天の王朝

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不思議な世界6


超能力者列伝40(清田益章)

テレポーテーションなど月に2,3回はやっており、不思議でもなんでもなかったと豪語する清田益章をして、一番すごい体験だったと言わしめたのが、「無」の世界に入った体験だったという。

中学一年生のとき、清田はそのときまでに、かなり自由にテレポーテーションを使いこなせるようになっていた。ある日、清田は「今日は、無の世界に行ってみよう」と思い立った。

「いろんな宗教のおじさん」が「無の境地になれ、無になればすべてがわかる」などと言っているのを聞いて、清田は無の世界に強い憧れを持っていたのだ。どんな世界なのだろう――。少年・清田は父親に「お父さん、僕これから無の世界に行ってくるからね」と告げ、部屋に籠もって集中した。

そう簡単ではなかったが、長い間集中しているうちにある瞬間に「いきなりパッて入っちゃたんだ」と清田は言う。「このときのことはとても言葉では言い表すことができない・・・・・・言葉になんて絶対にできない世界なんだよ。テレポートする時の何百倍もスゴイものがあった」

どのようにすごかったのか。清田によると、時間的な感覚がすごくズレていた、しかも、時間は一定ではなかったという。「意識はあるんだけど、時間が狂っている。たとえばね、瞬きするんでも、瞬きの1回が“グッ―――――――ッ・・・チョ~~~ッ~パ――――ッジョ~~ッチッ~~ッ・・・ツ”って感じだったり、かと思うと“パチ”であったり、もう時間の感覚がグニョグニョなわけ」

その無の世界の中でたっぷり四時間はいたと清田は思ったが、帰ってきて時計を見たら一分ぐらいしか経っていなかった。どこかで聞いた話だ。そう、秋山眞人が他の惑星で三日間ぐらい滞在したと思って、地球に帰ってきたら約3時間しか経過していなかったと話しているケースだ。やはり時間は、秋山が言うようにエネルギーのようなものなのだろうか。

清田は無の世界のことを次のように語る。
透明でもなければ、色もない。しいて言うならば、「バニラのアイスクリームのような感じ」だという。しかし、何も見えない。暑いのか寒いのか温度の感覚もない。自分の体は存在するという感じなのだが、肉体は消えている。とりあえず自我は持っていられたものの、意識はランダムでバランスがとれない。

「たとえば」と清田は言う。何かを食べたいと思ったとすると、そのとき、食べたいという感覚と、実際に食べているという感覚と、食べ終わったという感覚が全部同時に重なって存在する。「思考が全部並列に同時に出てくる」。

奇妙な感覚は部屋に戻ってきてからも続いた。「今までの楽しかったことや悲しかったことや、愛や憎悪や、もう自分の持っている全部の感情が一瞬一瞬のうちに全部同じように並んで出てきたんだよ。まわりが『無』になることによって、自分の『有』の部分が全部浮き彫りになった感じ」であったという。

この体験が清田に与えた影響には計り知れないものがあった。人間であるかぎりは完全な「無」にはなれない、ならば人間として生きている間は「無」ではなく、自分という「有」を追及しようと決めたのだ、と清田は語る。「無に近い世界に行ったことで、どうしようもなく自分というものが強力によりクローズアップされたんだよね。あの体験が俺のパーソナリティを決定したね」「あれ以後できるようになった超能力もいろいろあるんだ。とにかくスゴイ体験だった。あれに比べたらテレポートなんてハナクソみたいなもんだよ。スプーン曲げなんてハナクソ以下だよ」
(続く)=文中敬称略

(その81)
超能力者列伝41(清田益章)

“宇宙人”というのは時々、しゃれたことをするなと思う。画家の岡美行が宇宙人とコンタクトをとったときに、宇宙人は最初、電話という象徴的媒介を使ってコミュニケーションをとろうとしたらしいことは既に述べた。実は、清田益章の前に現われた「宇宙エネルギー」と称する“宇宙人”も電話という古風な道具を使っている。おそらく1970年代当時は、いきなり地球人の頭の中にテレパシーを送るよりも、電話を使ったほうがショックは少ないだろうという配慮があったのだろうか。

清田が最初に宇宙エネルギー体である「ゼネフ」と会ったのは、やはり中学一年のときだった。最初は電話がかかってきたと、清田は言う。しかし、電話のベルが鳴っているわけではなく、なんとなく無性に受話器を取りたくなるのだという。自然に意識が電話のほうへ向かう。受話器を取ると、「プー」という音が聞こえるだけ。ところが、その音の奥の方に、「いわゆる混線の音ではない、なんていうかウニョニョョョ~ンって感じの、何かをコミュニケーションしようとしているような声が聞こえていた」という。清田はそれを「地球の言葉ではない感覚」であったと表現する。

そこで清田は一生懸命になって「ハイ、ハイ、なんですか!」とか「あなた誰ですか!?」などと大声で受話器から聞こえる「声」に向かって叫ぶが、清田が理解できるような返答は帰ってこない。そういうことが一週間ぐらい毎晩のように続いた。

家の人はそれを見て、清田は超能力をやりすぎて頭がおかしくなったのではないかと心配する。清田自身も「これはヤバイな」と思ったという。それはそうであろう。鳴ってもいない電話に向かって、独り言のように大声で話し出したのだから。それでも清田には、何者かが清田とコミュニケーションを取りたがっているように思えて仕方がなかった。

最初の「電話事件」から一週間後、清田が自宅で姉と話をしていたとき、部屋の外の曇りガラスのところを黒い影がスーッと通っていくのが見えた。曇りガラスの向こうはトイレに向かう廊下であったため、誰かトイレに行ったのかなと思ったが、どうもそのような気配はない。清田は「なんだろう」と思って、廊下に出て探したが、誰もいない。ところが5分ほど探して、ふと電話の置いてある台をパッと見たら、そこにはとがった耳をした顔がシルエットのようにボーッと浮かんでいた。ジーッと見ていると、顔の表情とかも見えてきた、と清田は言う。その日はそれで終わった。

