天の王朝

天の王朝

不思議な世界3

梅と竹

(その34)
UFOの目撃3

1986年12月21日に開洋丸がUFOと異常接近した「未知との遭遇」は、その飛行物体が明らかに開洋丸をターゲットに飛来した点で、きわめて衝撃的で興味深い。日航機長によるUFO目撃の約一カ月後に起きたということを考慮すると、何らかの関連性すら推測される。

開洋丸での二度目の目撃者は、一度目の目撃者とは異なる乗組員であった。同年12月15日に東京港を出港し、カリフォルニア沖合海域調査に向かう途中の出来事だ。場所はウェーク島北方の中部北太平洋上で、開洋丸はミッドウェー島の方角に進んでいた。

目撃時間は、現地時間の午後6時から深夜までの約6時間にわたった。最初にその謎の物体に気づいたのは、乗船経歴18年、当時39歳の佐々木洋治・主席二等航海士であった。その日の日没は午後5時06分。夕闇が迫ってきたので、当直の佐々木は午後6時、船の近くに他の船舶が航行していないかを確認するため、レーダーを使うことにした。

レーダーのレンジ幅(走査できる最遠距離)を12マイル(約20キロ)に合わせところ、いきなり船の左舷側(北方向)約3マイル(約4・8キロ)に巨大な楕円形の物体を捉えた。佐々木はこれまで、このように大きな影像をレーダーで見たことがなかった。驚いて左舷方向を見たが、何も見えない。3マイルの距離であれば、飛行機でも船舶でも当然見えるはずであった。

「おかしいな、何だろう」と、不思議に思った佐々木は室外に出て、レーダーが捉えた方向に双眼鏡を向けた。だが、やはり何もない。灯火もなければ、音もしない。再び、レーダーを見ると、その大きな影像は、船から北方向へドンドンと離れていった。

午後8時に当直を交代するとき、佐々木は次の当直者に、レーダーが捉えた奇妙な影像のことを伝えた。「何かいるけど、何かわかんないよ」

レーダーは当直ごとに二台のレーダーを交互に使用することになっているので、午後8時からの当直では、佐々木が使ったレーダーとは別のレーダーを使用、24マイルのレンジ幅で走査した。すると午後8時半、再び楕円形の大きな影像が現われた。洋上であるならば、巨大タンカーとしか思えない大きさだった。

しかも今度は、開洋丸の進行方向(東の方向)から開洋丸に向かってドンドンと迫ってくる。残り5マイルとなったところで、その影像は船の左舷方向へと回り込み、開洋丸の周りを時計の反対周りで二周した。二周後、その影像は左舷前方約10マイルの位置から、突如直角ターンして、開洋丸に向かって突っ込んできた。びっくりした当直の3人は、侵入方向を、目を凝らして見つめたが、何も確認できない。

このように動く物体は海上ではありえない。おそらく飛行物体であるのだろう。そのレーダー上の「未確認飛行影像」は、左舷前方1・5マイルの至近距離まで接近した。レーダー影像を判読すると、その物体は3マイル進むのに約4秒しかかかっていない。秒速1・4キロ、時速に換算すると5000キロ、マッハ4強の超高速だ。その間、当直者は必死になって飛行物体を双眼鏡で探すが、全く見えない。一体、何が起こっているのか!?

(その35)
UFOの目撃4

驚くべきことは、次の瞬間に起きた。超高速で船から1・5マイルまで異常接近してきたその巨大な飛行物体は、突然何の前触れもなしに進入方向とほぼ同じ方向へ後退したのだ。つまりUターンではなく、事実上Vターン、Iターンとも言うべき方向転換をしてのけた。地球上のいかなる飛行物体も成し遂げられない飛行パターンであった。

このとき、レーダーにはもう一つ同じ形をした影像が映っていた。左舷前方10マイルの地点だ。その物体は静止していた。二つの謎の飛行物体は午後10時40分には、レーダー視界から消え去った。

1・5マイル接近でもレーダーに反射するということは、レーダーの垂直ビーム幅からみて、飛行物体の高度は500メートル以下の低空飛行であったことになるという。ここまで接近したら、飛行機なら当然その爆音が聞こえてしかるべきだが、聞こえなかった。いずれも地球上の常識では理解できない現象であることは、明白だった。

この夜は、これだけで終わりではなかった。クライマックスは30分後にやってきた。午後11時10分、今度は船尾方向(西方向)に出現、開洋丸に向かって再び突進してきた。背後からその物体はパッパッパと迫る。当直者は双眼鏡で船尾方向を必死になって探す。だが、満月の夜にもかかわらず、何も見えない。当直者たちは焦った。

その間にも、物体はドンドン近づいてくる。「来た! 来た!」「ぶつかるぞ!」。レーダーに張り付いていた当直員が叫ぶ。その飛行物体がレーダー上で開洋丸とほとんど重なろうとしたとき、レーダーの垂直ビーム高度外に出たためか、レーダー上から機影が消えた。次の瞬間、それぞれの当直員によって聞こえ方は異なったが、「ブォー」「グォン」「ドォン」という物体が風を切り裂くような音が響いた。大爆音ではなく、車のエンジン音よりも小さな音で、衝撃も振動も感じなかったという。

音が聞こえた瞬間にレーダーを覗き込んでいた甲板員の村塚正信だけは、音以外のことを知覚した。その瞬間、その物体が飛び去ったとみられる船首方向を見た村塚の目に、奇妙な影像が飛び込んできた。船首先の水平線上に、「卵をつぶしたような形」の赤みがかった黄色の光が、パーッと広がるように輝いたのだ。その光の高度は「空に浮いていた積雲よりも低く(仰角で)10~15度の高さであった」という。その間、1~2秒であった。

「あっ、いた! いた!」と村塚は叫んだ。だが、船尾や右舷側にいた他の当直者は見ることはできなかった。音については、船長室で休息していた船長も聞き、当直に電話を掛けてきたが、「飛行機だろう」として意に介さなかったという。

