天の王朝

天の王朝

古典SFの世界


期日 一九八三年六月二二日
場所 北陸文化ホテル
講師 富山大学教授 山口博
演題 「古典SFの世界」

山口でございます。今日は非常に難しい立場に立たされてしまいまして、ピンチヒッター、代役というのは本来の役者を上回ったことをやってはいけないんだそうです。その人を食ってしまいますので。といって下回ったことをやりますと、あいつは駄目だというレッテルを貼られるわけなんで、本来今日ご予定の舘先生を上回った話をしてはいけないし、下手な話をしてもいけない、ちょっと私も苦慮いたしました。それで交渉にお出でになりました方に一体何の話をしたらよろしいんですかと伺いました。と申しますのは、私は高岡でこうやって講演を実に立て続けにやっておりまして、あの話は一週間前にやったし、この話はその前にやっていると考えてみますと、手持ちの材料がなくなってしまったわけなんですね。それでどうしようかと申しましたら、担当の方は「先生、もう何でも結構なんですから」ということで、その一言を記憶に留めておいて引き受けましょうということで今日お邪魔をいたしました。

ずいぶん変わったテーマにいたしました。古典において一体SFとは何であるかという話を今日はすることにいたします。本来、舘先生がおいでになってお話いたしますと、人間の心ということでお話なさると思いますが、私はあまりそういうことに関心がないので、まったく違った話を今日はすることにいたします。SF、サイエンス・フィクション。細かい説明などいらないと思いますが、この頃の子供たちの好きな本とか日常のテレビを見ているとたくさん出てまいりますね。子供に言わせると戦艦ヤマトのシリーズなどが非常によかったと言っております。その他挙げてみると数限りなくサイエンス・フィクション、現実にはありえないかもしれないけれど、あるいはこういうことが将来起こりうるかもしれない、現実のこの日本の国においてもあるかもしれない、たとえばUFOなんかもその類ですが、そういうことが今だけではない、昔もすでにあったのではないかということを今日は古典の中から選んで話をしてみようかと思います。

高岡の近く、ずっと行きますと庄川の方へ出ます。途中で西行法師の墳(はか)というのがあります。西住法師の墳(ふん)とも言いますね。私は前からこれに関心を持っておりまして、あの歌人として有名な西行が本当にこの北陸へ来たのだろうかと思いまして、調べたことがあります。とこらが非常に驚いたことは、この西行さんという人は北陸だけではない、日本のあちらこちらに足跡を残しているんです。日本中飛び回っているんです。一体平安時代の終わりごろにそんなにあちらこちらへ飛び歩くことができたのだろうか。そんな超能力的な人物だったのだろうか。本来私は文学をやっているものですから、西行法師の歌のほうが専門なんですが、調べているうちに西行法師のそういう超人間的な面に非常に惹かれてしまいまして、それを実は調べてみたんです。そうしたら実に驚くべき記録が見つかったんです。こうやって眺めてみると、私と同世代より上の方がおられますが、そういう方々にはロボットという言葉が通じますね。今の子供たちは、ロボットよりはむしろアンドロイドという言葉を使うんです。どこが違うのか。まあ似たようなものなんですが、ロボットというのは外見がいかにも機械でできているという感じのものだそうです。最近工業関係にずいぶん出ているのは、そういう意味ではロボットなんです。それに比べてアンドロイドは一見人間とまったく同じで、自分で考えて自分で判断することができる。しかし人間が産んだんじゃなくて人間が作ったもの、これをアンドロイドと言うんです。私が驚きましたのは西行法師が平安時代の終わり、ちょうど源平の合戦のあったころ、アンドロイドを作ったという話が残っていたんです。もちろんそのころですから、アンドロイドという言葉は使っておりません。人造人間のようなものなんですが、それを作ったという記録が残っていたんです。こういう話です。

西行法師は高野山に入って修行していたわけなんですが、あまり寂しかったので人造人間を作ったというのです。作り方も細かく出ているんです。今からそれをお話しますが、一言お断りしておきたいことは、絶対にこれはメモに取らないで下さい。それからお帰りになってから、これを真似しないで下さい。もしできると大変なことになりますから。ただ耳で聞いて記憶に止めておいて下さい。まず墓場に行って骨を集めるんですって。昔は土葬にしましたから高野山には沢山骨がある。その骨を集めてきて、そこにヒザラという薬を塗るんだという。この薬は今の言葉でヒ素だそうです。次に骨を頭蓋骨から始まって足の先に至るまで人間の形に並べるんだそうです。その次はそれをつなぎ合わせる。その材料はイチゴとハコベの葉をもんで出た汁を藤の若葉の糸に塗って、それで骨と骨とをつなげる。それができたら、その上に十分水をかけて洗いなさい。そういう風に書いてあるんですね。さて、人間の体には毛が生える所があるんですが、そこにはサイカチの葉とムクゲの葉とを灰に焼いて、その灰を毛の生えてもらいたい所に置け。もしこれが確実に効果を発するならアデランスはいらなくなってしまうんですが、そう書いてあるわけです。そしてそれができたら、土の上に畳を敷いて、その骨を伏せておきなさい。そして三一日たってから、その後において反魂の秘術を行う。魂を蘇らせる呪文を唱えなさい。そうするとそれは人間として蘇ります、と言うんです。