それから2,3日して、清田が自室にいたとき、窓の外がカタカタいうので窓を開けたところ、薄ぼんやりとではあったが、あの耳のとがった顔が再び浮かんでいた。「肉体を見ているというよりも、ホログラフィで見ている」という感じであったと清田は言う。「霊はその前にも見てたから、霊とは違うなって思ったわけよ。明るいところで見えてるわけだしね」

そこで清田は、そのホログラフィに向かって聞いた。
「あなたはなんですか?」
(続く)=文中敬称略

(その82)
超能力者列伝42(清田益章)

清田の質問に対して、そのホログラフィは答えた。
「私は神ではない。霊でもないし、宇宙人でもない。人間でもない」
「じゃあ、なんなんですか?」と清田は聞いた。
「宇宙のエネルギーだと思いなさい」

宇宙のエネルギー? 清田には何のことかわからなかったが、一応納得して「なんで日本語がしゃべれるんですか?」と聞いた。
「私は日本語を話しているわけではない。ただ、この一週間という時間で日本語の表現の仕方を把握していた」と、その宇宙エネルギーは言う。

その宇宙エネルギーによると、地球人が感じる一秒とそのエネルギー体が感じる一秒とは異なり、長く感じることも短く感じることもできる。清田には日本語で話しているように聞こえる言葉も、実は言葉を話しているのではない。エネルギー体は、耳のとがった顔をしているわけでも、名前があるわけでもない。だけれども、地球人は対象物がないとコミュニケーションがとりにくだろうと考え、あえて耳の長い顔をした宇宙人のような姿をしてみせたのだという。
「名前がないとコミュニケーションがとりにくいなら、私をゼネフと呼びなさい」

ゼネフはそれ以来、清田にいろいろなことを教えた。ただし、秋山眞人に対して接した宇宙人と同様、それは清田の自由選択で行われた。「付き合いたくなければ、付き合う必要はない」というのが、清田とゼネフの関係であった。

ゼネフにとって清田がどういう存在だったかはわからないが、清田にとってゼネフはかなり役に立つ存在だったようだ。中学の中間テストの時期になって、清田がドリルを一生懸命にやっているとき、方程式の解き方が途中でわからなくなってしまった。すると、ゼネフがやって来て、全部答えを教えてくれる。ところが、方程式を解く過程は教えてくれず、答えしか教えてくれない。清田が「どうして過程を教えてくれないんだ?」と聞くと、ゼネフは「どうして過程が必要なんだ?」と、逆に聞き返してくる。

ゼネフによると、地球人はデジタル的な考え方ばかりしているという。たとえば、今10時45分として、デジタル式の時計では、60から45を引いて11時まで後15分あるというように計算をしなければならないが、アナログ式の時計では、見た瞬間に11時まで後どのくらいあるか理解できるではないかという。ゼネフにとっては、それと同じような感覚で、式を見れば答えが瞬時にわかる。カギカッコを解いて答えを出すというやり方は、本来必要のないことだ、ということのようだ。

しかし清田にとっては、それではテストで正解にならない。そのことを告げると、ゼネフは「わかっている。これは人間の進化の一段階であるから、お前はそうガタガタ言うな」と言う。それでも清田が「でも~」と駄々をこねると、ゼネフは方程式を解く過程も教えてくれたという。

清田はこのようにしてテストでいい点を取ったのだろうか。清田は笑いながら言う。
「でも俺、テストの時にはゼネフさんを呼ばなかったよ。フェアーじゃないなって気持ちがあったから呼べなかったんだ。カンニングになっちゃうからね」
(続く)=文中敬称略

(その83)
超能力者列伝43(清田益章)

ゼネフが清田益章に語った宇宙の仕組みも非常に興味深い。
清田はあるとき、ゼネフの本当の姿はどうなっているのか聞いたことがある。これに対して「地球人にはまだそれを理解する感覚がないから、すごく難しい質問だ」という答えが返ってきた。それでもゼネフは、できるだけわかりやすく、少しずつ清田に宇宙について語った。

それよると、どうもゼネフがかつて住んでいた惑星は、今でも地球の南半球に行けば見える星であったようだ。その惑星は何千万年も前に、今の地球と似た環境にあった。「水もあり、人間のように存在している生命体があり、文明を持ち、科学的なものもあり、地球と同じようにそれらも進化していった」という。

ゼネフは、生命体の進化の過程において輪廻転生があるのだと言う。ただし、人間が死んだら一人の意識体が一人のままで輪廻を繰り返し、生まれ変わるのではないともゼネフは言う。別々に死を迎えた二つ以上の意識体が、一つの肉体に宿って生まれ変わる。そして、その肉体が滅びると、気の合った別の意識体とまた一つの集合体となって生まれ変わる。

ゼネフは「この世は肉体的なレベルを修行させる場で、あの世というのは、精神的なレベルを修行させていく場」であるのだという。やがて肉体的レベルと精神的レベルが進化することにより、段々と意識体が統合されていって、人間の個体としての人口は減少、最後には全く一つの意識の集合体になる。その進化の頂点に達した星の意識体がゼネフなのだという。

ゼネフの説明は続いた。より大きな意識の集合体になろうとするのは、生命体のもつ本能のようなものであるという。一人一人が結婚して家族をつくり、その家族が集まって村をつくり、町をつくる。そして国という意識をつくり、世界という意識をつくる。だが、地球人はまだ、せいぜい国という意識のレベルで、地球という意識のレベルまで進化しいてない。

地球人がさらに進化を遂げれば、やがて地球を一つの惑星としての意識で捉えられるようになる。そのとき、地球人としてある程度の進化は完了する。さらに、惑星レベルとなった意識体は宇宙の意識へと進化を続ける。