その後30分間、物体はレーダー上から完全に消えた。午後11時45分、右舷後方(南西方向)7~8マイルの位置に、再び巨大な影像が現われたが、約5分でレーダー視界から消え、その後現われることがなかったという。

以上が、開洋丸乗組員が目撃・観測したUFOの記録である。日経サイエンス社の「サイエンス(日本版)」1988年9月号にその詳細が報告された。その報告書を書いた海洋水産資源開発センター開発部開発一課調査員の永延幹男農学博士によると、二台のレーダーに映ったことからレーダーの故障ではありえないこと、ベテランが操作しているのでレーダー操作ミスによる虚像とは考えにくいこと、電波灯台による現象とも違うこと――などから、人の目には見えない「レーダー電波を反射する飛行物体」が存在していたという結論が導き出されるという。

ではそのような飛行物体とは何なのか。飛行軌跡から判断して「地球上の常識的な飛行機とは明らかに違う」と永延は言う。それこそ、他の惑星から飛来した宇宙船である可能性が強いわけだ。永延はこの報告書を書く際、他の数十人の長期航海者に、これ以外の遭遇例がないかどうか聞いたところ、3件あったという。

私も記者として農水省を担当していた1991年ごろ、海洋水産資源開発センターを訪れ、開洋丸でUFOを目撃した人に直接、話を聞いたことがある。手元に名詞が見当たらないので、誰に聞いたかは定かではないが、目撃例はもっとあるのではないか、との話だった。その人も間接的にしか聞いていないと言っていたが、航行中に海中から飛び出してきた巨大UFOを見た人もいるのだという。
=文中敬称略

(その36)
UFOの目撃5

この開洋丸のUFO遭遇に関しては、あの札付きのフィリップ・クラスがいちゃもんを付けたという話は聞かない。おそらく日本国内の科学雑誌なので、情報が伝わらなかっただけの話であろう。聞きつけていたら、また得意の「星誤認説」を展開したであろうことは想像に難くない。

寺内機長や開洋丸乗組員の目撃すら信じられない人はおそらく、自分の目の前にUFOが着陸しても「目の錯覚」として片付けてしまう人であろう。あるUFOコンタクティー(UFOと何らかの接触をしている人)は「地球人は、UFOを1回見ただけでは信じられないから、次から次へと証拠を求める。宇宙人はそのような際限のない欲望には付き合っていられないのだ」と話していた。

そのコンタクティーによると、UFOの目撃には綿密に計画された意図があるのだという。その個々の真意については定かではないが、目撃者のその後の人生を決定的に変えるための場合が多いようだ。ただし、その人の人生が、一般の価値観からみて「好ましい方向」に変化するとはかぎらない。たとえば寺内機長は、UFOとの遭遇を明らかにしたために、会社内で仕事をしづらくなったかもしれないし、事実上左遷させられたのかもしれない。

しかし、UFO側の理由はもっと次元の異なるところにある。複数のコンタクティーの話を総合すると、目撃者の社会的な成功とは別の次元で、その人に働きかけてくるようだ。UFOを目撃する人はUFO側から特定される場合が多いのだとも、コンタクティーたちは言う。しかも、UFO側はかなり高度な科学技術を持っているので、たとえば10人の人が並んでいて、右から2番目と左から3番目の人だけに、UFOを目撃させるという「離れ業」も難なくこなしてしまうのだという。

すると、寺内機長もUFOを目撃するべくして、目撃したことになる。寺内機長だけはっきりとUFOの形が視認できたのも、有視界飛行のベテランであるというだけでなく、そうした理由があるように感じられる。同様なことは、開洋丸乗組員による目撃についても言える。あれだけ開洋丸の周りをぐるぐる回ったり、真上を飛んだりしたのは、何人かの乗組員に目撃されるという特定の目的があったのだということが推測される。前にも触れたが、寺内機長が目撃してから約一カ月後のことであるのも意味深だ。

エンリケ・バリオスの『宇宙人アミ』(徳間書店)にも、その辺のことが書いてあるので、興味のある方は読まれたらいかがだろうか。『宇宙人アミ』はバリオスのフィクションであるかもしれないが、きわめて真実に近いことが書かれていると思われるので、お薦めだ。

(その37)
UFOの目撃6

日航機長や開洋丸乗組員以外の人々によるUFO目撃例をいくつか挙げよう。いずれもわくわくするような話であった。中には、私でも信じられないような目撃例もある。私の想像力が足りなかったと指摘されれば、その通りであると認めざるを得ない。

たとえば、都会の真ん中で全長数百メートルもあるような巨大UFOを目撃したというUFOコンタクティーもいた。誰もが「まさか」と思うはずだ。

その大きさにまず驚く。地球上の飛行物体なら、スペースシャトルで全長約37メートル、ジャンボジェット機でも約70メートルでしかない。その数倍から10倍以上はありそうだ。

そのような巨大UFOが都会の真ん中で出現したら大勢の人が目撃し、パニックになったはずではないか、と疑問に思われる人もいると思う。私も実は、そのように聞き返した。すると、そのコンタクティーはおおよそ次のように語った。

「テレパシーで呼ばれて夜空を見たら、そのときだけ雲が切れて、雲の向こう側に巨大UFOが見えたのです。そのとき私も、もっと大勢の人が見れば信じてくれるのにと呼びかけたら、そのような恐怖心や驚きを与えることは我々の目的ではない、との返事が返ってきました」

この話が本当だとすると、UFO側は目的のない目撃は極力させないとの意志をもっていることになる。開洋丸の遭遇でも明らかなように、UFO側のテクノロジーはかなり高度で、レーダーに映っても肉眼では見えなくすることは朝飯前のようだ(もちろん、その逆もできる)。都会の上空で数百メートルの大きさのUFOを、目撃されることもなく滞空させることもできるのだろう。

