前にするとそんな思いも自然に湧いてきます。しかし、どうしてもごまかし切れなくなり、とうとうその時はやって来ました。
2008.03.07
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高校生の頃から自分のことが分からなくなり、好きな気持ちもまるで中途半端なままに結婚までしてしまいました。してしまった以上、簡単に別れられないのが『結婚』で、何とか楽しいことを見つけてはやり過ごし、何故かいつもイライラしている自分をごまかしながら、都合のいいプラス思考で“その場しのぎ”ばかりの結婚生活だったように思います。もちろん楽しいこともたくさんありましたが、どんどん楽しめなくなっていきました。仕事がある日はいいのですが、休みの日が辛く感じるようになりました。休みの日は二人で何かをしたいわけではなく、自分一人の時間として使いたい。一人の時間がないと余計に色々やりたくなったりして、休日を二人で過ごすのがとても億劫になりました。仕事の日も自分をごまかすので精一杯で、毎日ヘトヘトに疲れてしまい、休日は昼になっても起きられなくて、しかし、それでは嫌味や文句を聞くことになり、それが嫌で、二人で何かしたいことがあるわけでもないのに無理をして起きたり、詰まらない休日の終わり方をすると情けない男のように思えてきたりして、何をやっても気持ちの辻褄が合わなくなっていました。当時、『そろそろ子供は?』と周りからよく聞かれました。しかし、親離れも出来ていない自分がまだまだ子供で、子供が子供を育てられないと思い、とても作ることが出来ませんでした。大好きだった彼女と過ごした“あの頃”のままで止まってしまった心の時計。“あの頃”を思い出させてくれるようなものに触れるととても懐かしくて、その瞬間だけは生き生きしていた頃の自分に会えるような気がして嬉しくて、いつまで経っても“あの頃”から何も成長していない自分がいました。そんな自分に気づかれたくなくて、当時は誰に対しても必死に隠していました。自分の本心に向き合ってしまうと、作り上げた『今』が壊れてしまいそうで怖くて、外に敵を作っては評論家気取りで文句ばかり言うようになっていました。父は商売をしていますが、その商売のやり方や考え方が嫌で、父に批判的な社員と一緒になって文句を言ったりしていました。そして、いつの間にか政治や世界情勢まで評論してしまう始末でした。
2008.03.06
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同じ時期、父の車を無免許で夜中に持ち出し、160km/h近いスピードでカーブを曲がり切れずに10m程の土手からガードレールを突き破って飛び出してしまい、そのまま30m以上車ごとダイビングしてしまう事故を起こしてしまいました。車はスクラップになりましたが、奇跡的に体は無事でした。多感な17歳の自分に、虐めと失恋と死にかけた交通事故は荷が重くて、簡単に自分のことが壊れてしまいました。気が付けば何も決められない自分、どうしていいか分からない自分になっていました。こう云う状態を“優柔不断”だと云うことに気が付くまでに壊れてしまった17歳には随分時間がかかりました。好きなものがあんなにハッキリしていた自分。何を観ても、何を聴いてもキラキラ輝いていた頃が懐かしいと感じてしまう高校生。17歳にして自分の人生が終わってしまったようでした。何も決められなくなった自分は、いつの間にか自分の気持ちを相手に合わせるようになっていました。『これが面白い』と言われれば自分も面白いフリをして話しを合わせ、誰かが『こっちがいい』と言えばそちらを選んで、哀しくても、寂しくても何も感じないフリをして強がって、本当は人に頼りたいし甘えたいのに平気なフリをして、何でも自分でやるようになっていました。生き生きとした自分を感じることが出来なくて、今の自分を平静に保つことで精一杯で、当時の自分にはこれ以上どうしていいか分からなくて、自分をごまかすことばかりが得意になっていきました。20代の始めに一度目の結婚をしました。当時の私は何もかもが中途半端で、結婚についても同じだったと思います。あの時、誤解が解けずに別れてしまった彼女のことが忘れられなくて、でももう二度と誰かのことをあんなに好きになれることはないだろうな…と諦めていました。結婚した彼女のことは好きでした。でも、あの時の彼女ほどではなく、それでもその時の自分には、その程度の『好き』と云う気持ちが精一杯でした。
2008.03.05