ゼネフによると、今は地球の一部でしか人口が減少していないが、やがてはもっと自然に人口減少が起きるだろうという。たとえば、女性も一生に一度しか卵子を作らなくなる時代が来る。その一方で、人間自体の寿命は信じられないほど長くなる。すると、この世にいても、肉体的レベルだけでなく、精神的レベルの修行も可能になる。超能力も日常茶飯事となり、他の惑星の住民との交信も自由にできるようになる。そして、やがては肉体すら必要でなくなる。

ただし、そこまでの道のりはまだ遠いようだ。ゼネフはこう言ったという。
「星の意識体ができ上がるまでには、地球ではあと何万年もかかる」
(続く)=文中敬称略

(その84)
超能力者列伝番外(魂の進化論1)

ここで、ゼネフが語った輪廻転生の仕組みを考慮しながら、それぞれの意識体(魂)がどのように進化を遂げるのかについて考えたい。つまり、ゼネフが語る「魂の進化論」を読み解いてみようと思う。

その前に、一つ問題がある。この意識だけの実体を何と呼べばいいか、議論がわかれるからだ。肉体を脱ぎ去った後に残る実体を何と呼べばいいのだろうか。エマヌエル・スウェデンボルグは精霊や霊などと呼び、ゼネフは肉体を持たない自分のことを宇宙エネルギー体と呼んでいる。またある時は、意識だけの実体を、霊体、幽体、アストラル体、ゴーザル体、プルシャ体であるとか、仏教ではマナ識、アラヤ識、アンマラ識などとも呼ぶ。

明確な答えがあるわけではないが、それぞれの意識のレベル、あるいは実体の有様に応じて、名称は異なるといえるだろう。核となる魂を取り巻くように幾層にもエゴ(自我)や次元の層ができていて、どの層までを指しているかによって呼び方が違うようだ。エネルギー体という言葉を使うとオーラまで実体であると定義することにもなる。とりあえずここでは、話を進める便宜上、死後肉体から離れた実体を意識体、あるいは魂と一般化して呼ぶことにする。

ゼネフによると、個々の人間の意識体は合体を繰り返し、やがて一つの惑星の意識体へと進化するという。人間は死後、肉体を持たない意識体となり、その意識体は別の気の合う意識体、あるいは必要な意識体と合体し、再び肉体を持って転生する。従って、意識体は次第に合体され、より大きな集合体へと進化を遂げる。これがゼネフのいう輪廻転生の大きな流れだ。

意識体が合体するという考え方は、スウェデンボルグにも見ることができる。スウェデンボルグは霊界で、男女の霊が結婚するのを目撃したと主張している。霊界での結婚などというと人間の結婚と変わらないのかと思われるかもしれないが、実はかなり異なると、スウェデンボルグは言う。彼によると、霊界の結婚は霊的親近感や親和感の絶対的な極致がないと成立しない。つまり人間界での結婚のように、打算の結婚や政略的な結婚というものが存在しないのだという。

霊的親和感の極致によって結婚した二人の男女の霊の頭上には、ダイヤモンドや金の輝きを放つ気体が表象として現われる。そのように祝福された結婚で、女の霊と男の霊が合体して一つの人格(霊格)が出来上がる。この霊格は合体する前の個々の霊格に比べて、はるかにすぐれた霊格となる。

そして最も重要なのは、結婚した男女の霊は、結婚と同時に二つの霊ではなく、一つの霊としてみなされるということだ。つまり、霊的な心の合体だけでなく、お互いの霊体もすべて互いに相手の中に入り、完全な一つの霊になるのだという。ただし、一つの霊になった後、どちらの性別になるのか、なぜかスウェデンボルグは言及していない。霊界では霊格だけが重要で、性別などあまり関係ないのであろうか。
(続く)

(その85)
超能力者列伝番外(魂の進化論2)

ゼネフによると、個々の意識体(魂)は合体し、より大きな意識体へと変容していくのだという。一方、スウェデンボルグによると、霊界では二つの霊格が一つに合体することがあるという。もし輪廻転生が事実ならば、一つに合体した魂が再び肉体に宿って体験・学習し、その人間が死ねば霊界に戻り、また別の魂と合体するという進化のプロセスを永延と続けていくという可能性も浮上してくる。

その答えを導くヒントとなるのが、多重人格者だ。一つの肉体をもった人間の中に複数の意識(人格)があるのではないかとの指摘は、昔からあった。それが近年、多重人格障害という精神分析学の研究対象として広く知られるようになった。

多重人格障害は学問的には、一人の人間の中に複数の人格が存在する精神的失調とされている。一つの人格が表に出ているときは、他の人格はその間に起こった出来事を知らないことが多い。それぞれの人格は明らかに知能が異なり、独立した記憶、行動、好みを持っている。ロールシャッハテストなど各種性格検査でも明らかに異なった人格であると判定ができる。痛みの感じ方、アレルギー反応、脳波のパターンなども異なるという。

それぞれの人格は、自分の名前や異なる生育暦をもち、性別、国籍、年齢も異なる。訛りなどの言語的特長や言語、筆跡も異なり、同じ肉体にありながら容貌や体格も違う。

多重人格障害がどうして起きるかについては、よくわかっていない。一般的には幼児期に受けた暴力や性的な虐待が原因とされている。深く傷ついた幼児が、そうした自分を取り巻く過酷な現実に耐えることができなくなり、メインの人格がどんどん奥に引っ込んでしまう。そして、その人格を保護するために、身代わりの人格を作り出す一種の防衛メカニズムではないかというのだ。

確かに、本来は統合されているべき人格が別々になってしまうということの背景には、幼児期に受けた深い傷があるのかもしれない。しかし本当に、身代わりとして別の人格を作り出してしまうという解釈でいいのだろうか。もしかしたら、元々私たちの中には複数の人格が実際に存在し、それをメインの人格が統合しているのかもしれない。