巨大UFOの目撃例は多い。寺内機長が目撃したお釜型UFOも、機長が書いたスケッチを見ると、幅650メートル、高さ350メートルはあったとみられる。開洋丸のレーダーに映し出された機影の大きさは、レーダーがどれだけ正確にその物体を捉えたかはわからないが、315メートルぐらいはあると思われる。

取材メモが見つからないので正確ではないが、大分・別府温泉で、映画『未知との遭遇』で最後の場面で出てくる母船ぐらい大きなUFOを見たと証言した人もいる。巨大UFOではないが、身長3メートル以上の巨大宇宙人に会ったという人も長崎県にいた。

しかしこうした巨大UFOも、画家の岡美行氏から見れば「小さなおもちゃ」に過ぎないのかもしれない。なにしろ「全長20キロ以上のUFO」に乗船しただけでなく、操縦したこともあるというのだから・・・。

本当に岡氏は超巨大UFOに乗船したのだろうか。

(その38)
UFOの目撃7

岡美行はシュールレアリズム(超現実主義)の画家である。しかし、「超現実」であるのは、彼の絵だけではないらしい。彼が体験したと主張するUFOとの遭遇は、完全に(そして文字通り)宇宙の彼方まで「飛んで」いる。

最近では、大槻ケンヂが『のほほん人間革命』(宝島社)や自分の番組で取り上げるなど岡美行が脚光を浴びたが、岡は1970年代からUFOコンタクティーであると公言してはばからなかった。横尾忠則の「お友達」でもある。

私は1980年代に、東京・自由が丘のそばにある岡美行の自宅に取材に行った。けちなのか貧乏なのかわからなかったが、暗くなっても電気をつけず(あるいは電気を止められていたのかもしれない)、ろうそくに火をともし、その周りに鏡を立てて、明るさを増幅させていた。私は図らずも「なるほど、うまくやるものだな」と感心してしまったのを覚えている。ただし、家の中はいっそう不気味になり、UFOの話なのか怪談なのかわからなくなってしまった。

岡美行の話はそれだけ不気味であった。

岡が最初にUFOを見たのは、1945年5月24日午前1時から同3時ごろ。空襲警報が激しく鳴り、周囲の家が火の海になったとき空を見上げると、B29爆撃機の下をオレンジ色の光体がフラフラと飛んでいた。その後、母親の実家がある和歌山・由良に疎開しているとき、友人と流星観測中に白い物体が頭上を飛んで行き、乳房山の山頂付近で急上昇するのを目撃している。

その二回の目撃後、25年以上経ってから岡は第三回目の目撃をする。その兆しは1973年9月ごろから始まった。身の回りで次から次へと不思議なことが起こりはじめたのだ。ちょうど絵画の作品展で忙しい時分だった。

まず、「ヨッチャン」と岡を呼ぶ声が耳の中で聞こえるようになった。台所や本棚のガラスがバーンと音を立てるようになった。外でドドーンと音がすることもあった。そして、同年12月2日の午前1時から4時にかけて、とうとう事件が起きた。
=文中敬称略

(その39)
UFOの目撃8

岡美行はそのころ不眠症で、夢を見たかと思うと覚めて、また夢を見るという状態の繰り返しだったという。

その夢の中で、電話が鳴ったので岡が受話器を取ると、最初は女の声で、次に男の声で「ワハハ」と笑っているのが聞こえた。そこで目が覚めて、また寝ると変な夢を見る。今度は近所の通りを歩いていると、後ろから途方もなく大きな黒い物体が追いかけてきた。岡がびっくりして逃げ出した途端に目が覚めた。

ところが目を覚ますと、岡のそばにはコバルトブルーのウエットスーツを着た身長20センチほどの小人がいるではないか。思わず左右を見回すと、驚いたことに、寝ている自分がいる。しかも、寝ている自分に向かって、何かを向けている別の人影があった。身長一メートル六〇センチぐらいの真っ黒な宇宙人だった、と岡は言う。「僕はそのとき、夢から覚めてちゃんと起きていた」

その後、岡は寝ている自分に戻ったところ、目の前に同心円が二つある銃口のようなものが見えた。多分、その黒い宇宙人が寝ている岡に向けていたものだろう。岡がその「銃口」を見ていると、足からしびれてきて気絶してしまった。気が付くと、乳白色のドーム型円盤に乗っており、その円盤はパァーッと急上昇したという。

以来、岡はしばしば夜になると円盤に乗っては、いろいろな惑星を訪れるようになる。ある時は、頭に外科手術のようなことをされた。そのとき岡は、頭蓋骨をパカッとはずした自分の脳みそを見せられたとも言う。

私が夢と現実がごっちゃになっているのではないか、と質問しても、「絶対夢ではない」と譲らない。「私も夢ではないかと宇宙人に聞くと、宇宙人に怒られるのだ」と岡は言う。

岡は数え切れないほど多くの惑星を訪問した、と言う。それぞれの惑星では、その惑星の住人(宇宙人)の体に入って、実際にその惑星での生活を経験したのだという。ある惑星ではカニのような体の宇宙人を「体験」、そのときは長いはさみの付いた手を動かしたりして面白かったと岡は語る。

非常に変わった経験だ。宇宙人の体の中に入り込むというのだから、おそらく霊が憑依するような方法で、その宇宙人にとりついたのであろうか。

岡は宇宙船も操縦させてもらったという。小さい宇宙船から大きい宇宙船まで。「どのくらい大きいのですか」と聞くと、「全長20キロぐらいかな。とにかく大きい。地球人の想像をはるかに超えている。しかも、単なる乗物でもないようだ」と言う。

全長20キロといえば、東京駅から川崎市を通り越して、横浜市鶴見区に至ってしまうような距離だ。空いっぱいに、そのような巨大宇宙船が覆っていることを想像する。確かに、信じられないくらい大きな宇宙船だ。

岡はまた、自分が訪れたという惑星の都市の絵をたくさん私に見せてくれた。中央に尖った巨大な塔がある都市など、いずれも地球上にはないような都市であったが、想像力を使えば書けるような絵でもあった。