西行法師はそれをやったんです。すると三十一日目に蘇ったんですね。ただ残念なことに、その反魂の秘術の言葉がその本には書いていないんですね。ここが知りたかったのに書いていないんです。いたずらされたら困るので伏せておいたんでしょうか。ところが人造人間はできたけれどあまり出来がよくなかった。あまり肌の色がよくなかった。心もどうもしっかりしていない。声は笛をピーピー吹いたような声しか出せなかった。つまり完成はしたけれど、どうもあまり出来の良い人間ではなかったというのです。それで西行法師はある人の所へ行って相談したんです。時の中納言と書いてあります。中納言と申しますと、今のちょうど大臣ぐらいになるんです。自分はこれこれの方法によって人造人間を作ったけれど、肌の色合いがよくないし、声も良くない、どうしたものだろう。そうすると中納言が言うには、「なるほどそれは最後の反魂の術が良くなかったから声が悪いのだ。もう一回帰ってそれをやりなさい。きっと実際の人間と区別がつかないほどの出来の良い人間ができます」。実はその後がもっと怖かった。大臣が声をひそめて言うには「実を言うと、今左大臣、右大臣、大納言がいるけれど、その中の何人かは自分が作った人造人間なんですよ」。それを聞いた西行法師は怖くなりまして、自分が作った出来の悪い人間を捨ててしまったという話なんです。
もしこれが現実にできたとすると、どういうことになりますかね。現職の大臣の何人かは自分が作ったアンドロイドだと言うんです。間もなく参議院の選挙が行われますが、こんなに簡単にできるならば、比例代表制の上の方に置く人間なんてどんどん作ってしまえば良いのであって、ひょっとすると現職の大臣の何人かは人造人間かもしれないという恐ろしい話が書いてあるんですね。それを私は知りまして、ひょっとすると西行法師は自分と同じアンドロイド、これをコピー人間と言うんですね、クローンとも言います。こういう言葉を使うとずい分SF的になりますね。そういうものを作って各地を回ったんじゃないかなと考えたくなってくるんですね。富山県に来た西行法師は実はコピー人間であった、なんてことになりますと新聞社なんか喜んで飛びつくんじゃないかと思います。そいう話が残っております。そして一体こういう話はこれだけかと思って、それで私は古典を読みながらSF的な面がないだろうかということを探る仕事をやってみているわけなんです。そうするといくらでもあるんですね。今日お話しますのは、比較的おなじみの古典の中から今のような話を引き出そうというわけです。

さて、SFと言いますがサイエンス・フィクション、科学的な作り話。これはテーマによって四つに分かれるんだそうです。まず宇宙をテーマにした話。UFOなんかはこれに属するわけです。それから今話をしたような超能力のテーマ。それから時間あるいは次元を異にしたテーマ。それから未来をテーマにしたもの。一番私達にわかりやすいものは宇宙をテーマにした話です。空を見上げて、あの星に一体人間が住んでいるのだろうか。あるいはUFOは本当にあるのだろうか、というような話です。実は今日の話は一時間ということになっています。これが仮に三時間だったら、私はもっと面白い話ができるんですが。その面白い話というのは富山県にUFOの基地があったというSFそのものの話です。この話を今日やろうかと思ったんですが、どう計算しても、それこそ私は超能力的なことをやらない限りは一時間に入らないものですからやめてしまったんです。まず宇宙をテーマにした話、日本の長い古典の世界の中で、そういうものが本当にあったかどうかと言うことを、非常に古い平安時代の話、ずっと新しい江戸時代の話、この二つを持ってきてまず話をしてみようかと思います。