そう思わずにいられなくなるケースが、ビリー・ミリガン事件である。1977年、アメリカのオハイオ州で、連続強姦・強盗容疑でビリー・ミリガンという22歳の青年が捕まった。ところが、彼には犯行の記憶がまったくない。調べていくうちに、彼の中にはほかに23人の別の人格があり、犯行はその別人格の仕業であることがわかったのだ。
(続く)

(その86)
超能力者列伝番外(魂の進化論3)

ビリー・ミリガン事件の驚愕すべき点は、ミリガンに現れた別の人格が、本人が学んだこともないはずの言語を話し、習ったこともないはずの知識を持っていたからだ。

たとえば、アーサーというイギリス人の人格は、合理的で感情の起伏がなく、イギリスアクセントで話す。独学で物理学や化学を学び、流暢なアラビア語を読み書きする。レイゲンというユーゴスラビア人の人格は、セルボ・クロアチア語を話すとともに、読み書きもできる。空手の達人で、アドレナリンの流れを自在に操れるため、途方もない力を発揮することがある。アレンは口先がうまく、他人を巧みに言いくるめる。トミーは電気の専門家で縄抜けの名人でもある。女性もいる。アダラナは内気なレズビアンで、詩を書き、料理をつくる――こうした人格がミリガン以外に23もあるのだ。

これはどう考えても、ミリガンが嘘をついたり演技したりしているのではなく、ミリガンという個体の中に、ミリガンとは異なる“経験や知識”を有する別の人格なり意識があるとしか考えられない。

当然のことながら、ミリガンの多重人格障害に関しては、各方面から分析がなされた。しかし、その理由を理解するための決定的な説明はない。それでも、有力な説明のいくつかを紹介すると、次のようなものがある。

まず多重人格障害に否定的な見方として、ミリガンがウソをついているのではないとしたら、治療者が催眠術や暗示をかけ、創作させたというものがある。確かに催眠術にはそれだけの強烈な暗示をかける力はある。しかし、一人分ぐらいの人格はともかく23人分の人格を催眠術だけで作り出すのは事実上不可能だ。外国語一つを教えるにしても数年はかかるとみられる。それこそ、生まれたときから催眠術をかけ続けないかぎり、ミリガンのようなケースは暗示などでは作りだせないだろう。

次に人間の本質は元々、多重人格であるとの考え方もある。人間は、男性であっても女性的な面があり、女性であっても男性的な面がある。これと同様に自分とは正反対の性格を人間は持っているのではないかという説だ。ただ、この説では生育暦が異なったり、自分が習っていない技能を知っていたり、知らないはずの言語を話したりすることの説明がつかない。

遺伝子によって受け継がれた先祖の記憶が想起されるからではないかとの説もある。動物は教えられなくても、生きるための生活の知恵をもっている。これと同じように、人間も親や祖父母といった先祖の記憶や経験が遺伝し、何かのきっかけでそれが発現したという考えだ。確かに遺伝が、身体的特徴だけでなく、気質や性格を継承することはよく知られている。だが、本当に先祖の記憶や経験が遺伝などするのだろうか。少なくとも、ミリガンの場合は、23人の名前を持った人格の中で、祖先の誰かに該当した例は報告されていない。

このほかの有力な説として、過去生の記憶が想起されたのではないかとの考えや、憑依説というのもある。実はこれが真実に一番近いように私には思われる。過去生の記憶であれば、知らないはずの言語を話せたり、習ったはずもない技能をもっていたりする説明がつく。同様に憑依説でもミリガンの多重人格を説明することができるわけだ。

ただし、私はさらにこの考えを魂の進化という過程の中で捉えている。つまり、魂がより大きな宇宙的な意識体へと進化していくのが宇宙の法則であるとしたなら、スウェデンボルグの言うように、魂の結婚ともいえる複数の意識体の合体・統合という現象が起きるはずである。ミリガンだけでなく、私たちはいくつもの意識体(魂)の複合体であるとも考えられるわけだ。

一つの肉体を複数の意識体が共有することにより、それぞれの意識体が進化において必要と思われる経験をする学習メカニズムないしはプログラムが働いているのではないか。それが、虐待など何かのきかっけで複数の意識体を統合するメインの意識体が後退し、統合されているはずの意識体がばらばらになってしまった。大胆な仮説だが、ビリー・ミリガン事件から導かれる結論の一つがここにあるような気がする。

しかしまだ、憑依なのか、過去生の記憶なのかという問題が残っている。その議論はまた明日。
(続く)=文中敬称略

(その87)
超能力者列伝番外(魂の進化論4)

ビリー・ミリガンの中にある24の異なる人格の正体が憑依によるものなのか過去生の記憶なのかは、非常に難しい問題だ。どちらの説でも、知るはずもない言語を話したり、習ってもいない技能を持っていたりすることを説明できてしまう。この問題を解くためには、正木和三が振り子を使ったフーチパターンで導き出した仮説が役に立つかもしれない。

正木が振り子で人間を測ったところによると、人間というものは通常、第一生命体(幽体)と第二生命体(霊体)の二つからなっている。第一生命体は母体内で宿る。その後、9歳から11歳ごろまでは第一生命体だけだが、小学校の終わりごろから中学校時代にかけて第二生命体が宿るという。

第一生命体は、肉体の細胞すべてをコントロールする(肉体の調和を保つ)生命体で、生きていくために不可欠である。第二生命体は人間性を作る(精神の調和を保つ)生命体で、修行や努力によって自由に入れ替えることができると、正木は言う。第一生命体は半径の小さな円や長円で、第二生命体はより大きな半径の円や長円で描かれ、いずれも同じ中心を持つ。