「ピラミッド・アズ・ミラクル」という宇宙を舞台にした「実話」を書いているとも言っていた。詳しい内容は明らかにしてくれなかったが、地球にあるようなピラミッドは、実は他の惑星にもあって、宇宙の秘密が隠されているのだという。しかし今日に至るまで、その「実話」が公開されたという話は聞かない。
(文中敬称略)

(その40)
超能力者列伝4(秋山眞人)

岡美行の惑星探訪の話に比べたら、秋山眞人の宇宙人との遭遇体験などはかわいいものだ。というよりは、まともな体験に思えてくる。

秋山眞人とは、1980年代後半に彼が編集長を務めた月刊誌「ボストンクラブ」に私が原稿を書いて以来の付き合いだが、当時から近しい人に対してや小さな集会では、自分が他の惑星に行ったことがあることを明らかにしていた。ただ公には、その話はご法度で、私も実名で書いてもいいかと聞いたら、「社会的に袋叩きに遭うので、勘弁してくれ」といつも断られた。

しかしその秋山も、1997年春に「カミングアウト」する。何でも宇宙人から本を書くように頼まれたからだという。そのときは当然躊躇した、と秋山は述懐する。

「なぜ、いま、私が発表しなければならないのですか」と秋山は聞いた。すると、次のような答えが宇宙人から返ってきた。「今年(1997年)は君たち人類にとって、そして地球にとって大きな変革の年である。その大きな変革のときに、われわれの真の姿を公表することは大きな意味があるのだ。それをわかってほしい」

その宇宙人の真剣な眼差しを見たら、断ることはできなかった、と秋山は言う。秋山は、宇宙人との関係を洗いざらい公表することにした。それが、1997年4月に出版された『私は宇宙人と出会った』(ごま書房)であった。

その本と私が取材した話などを総合すると、秋山が体験したという宇宙人との驚異の遭遇記録は次のようなものだ。

秋山が最初にUFOを目撃したのは、1970年代半ば、中学二年、15歳のときだった。そのころの秋山は、友達のいない寂しい少年であった。というのも、父親の仕事の関係で引越しが多く、転校先でいじめられることが多かったからだ。静岡の田舎の学校に転校したときもそうであった。友達ができず、寂しいので、秋山は自宅の裏に広がる風景の中で鳥やリス、ウサギなどを眺めては気を紛らわせていた。

そうしたある日、テレビでUFO特集の番組があり、テレパシーでUFOを呼び出す方法というものが紹介された。秋山はこの話に飛びついた。秋山はそれまで、唯物論者の父親の影響もあり、こうした話は意図的に避けて育ってきた。しかし、秋山の当時の不安定な精神状態においては、まさに天からの助け舟のように思えたのだろう。「気楽な遊び感覚」ではあったが、テレパシーで宇宙に呼びかけてみることにした。
=文中敬称略

(その41)
超能力者列伝5(秋山眞人)

夜の9時ごろから2時間ぐらい毎日、秋山は自宅2階にある寝室の窓から星空に向かってUFOに呼びかけた。「こちら、地球、日本の秋山です。私の気持ちが届くのであれば、はっきりわかる形で現われてください」。孤独な秋山にとって、それは魂の絶叫でもあった。

しかし、1週間経っても、2週間経っても、UFOは現われない。見上げる夜空にも何の変化や兆しもない。ただ、秋山の心境にはやがて変化が現われた。最初は出てきてくれるのではないかという期待とやはり出てこないだろうなという不安が入り混じった感情だったのが、やがて「なんで僕はこんなことをやっているのだろう? ノイローゼになるんじゃないか」と自分自身に対する不信感が生じた。そして最後には、「もうUFOなんてどうでもいいや」という気持ちに変わっていった。その時までには、星空を眺めるだけで妙に心が落ち着くことに気が付いたのだ。

秋山によると、これがよかったのだという。超能力を発揮するときは、ギュッと緊張していたときにフッと力を抜く、その瞬間に力が発揮されるのだと秋山は言う。あることを念じていても、一歩引いて、あきらめたような、あるいは執着をなくしたような状態のときに、願いが叶うことがあるのだそうだ。

それは、呼びかけを始めてからちょうど30日目のことだった。とうとうUFOは出てこなかったが、それでも30日間も夜空を眺め通したという達成感が秋山にはあった。「毎晩、星々を無心に眺められただけでもよかったじゃないか。さあ今日はもう寝よう」と思いながら、重たい雨戸をガラガラと引っ張って、窓を閉めようとした。

その瞬間である。雨戸を閉じる途中、その狭くなった視界に、オレンジ色の光の玉が横切ったかと思うと、秋山の前方辺りで静止したのだ。ソロバン玉のような形で、本体はオレンジ色だが、その周りはうっすらと緑がかっていた。

ところが、あれだけ見たがっていたUFOが目の前に浮かんでいるのに、恐怖心がみるみると湧き上がってきた。「これは何だ!? こわい!」と秋山が思ったと同時に、オレンジ色の光体はフラッシュのような光を一瞬放ち、きれいなカーブを描きながらスーッと彼方へ消えていった。

秋山はしばらく考えていた。「あれは人工衛星ではないのか。自衛隊のジェット機ではなかったか」――。だが、色も形も、その飛び方も、明らかに人工衛星でもジェット機でもなかった。

やがてフツフツと、心臓の辺りから温かいものが涌いてきた。秋山の疑念は確信へと変わっていく。「UFOに間違いない! 私の思いは空間を超えて宇宙に届いたのだ!」
=文中敬称略

(その42)
超能力者列伝6(秋山眞人)