日本の古典の中でそういう風な宇宙の話があったか。つまり宇宙の彼方から地球へ来たという話があったか。逆に地球人が宇宙の彼方へ行った話があったか。

地球人が宇宙の彼方に行った話があるかと申しますと、何のことはない浦島太郎の話なんです。私達が知っている浦島太郎の話は室町時代にああいう風に作り変えられたんです。

助けた亀に乗せられて、竜宮城へ行ったという話です。海の中に行ったという話になっているでしょう。あれは室町時代に作り変えちゃったんです。もっと古い文献を捜してくると奈良時代、大伴家持が越中へ来ました、大体あの頃なんです。あの頃の丹後の国の風土記を見ますと、そんな話にはなっていないんです。まず海で釣りをしていた、これは同じです。ところがそこへやってきたのは五色に輝く亀だったとなっている。亀と言われて夜店で売っているあの小っちゃな亀を思い出す人達は、そういう観念じゃ私の話についてゆけないんです。もうSFの世界に入ってゆけない人達。亀をもって、あ、あれだとピンと響く子供たちがいるんです。亀は手足を伸ばすけれど必要がなければ引っ込める。あれは着陸する時の車のギアだと言う。亀は全部手足首を引っ込めた姿はUFOの形にそっくりだと、こういう子供たちは言います。言われてみればそうですよね。それが丹後の風土記では五色に輝くと書いてある。ということは空中を飛んでいる時にパイロットランプがついていたのだという発想です。そしてその五色の亀が迎えにきたけれど、そこに一人の女性が乗っていた。浦島太郎の話では亀の背中に乗って行ったということですが、丹後の国の風土記ではそうはなっていないんです。亀に一人の人間が乗っていた。一人の美しい女性であった。UFOから出てくる人間は皆美しいんです。この浦島の話もそうなっております。そしてあっという間に大きな島に着いた、となっているんです。それはどこかと申しますと海中じゃないんです。空中へ行ったということになっている。そこは玉を敷いたような、輝くような大地であった。そして高殿があったというのです。海の中に高殿があったら海上へ出てしまいます。高殿があったというのは、今の言葉でタワーがあった。浦島は目をつぶっている間に五色の亀に乗って、あっという間に天上の彼方へ飛んでいった。目を開けてみたら、そこは玉を敷いたような輝く大地であった。そしてタワーが建っていた。それは輝く建物であった。何ですかね、イルミネーション、ライト。アトランティスという大陸が昔あったそうです。海の中に沈んだそうですが、そこへ行くと建物はオルハリコンと呼ばれている輝くもので作られていたという話が残っております。それを思わせるような場所なんですね。そして更に驚きましたことは、出迎えた人達がいたというのです。浦島は「貴方の名前は何と言いますか」と聞いたら、答えは「私達はスバルです」だった。スバルというのは星の名前なんです。日本語です。一体これはどういうことですかね。海の底に入っていったのなら、迎えに出てくるのは鯛や平目なんです。しかしこの昔の浦島の話はそうではなくて、スバルという星が出てくる。次にまた出て参りましたので「貴方は何という人ですか」と聞いたら「私は雨降り星です」と答えた。スバルという星はプレアデスという星なんです。そして雨降り星というのはアルデバランという星です。これはどういうことでしょうか。浦島は空へ昇っていって、プレアデス星団、あるいはアルデバラン星団の所へ行ったと考えることができるんじゃないでしょうか。

このスバルという星については世界各地にいろんな伝説が残っております。例えばインカ帝国の古い昔話を見るとこう言っております。スバルから非常に尊いものがインカの国に降ってきた、という説話が残っております。プレアデスというのは何かと申しますと、ギリシャ神話に出てくるアトラスという星の娘の名前がプレアデスなんです。アトラスは罪を犯したので生涯地球を背中にしょっていなければならない神様です。その娘がプレアデス。この娘達は白鳥になって空の彼方に飛んでいって星になったという伝説が残っております。ペルーの伝説を見てみると、このプレアデスは天の扉であるとなっている。プレアデスの星を開けると地球から天の彼方に行くことができるのだという。こうやって世界各地の昔の伝説を総合してみるとスバルという星は地球と宇宙の彼方とを結びつけている何かの鍵を持っているんですね。そういう星に迎えられて浦島は輝くばかりの世界へ入っていったということです。

こうなると海の中の龍宮城へ行ったということは私達には考えられない。やはり何かに乗って空中へ行ったんだと考えられてくるわけです。そしてプレアデスの星に行って、向こうの人達と喜びの生活を送るわけですが、原文を読んでおりますと、地球の彼方、宇宙の彼方に住んでいるということをお互いにわかっていたけれど、今まで会うことができなかった、その未知の人達に会う喜びと申しますか、そういう風な描写が続いているんですね。浦島は非常に楽しい生活を送ったんです。三百光年彼方の星ということです。地球から三百光年彼方にはどんな星団があるのか。お帰りになったら調べてみてください。そこへ浦島は行っているわけなんです。そうやって行ったかというと、亀の背中に乗ってあたりを見回しながら行ったんじゃないんですね。亀の背中に乗ったと思ったら、その美しい婦人の魔法にあって眠ってしまったというんです。そして眠っているうちに輝くばかりの所へ着き、そこで目覚めたという。これは何でしょうか。人工冬眠と言うんですね。人間は生きているとエネルギーを使いますから寿命が六十年なら六十年でなくなっちゃうんです。しかし冬眠をしているとエネルギーは使いませんので、眠っている間だけは寿命が延びるだろう、それで人工的に冬眠させれば何百光年、何億光年という宇宙の彼方へ旅行ができるんじゃないだろうかということを今真剣になって人間は考えているんですね。その人工冬眠、コールドスリープと言っていますが、それによって浦島は眠らされて三百光年向こうへ行ったんじゃないだろうか。そうすると地球へ帰ってくると元に戻っちゃうわけです。玉手箱を開けたら一遍にお爺さんになっちゃったというのは三百歳に年をとってしまったんですね。人工冬眠の術から覚めてしまったんです。そうだとすると、あの大切に持ってきた玉手箱は一体何だったのだろうか。決して開けるなと言われてきたあの中には、時間が封じ込めてあったんですね。もっともらしい言葉を使うならば、あおの玉手箱は時間制御装置ではなかっただろうか。帰ってきたら知らない人ばかりだった。それで手にしていた機械のボタンを押したんでしょうね、きっと。ボタンを押しているうちにとうとうコンピュータが壊れてしまって、封じ込めていた時がパーッと伸びてしまった。それと同時に浦島も三百歳の年をとってしまったのではないだろうか。