ごく稀に、成人であっても第一生命体しかもっていない人もいるらしいが、正木によると、そういう人は赤ん坊のように純真か、特異な人だという。逆に第三生命体や第四生命体など多数の生命体を持つ人もいる。正木がプロレスラーのアントニオ猪木を測定したところ、意外にも、まん丸の女性型の優しい生命体を少なくとも2つもっていた。しかし、リングに上がったときに測定してみると、長円の男性型の大きな生命体が現われたという。

正木ははっきりとは書いていないが、同心円状に浮かぶ円もしくは長円は自分の生命体であるが、同心円上ではないところに浮かぶ図形は、その人に取り付いた浮遊している生命体(浮遊霊のようなもの)であると解釈しているようだ。ある人のパターンでは、第一生命体と第二生命体の間に無数の複雑な図形が浮かんできた。その図形はすべて第二生命体の内側にあるため、その人の人間性は安定しているが、これが第二生命体の外側にまで及ぶようだと、それこそ「狐つき」のように人格が乗っ取られる。さらに、こうした浮遊霊は別の人間に移るため、パターンがめまぐるしく変わると、正木は考えているようだ。

正木は、精神病患者に対しても測定した。すると、同じ振幅、同じエネルギーを持った生命体が5個から10個も存在し、それがいろいろな方向に気ままに並んでいたという。ただし浮遊霊のパターンと異なり、いずれの図形も同じ中心を持っていた。つまり、安定した5~10個の同心円のようなパターンを描く。おそらくこれが、「正統な憑依霊」とも言えるもので、ビリー・ミリガンを振り子で測った場合に描かれるフーチパターンになるのではないだろうか。

もちろん、正木がミリガンを振り子で測ったわけではないので、確証があるわけではない。ただ、浮遊霊による憑依現象であればフーチパターンで現われる図形は同心円上にはないため不安定で一時的で移ろいやすく、精神病患者であれば同心円上に長期間同じパターンが現われるのではないかとみられる。このことから、長期間にわたり多数の人格をもっていた精神病患者のミリガンの場合は、浮遊霊による憑依ではなく、前世の記憶をそれぞれ持った24の生命体が“正統に”宿ったのではないかと、類推できるわけだ。
(続く)=文中敬称略

(その88)
超能力者列伝番外(魂の進化論5)

フーチパターンから類推されるように、別々の前世の記憶を持った複数の生命体がビリー・ミリガンに宿っていたのだとすると、やはりエマニュエル・スウェデンボルグが言っているような霊同士の「結婚」が、魂の間で頻繁に行われているのではないか、と思われてくる。

では、結婚・合体したそれぞれの魂はどうなるのか。ミリガンのケースを見ると、ミリガンに内在する魂たちは本来、メインの魂によって統合されていることがわかる。それぞれの魂は独自の前世の記憶を持ち続けながら、一つの個体に宿っていることになる。そして個々の体験や記憶は、合体した魂の体験や記憶として共有できるようだ。

ミリガンのケースのように比較的同時代の魂が20以上も同じ肉体に宿ることがよくあることなのかどうかはわからない。そもそもスウェデンボルグによると、霊界での結婚・合体は神聖で、同質のもの同士が「親和感の絶対的な極地」の結果、結ばれるはずだ。それなのに、ミリガンに内在する魂たちは、どう考えても同質な魂同士が「親和感の絶対的な極地」の結果合体したとは思えない。

ミリガンのケースが例外なのだろうか。スウェデンボルグは霊界で、霊界中の中心霊(注:指導的な霊)が集まって、巨人になるのを見たことがあるという。それを考えると、霊界では、結婚以外にも割合自由に仲間になって一つの霊格を形成することができるとも思える。あるいは、正木が言うように、生まれてきた肉体に、魂があとから“憑依”することもあるのかもしれない。同質結集の法則により、霊や魂は引き寄せられるように結集するとも考えられる。その際、一時的な浮遊霊による憑依と恒久的な正統な憑依が存在するのかもしれない。

魂が比較的簡単に合体や結集できるのであれば、おそらく分裂することもまた可能なのであろう。私には、個々の魂が合体と分裂を繰り返しながら肉体に宿り、自分に適した経験を積み重ねて進化していくように思えてならない。そう考えるようになったのは、北川恵子の次のような話を聞いたからだ。

北川によると、ある宇宙生命体とテレパシー交信していたところ、その生命体は北川のある前世において北川と同じ肉体の中にいたことがあると語ったのだという。今は別々の魂が、かつて同じ肉体の中に一緒にいたとはどういうことか。そもそも複数の魂が一つの肉体を共有するなどという考えは、私には思いも寄らなかったので、私は当時、その意味がわからなかった。しかし、ビリー・ミリガンのケースやゼネフの魂の進化論を読むうちに、今ある魂も複数の魂が合体したものであるような気がしてきた。

おそらく、いくつもの魂が一つの肉体を共有するのではないか。そうでなければ、ビリー・ミリガンのような多重人格者が存在することをうまく説明できない。正木のフーチパターンに複数の生命体が出現することも説明できなくなる。一つの肉体に宿った複数の魂は、彼らが必要とする経験を学んだ後、次の段階へと進んでいく。しかもその際、再び分裂することもあれば、さらに合体して別の魂の組み合わせで次の肉体に宿り、それぞれの進化の道を歩んでいく。一度は分かれた魂が、いくつかの転生を経て、再び合体する過程もあるのだろう。

あるいは、私たちは元々、神の意識から分かれた存在であり、再び合体しながら神に戻るというプロセスを体験しているだけなのかもしれない。神という一つの魂から分かれたという「分け御魂(ワケミタマ)」の思想が古神道にも伝わっている。

魂は分裂と合体を繰り返しながら、より大きな意識体へと進化していく。古い肉体から新しい肉体へと、まるで神の新陳代謝のように輪廻転生を繰り返しながら、より神に近い状態へと戻っていくということだろうか。
(続く)=文中敬称略

