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先月は緑の国アイルランドに取材旅行に行っておりましたが、今月は緑と青とベージュの国(赤と黄色の国でもあります)に取材旅行に来ております。アイルランド旅行から帰ってきたときもそうでしたが、今回も旅行から帰ったら、かなり急ピッチで原稿を仕上げなければならないようです。こちらでの取材も順調に進み、今は少しのんびりモード。時々、水の底から空を見て遊んでいます。水の底でじっとしていると、息をするのを忘れてしまうのが問題です(笑)。古代巨石遺構とイェイツゆかりの地をめぐるアイルランド一周の旅のブログも7月になったら再開しますので、今しばらくお待ちください。
2011.06.29
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久しぶりに写真日記です(笑)。太陽の周りに暈がかかっていますね。6月4日に撮影しました。白い雲と青い空・・・そして、黄金の鳶。梅雨の晴れ間の写真でした。
2011.06.23
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これが高さ約600メートルというヨーロッパ最大級の海岸線の断崖絶壁「スリーヴリーグ」です。くもり空だったので、残念ながら光が当たっていません。それでも海上を見ると、光がこちらに向かってやって来るのが見えます。しばらく待っていると、岸壁に日が当たりはじめます。変わった雲が現れたので、写真を一枚。そして太陽が現れたところで、岸壁の写真を撮ります。日の光で緑色がくっきりと浮き出ていますね。この日、宿泊したウッドヒル・ハウスは一泊朝食付き二人で95ユーロ(1万円強)でした。(続く)
2011.06.22
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北アイルランドのストーンサークルを後にして、アイルランド共和国に再び入ります。この日宿泊したのは、アイルランドの北西部・ドネゴールのそばにあるアーダラという町です。この北西部は、手つかずの大自然が数多く残されており、イングランドの支配がもっとも弱かった地域でもあります。薔薇のシーズンには少し早かったですが、ローズガーデンのコンテストで賞を取ったこともあるというウッドヒル・ハウスというゲストハウスに早めにチェックインして、車で周辺を回ることにしました。宿屋のご主人に聞いて最初に向かったのはドルメンでしたが、見つからなかったために、急きょ予定を変更して、スリーヴ・リーグというヨーロッパでも有数の海抜が高い海岸線の断崖絶壁(約600メートル)に向かいました。そこに向かう途中で写した風景です。青と緑と白が鮮やかです。峠から今しがた登って来た道を撮影。道には時々、羊さんたちがお出ましになるため、しばし車を止めて休憩することになります。アーダラから一時間ほどでスリーヴ・リーグに到着。ここでも羊さんたちが、のんびりと景色を見ながら(?)お食事中でした。(続く)
2011.06.21
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5月13日は北アイルランドから再びアイルランド共和国へと移動します。ただしその前に、北アイルランドでおそらくもっとも有名なストーンサークルを見に行きました。ティローン州にあるベッフモア遺跡です。見渡す限り石のリング(ストーンサークル)があるのですが、ちょうど上の写真を撮影した後、急に天候が悪化します。いつものガイドさんが「車の中に避難したほうがいい」と教えてくれるので、そのアドバイスに従って大雨になる前に車に退避します。すると、ものすごい土砂降りに。「ああ、せっかく写真を撮れると思ったのに」と言うと、ガイドさんが「一時間ぐらいで晴れるから、のんびり休んだら」と教えてくれます。私もちょっと寝不足だったので、車の中で昼寝と決め込みました。50分ほどが経ったでしょうか。眠りから覚めると、ガイドさんの言うとおり空が晴れてきました。さあ、撮影再開です。同じ場所もほら、この通り。色が鮮明になってきました。ここの遺跡には、三つのペアと一つの独立したサークルの計7つのストーンサークルが見つかっています。まさにリングだらけの状態。車の中で待った甲斐がありました。こんなに晴れてくれて、とてもありがたかったです。(続く)
2011.06.20
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ジャイアンツ・コーズウェイ(巨人の土手道)の次に私たちが向かったのは、ダンルース城でした。16世紀にスコットランドからやってきたマクドネル一族の居城跡です。スコットランドのマクドネル一族と聞いて、スカイ島のマクラウド家と関係があるかと思ったのですが、どうやら関係がなさそうでした。その証拠に、今回は頭が痛くなりませんでした(笑)。ダンヴェガン城のマクラウド家のおばあちゃんに関しては、こちらをお読みください。この日(5月12日)は、ポートスチュワートのヨークス・インという宿屋に泊りました。一階がバーになっている宿屋です。一泊朝食付き二人で95ポンド(1万3500円)でした。ここは北アイルランドなので英ポンドを使います。夕食を済ませた後、夕日を見に行きます。これがその夕日。こうしてアイルランド三日目の夜が更けて行きました。(続く)