実は今私は富山県の仕事をやっておりまして、一つ難問を抱えております。置県百年を記念してタイムカプセルを埋め込むということなんです。百年後に開けるわけですが、そのタイムカプセルに一体何を押し込もうかということでいろいろアンケートをとったんですが、いくら詰めても用意したタイムカプセルが一杯にならないんです。

まだないか、まだないかということで、もう入れるものはないから、埋める当日に担当の者が集まりますから、その人達の着ているものを全部はいで押し込もうかなんて笑い話をしているんです。もしこのコールド・スリープの方法ができるなら、県民の誰かに代表になってもらって、希望者があったら受けつけます、眠ってもらってタイムカプセルに封じ込めてやったなら、どういうことになるだろうか。ただ、今の技術では果たして百年間眠っていて蘇生できるかどうか全く保証はございません。しかし浦島の時代にこれがあったらしいんですね。

丹後の国に行きますと、いろんな話が残っております。天の橋立、ご存知ですね。あの伝説ご存知ですか。天の橋立というのは昔、人々が天にかかる橋を作った。今は倒れていますね。天の橋立は昔は上に立っていた。ところが途中で失敗して倒れちゃった。それで今はああやって海の中に伸びているのだということを教えてくれました。これはどういうことでしょうか。空へ届く橋を作ろうと思ったけど失敗して倒れちゃったという。ある物が空中に向かって立っていた。それが倒れた。これは人工衛星その他の発射装置でしょう、言ってみれば。使う時は立っているけれど、発射させた後は倒してしまう。

天の橋立は古代のそういう風な、言わば宇宙船の発射装置だった。それを昔の人はわからなかったので、天にかける橋という風に考えていた。そうすると浦島はかつての発射装置に乗って打ち出されて、プレアデスの彼方へ飛んでいった。それを昔の人達はそんな知識がないから龍宮の方へ飛んでいったという話に形を変えたんじゃないだろうかという話です。

信じてくださいますか。学生に風土記の話をしますが、今のような話をしないとつじつまが合わないんですね。どうして海の中へ行ったのにスバルが迎えに来たのか。答えようがないですね。どうして玉手箱を開けたら三百歳も年をとってしまったのか。このSFというものは古典の新しい解釈を示してくれるんじゃないでしょうか。

次は逆に日本に初めてやってきた宇宙人、今はETと言うんだそうですね。どうもETというと、しわくちゃであまり感じ良くないんですが、日本に初めてやってきた宇宙人というのは実に素晴らしいんですね。誰かと申しますと、実はこれがかぐや姫の話なんです。おわかりでしょう。これは初めからピッタリですね。月の世界からやってきて、月の世界へ帰ったというんですから、こんな明瞭な話はない。私は竹取物語を学生に話をしながらSF的なことには一切触れないんです。しかし立場を変えてみると、あんなに素晴らしい話はないんじゃないかと思います。

まず竹取のお爺さんが竹薮に行ったら、竹の中から出てきたと言っておりますでしょう。あの竹は一体何であるか。竹の筒です。中は空っぽでしょう。空からやってきて、地上に落ちて、そのまま突き刺さったもの。宇宙船か何かですよね。中にかぐや姫が入っていた。これも先ほど申しました冷凍睡眠であるか何かわかりませんが、そういう類のものであった。だからキラキラ輝いていたんですね。普通の人間が竹の中に入ったって輝くはずはないんです。輝くということ。それが空洞の竹であったということ。その中から小さな人間が出てきたということ。これだけの条件を並べてみても、これが宇宙の彼方からやって来た話だということはすぐわかるみたいですね。そして成長が非常に速いんです。あっという間に、生まれた時は三寸というから十センチ足らずです。それがあっという間に普通の人間の大きさになってしまったというんです。