(その89)
超能力者列伝44(清田益章)

清田益章がスプーンを曲げたり、念写をしたりしても、何の役にも立たないではないかとの議論もあるので、それについても触れておこう。清田自身もそのジレンマがあったようだ。文筆家の宮内勝典との対話を収録した『サイキの海へ』の中で、清田はそのときの真情を吐露している。

スプーン曲げを始めて二、三年経って、「自分自身の中に、やっぱりスプーン曲げててもしょうがねえじゃないかっていう意識が出てきた」と、清田は言う。「なんでオレ、スプーン曲げやってるんだろうって思ったわけ。オレも、バカな頭で考えたんだけども、ただ単純になんの目的もなくてスプーン曲げやってるんだったら意味ないんじゃないかって思ったわけ。人からインチキだ、どうのこうのって言われるだけだから、そんなことを一生懸命やることはないって」

しかし清田には、自分が「スプーン曲げの人生」を選んだ理由があるように思えてならなかった。もちろん、スプーンを曲げるだけであれば、手品のほうが派手にできる。でも清田がやっているのは、手品でもインチキでもない。

では何なのか。清田がたどり着いた結論はこうだ。目に見えない力が物質に作用を及ぼすことができる。物質的な力ではない、精神の力がこのようなことを可能にするのだということを示すために、スプーンを曲げているのではないか、と。

現代の科学は物質偏重で、精神とか心とか魂とかをおざなりにしている。だが本来、科学というものは精神とか心とか魂とか言われているものを具体化する役割があるのではないか。そのことを気づかせるために、自分に超能力が発現したのではないか、と清田は考えた。

清田は大地を肉体(物質的レベル)、海を魂(精神的レベル)に譬(たと)えて言う。
「みんなね、大地から見つめて海の存在を知っているわけ。でもそのなかに入ったことがないやつらばっかりなんだよね。海と接してるということは知ってるんだけど。で、どこかで怖れてるの、溺れちゃうんじゃないかとかね。だけど、オレは、そのなかに入っていってるわけ、そういう精神という海の中に」

「オレ、ただスプーン曲げることを一生懸命言ってるわけじゃなくて、その海という存在に対して怖れをなすなっていうことで、泳いでいるわけ。そうやって泳いでいるのを見ると、安心感が持てるでしょ。みんな、口では、あいつはちょっと変わっているから泳げるんだよとか言っているけれども、じゃあちょっくら、あいつのまねしてつかってみようかって、波打ち際まで来て、ポチャポチャやりだすわけだよ」

「最初はそれでいいんだよ。どんどんどんどん、オレと一緒にやろうよって感じになれば、別にスプーン曲げることはないんだ・・・・・・泳がなくたっていいんだよ。オレにとってはね。泳がなくてもいいけれども、ただ海につかってみてね、なるほど海もこんなにいいところなんだなっていうのを感じとって欲しいなって思うんだ。だからオレはちょっと派手めに、バシャバシャ音を立てながら泳いでいるような状態なんじゃないかなっていう気がするんだよね」
(続く)=文中敬称略

(その90)
知られざる人類の歴史1

清田益章は、精神(サイキ)の海へ、みなで入ろうと言う。怖がる必要はないんだ、と。

その意味を清田がどれだけ明確に意識しているかどうかは知らないが、この言葉には深淵な意味があるようだ。実は今の人類が「サイキの海」に恐れをなすには、それなりの理由があるのではないだろうか。それは地球人の歴史とも深く関係しているのではないかと、私には思われる。

つまり、人類は潜在的に、超能力に対する何らかの拒絶反応をもっているような節がある。おそらくそれは、人類がもつ怒りとか恐怖の感情と密接に結びついているのではないだろうか。否定的な感情が超能力と結びついたときの遠い過去の記憶が亡霊のようによみがえるのかもしれない。

秋山眞人によると、地球人が潜在意識下においてもつ恐怖は3つあるという。一つは遺伝子レベルで引き継いできたともいえる恐竜への恐れ。これは恐竜に襲われた小哺乳動物として記憶が残っているからだという。次に、日食や彗星といった自然現象の異変に対する恐怖。最後に、これが一番「サイキの海」への恐れにつながっていると思うのだが、アトランティス文明の滅亡とも関連した大地震への恐怖であるという。

では、なぜアトランティスの滅亡と超能力が関連するのか。秋山はこう語る。大地震などを誘発したことによりアトランティスが滅亡した背景には、アトランティスが核兵器や超能力を使った戦争(内戦)をするなど科学や人間の能力を悪用したからだ、と。
「核自体に人間の念的なエネルギーを込めることができて、全く別な強力な殺人兵器に変えたりしました。催眠戦も行われて、人間に一定の催眠をかけることによって体を変革させ、動物みたいに退化させて、それを奴隷みたいに使ったりしています」

「ですから一定の生命の進化の道からかなりはずれたものがあったようです。形としては戦争という形で滅びましたけれども、実質的にはそんな戦争が起きること自体が自然の法則にかなったことかもしれません。そんな生活をしていながら、だれもそれに疑問をはさまなかったこと自体が、滅びる兆しであったのでしょう」

「結局アトランティスが自然界のバランスを崩して地軸ジャンピングが起きるわけです。それによってムーもめちゃくちゃになったんです。結局地軸ジャンピングの引き金をアトランティスが引いたわけです」

秋山が言うことが本当なら、人類が現在超能力を恐れる理由には、超能力の悪用で滅んだというアトランティスのトラウマがあるように思われる。そのトラウマがあまりにも大きかったので人類は半ば、潜在的に超能力を封印してしまったのではないだろうか。

果たして現代の地球人はこのトラウマを乗り越えることができるのだろうか。今ひとたび超能力を手に入れた場合、アトランティスの二の舞になることはないのか。それは赤ん坊に拳銃を渡すようなものなのか。

