WEB妄想部!

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TwiN 第9章


 しかし、その崩壊は瓦礫が崩れるようなものではなかった。天井や床は波打ち、粘性のある液体のような形状をとる。穴の開いていた天井から、泥水を流し込んだように部屋にはドロドロとしたものが滴り落ちてくる。早くここから出なければ足を取られ城に取り込まれるだろう。
「……うぁ。またしても気持ち悪い。さっさと出るぞ司郎」
 滝のように流れる流体を見て颯矢は言う。目の前にある扉から外に出るのに焦りは無い。
「リオンは?」
 司郎は気にかける暇の無かった大型犬の存在を思い返す。
「あ? 犬か?」
颯矢も言われて気付き、部屋を見回す。そして司郎と颯矢から一番離れたところ。入口の隅に犬は怯えるように伏せていた。その目は冷たく光り、司郎を見つめた。
「来い!」
 司郎の呼び掛けにリオンは応えない。ジョージに肉体支配をかけた際にリオンに対する拘束力は解けていた。そしてこの距離では司郎の支配は届くことは無い。それでも司郎は犬の名前を呼び続けた。
「来い! リオン! 来いッ!」
 射程範囲まで近付こうとした司郎を颯矢が腕を掴んで阻む。
「無理だ。止めとけ」
「離して!……離せよ!」
 司郎は逆上し声を荒げる。
「よく見ろ」
 部屋の大きさが小さくなっていた。壁画の部屋と同じく、いやそれ以上の早さで。そしてリオンの下半身は向かいの壁に徐々に飲み込まれていく。天井の穴も広がり、ドロドロで視界も途端に悪くなる。そのドロドロも颯矢達の足元に近づいていた。リオンの方にはドロドロが満ち、前足までも浸かっていた。
「ッッアァ!」
 そのドロドロに触れられる痛みを知っている司郎は必死に颯矢の手を振りほどこうともがき、声を漏らす。
「……チィッ!」
 颯矢は舌打ちをし司郎の腕を引っ張り出口へ放り投げた。立ったままのジョージにも後ろから蹴りを入れ、城から追い出す。颯矢は扉を通る瞬間、犬の方を振り向いた。ドロドロの流体の切れ間から覗いた黒い犬の姿は苦痛を微塵も感じさせず、魂を抜かれた空虚な人形のようであった。颯矢が視線を前に戻す刹那、犬がドロドロの流体に溶けて混ざり合うように見えた。颯矢は素早く外に出て、言った。
「錯覚……か?」
 そして司郎は颯矢に食ってかかる。
「なんで見捨てたんだ!」
「そうしなきゃ死んでたからだ。俺も、お前も」
 颯矢の後ろで流体が扉まで迫っていた。しかし流体は扉にたどり着くと見えない戸があるように、内と外の境からこちら側に来ることは無く、ただ水かさが増し、やがて出口を完全に塞いだ。
「……」
 その光景を目の当たりにして、司郎は絶句する。振り向き、颯矢も息を呑んだ。
「ホントに危なかったな」
「……でも!」
「でも! じゃねーよ。俺もお前も無駄死にしただけで助けるなんて出来なかった。間違いなく。ただ突っ込んで死ぬな」
「……ッ」
「考え無しに行動するな」
「……なんか、あなたには言われたくないセリフですね」
「んだとぉ? 俺も少しは考えてんだよ! 行動の三割くらいはな!」
「本当に少しだ。」
 司郎が口を半開きにして呆れる。
「ふん。これだから素人は……頭は使うときに使うってことなんだよ!」
「むぅ」
 利に適っているような屁理屈に司郎はぐうの音も出ない。
「もともとこの城にいた犬なんだ……ここで眠らせてやれ」
「……」
 司郎は黙ったまま納得したようにコクりと頷いた。
「んじゃ行くぞ。こんなとこはとっとと立ち去るに限る。城の箱入り娘もふらふらと先行くし」
 クレアは視界にやっと入る程度の位置を徘徊していた。颯矢は原形を留めていない城から離れる為、足を踏み出した。しかしその内心では一つ引っ掛かることがあった。