おそらくコンタクティーたちは、同じような経験をするのだろう。秋山が最初にUFOを目撃した翌日から、秋山の身の回りでは次々に不思議なことが起こるようになった。

最初に起きたのは、金属が変化することだった。秋山がスプーンなどの金属に触れると、金属の表面が荒れ、亀裂が入ってしまうのだ。秋山の周りにある電気製品も壊れはじめた。河原で遊んだ夢を見た翌朝には、布団の上に小石がたくさん落ちていることもあった。「超能力全開状態」となり、人間が光のかたまりに見えたり、頻繁に他人の想念が飛び込んできたりするようになった。

そうした急激な変化に対して秋山はなす術がなかった。想念が「機関銃」のように飛んで来て頭を悩ませ、苦痛だけが増していくようだった。しかし、そのような状態の秋山を救ってくれたのはUFOであったのだろう。学校の帰りや試験中など昼夜を問わず、秋山の前にUFOが出現するようになる。出現する前は決まって、耳鳴りのようなものが聞こえて、頭の上に脈動感のある圧力を感じたと秋山は言う。やがてUFOは、呼べばいつでも出てくるようになった。

秋山にとってよかったのは、UFOがクラスメートと一緒にいるときでも出てきてくれることだった。それまで友達がほとんどいなかったのに、「秋山といるとUFOが見られる」という話が広がり、友達がどんどんできて、すっかり人気者になっていった。

最初の目撃から半年ほど経ったある夜、秋山に再び不思議なことが起こる。寝床で休んでいると、突如、目の前が明るくなったのだ。びっくりして目を開けると、電気は消してあったので部屋の中は真っ暗なままだ。しかし目を閉じると、頭の中が煌々と明るくなる。

「これは何だ! 何か変なことが始まるのか」と秋山が不安に思っていると、まぶたの裏のその明かりの中に、はっきりとした黒抜きで、象形文字のようなものが浮かび上がってきた。慌てて目を開けると、その文字は消えて、暗闇になる。ところが目をつぶると、明るくなり、その文字が現われる。それは何度やっても同じだった。秋山は何か意味があるのだと思い、その文字をノートに書き写した。

面白いことに、一つの文字を書き写すと、次の文字が現われる。それをスケッチし終わると、また次の文字が現れるというように全部で7,8文字をスケッチした。「映像的な意味でのテレパシーの受信の始まりだったんですね」と、秋山は当時を振り返る。

それからというもの、毎晩10時ごろになると、ビジュアルなメッセージが必ず送られてくるようになった。文字の形も段々と精密になっていった。静止画だったのが白黒の動画となり、やがて色がつき、立体的なイメージへと変わった。「触ることができるのではないかというほど、リアルなイメージに変わっていった」という。

秋山がそこまで鮮明な画像を受信できるようになるまで約3ヶ月かかった。テレパシーの訓練は段階を追って進められたようだ。次に送られてきたのは、動力部などUFOの各部の影像だった。「UFOに対する恐怖心を取り除くためだったのではないか」と秋山は言う。

それが終わると、つまり恐怖心を和らげる訓練が終了したころ、今度は人影のような影像が送られてきた。しばらくして、顔もはっきりとわかるようになった。するとその人物は「ようやくここまできた。今後もコンタクトを続けたいが、拒否したいならしてもいい」とテレパシーで語りかけてきた。秋山に迷いはなかった。「続けてください」
(続く)=文中敬称略

(その43)
超能力者列伝7(秋山眞人)

こうして、秋山とその宇宙人との本格的なテレパシー交信が始まった。宇宙人には名前がなかったが、それでは秋山が混乱してしまうからという理由で、便宜上「レミンダー」と名づけられた。

それは綿密なカリキュラムに基づいた個人授業を受けているようなものだった。「講師」も最初はレミンダーだったが、ベクター、グレマールなどとコンタクトの段階に従って変わっていった。初期のころの内容は「善悪の基準とは何か、本当の人間の力とは何か、宇宙の実体はどうなっているのか」といった宇宙哲学の初歩的なものから、テレパシー開発法や心の調整法といった実用的な超能力開発法に至るまで多岐にわたった。

テレパシー交信はシンボルによる通信が中心だった、と秋山は言う。秋山がコンタクトした宇宙人には「サムジーラ」という影像システムがあり、彼らのテレパシーをシンボルに変換して送ってくるのだという。シンボルと言ってもただの記号ではない。そのシンボルには多くの意味が込められている。

「テレパシーは、伝えたい情報のすべてを一瞬にして伝えることができるのです」と秋山は言う。たとえば、自分が秋山であることを伝えようとした場合、秋山のプロフィールを含んだ情報のかたまりが、イマジネーションとして相手に直接伝わるそうだ。しかも、一瞬でその内容がわかる。

ちょっと話は飛ぶが、秋山が語るテレパシー交信の有様は、エマニュエル・スウェデンボルグが精霊界で見聞きしたという「想念の交通」(霊界の住人の間で交わされる会話)というものに非常によく似ている。想念の交通では言葉も使われるが、私たちが数千語を費やさなければ説明できないことも、数語か数十語で事足りてしまう、とスウェデンボルグは述べている。つまり、一つの言葉にたくさんの情報を込めることができるのだ。

スウェデンボルグが描く霊界の文字も、秋山がテレパシー交信で使ったという文字(シンボル)に似ている。スウェデンボルグによると、霊界の文字は曲線が多く、人間界の文字と比べて、数少ない文字の中に非常にたくさんの意味を込めることができる。一つ一つの数字にもいろいろな意味が含まれるという。

さて、秋山がこうしたテレパシー交信にも慣れてきたころ、宇宙人とのコンタクトは次の段階に移行した。UFOの最初の目撃から2年近く経ったころだった、と秋山は言う。

ある日曜日の午前中、秋山が家でゴロゴロしていると、「新たに一つの謎が解明される!」という直感が走り、居ても立ってもいられないような強い衝動にかられた。その衝動は、秋山を外へと導き、駅へと向かわせた。秋山はそのまま切符を買って電車に乗り、直感にゆだねるままに静岡市呉服町の駅で降りて、駅前の商店街の方へと歩いていった。
(続く)=文中敬称略

