天の王朝

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出雲族と大和族の話(パート2)


天狗族はどうなったのでしょうか。私には、一部の縄文人たちとともに山奥に逃げ延びて、そこに籠っていたように思えます。彼らはそれぞれ独自のネットワークを形成。縄文人たちの中には、サンカとして生き延びた人たちもいたのではないでしょうか。

天狗族の天空飛行の技術は、大和族に奪われることはなかったのでしょう。ただし、7世紀には役行者のような人物が山から出てきますから、ごく一部の修験者に技術が伝授された可能性はあります。役行者や一言主を天狗族とすることもできるでしょう。源義経に剣術を教えたとされる鞍馬山の天狗も天狗族でしょう。

そういえば、竹内巨麿も鞍馬山の奥にある大悲山で、神霊から飛翔の術を授かったり、神代文字を読めるようにしてもらったりしたと巨麿伝に書かれていますから、神霊が天狗族であったかもしれませんね。いずれにしても天狗族(羽根族、白鳥族、天空浮船族)は、日本の歴史からは消えてしまいました。

私が退行催眠で見たビジョンと、秋山さんの前世リーディングによって浮き彫りになった天空浮船(気球)族の謎もだんだん解けてきましたね。その話を武内宿禰さんにしたところ、私のビジョンの審神者(さにわ)をしてくれました。武内宿禰さんと言えば、審神者の「本家本元」でもありますね。

ここで審神者とは何か、簡単に説明しておきましょう。古代神道の祭祀において信託を受けた際に、その神意を解釈して伝える人のことを言います。元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り、神託を受けるために清めた庭のことを指したことからこのように言われるようです。仲哀天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)で神の命を請うたという記述が古事記に載っていることは有名な話です。

さあ、審神者の第一人者である宿禰さんの解釈を聞いてみましょう。
(続く)

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審神者の武内宿禰さんはこう言います。
「それは何世代にもわたる記憶の映像を見たのではないかと思います。最初ペルシャにいて、それから石を切りにエジプトへ渡り、そして日本に来て、日本で亡くなった。一人の人間の魂の記憶ではなく、三世代ぐらいにわたる一族の記憶のような気がします」

私が退行催眠で見たビジョンや秋山さんの前世リーディングでは、一人の人間が中東から日本に渡ってきて、日本で死んだことになっていますが、宿禰さんはそれが3世代ぐらいの記憶ではないかと言うんですね。面白い見解だと思います。

もしこうした話が本当だとしたら、私はおそらく原日本人の中の天狗族に属していて、一度中東方面に旅立ち、再び戻って来た天空浮船族の中にいたのかなとも思えてきます。

私が天空浮船(気球)に乗って中東から日本にやって来た(戻って来た?)のは、私の勘では今から約5000年前です。ちょうどそのころ、富山の尖山は古代ヒスイ文化圏の県庁所在地で、同時に東アジアの首都があったのだ、と宿禰さんは言います。正統竹内文書にそのように書かれているというんですね。そして尖山には、たくさんのラインが通っているのだそうです。

そのラインにはとても重要な意味があったと宿禰さんは言います。ライン上で同時刻に鏡を使って光通信を行ったのだそうです。と言っても、当時は鏡がありませんでしたから、磨き抜かれたヒスイを使った、とか。「太陽の反射を利用して、モールス信号のように通信したのだ」と言います。鏡には新潟姫川のヒスイが使用されたそうです。

私が見た「前世ビジョン」でも、私には日本各地を測量して地図を作製した記憶があります。羽根ライン、伊豆・下田富士のピラミッドライン、山岡町のピラミッド石と尖山ピラミッドを結ぶラインを「インスピレーション」により次々と「発見」できたのも、当時この測量に携わっていたからかもしれませんね。
(続く)