(犬、犬……か。本当にアレが犬だったのか怪しいもんだな)

最後に見た静かな夜だった。月からの光は木々の間を通って、透き通るような長い髪に触れ銀色を醸し出す。音の無い森の中を軽やかにしなやかに彼女はスポットライトに照らされながら舞う。
 さながら城に入る時の颯矢よりも足取りが軽い。対する本人はこの城に入った目的…宝を手に入れたというのに入ってきた際の司郎並に足取りが重い。それは今あった出来事の影響よりも、デク人形と化しているジョージとの戦闘が原因だったのではないかと司郎は思う。全体的に生気が感じられず、歩いているのがやっとといった雰囲気さえある。
そんな颯矢に司郎は気になることがあった。
「一つ聞いてもいいですか?」
「んぁ?質問にもよる」
 颯矢は若干息を切らしながら素っ気なく促す。
「本当は出ようと思えば独りで出れたんじゃないんですか? 壁画の部屋から出たみたいに……」
「さぁ? やってみなかったからわかんねー」
「出来る確信はあった……違いますか? 現に僕の見るかぎりあなたは出口の扉に一度も触れていない」
「触れる暇が無かっただけだ」
「暇があったら開けたのかが聞きたいんです」
 司郎は自分でも強い口調になっているのを感じていた。何故そんなことが気になるのか司郎自身理解していなかったが…はっきりさせることがとても大事に思えた。
「何なんだよ? じゃあ置き去りにされるのが良かったのか?」
「それが出来たのにしなかったって事ですよね」
「だったらどうだっつーの? 一人だけ逃げるなんてしねーよ」
「これからも……ですか?」
「……それはどうだろな」
「僕は独りで逃げますけどね」
「なッ!? てめぇ……ふん! まぁその方が足手まといにならずにすむから良いけどな」
「ムカ。何か理由があったんですか?自分で開けなかった理由が……あの人に開けさせたかった理由が?」
「なんでもお見通しかお前は? 確かにクレアに扉を開けさせたかった。一つは神の人柱、使用者がクレアだったから使用者なら閉じ込められていると感じていた檻からでも本当は出られると思ったからだ。理由のもう一つはクレア自身が決めて外に出たって事にしたかったからだな。強要されて追い出されたのと自分から決めて出たんじゃ重さが違うからな。悔やんでも自己責任ッつー事で」
「本当に良かったんですか?」
「さぁな。でもずっと閉じ込められてるって事がどんなことなのか何となく分かんだ。同じような目にあった奴を一人知ってるから」
颯矢は歩きながら地面に向けていた視線を上げ遠い地にいるその人間を思い返しているようだった。
「………」

「まぁ一番の理由は扉が開かなきゃ神器を運び出せるか不安だったって事なんだけどな」
 木々に阻まれた城の出口に目をやる。入って来た城門の在る入口と違い、城の出口は小さく、そこからは道もなく林が広がっていた。時間と月の位置、城の方向を見て颯矢はここは山の反対側に出たのだと確認し、とりあえず城から離れた方がいいということで歩き出していたが目的地までまだ随分とあるはずだ。
「あと数百メーターか数キロで俺の車があっから。着いたらすぐに乗り込めよ。」
「え? 何でですか?」
「ジョージとクレアを置き去りにする」
「はぁ? でも……」
「でももへったくれも無い! 足手まといと商売敵を同行させる気はねー」
「うわぁー酷い。約束を破る気だ」
「約束なんかしてねーよ」
「したんでしょう? 恥ずかしい約束を」
「一生護るなんて誰も言ってない」
「選ぶための障害を取り除くって約束してその最後の障害が恐怖だった……それを取り除くには護るっていう約束が必要だった。……やっぱり約束してますよ」
「うるせー関係あるか! もう決定事項だ! 変更は無い!」