(その44)
超能力者列伝8(秋山眞人)

駅前商店街に入ると、秋山の胸騒ぎはますます強くなった。心臓の鼓動もドンドン激しくなる。そのとき、前方の人ごみの中から、ビジネスマン風の男性が秋山に向かって歩いて来るのに気がついた。

その男性は、クリーニングしたばかりのようなパリッとした背広とワイシャツを着て、赤いネクタイをしていた。一見すると、普通の人なのだが、妙に気になる。その男性も秋山を見つめ、まっすぐと正面から歩いて来る。秋山が「ぶつかるからよけなくては」と思い、進路を変えると、向こうもその方向へ変えてくる。いよいよおかしい。また、体をそらすと、その男もそちらへそらす。そしてとうとう、秋山の前でスーッと立ち止まった。

近くでよく見ると、「普通のわれわれのような人ではないんです」と、秋山は述懐する。「独特な目なのです。それは非常に優しいようで、その奥に荘厳な厳しさといいますか、そういうものをキープしている独特の目なのです」

そのとき突然、頭の中で「秋山さんですね」という声が鳴り響いた。秋山はびっくりした。そして、もしやと思って、「宇宙の方ですか?」とテレパシーで呼びかけた。するとその男は、今度はちゃんと口に出して「そうです」と言う。

「とにかくお話しましょう」と男は言うと、秋山の背中に手を当てて、繁華街の地下にある喫茶店へと導いていった。

喫茶店での会話はテレパシーではなく、口頭で行われた。もちろん秋山は最初、その男がスパイか何かではないかとか、危険な人物ではないかと疑念を持った。そうした疑いを持つ秋山の心を読み取り、その男は言った。「私は、別に脅かすために来たのではない」。そしてその男は、秋山が体験したすべてを、日付や時間まで知っていた。秋山が心の中に秘めていたことすら、その男は知っていた。

ここまで言い当てられたら、秋山も信じないわけにはいかなかった。聞きたいことがたくさんあった。「いままで僕が体験してきたのは本当なのでしょうか」「テレパシーとはどういうものなのでしょうか」など、秋山は矢継ぎ早に質問した。

こうした質問が終わり、秋山が納得すると、最後に男はこう付け加えた。
「あなたが望まなければ、我々は提供しない。あなたは望みますか。我々の持っている科学を少しでも知りたいと思いますか。そしてあなたは向上を考えることができますか」
秋山は「できます」と答えた。
男は言った。「じゃ、これからもたびたびお会いすることになるでしょう」
(続く)=文中敬称略

(その45)
超能力者列伝9(秋山眞人)

秋山が商店街で出会った宇宙人にも、「レミンダー」同様に名前がなかった。男は言った。「私たちには名前がない。しかし、このままではあなたが混乱するので、仮に“ベクター”と呼んでください。いいですか、ベクターですよ。あなたが今度、この名前をイメージしたときには、私はもうあなたのそばにいます」

それ以来ベクターは、秋山が行く先々に現われるようになった。今風に言えば、ストーカーと同じである。しかし、見張られているというより、見守られているという感じだったようだ。とくに、秋山が精神的に落ち込んだりしていると出現することが多かった。

宇宙人のカリキュラムが進むにつれ、様々な未知の超能力的な体験が続いたため、秋山が無意識のうちにベクターに助けを求めていたのではないだろうか。ベクターはいつも「私たちは兄弟だ。友達だ」と言っては、しきりに不安を取り除こうとしていたと秋山は言う。

テレパシーによるコンタクトから始まって、宇宙人との面会に至り、秋山はいよいよ次の段階に進むことになった。彼らの宇宙船である円盤に同乗・操縦することになったのだ。

しかし、その前には訓練が待っていた。自動車教習所のシミュレーションのようなものだ。テレパシーで小型円盤内部の立体影像が毎晩のように送られてきて、秋山はそのイメージの中で操縦訓練をした。

操縦は精神力によって行われた、と秋山は言う。目の前のスクリーンを見ながら、小型円盤を母船に着艦させる。最初は母船の横腹に衝突して、そのたびに「意識が急激に落下していくような感覚で、自分の体に意識が戻ってきてしまう」。しかし、そんな失敗を繰り返しながら、イメージの中ではうまく操縦できるようになっていった。

イメージ訓練が終われば、次は「路上訓練」だ。秋山はそのころ18歳になっていた。

その日は、富士山の2合目まで来るようにテレパシーで告げられたという。夜8時ごろ、秋山が樹海近くで待っていると、突然、空中が光った。次の瞬間、テレポーテーションして来たのか、そこに直径10メートルぐらいの円盤型UFOが現われた。円盤からはビームではなく、タラップが降りてきて、秋山はそのタラップを使って円盤に乗り込んだ。

円盤の内部は、光源がないのに部屋全体が明るかった。入り口はハッチ式だったが、ハッチが閉まると、継ぎ目が見えなくなった。勧められるままにメタル感のある椅子に座ると、その途端に椅子は秋山の体にフィットするように形を変えた。円盤が発進すると、五分ぐらいは身体に風が通り過ぎるような感覚を覚えた。見るもの見るものが不思議で、驚異に満ちあふれていた。
(続く)=文中敬称略

(その46)
超能力者列伝10(秋山眞人)

最初に秋山の目を引いたのは、円盤の底部にある動力部だった。「フリーエネルギーを宇宙空間から生産するような」ある種のモーターがあった、と秋山は言う。そのモーターはスズメバチの巣のような六角形のパイプの集合体で、そういう短いパイプを集めたような板が7層重ねになっており、その中の空間が明るく光ったり薄れたりを、まるで呼吸しているかのように繰り返していた。

モーターからは軽い振動音が聞こえており、モーターは3本ほどのケーブルで円盤と接続されていた。円盤内部の壁や床は「フリーエネルギー(注:おそらく無限に抽出できるエネルギーのことであるとみられる)」の力と連動しており、そのすべては乗り込んでいる宇宙人の意識とも連動していたという。すなわち、円盤自体が宇宙人の想念によって動く、一つの生き物のようになっていたわけだ。