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宿禰さんの言うように今から5000年前に越の国の尖山に東アジアの首都があったのだとしたら、富山県などの北陸やその周辺(岐阜、新潟)にはかなり高度な技術を持った天狗族(天空浮船族)が暮らしていたのではないかと思うんですね。奥能登の宝立山、羽根海岸から60キロ離れた富山市の呉羽山、羽根神社に子午線を引き、さらには位山、岐阜県萩原町の羽根、愛知県岡崎市の羽根、そして赤羽根まで、総延長240キロの南北線である羽根ラインを作ってしまうような高度な測量技術です。

その子午線は、西から順番に白山、位山、尖山、下田富士を通る4本の経線であったのではないかと思います。天狗族の人たちは、この子午線を基準にして日本列島を正確に測量、地図を作製したのではないでしょうか。

まさか越の国にそのような文明が開けていたはずはないと思われる方もいるかもしれませんが、実は日本神話にはそのことを臭わす説話が残っています。その一つが記紀に記されたヤマタノオロチの神話、そうしてもう一つが『肯構(こうこう)泉(せん)達録(たつろく)』に残っている越中の伝説なんですね。
(続く)






番外
本当は書くつもりはなかったのですが、東北関東大地震があったので少しだけ書いておくことにします。

原日本人には、縄文人のほかに少数ですが天狗族、もしくは天空浮船族がいたのではないかとの説をご紹介しましたね。当然、この天狗族はどこから来たのかという疑問が生じます。私のインスピレーションさんは、彼らがアトランティスから天空浮船に乗って逃げてきたのだと告げます。

まだ検証していないので真偽のほどはわかりませんが、アトランティスは元々素晴らしい国だったみたいです。ところがある時期から、科学を「悪用」(編注:具体的に何をしたかは不明)するグループと、それを使わせまいとするグループの間で対立が起きたように思います。

やがて科学の「悪用」が進むと、自然界が人間の想念のネガティブな部分に反応して壊れるんですね。

アトランティスの人々の中には、やがては大災害がやってくることを知っていたグループもいました。彼らは天空浮船を準備しつつも、最後まで破壊が起こらないようアトランティス大陸にとどまろうとしたのですが、結局はいくつかのグループに分かれて天空浮船に乗って脱出したみたいです。集合場所もある程度決めていた可能性もあります。

その一つのグループが、日本にやって来たように感じています。今から約1万2000年前のことでしょうか。

ところが、この日本に逃れてきたグループが持つ天空浮船の技術(空を飛ぶ技術)を奪おうとするグループも、アトランティスを脱出したようなんですね。彼らは執拗に天空浮船族を追跡した節があります。そのことに感づいた天空浮船族は日本に身を隠し、静かに暮らしていましたが、さらに行方をくらますため、一部は大陸へと逃げたように思うんですね。あとは出雲族と大和族の話に続くわけです。

大災害によって沈没したアトランティスから天空浮船で脱出したという話は、ちょっと旧約聖書のノアの方舟の話に似ていますね。実際、彼らは旧約聖書に書かれているように、何百歳と生きることができる長寿の人種だったのだとインスピレーションは告げています。本当にそのような人種がいたのでしょうか。謎ですね。

さて、今回この話を書いたのは、実は3月11日に起きた東日本大地震の翌日、私たちはあるグループと伊豆半島の某所で待ち合わせをしていたからなんですね。当然、あの大地震の後ですからキャンセルになるとは思っていましたが、実はわざと連絡を取らずに(電話も通じづらくなっていましたが)、集合時間に待ち合わせ場所へ行ってみました。通信や交通手段がままならない中、だれが集合場所に来られるか知りたかったからです。

待ち合わせ時刻に5分ほど遅れましたが、私たちは集合場所へ到着しました。けれどやはり、集合した人たち(つまり変わり者)は私たちだけでした(笑)。このとき、私の想像力は遠いアトランティスの時代へと飛翔します。そして、アトランティスが沈没した後も、やはり「約束の地」で落ち合うことができなかったのかな、と思ってしまったわけです。

でも心配はいりません。近く仕切り直しで、同じような会合が予定されているからです。今度こそ、天空浮船族の人たちは集合できると思いますよ(笑)。


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