2011.06.19
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昨日に引き続き、ジャイアンツ・コーズウェイです。とても自然の造形とは思えませんね。こちらはパイプオルガンと名付けられた六角柱です。巨大なパイプオルガンのようにも見えますね。実はこのジャイアンツ・コーズウェイは、フィン・マックールという巨人が造ったとされています。ただし、なぜこれを造ったかには、諸説があります。一つは、スコットランドのヘブリディーズ諸島(昨年私たちが訪問したルイス島やスカイ島のある諸島)に住んでいる女性に恋したフィンが、その女性をアイルランドに渡らせるために造った橋であるという説。もう一つは、スコットランドの巨人と戦うために造った土手道であるとされるもので、その説では、フィンよりも大きくて強そうだったスコットランドの巨人を見たフィンの妻が機転を利かせて、赤ん坊の服を着せたフィンを彼にわざと見せた。すると、スコットランドの巨人は、赤ん坊でもこれだけ大きいのだからフィンはもっと大きくて強いに違いないと勘違いして逃げ帰ったということです。巨人伝説はどこの世界にもあります。でも、なかなかその証拠はありませんね。ところが、このジャイアンツコーズウェイには証拠が残っているんです。スコットランドの巨人が逃げ帰るときに慌てて落として行った靴が今でもちゃんと海岸に残っているんですね。それがこの巨人の靴です。どうです。どこから見ても巨人の靴にしか見えませんよね(笑)。その巨人の靴とパイプオルガンのツーショットです。この日は冷たい風が吹いて少し寒かったですが、駐車場行きのバスが来るまでの一時間弱の間、奇岩の風景を楽しみました。(続く)
2011.06.18
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私たちはベルファーストを越えて、さらに北に向かいました。その途中の渚で見た鳥たちの群れ。雨の中、丘の上にそびえていた塔。このような風景を見ながら到着したのは、北アイルランドの北の果てにあるジャイアンツ・コーズウェイでした。1986年にユネスコの世界遺産に登録された世界屈指の自然奇観です。なぜ奇観かというと、これを見てください。岩の一つ一つがすべて六角柱の柱状節理になっているんですね。火山活動と氷河期によって形成されたと考えらています。柱の数は全部で推定4万個。驚くべき光景が目の前に広がっておりました。(続く)
2011.06.17
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5月12日は、ベルファスト郊外にあるマウント・スチュアート邸とその庭園を見に行きました。珍しく古代巨石遺構以外の見学です(笑)。これがその館と庭園です。イギリスの政治にも大きな影響を与えたキャッスルリー侯爵の18世紀の豪華な邸宅と庭園を公開しているんですね。見事な庭園で、巨木があちこちに見受けられました。湖のように大きな池も。このとき遠くにいたハクチョウがこちらにやって来ると誰かが言うので、しばらく待っていました。すると・・・本当にこちらにやって来て写真に収まってくれました。非常に美しい庭園でした。ナショナルトラストの庭園トップ6にランクされているそうです。私たちは庭園を後にして、北アイルランドをさらに北へと進みました。(続く)
2011.06.16
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ノウスの遺跡でもう一つだけ、面白い岩刻模様をご紹介しておきましょう。こちらの模様です。タコ星人? あるいは菊の紋章にも見えたりして。芸術的な配置です。たぶんこれを刻んだ古代人は、いろいろな思いを込めたと思います。いつか我々もこの模様・文字を読み取ることができるようになると信じています。ボイン渓谷にある古代巨石古墳群を見た後、私たちは北アイルランドに向かいました。途中、キロ表示がほとんど予告なくマイル表示に変わります。私は40キロだと思ってスピードを落としたら、次から次へと後続の車に抜かれるので、ようやく40マイルだと気づきました。5月11日の宿泊はベルファストのそばのハリウッドという場所にあるレイアン・ハウスというゲストハウスでした。このゲストハウスの部屋からは、ベルファストの入り江が見えました。窓から撮影した夕景です。今から100年前の1911年5月、あのタイタニック号の進水式がこの入り江であったんですね。タイタニック号は「アイルランド史上最も有名な製品」と言われているそうです。今では観光の目玉の一つでもあるようで、イベントの張り紙が町で目につきました。翌12日の朝、同じ窓から撮った写真です。この日も盛りだくさんの日程となりました。(続く)
2011.06.15