コントロールセンターとみられるところにはスクリーンが何枚もあって、そのスクリーンの前で宇宙人が自分の意識から出る波動を調整していた。その波動はスクリーン上で、図形に変換される。図形がきれいに描ければ、円盤はスムーズに進むのだという。

その日は秋山が船酔いのようになって嘔吐してしまったので、操縦訓練まで至らなかったが、次に乗船したときからはUFOの操縦にも挑戦したという。スクリーン上の図形が楕円とか球形に近づけば、操縦はスムーズにいくのだが、秋山がやると、メチャクチャな図形が現われる。するとUFOもあっちへ行ったりこっちへ行ったりフラフラする。意識を鎮めても、なかなかうまくいかない。

その後何度も円盤に乗船、訓練を重ね、上手とは言えないが何とか操縦方法を習得したという。秋山は合計で母船型には20回、小型UFOには200回以上乗船したことがあるというから驚きだ。

秋山はUFOに乗って別の惑星にも行ったと主張する。太陽系では水星と金星に行ったという。どちらにも都市が築かれ、いろいろな惑星から来た宇宙人が太陽系の中継基地として利用しているのだそうだ。月の裏側にも地球に行く場合の中継基地があり、「どんな宇宙人もそこから地球にやって来ている」という。別の惑星に行くときは、小型の円盤から大気圏外で母船に乗り換える。所要時間は数時間だという。

秋山は、さらに遠くの太陽系外の惑星にも連れて行かれた。具体的にどこにある星であるかは明らかにしていないが、カシオペア座の方向にある惑星だという。実はこの惑星、秋山にとっては非常に因縁のある惑星であった。秋山が前世でこの惑星に住んでいたというのだ。その惑星は、秋山に接触した宇宙人の母星でもあった。
(続く)=文中敬称略

(その47)
超能力者列伝番外(秋山眞人と惑星間の輪廻転生)

秋山が前世で宇宙人の惑星の住人であったことを告げたのは、ベクターであった。それは秋山が、なぜ自分に接触してきたかをベクターに聞いたときだった。

「君とわれわれの間には約束があった」とベクターは答えた。それも、とても古い時代に交わしたもので、秋山と彼らの間には生死を超越した何万年もの長きにわたる約束があるのだという。ベクターはさらに、秋山の「魂の系図」を見せて言った。「君のルーツ、流転を含めて、君を評価している。そういう君と会うことは、われわれにとって意味がある」

その系図によると、秋山ははるか昔にその惑星の住人であったことがあり、そのときにある約束をした。その約束を果たすために、秋山は地球に転生してきたのだという。ベクターは続けた。「その約束によって、われわれも君に会いに来ているのだ」

なんということか。一つの生から別の生へと、何生にもわたる時空を越えた約束があった。人間は惑星間で輪廻転生を繰り返しているのだろうか。確かに地球上で一つの国から別の国へと輪廻転生がなされているのであれば、宇宙において一つの惑星から別の惑星へと輪廻転生していたとしても不思議ではない。

当然、にわかには信じ難い。だがこうした考えは、昔からあった、あるいは昔の一部の人は知っていたのではないかと私には思われる。それを裏付けるのが、私たちのよく知っている『竹取物語』だ。

『竹取物語』は単なる昔の御伽噺とされているが、実はそんなに単純な話でもない。そこには仏教的教訓説話や地上的輪廻転生物語を超えた、壮大な宇宙のストーリーが隠されているように思う。

このかぐや姫の物語は、平安時代前期に書かれたとされるだけで作者もわかっていない。『源氏物語』絵合(えあわせ)の巻に「物語の出で来はじめの祖(おや)」、つまり物語の世紀の幕開けとなった記念すべき作品であると紹介されている。

ストーリーは誰でも知っていると思うので省略するが、重要なポイントはかぐや姫が地球に降りて来た理由である。その部分を抜き出してみよう。かぐや姫が月の世界から迎えが来ると予告した八月十五日の満月の晩、月の都(月面基地)から空飛ぶ車(UFO)でやってきた天人(宇宙人)が、かぐや姫を育てた翁に話しかける場面である。

「お前、分別のない者よ。ちょっとした功徳を、爺、お前が積んだので、お前の手助けにと思って、少しの間と言って(翁のもとへ、かくや姫を)下したのに、多年、たくさんの金を与えられて、昔の翁とは思えないほどになった。かくや姫は、罪を犯されたので、こうして、身分の低いお前のもとに、しばらくの間、身を寄せられたのである。罪の償いもはたされたので、こうして迎えに来たのに、翁は泣いたり嘆いたりする。(いくら泣いても)かくや姫を引き留めることはできないことだ。早く姫をお出し申し上げよ」
(講談社学術文庫『竹取物語』全訳注・上坂信男より)

つまりかぐや姫は、「月の世界」かどこかで罪を犯した、そして、地球に流されて罪の償いを果たしたという。では、月の世界とは何か、どんな罪を犯したというのか。地球は流刑地なのか。それよりもどうやって、かぐや姫は八月十五日に月の世界から迎えが来ることを知ったのか。ここには、いくつもの謎がある。
(文中敬称略)

(その48)
超能力者列伝番外(竹取物語と惑星間の転生)

犯した罪により、地球へ島流しならぬ「星流し」になったというかぐや姫――。まず不思議なのは、かぐや姫はどうやって、自分が月の世界から来たことを知ったのかということだ。『竹取物語』にはその方法・経緯についての言及はない。月の世界から手紙(文)でも届いたのであろうか。そのような「物証」が残っていれば、『竹取物語』の執筆者もそれに触れたであろう。だが、そのような文は多分なかった。