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自分の素直な気持ちにずっと嘘をついてきてしまい、とても生きにくかった20代の中頃、それ以上先に進めなくなり、一度目の離婚をして父の会社を辞めました。ここで、これまでの人生をご破産にしてリセットしようと思ったのです。中学生の時に初めて付き合った彼女がいました。同じクラスで同じ班、隣の席で名簿の順番まで同じで、何もかもが当時の自分にはピッタリでした。彼女のご両親に反対されて、二人を別れさせる為に、彼女は高校は遠く他府県の学校へ親戚の家から通うことになり、高校生でいきなり遠距離恋愛になってしまいました。 私は高校を卒業して彼女と早く結婚したかったので、すぐに就職出来るように技術を身につけようと工業高校へ進み、大好きだった自動車の勉強をすることにしました。高校に入ってしばらくして、私は虐められるようになりました。それまで友達も多く、どちらかと言えば何でも先頭を切ってやっていたような自分がまさか虐められるなんて思いもしなくて、どんどん自分のことが分からなくなりました。毎回昼休みに寄ってたかってはボコボコにされます。午後から授業に出られないくらいでした。友達が一人、また一人と減っていきます。いつの間にか忘れ物をしても借りる友達もいなくなってしまいました。 当時は金八先生の時代で、全国的に校内暴力が問題になっていて、今のように生徒間の虐めはまだ取り上げられていませんでした。時を同じくして彼女とも別れることになりました。遠距離で誤解が解けなくなった為でした。大好きなまま別れてしまいました。
2008.03.04
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2008.03.03今日からブログを書いてみることにしました。もう7年も前のことになります。2001年にある人の紹介で毛髪分析のカウンセリングを受けました。そのとき『分子栄養学』というそれまで聞いた事もないような知識を紹介され、何故か素直に受け入れ、その内容をとりあえず実践してみたところ、2ヶ月で26kgもの減量が出来てしまい、自分のことながら驚いてしまったことがあります。気が付くと、80kgあった体重があっという間に54kgになり、3Lだった服のサイズがMに、91cmあったウエストが71cmになりました。余りの激変ぶりに自分でも何がなんだか分からなかったのですが、1週間ほどすると、毎朝ズボンを履く時にベルトのバックル部の方をバラし、約1cmずつ詰めていくのが日課となりました。周囲からは癌か糖尿かと疑われるほどの変化で、よく太っている人が一気に痩せた時に皮膚がたるんだりするそうですが、そんなこともなく、また途中で止まることもなく、そのまま一気にマイナス26kgまで見事に落ちていってしまいました。始めのうちはウエストの変化ばかりが気になっていたのですが、毎日入るお風呂の中でふと気が付くと、肌が透き通るように綺麗になっているのが分かりりました。『なんて綺麗なんだろう』・・・お風呂に入る度に男ながらに手をかざして見とれていました。変化はあらゆるところに及びました。体重、肌、爪、髪の毛、体毛、体臭、口臭、汗、便・・・等が見る見る変化していきます。体重は落ち続け、肌は透き通り、爪はしっかりして、体毛が減り、髪の毛が一気に増え、知覚過敏が治り、歯はガチガチになり、花粉症やアトピーといったアレルギーもなくなり、体臭や口臭がしなくなり、いくら汗をかいてもワイシャツの襟元が汚れなくなりました。大便時に紙がほとんどいらなくなるほどにスムーズに出て切れ味もよく(笑)、あんなに酷かった花粉症や水虫が治り、全力疾走をしても息が上がらなくなり、自分は一体何歳なんだ?と思うくらい一気に若返ってしまいました。たった2ヶ月での出来事だったので周囲が信じられないのはもちろんですが、自分自身でも本当に信じられませんでした。2ヶ月くらい会わない知り合いのかたなんて普通にいて、この前会った時には丸々していたのが、次に会った時にはもやしのようになっているわけですから、変な病気と勘違いされ、会った途端に後ずさりしていくかたも実際におられました。また、私自身ダイエットをしたかったわけではなく、ただ元気になりたかっただけだったので、日に日に落ちていく体重に自分でも何かの病気じゃないか・・・と思ったくらいでした。一気に落ちたにも関わらず、よく言われるような皺やたるみになることもなく、それどころか肌は透き通り、走り回っても息一つ切れなくなり、古傷まで気にならなくなった体はとても軽くて心地よく、食事というのは身体や心にこれほどまでに影響を与えるものなんだ・・・と心底感心させられました。
2008.03.03
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