これは生命の再生装置を持っていたからできたんです。宇宙の彼方へ旅行する時に大きなままでは旅行できないから、人間の肉体を圧縮する方法によって非常に凝縮させて詰め込んで打ち出したんです。それがどういう風に狙いを定めたかはわかりませんが、世界の中で日本なんて一番幅が狭いのですが、その一番狭い日本に落ちたという話なんですね。そして段々大きくなる。あまり美しいので男達は自分のお嫁さんになってくれないかとプロポーズします。その時に一体何を要求しましたか。例えば、蓬莱の島にある玉、これは宝石です。蓬莱の島なんて地上にありっこないんです。この世にないものを要求するんです。あるいは火の中に入れても燃えない毛皮。これ、地上にありますか。あるいは龍の首についている玉。おそらく昔の地球の人達は空を飛んでいる宇宙船を見て、きっと火を噴くドラゴンではないかと考えた。それで古事記、日本書紀、世界各地の昔話を見ても龍が火を噴いて飛んでいるという話は沢山あるんです。そうするとかぐや姫が要求したのは、どれをとってみても地上にはない、超自然的なものなんです。要求された男達は皆にせものを持っていったわけです。この世でもこれならば手に入るかもしれないというものが一つありました。ツバメが生む子安貝です。これなら手に入るだろうということで、それを言いつけられた男はツバメが尻尾を振った時に屋根に登っていって、古い巣の中に手を入れたわけです。これで自分は子安貝を手に入れたぞ、かぐや姫と結婚できると思った。しかし、考えてみると片方は宇宙人なんですから、易々と結婚できるはずがないんですね。

残念ながら平安時代の人達は今日のようなこういう講演会でSFの話を聞いていなかった。だから宇宙人だということを知らなかっただろうと思いますが、そのツバメの巣の中に手を入れて握ったものは何かと手を開いてみたら、ツバメの古い糞だった、というオチがついておりますが、かぐや姫はそういう風なこの世に存在しないものを要求した。その話はずっと続いて最後には天皇様が出て参ります。天皇様も結婚したいと言い出すわけです。それも拒否するんです。

さて十五夜の晩、どうなったかと申しますと、宇宙の彼方から天人がかぐや姫を迎えに来るんです。満月の夜、迎えにまいります。宇宙の彼方から空飛ぶ車がやってきたと書いてあります。すると家のあたりは、昼のような明るさになった。宇宙船が来ると、皆明るくなるそうですね。それと同じなんです。その明るいことといったら、そこに待ちかまえていた人々の、毛の穴さえもはっきりと見えるような明るさだったというんです。平安時代、あかりといえば油しかなかった時代に毛穴が見えるほどの明るさ、これは一体どういうことか。宇宙船が近づいてくると、かぐや姫を何とか地上に止めておこうということで、侍達が皆番をしていたわけです。やってきたぞというので弓に矢をつがえて射ようとしたけれど、空飛ぶ車からパーッと明るい光が射してきて、侍達は皆手足がしびれて駄目になった。宇宙船からレーザー光線か何かを発射したんですね。それを受けた侍達は全部手足がしびれてどうにもならなかった。そしてやがて宇宙船は近づいて参ります。地上から何メートルかの所で止まりました。そうすると、その宇宙船からまた光線が射してかぐや姫をとじ込めておいた家の扉が自然に開いちゃったというんです。その光線に引かれるかのようにしてかぐや姫は宇宙船の中へ入った。竹取物語には空飛ぶ車と書いてありますが。

そしてもっと不思議なことにはこう書いてあるんです。空飛ぶ車ならば、その中へ入れば自然に飛んでゆけるはずでしょう。ところが、その空飛ぶ車に乗る前にかぐや姫は天の羽衣を着たと書いてあるんです。羽衣というのは三保の松原の伝説にあるように、羽衣を着るとそれだけで飛んでゆけるという話です。空飛ぶ車に乗るのにどうして羽衣がいるんだろうか。そしてこの羽衣を着ると地上の人間の心がわからなくなるんですと言われた。つまりこれは羽衣を着ると地上の人間との話ができなくなる。言いかえると羽衣というのは宇宙船のことなんですね。なるほど宇宙船に乗るためには宇宙服を着るわけです。それを昔の人は天の羽衣という風に表現したんですね。宇宙服を着てしまえば日常の会話はできなくなる。特殊は交信の術を必要とするわけです。だから羽衣を着ると地上の人間とは心が通じなくなると言ったんだろうと思います。

そしてかぐや姫は空に帰るために、「貴女は地上の世界に長くいたから体が汚れています。それを取るためにこれを食べなさい」と言って、空からやってきた人達はかぐや姫に一つの壺を渡した。その中からかぐや姫はわずかな薬を出してなめたと書いてある。わずかになめることによって役に立つもの、これは宇宙食と考えるより他にないですね。この壺というのはチューブか何かなんですね。宇宙食を知らないから、それを薬と表現したと考えると実につじつまが合うんですね。それならば迎えに来た人達はどういう姿をしていたかというと、「その迎えに来たれる人の姿、この世の人に似ざりき」と書いてあります。この世の人にちっとも似ていなかった。どんな姿をしていたんですかね。そして人々が止めようと思ったけど、どうにもならなかった。かぐや姫は宇宙服を着て、光線に引かれて宇宙船の中へ入ってしまった。人々があれよ、あれよと言っている間に宇宙船はスーッと月の世界を目指して飛んでいってしまった。待ち構えていた人達は弓や矢を手にしていたけれど戦うことができなかった。このかぐや姫が月の世界へ帰ってゆく場面というのはおそらく世界の文献の中で一番古い、宇宙人と地球人との戦いの描写だろうと思います。結果は地球人の負けということです。宇宙戦争です。