では、かぐや姫は自分の過去生を思い出したのだろうか。
その答えはイエスだ。かぐや姫は少なくとも自分の前世を、何らかの方法で思い出していた。それはかぐや姫が翁に次のように語ることからもわかる。

「前々から申し上げようと思っていましたが、(申し上げれば)『きっと動転なさることだろう』と思って、今まで申し上げないできてしまいました。『申し上げずにばかりは居られませんでしょう』と思って、申し上げるのです。私自身はこの人の世の者ではありませんで、月の都の者でございます。それを、前世からの因縁がありまして、そのために、この人間社会にやって来たのです。今は、帰るべき時間になりましたので、今月十五日に、あの、昔住んでいた月の都から、迎えに人々が来ようとしています。迎えをことわることはできませんで、お別れしなければなりませんので、そのときお爺さんたちがお嘆きなさろうことを思うと、それが悲しくて、今年の春ころからため息をついていたのです」
(講談社学術文庫『竹取物語』全訳注・上坂信男より。以下同様)

このことから、かぐや姫が自分の過去生を知っていた、しかも、「月の都」で送った過去生があったことがわかるわけだ。しかし、ただ過去生を思い出しただけでは、月の世界から決まった日時に迎えが来ることを知ることはまずできない。かぐや姫と月の世界の住人との間で、事前に何らかのコミュニケーションがあったと考えるべきであろう。

どういう通信手段であったのか。手紙などの物証を残すことなく、そうしたコミュニケーションがあったとすれば、現代であれば、電話やインターネットを思い浮かべることができる。だが、かぐや姫の時代にはそのような文明の利器はなかった。

そこで考えられるのは、秋山眞人と宇宙人が交わしたようなテレパシーを使った交信である。そうした交信が可能であるならば、テレパシーこそ、かぐや姫が過去生や自分の素性を知り、なおかつ、八月十五日に月の世界から迎えに来ることを知ることができた、最も説得力のある説明になるのだ。

秋山が「過去生における約束によって地球に転生してきた」と主張するように、かぐや姫もまた「前世からの因縁」により地球に転生してきたと考えられる。少なくとも、かぐや姫はそう主張しているように思える。

古典の原文では、「前世からの因縁」は「昔の契(ちぎり)有るによりてなん」と記されている。「昔の契」とは、宇宙的なカルマ、つまり秋山がベクターから告げられた「生死を超越した何万年もの長きにわたる約束」のようなものであったのだろうか。
(続く)=文中敬称略

(その49)
超能力者列伝番外(竹取物語と惑星間の転生)

かぐや姫が前世からの因縁により地球に来たと語ったのは確かだとしても、一体どのような因縁であったか、月の世界とはどのようなところであるのかについて、『竹取物語』は詳細を明らかにしていない。しかし、月の世界の住人が空飛ぶ車に乗って翁の家にやって来たときの描写や翁とのやり取りから、月の世界の住人の様子やかぐや姫の因縁をある程度、推測することはできる。

まず、月の世界の住人とはどういう人達であろうか。「装束の清らなる事、物にも似ず」とあるように、見たこともないような美しい着物を着ていた。そして、うすぎぬの蓋(かさ)をさしていたという。この描写に関して言えば、神仙人のようであるが、面白いのは、かぐや姫が、天人が用意した羽衣を着ると、翁と話ができなくなってしまうということだ。聖徳大学の山口博教授は、この羽衣こそ空飛ぶ車、すなわち宇宙船に乗るための宇宙服であったのではないか、と想像を膨らませる。

それにも増して驚かされるのは、空飛ぶ車に代表される高度な「科学力」だ。空飛ぶ車は地上数メートルのところでホバリング(滞空)できたというのだから、ただのグライダーのような乗物でないことがわかる。しかも、灯りといえば油ぐらいしかない時代に、真昼以上に明るいライトで周囲を照らしたというのだから、当時の人々はあっけにとられただろう。

もちろんこうした現象は、天人を宇宙人、空飛ぶ車をUFOと解釈すれば、すべて簡単に説明できてしまう。とにかく「月の世界」と地球の間には、科学力で圧倒的な差があったことは明らかだ。

実は秋山眞人の話と『竹取物語』の間にはかなり共通する点がある。『竹取物語』では地球は流刑地のように描かれているが、秋山によると地球は一時期、一種の刑務所で、「流刑地として進化」したことがあったという。「宇宙人のなかでも、哺乳類系で宇宙の秩序を破った連中が地球に送り込まれ、ある程度力を奪われて、地球人として転生した」と秋山は言う。

また、ベクターが秋山眞人の「魂の系図」を知っていたように、『竹取物語』の天人も翁の素性をすべて知っている様子であることも興味深い。天人(宇宙人)は、地球上の個人情報をすべて持っているかのようだ。

月の世界を、文字通り月にある世界であると考える必要もない。たとえば秋山眞人は、アダムスキーが言う金星人も金星の基地に住んでいる宇宙人という意味であると述べている。それぞれの宇宙人は母星の正確な位置を教えたがらない。それは、それを教えてしまうと、地球人の想念がその惑星に向かって悪影響を与えるからだと、秋山は説明する。それが本当だとしたら、月の世界の住人とは、月の基地にいる宇宙人ということになる。

さて、かぐや姫の「因縁」については、全く推測するしかないが、かぐや姫は月の世界で罪を犯したという。この犯した罪が、かぐや姫が翁に説明した「前世の因縁(昔の契り)」と同じかどうかはわからないが、そういうカルマを意味するのであれば、同じとみていいだろう。

おそらくかぐや姫は、月の世界(別の惑星)での前世において、地球とかかわるような何らかの使命を帯びた。あるいは地球での遠い前世において「罪」を犯した。その罪を償うため、つまり、カルマを解消するために、再び地球にやって来たのではなかろうか。

『竹取物語』はフィクションであったかもしれない。だが、そこには確実に、惑星間の輪廻転生という壮大な宇宙哲学が隠されているのである。
(続く)=文中敬称略


梅と竹

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