「無理矢理城から連れ出して、飽きたらポイ……ですか」
「最凶に人聞きの悪いことを言うな。だがそれ以上言うとお前も置き去りにする可能性が出てくるぞ?」
「………」
 司郎は黙り込んだ。それを了解と受け取った颯矢は話題を変える。しばらくすると急に颯矢の息が荒くなる。その横で司郎も肩で息をする。
「ッハァッ!……ッ! 最後に一つだけッ! 聞いてもッ?」
「ッ! さっきので最後にしとけッ!」
「あのッ! 後ろからッ! ……追い掛けてくるのッ! 何ッ!!」
 司郎と颯矢は走っていた。ほぼ全力で。目を覚まさないジョージも操られるがまま走る。
「俺が知るかぁッ!」
「犬ッ!?」

 確かに形は犬に違いは無い。鋭い双眸は獲物を捉らえ、口には鋭い犬歯があそこまで大きな物は牙というべきだろう。口からはその牙の合間からダラダラとよだれが零れ落ちる。
四本の足には力強く大地を掴む爪が備わっている。その爪を突き刺し、土を蹴り上げながら俊敏に走りくる犬。
 しかし、その獣は犬であって犬ではない。走り逃げる颯矢達を上から見下ろしながら追走するほどに巨大だった。木々を薙ぎ倒し踏み付けながら猛進する犬。世界中探してもこれほどの犬はいない。いや生物もいないだろう。建物並のサイズのこれはまさしく俗に言う怪獣に他ならなかった。最大の特徴はサイズではない。噛み殺すどころか人をひと飲みに出来る口と牙を備えた頭が三つ。竜に続きこれも空想上の生き物『三頭犬』だった。ケルベロスという名の方が一般的かもしれない。そしてこの三頭犬の皮膚に毛は一切なく、石や金属のような頑強さがあった。獣でありながら生物ではない……
 そんな化け物が司郎と颯矢の後ろに迫っていた。颯矢達の視界の先に前を歩いていたクレアが入る。
「遅いよー……何? あの大きいの? カワイイ♪」
 城に閉じ込められ世間一般を知らぬ娘の美的感覚に呆れ、颯矢は走りながら言う。
「あの化け物がカワイイならボディガードなんかいらねーな」
「何してるんですか! 走って!」
 司郎はテンパりながらジョージの右手でクレアの手を引いて走る。
「おー、走れー! 止まると死ぬぞ! あと少しだー!
 ………あッ!? れ?」
 颯矢はクレアと司郎を急かしながら想像した。団体の中で独り転びピンチに見舞われるヒロインを主人公が手を差し延べ助けるシーン。しかしそれが自分の身に起ころうとは全く思ってもいなかった。目が霞み、足がふらついた。小石に足をつまづくというよりは下半身から崩れるように前のめりに颯矢は倒れた。まるで貧血を起こしたかのように。実際、意識を失う程の血は流しているのだ。意識を失っていたのは一瞬だったが意識を取り戻して数秒、思考が止まる。
「痛ぇ」
 地面に頭を打ち付け、膝や手の平を擦りむいていた。そして思考が再スタートする。
「やべぇ!」
 ケルベロスは直ぐ側まで迫っていた。その巨大な牙が颯矢を襲う前に、救いの手を差し延べたのはジョージだった。いや差し延べたのはジョージの手だったがジョージの意思はその行動には無い。依然意識を取り戻さないジョージを操り、司郎は颯矢をジョージの脇に抱えさせた。
「うぉあ!」
 突然持ち上げられ、驚きの声を上げる颯矢。颯矢を抱えたままの状態でジョージは走る。颯矢は礼を言わずに
「独りで逃げるんじゃなかったのか?」
 そんな厭味を口にした。

「車の場所もドライバーもあなた無しじゃ面倒だからですよッ!」
 声を荒げながら司郎は走る足を止めない。
「……」
 颯矢は口をつぐんだがニカッと笑みを作った。
「そこを右だ! その岩の影に……あった!」
 颯矢は車を発見する。後ろからは巨大な三頭犬が地を蹴り吠えながら突進してくる。
「全員乗り込めぇ!」