もちろん、人類はすでにトラウマを乗り越え、人間の潜在力を魂の進化のために使うだけ賢く進化したかもしれない。そのときは、清田の言う「サイキの海」が目の前に無限の可能性を秘めて広がっていくことになるだろう。
(続く)=文中敬称略

(その91)
知られざる人類の歴史2

秋山眞人によると、人類に大地震、大津波に対する恐怖を植えつけることになったアトランティスの滅亡は、別の大陸である「ムー」をも滅ぼしたという。

「ムーもそのこと(地軸ジャンピングに地球大変動)をかなりの人が事前に察知していたんです。しかし、闘争のレベルに巻き込まれた人たちは、闘争しに行ったんです。戦争挑発に乗ったんですが、聡明な連中は逃げることを考えていました。違う世界へ行くことを考えていましたね。この方たちのほうが人間的には上だったわけです。さっと別な惑星へ行ってからまた戻ってきたのもいるでしょう。だから地球でいろんなコンタクトマンに会った宇宙人のなかには、先祖が地球人だったという人もいるでしょう」

秋山が語るアトランティスとムーの最期が、本当にあった人類の歴史なのかは確認のしようがない。秋山が言うように、結局人類はアトランティスの暴走を止めることはできなかった、超能力と科学を悪用し、核兵器を使ったサイキック・ウォーが勃発、地軸ジャンプによる地殻変動を誘発して滅亡したのかもしれない。

では、それ以前の人類の歴史を超能力者たちは、どう見ているのだろうか。そのいくつかを紹介しよう。

前世でアトランティスの神官だったという正木和三は『この世に不可能はない』の中で、生命体からのメッセージとして、次のような人類の歴史を語っている。

「かつて3億6〇〇〇万年前の太陽系には、木星と火星の間の軌道を回る、地球によく似たもう一つの惑星があった。仮にこの惑星をベータ星と呼ぶことにしよう。ベータ星には非常に進化したベータ星人が住んでいたが、これがいま地球上に住む人類の先祖だと考えていい」

「ベータ星人は、現在の地球人がそうであるように、乱開発によって石炭や石油などのエネルギーを使い果たし、核融合エネルギーを開発した」「そして、ベータ星破滅の危機を察知した科学者は、宇宙船をつくり、さながらノアの方舟のように、できるだけ多くの優れたベータ星人を乗せて、ベータ星によく似た地球へと送り出した」

「まもなく、科学者が危惧したとおり、何かのはずみでおきた核爆発によって海水が誘爆し、そのためベータ星そのものが大爆発して、宇宙空間にこっぱみじんに飛び散った。飛び散った星のかけらのうち、比較的大きい一つが地球の周りを回る月となり、十六個が木星の衛星となり、残りの無数の小片が木星の内側軌道を回る小惑星群となったのである」

「地球に飛来したベータ星人は、地球の環境に馴染めずに死に絶え、その生命体だけが、その頃地球上に生息していた動植物に宿った。そうして3億年以上もの長い時が流れ、いまから約300万年前に、生命体はやっと誕生したばかりの人類の肉体に宿ることができるようになった」

「だが、動植物の中に宿っていた時間があまりにも長すぎたため、かつては非常に優れていたベータ星人の生命体も、動植物の生命体、すなわちエネルギーの低い生命体になってしまい、せっかく人間の肉体に宿ることができた後も、その多くはエネルギーの低い生命体のままで残った」
(続く)=文中敬称略

(その92)
知られざる人類の歴史3

正木和三は、火星と木星の間を周回していた惑星から逃れてきた人たちが地球にやって来たのではないかと主張する。確かに火星と木星の間には、直径1キロメートル以上の小惑星が100万個以上存在するとみられる「小惑星帯」(アステロイド・ベルト)がある。かつての惑星が滅んだ残滓であるのだろうか。

地球に宇宙船で逃れてきた3億6000万年前の記憶は、現代の地球人にも残っており、UFOはその記憶の現われではないか、とも正木は言う。地球は今、かつてのベータ星のように環境破壊が進んでおり、核融合エネルギーなども大きな危険を伴いながら開発されている。「そこで生命体が、ベータ星の愚行を繰り返さないよう、遠い日の恐怖の記憶をUFOに託してよみがえらせ、私たちに警告を発している」というのだ。

もちろん、これはあくまでも正木の主張であって、超能力者が皆認めている地球人の歴史というわけではない。たとえば秋山眞人説は正木説と微妙に異なる。秋山によると、火星など太陽系内の他の惑星には、確かに今の地球に地球人が住んでいるように人類が住んでいたという。そして、ある一定の進歩を果たして宇宙へと旅立っていった。彼らは太陽系人とも呼べる人類で、一部は金星系列の宇宙人となったらしい。このため、火星などの惑星では今でも、「卵の抜け殻」とも呼べる文明の残骸が残っているのだという。

秋山説では、地球人が有史以来歩んできた道は、恐竜との戦いの歴史であったという。人類の祖先である、ねずみのような初期の哺乳類が地球上に誕生したとき、この惑星を支配していたのは恐竜たちであった。草食や肉食の巨大な恐竜が地球上を闊歩していた。一方哺乳類は、恐竜におびえながら暮していた。だが、支配者であった恐竜も、隕石の衝突、宇宙からの放射線照射などにより滅んでしまった。

後に残ったのは、恐竜の屍や卵を食べながら地下で生活していたラット類だった。このラット類が進化して、人類になった。しかし、哺乳類と恐竜の戦いの記憶は遺伝子の中に組み込まれており、現在の人類にも恐竜に対する恐怖心が残ってしまった。