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ニューグレンジから1キロちょっと北西に離れた場所には、ノウスと呼ばれる大墳墓地帯があります。ニューグレンジやダウスと同様に紀元前3900年ごろ、この地域に住み着いた人々によって造られたとみられています。これがノウスの墳墓群です。 この墳墓の外壁の石には、さまざまの模様が刻まれています。渦巻を中心にして、左右対称にアルファベットのEと、それを裏返したような文様が刻まれています。6000年前の古代アイルランドではすでに?(ユーロ)という文字が考案されていた! なんて(笑)。こちらは波か蛇のような模様と渦巻。ここまで来ると、すでに文字が発明されていたのではないかと私には思えるんですね。そしてこの辺一帯は、ニューグレンジやノウス、ダウスの大墳墓のほかに少なくとも34の古墳があり、一大コミュニティーが形成されていたことがわかっています。古代巨石文明が、少なくとも5500年前には世界中に存在したことを証明できる日も近いのではないでしょうか。小さな古墳群の中に一際大きな古墳があります。写真奥に見える墳丘です。この墳丘の上には、登ることができることになっています。丘の上からの景色です。素晴らしい眺めですね。なんだアイルランドってとても天気がいいじゃない、と思われるかもしれませんが、このように晴れる30分前には、冷たい風雨の中、ガイドの説明を皆ずぶ濡れになって聞いていたんです。これがアイルランドの天気なんですね。一寸先は雨、もしくは晴れです(笑)。丘の上から景色を眺めていたら、別の観光客が遠くに同じような墳丘が見えると言って教えてくれました。前回ご紹介したニューグレンジです。丘の上で手を振れば、向こうでも気づくほどの距離ですね。このニューグレンジとノウスを結んだラインは、実はアイルランドのレイラインでもあります。そのこともいずれご紹介しようと思っています。(続く)
2011.06.14
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ニューグレンジの古墳の周りの外壁には、白っぽい石英の石が積まれています。この石英はニューグレンジの周辺にはなく、遠く80キロも離れたウィックロウから運ばれてきたのではないかとされています。時間と労働力に余裕があったから造れたのだとも考えられます。入り口には、模様の刻まれた巨石が置かれています。いくつもの渦巻模様が見られます。この渦巻模様は、その後のケルトの文化でも見受けられますから、のちの人々に大きな影響を与えたことがわかります。この巨石の向こうにある入り口から、ガイドの案内で中に入っていくことができます。通路の奥にある墓室は、一年でもっとも日の短い冬至の日に太陽の光がまっすぐ届くように設計されています。太陽信仰と関係がありそうですね。このニューグレンジ周辺には、ほかにノウスとダウスという古代遺跡もあります。ニューグレンジの遺跡を含め、そうした古代遺跡にはビジターセンターから出るバスを利用することになっています。こちらがそのバスです。次回はノウスの古代遺跡をご紹介します。
2011.06.12
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ボイン渓谷にある古代巨石遺構の中で、もっとも有名なのが、このニューグレンジという巨大古墳です。エジプト・ギザのピラミッド(紀元前2600年ごろ建造)よりも古い、紀元前3300年ごろに造られたとされています。この大墳墓の周囲には巨石も配置されており、ただの古墳ではなく、天体観測施設としても使われていたことがわかります。明日はもっと詳しく、このニューグレンジの古代遺跡を見て行きます。(続く)
2011.06.11
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タラの丘では、ほかにも面白い巨石遺構や構造物が見受けられます。教会のそばに立っている、この二つの立石もそうです。いつのころから立っているのかわかりません。少なくともケルトの人々は、この石を使って儀式をしていたのではないかと言われています。伝説では、古代の王は馬車でこの二つの石の間を通らなければならず、王にふさわしい人物が乗っていれば、二つの立石は道を開け、そうでないと石のゲートは閉ざされ、馬車が通ることができなかったとか。王はさらにもう一つ試されたらしく、先日ご紹介した王の即位式に使われたという立石も、王にふさわしい人物が触ると、うなったそうです。これがその「玉座」とも呼ばれる立石の別カット。左手奥に見えているマウンドは、「捕虜の塚」と呼ばれる人工物で、紀元前2500年ごろ造られたとされています。ケルトの人々がやって来るずっと前の時代から、この丘が使われていたことがわかります。この塚の中には、模様が刻まれた巨石が見つかっています。もう一つタラの丘で注目されるのは、両サイドを盛り土された滑走路のような空間でしょうか。縮小しているのでわかりづらいかもしれませんが、この写真です。巨大な舞踏会場のようなので「宴会場」と呼ばれていますが、ストーンヘンジのそばにあるカーサスという直線の台地を思い起こされます。タラの丘も、ストーンヘンジと同様に古代巨石文明をもたらした人々による複合施設であったのは間違いないでしょう。さまざまな儀式や集会が行われたのだと思います。それを後からやって来たケルトの人々が再利用したというのが、真相のような気がします。タラの丘を後にして、次は紀元前3500年ごろ建造されたとみられる、ボイン渓谷の巨大な墳墓群を見に行きました。(続く)