私も竹取物語は中学生の頃習いましたが、あれが宇宙戦争だっというのは最近になって気がついたんです。小学校、中学、高校の先生は少しもそういうことを教えてくれなかった。もうちょっと早く教えてくれたら日本の科学はもっと進歩したんじゃないかと思うんですが、学校で教える古典は文法ばかりでさっぱり駄目なんですね。実はあの竹取物語はこういう話だったんじゃないだろうか。

これは平安時代の話です。それならばグーッと下がって参りまして、江戸時代にそういう話がなかっただろうかと見ておりましたら、元禄時代にありました。それはどういう話かというと、場所は大阪です。大阪のある所に、一つの美しい乗物がありました。村人がその美しい乗物を見て、そこへ行ったところが、中に一人の美しい女の人が乗っていた。どうも宇宙船には醜い男が乗っていたという話はないんですが、宇宙人というのは皆美しいらしいですね。たとえば、よく知られている金星という星があります。金星人というのは非常に美しくて、男も女も美しいスタイルをしていると言うのですが、その乗物の中にも非常に美しい「都めきたる女、二十二,三なるが」乗っていたと言うんです。着ている肌着は非常に白かった。その上に菊の模様のものを着ていたという。その前には蒔絵の硯箱が置いてあった。その箱の中にはお菓子が入っていた。落雁が入っていた。つまり固形の食料ですね。そのそばには一丁の剃刀が置いてあったという。村人達はそばへ行って「貴女はどこからおいでになったのか」と聞いたところ、言葉を少しも返さなかった。たださしうつむいていた。時々目を上げるけれど、その目の恐ろしきことは何とも表現のしようがなかったと言うんです。

ここまでのことを思い返してみると、何でしょう。非常に美しい乗物があって、中に一人の美しい女性が乗っていた。言葉は通じなかった。非常にきつい目をしていた。そして菊の模様のついた上着を着ていた。前にはきれいな箱が一つ、剃刀が一丁。菊の模様というのは宇宙服を見るとわかりますが、いろんな装置がついているでしょう。あの装置じゃなかろうか。前に置いてあった蒔絵の箱というのは玉手箱と同じですね。何かの装置です。そして一丁の剃刀というのは身を守る武器、レーザー光線銃か何かわかりませんが、そういうものではなかろうか。落雁というのは宇宙食ですね。言葉は通じない。あんまり恐いので村人達は逃げ帰ってきたのですが、考えた。あんな美しい女性が野原で一人でいるとすると大変なことが起きるかもしれない。悪い奴が行って手込めにするかもしれない。それなら人里近くへ乗物を持って来ようと言って再び取って返したら、もうそこにはなかったというのです。どこへ行ったのかと捜したら、それから約一里南の砂浜にあったという。

さて、村人達はそこへ行ったんです。こんなに美しい女を放っておく手はないというので、中に忍び込もうとした。手をかけて忍び込もうとしたところ、その乗物から蛇の頭が出たという。乗物の左右に蛇の頭が出てきた。そして男達にかみついた。「身を痛めること大方ならず。いずれも目がくらんで気を失い、命があったのが不思議であった」というんです。乗物のそばから蛇を出すという情景は光線を発射する銃か何かが出てきたんですね。蛇がかみついたというのは光線に当てられた。だから目がくらんだんですね。それからというものは、その四~五人の男達は病気になってしまったというんです。何とも言えない病気になってしまった。放射線に当てられたんですね。その頃、あちらこちらにこの乗物が現われた。ある時には中に乗っているのは八十を超える翁であった。またある時は、目鼻の全くない女であった。ある時は顔が二つある化け物だった。乗物は皆同じだけど、中に乗っている人の姿が全部違っていた。そしてそれに会った人達は皆体がだるくなるような病気にかかってしまった。その乗物が飛んでいるときの状態はあたかも見慣れない火の玉が飛んでいるような状態であった、という話が元禄時代の井原西鶴、あの「好色一代女」とかを書いた作家ですが、その人の書いた話の中にあるんです。作者はこれは非常に珍しいので書き残しておくが、寛永二年の話であると言うんです。

さて、そういうものを実際に絵に描いたものがあったら、もっと面白いなと思いましたら、ありました。この頃よく江戸時代の随筆集が次から次へと刊行されておりますが、その中に『梅の塵』という随筆集があって、そこに常陸の国に流れ着いた怪しげな船ということで絵が描いてありました。そしてこの常陸の国に流れ着いた不思議な船の話というのは、もう一人それを書き留めておいてくれた人がいるんです。八犬伝という小説を書いた滝沢馬琴という人がおります。その馬琴が『兎園小説』という随筆を書きまして、これは日本に残っている珍しい話を集めたんです。その『兎園小説』に『梅の塵』という本に出てくるのと全く同じものを書き留めておいてくれたんです。