「問題は、そんな私たちの文明に最初に干渉してきたのが、恐竜と同じ爬虫類から進化した宇宙人であるグレイ・タイプだったのです」と、秋山は言う。ところが哺乳類の潜在意識には、爬虫類の恐竜に対する恐怖心が強く残っていた。そのため、竜族ともいえるグレイ・タイプでは、哺乳類世界である地球を進化させることができなかったというのだ。

折しも、宇宙人側の干渉にも変化が現われた。地球に類人猿が出現したころ、今度は哺乳類から進化したヒューマノイド・タイプの宇宙人が地球にやって来た。
(続く)=文中敬称略

(その93)
知られざる人類の歴史4

哺乳類世界である地球に対し、爬虫類から進化したグレイ・タイプが干渉しようとしていることを目の当たりにしたヒューマノイド・タイプの宇宙人は考えた。地球は哺乳類が知性を発達させるための転換期にさしかかっている、このままグレイ・タイプが干渉を続ければ、人類は滅びてしまうか、グレイ・タイプに隷属して支配されるようになるだろう、それは地球にとって不幸ではないか、と。

ただし、ヒューマノイド・タイプの宇宙人は、グレイ・タイプがやろうとしているような地球人の進化に直接干渉することは避けた。宇宙の法則に反することになると考えたからだ。そこでヒューマノイド・タイプの宇宙人は、グレイ・タイプの直接干渉に対抗するため、思念力で対抗することを決めたという。

つまり、一方的に知恵を与えて干渉するのではなく、一定の成長段階でいろいろなヒントを与え、自力で問題を解決させれば、地球人の進化の自由を侵害していることにはならないのではないかと考えたのだ。具体的には、ヒューマノイド・タイプの宇宙人の一部が、地球人に生まれ変わり、彼らの知識を伝達しようとした。

ところが当時の地球には、まだ類人猿しかいなかったので、宇宙人も類人猿として生まれてくるしかなかった。類人猿に生まれ変わった宇宙人は、他の類人猿に対して徹底的に手の機能を開発させるように導いた。手の発達によって類人猿は脳を発達させ、ネアンデルタール人やクロマニヨン人といった猿人が誕生した。

「実際のところは、類人猿から猿人に進む過程で、一部のステップを飛ばしてしまったこともあったのです」と秋山は言う。グレイにそそのかされて、おそらく遺伝子操作によって、カモシカのような足を持ったケンタウロスのような人間を生み出してしまったこともあったという。急激な進化は、事実上失敗に終わった。

こうした試行錯誤を経て、人類の進化プログラムは次の段階へと移っていった。秋山によると、この段階で地球は一時、宇宙の流刑地のようになってしまったという。ヒューマノイド・タイプで、宇宙の秩序を破った宇宙人が地球に送り込まれ、ある程度力を奪われて、地球人として転生してきたのだ。時代は違うかもしれないが、『竹取物語』のかぐや姫の話を思い出してほしい。

このようにして、宇宙人が転生することにより、地球上の人類は進化していった。ただ、進化が急激すぎたり、宇宙の刑務所扱いされたりするなど、最初から祝福されていたとはいえないようだ。それでも人類はやがて、超能力も自由に使える科学文明をつくり上げる。それらがムーやアトランティスの文明だ。だが、元々宇宙の秩序を乱した結果、転生してきた人間が多かったせいか、人類は超能力と科学を悪用して、地球文明の崩壊と大災害を招いてしまったのだという。
(続く)=文中敬称略

(その94)
知られざる人類の歴史5

ガンマー星から移住してきたという正木説と、宇宙人の直接的、間接的な干渉により地球は進化してきたという秋山説はそれぞれ微妙に異なるが、矛盾なく説明することもできる。秋山が言うように、太陽系の他の惑星にもかつては人類が住んでいたとしたら、正木説による火星と木星の間を周回していたガンマー星にも人類がいたのであろう。正木によると、それは3億6〇〇〇万年前だったという。

秋山は、他の惑星も人類は一定の進化を遂げた後、宇宙へ旅立って行ったというが、ガンマー星のように、進化したものの滅亡してしまった人類がいても不思議ではない。彼らは地球に移住しようとしたが、環境に馴染めず死滅。人類が誕生するまで3億年ほどの間、転生できずに動植物などに憑依しながら地球をさまよっていたのかもしれない。

やがて人類が登場すると、ガンマー星人の生命体も人類として転生するようになるが、それとは別に他の惑星から転生してきた宇宙人がいたのではないだろうか。あとは秋山説と同じである。

その後の人類の歴史について、正木は生命体から次のように聞いているという。
「実は10万年以上も前に、人類は現在と同じ文明をもっていた。人類は、それまでにも何度か、発達した物質文明によって滅亡を繰り返していた」
「ガソリンエンジンをつくって、石油を燃やし、空気を汚染してしまったことなどから、氷河期を招いたのが、滅亡の原因であった」

正木は言う。「人類は、過去に四回も高度な文明を獲得し、そのつど、自ら生み出した科学によって滅んできたのである」

その最後の文明がアトランティスやムーであったのだろうか。正木の推測では、1万4000年前はムー大陸と日本は陸続きで、沖縄県与那国島の海底遺跡で見つかった文字は、ムーの文字であったのではないか、という。

正木が生命体から教えてもらったという人類の歴史は、眠れる超能力者といわれたエドガー・ケイシーがリーディングで語った歴史と似ている。ケイシーもまた、人類の破壊行為により何度も文明が滅亡したと、次のように説く。

「地球が今日の段階にまで到達したことは何度もあった。その度毎に沈んだり、隆起したりして次の発展へと向かったのだ。あるものは一つの方向へ向かい、またあるものは他の方向へ向かい発展していった。私達は、人類が発達させたいわゆる高い段階の学問の分野には、人類を破壊してしまう種もあることに気づくのである。例えば医学の力、物理科学の力、占星学的、霊的破壊力などである」(マリー・エレン・カーター『エドガー・ケイシーの予言』より)
(続く)=文中敬称略


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