2011.06.10
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翌11日は、早速空港そばで手配したレンタカーを借ります。借りたのは、仏プジョー社のコンパクトカー。まだ30~40キロしか走行していない新車でした。スーツケース二つを何とか押し込んで、出発します。最初に向かったのは、タラの丘でした。映画『風と共に去りぬ』で主人公であるアイルランド系移民の娘スカーレット・オハラが住む「タラ」の名の由来にもなっていますね。12世紀にノルマン人によって侵略される以前のアイルランドにおける政治的・精神的中心地であったとされています。アイルランド一周の旅を始めるにあたって、古代アイルランドの聖地であったタラにまずご挨拶。その丘に上の立石。ケルト族がアイルランドに渡来してから12世紀までの間、王の即位式はこの石の前で行われていたそうです。このタラの丘全体は、溝が堀めぐらされているなど巨大な複合施設にもなっています。ケルト族がアイルランドに居住した時代には既にタラの丘は何らかの聖地として用いられており、伝説ではケルト族よりも前にアイルランドに住んでいたダナン神族がタラの丘を住居としていたそうです。最近の発掘調査では、5000年ほど前の遺跡も発見されているとか。このダナン神族が暮らしていたとみられる時代こそ、今回の旅の目的の一つである古代巨石遺構が築かれた時代でもあります。(続く)
2011.06.07
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今回の旅行も、安い航空券を探し(往復、燃料サーチャージ・空港利用税込、二人で23万円)、事前に自分たちでホテルを全部予約しました。レンタカーもユーロップカーという前回(フランス)、前々回(イギリス・スコットランド)に利用したのと同じレンタカー会社です。車は安いコンパクトカーですが、保険は一番高いものを選びました。ガソリン代別で約二週間で620ユーロ(約7万5000円)かかります。まあ、このくらいは、交通費としてはどうしても必要ですね。久しぶりにブリティッシュ・エアウエイズ(BA)を利用してロンドン・ヒースロー空港経由でアイルランドのダブリンへ。BAの座席はエコノミーでも広くて、なかなか快適でした。私たちは肉を食べないので、ベジタリアンを事前に予約しておきます。すると、ほかのお客さんよりも少しだけ早く食事を出してくれるので、ちょっとお得でもあるんですね。ダブリンの国際空港に到着したのは、5月10日午後7時半ごろでした。5月になると、この時間でもまだまだ明るいです。この日は空港そばのホリデイ・イン・エクスプレスに宿泊。二人で朝食付き60ユーロ(約7200円)とお安かったです。夕食は近くのスーパーで食材を購入して食べました。スーパーから帰る途中で撮影した夕焼け空です。午後8時半ごろでしょうか。30年ぶりに見るアイルランドの夕日でした。(続く)
2011.06.06
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お待たせしました!原稿も昨日未明に書き上げ、ようやく一段落したので、アイルランド一周の旅ブログを始めます。アイルランドを初めて訪れたのは、1981年7月でした。その時は一カ月間滞在しましたが、晴れたのはなんと三日だけ。あとはほとんどが雨だったんですね。7月だというのに、登山途中に雹に降られて、痛い目とずぶ濡れの目に遭ったこともありました。遠い昔の思い出ですが。そのアイルランドに、ちょうど30年ぶりに「帰ってきた」わけですね。青春の一ページを飾った思い出の地への再訪です。実は過去生でもアイルランド周辺で暮らしていた記憶あります、というか映像を見たことがあります。その時の私は、なんと髭もじゃの大男。いかにもバイキングというような姿だったので、自分でも笑ってしまいました。まあ、それはどうでもいいとして、今回のアイルランド取材旅行には、ニューグレンジなどピラミッドよりも古いという5、6千年前の古代巨石遺構を取材することと、ウィリアム・バトラー・イエイツゆかりの地を訪ねて写真を撮るという目的がありました。イエイツはこのブログで、薔薇と文学シリーズで取り上げましたから、覚えている方も大勢いらっしゃるでしょう。モード・ゴーンと白いカモメの話とか、秘密結社の薔薇十字の話、ケルトの神話などの話をご紹介しましたね。そういった取材の内容を盛り込みながら、アイルランドをご紹介できればと思っております。(続く)
2011.06.04
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再び田舎の風景です。アラン諸島のイニシュモア島で撮影したアイルランドの「ありふれた風景」でもあります。どうやら今夜中に原稿が終わりそうです。暇になったら、古代巨石遺構とイエイツゆかりの地を訪ねるアイルランド一周の旅のブログを始めようと思っています。
2011.06.02
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