常陸の国の海岸に見たこともない船が流れ着いた。船と言っておりますが、実は球形なんです。それを見ると一面にガラスがはめ込んであった。ガラスとガラスの所は松ヤニで固めてあった。直径はちょうど人間が立てる程で、一丈ちょっとじゃなかったかと思います。上の方にはガラスが入っていて、松ヤニで固めてある。下半分はキラキラ輝く金属でできていたというんです。中をのぞいたところ、中に入っていたのは非常に美しい女だった。髪の毛の色だけは『梅の塵』『兎園小説』で違うんです。『梅の塵』によると黒い髪、滝沢馬琴の方は赤い髪だった、となっている。それを発見した村人達がそばへ行って言葉をかけたけれど、話は一切通じなかった。そして大切に思い箱を抱えていたという。あまり恐いものですから、こういうものをいつまでも保存しておくと、お上がうるさいかもしれない。幕府へ訴えるとうるさいかもしれないから、早く海へ流してしまおうということで、再び海の中へそれを流してしまったというんです。

さて、それは一体何であったか。その話を聞いたある人が、きっとあれは異国の王女様ではないだろうかと判断した。異国の王女様がお嫁に行ったけれど、姦通事件を引き起こしたに違いない。それで怪しからんということで、島流しになったのだろう。大切に持っていた箱の中にはきっと、よろめいた相手の男の首が入っているに違いない。これが当時の人の判断だったというのです。実に面白い判断だと思うのですが、こういう話が江戸時代の記録に残っております。これだけ克明な話が残っているとすると、あるいは本当に宇宙人が宇宙船に乗ってやってきたというのは、平安時代から始まって江戸時代まで本当の話なのかもしれない。

それでは、一体宇宙人はどんな格好をしていたのだろうか。また古い話になります。日本書紀を見ていたら、これは有名な話なんですが、こんな話が残っておりました。万葉集などに詳しい方だったら、一人の歌人の名前を挙げればわかると思いますが、額田王という女の歌人がおりました。その頃の話なんです。ある五月の頃、空を見上げたら、龍に乗って飛んでゆくものがいた、というんです。形もろこし人に似たり。もろこし人というのは中国人です。当時日本人は外国人というとほとんど中国人です。もろこし人に似ていたということは、見たこともない国の人の姿をしていたということです。その後に「青き油衣の笠を着ていた」と書いてある。何か青いカッパを着ていたんですね。ヘルメットのことだろうか。青き油衣の笠を着て、葛城山から生駒山へパーッと飛んでいって隠れてしまった。そしてまたあっという間に、今度は大阪湾の方に現われた。そしてあっという間に西の方に飛んでいった。実に不思議なものだった。

これは日本書紀に書かれているんですね。とすると、実際にこの時にある人が空を見上げたら龍に乗ってカッパを着た人が飛んでいった。昔の話には龍が沢山出て参ります。宇宙船を龍と表現したんでしょうか。宇宙船に乗って青いヘルメットをかぶった人が飛んでいったという話。

今度は比較のためにもっと新しい話です。江戸時代に戻って参ります。慶長十四年四月四日、ずい分正確ですね。『徳川実記』という徳川氏の記録が残っております。徳川家康は駿河のお城にいた。そこへ実に怪しげな人間が現われた。『徳川実記』によると「間人」と書いてあります。形は子供の大きさで、手はあるが指はない。その手で上の方を指して立っていた。人々はこれはキリシタンの化け物であろうと言った。今NHKのテレビで徳川家康をやっております。私は見る度に早くこれが出てこないかなと期待しているんですが、ひょっとすると出てこないかもしれませんね。駿河のお城というのだから、大勢の人が番をしているわけです。誰でも入れるわけではない。その城内に突然現われた。大きさは子供ぐらい。手があるけれど指がなかったというんです。空を指していた。言葉は一切通じなかった。これは何ですかね。お釈迦様を思い出しますが、空を指していたのは、あるいは言葉が通じないので自分で空の彼方からやってきたんだということを言おうとしたんでしょうか。そしてまた人々があれよ、あれよと言う間にどこかへ消えてしまった。

『徳川実記』のこの慶長十四年四月四日あたりの記録を見てみると、怪しげなことがたくさん書いてあります。この四月四日、どこまでも続く非常に怪しげな長い光を放つ雲が午後二時から四時頃まで続いていた。そして三河の国には原因不明の非常に怪しげな火事が続いた。そして宿場が全焼してしまった。四日後の四月八日、夕日の周りを異様に輝く赤い雲がただよっていた、という風な記事が『徳川実記』に書かれているんですね。こういう風なものを総合して、さてこれは何かと聞かれると、どう答えますか。宇宙の彼方から家康のもとへ宇宙人がやってきたんだという話ですね。だから徳川家康は天下をとるような大事業ができた、徳川家康はひょっとすると宇宙人を使う術を心得ていたんじゃないだろうかという空想をしたくなってくるんですね。その空想を展開させるためには、聖徳大使から始まって、これはという人物をずっと洗ってゆくと何か皆怪しくなってくるんですね。

皆、宇宙人か何かを使っていたんじゃないだろうか。聖徳大使の伝記を見てみると、何か考える時には全部人払いをして、あの六角の夢殿に閉じこもっていたというのです。そしてそばには金人が現われた、と書いてあります。聖徳太子は非常に頭がよくて、一度に何人もの人の言うことを全部判断できたとか、あんな昔において十七条の憲法を作ったとか、考えてみるとひょっとすると聖徳太子も怪しげな術を使っていたんじゃないだろうか。六角の夢殿というのはひょっとすると、聖徳太子が入っていた宇宙船をイメージ化したものではないだろうか。なんていう空想も出てくるわけですね。聖徳大使のことは私の勝手な空想を交えたわけですが、今日は宇宙をテーマにした場合にいろいろな話がある中から主として宇宙の彼方からやって来た人、宇宙の彼方に飛んでいった人の話を中心に話したんです。

もう一つあるんですが、実は私の所の大学の入試問題に使っちゃったんです。使ったから今話ができるので、使う前ですとお話できないのですが、西鶴は、もう一つ実に奇妙な話を書いている。ある男が蒸発した話なんです。ある男が突然夕暮れにいなくなってしまった。ところが同じ村に住んでいた男が旅行をしていたら、ある所でその蒸発した男に出会った。それで村人が「ずい分久しぶりですね。今までどこへ行ってたんですか」と聞いたら「いや、私は全然知らない」と言うんです。西鶴に言わせると全くのアカの他人だったんですが瓜二つだったんです。首の所にある切り傷までそっくりだという。そのソックリさんが蒸発した男の話を聞いて「それならばその男家へ自分が亭主であると名乗って入ろう。その家の財産を乗っ取ろう」と考えたのです。そしてその家にやって参ります。蒸発したんですから何年かの空白がある。その間自分は天狗にさらわれていたんだという風に言って、その家に入ったわけです。ここまではそれで良いんですが、女房は一目その男を見るなり「あ、これは私の夫です」と言った。そのまま結婚生活を続けていったのです。ところがある時、非常に旱魃が続いて、神様に祈るために字を書くことになった。かつて蒸発した男は非常に字が上手だった。今度戻ってきた男は字を全く知らない。ということで村人はこれはおかしいと気がついた。

それで女房にあれは偽者ではないかと言ったところが、女房は「あれは間違いなく私の亭主です」と言い張った、という話なんです。

これをどういう風に理解するか。西鶴は偽者の男がやってきて女房と財産を横取りしたと言っているわけです。しかし女房はどこまでもあれは自分の亭主ですと言い張る。いかに瓜二つであっても、自分の亭主であるかアカの他人であるか一晩過ごせばわかると思うんです。そらがわからなかったという。そうすると、この話も考えてみるとこういう風に考えられないだろうか。蒸発した亭主も戻ってきた人間も同一人物なんです。ある男が夕方畑の隅にいた。そして天狗にさらわれたというのは、そこへ宇宙船がやってきて宇宙の彼方へ連れ去られた。その時に宇宙の彼方で起こったあらゆる事件の記憶を全部消されて戻ってきているんです。自分の名前も消されてしまった。従って本人は自分の本名を知らない。ある一定期間の記憶が全然ない。記憶は失っているけれど、元の男であることには少しも変わりがない。女房が間違いなくこの男は自分の亭主であると言い張ったことは、あるいは本当なのかもしれない。

先程お話しした西鶴の不思議な乗物の話、それとこれと並べて、さて入学試験の問題としては「この二つを関連づけてSF小説を書け」と実は出そうと思ったんです。私は非常に良いアイデアだと思ったんですが、いかんせん、私以外の問題作成の先生方はそこまでのSF的な発想を持っていなかったものですから、よってたかってメチャクチャにされまして、結局は全部骨抜きにされちゃったんです。お帰りになって、蒸発した男と帰ってきた男とが同一人物なのかそうでないのか考えてみて下さい。私はどうも同一人物であると考えられるんですね。浦島の話、竹取の話などを総合して参りますと何のことはない、昔からこの地球に飛来していたUFOの話、ETの話というのは沢山あるのだともう一回改めてそういう目で古典を読み返したら、古典というのは決して古いものではなくて、いろんな材料が集まってくるだろうと考えまして、今日話をしたわけでございます。ちょうど時間が参りました。私は超能力を持っておりませんので、残りをわずか一分、二分で話す技術がありません。今日はこれで話を終わることにいたします。これでピンチヒッターの役割ができたかどうか、私はわかりませんが、これで今日の話を終わることにいたします。どうも失礼いたしました。(了)


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