 鍵もかけずに停車していた車は屋根がオープンになっているジープだった。大きなタイヤに定員四人の座席、後ろ座席には雑誌や物を食べた後のゴミが散乱している。その後部座席の左に司郎、右にクレアが乗り込み、颯矢を抱えたままのジョージが助手席に収まり、そしてそのまま颯矢を運転席に突っ込んだ。
「うぁ痛で! もっと優しく」
「早く出発してください!!」
「うぉ!まずいな」
 数十メーターに近づくケルベロスをバックミラーに捉らえ、颯矢はエンジンキーに手をかける。クラッチとブレーキを素早く踏み込み、キーを回す。しかし日頃の行い……点検不足だろうかそのエンジンは空回転するばかりでいっこうにかかる気配が無い。
「何やってんですか!? 早く!」
「分かってる! でもこいつがッ!」
 空しく乾いた音が林に響く。
「これなんていう乗り物? もしかして車?」
 クレアは間の抜けた問いを繰り出す。それが切羽詰まった颯矢の神経をさらに逆なでする。
「ッの! ポンコツがぁ!」
 颯矢はジープをぶっ叩いた。
「……………」
 背後から猛獣が迫っているはずなのだが一瞬だけ静寂が作られた。
「おかしいな? これで動くはず……」
 有りがちな希望的観測から生み出される奇跡は起こらなかった。静か過ぎる…さっきまで地面を踏み鳴らしていた巨体の足音がしない。
 ビチャっ!
 後部座席が陰り、司郎の肩になんだかテカりのある液体が落ちた。
「……ッ!」
 声にならない叫びが司郎の口から漏れる。振り返りたくはないが司郎はゆっくりと首を後ろに向ける。鋭い無数の牙、次いで六つの眼光が司郎に狙いを定め、光る。司郎は口をあんぐりと開け、呼吸が停止した。クレアも振り向き、「……何かまずそうね」と漏らす。
「誰か後ろから押し……」
 颯矢が振り向き言うのとケルベロスが口を大きく開き、高々と上を向き吠えるのは同時だった。
颯矢は視線をコンマ何秒で前に戻し、ギアをローに入れサイドブレーキを下ろした。エンジンもかからぬまま、発進できるはずもない車から三つの円刀が放たれ、それから三本の光糸が伸びる。円刀は車体前方にある岩に突き刺さった。
「最後の手段じゃー!」
 颯矢は三つの光糸に連なる円刀を持ち、馬車に乗る行者のようにそれを引き、車を無理矢理に力技で発進させる。切羽詰まり語尾が目茶苦茶になる。
三つの頭が我先にと牙を振り下ろし、間一髪で車は急発進し牙は地を捕らえ、空を噛み砕いた。三頭犬の牙が目先の数センチまで迫る刹那、クレアが流石に恐怖で目を閉じている横で、司郎は硬直したまま目を見開き、その目には捉らえていた。
「なんだ? あれ」
 ケルベロスの中央の頭、その牙に若干見覚えのあるロープ、そして巻き上げの機械、更には司郎自身の旅荷物が、引っ掛かるというより減り込んでいる状態になっている。それは不自然な事この上なかった。練り込んだセメントに荷物を落とし固まってしまった……そんな感じだ。
 一瞬にして離れる牙、車体が走り出していることに気付く司郎。しかし足を止めていたケルベロスもそれを察知し、巨脚が地を蹴り始める。充分速度が上がり、クラッチを繋ぎアクセルを踏み込む。円刀の側方を通るときにこれを回収する、加速とギアチェンジを繰り返し更に速度を上げていく。ギアがトップに入る頃には車道に出て、下り坂を左折し更にスピードが上がる。
振り向くとそこにケルベロスの姿は無く、振り切ったと颯矢は確信し、司郎は安堵した。両側を林に囲まれ、夜の闇で視界は余計に悪い。速度を落とさなければ曲がれない急カーブに差し掛かり、減速しながらハンドルを切る颯矢。その前方に突如として黒い影が立ち塞がる。ライトの光を反射し妖しく光る六つの眼。人間に恐怖を与えるには充分過ぎる姿を再び顕現させるケルベロス。
「ッ! かわせねぇ!!」
 曲がっている最中に直もハンドルを切り、急ハンドルを受け車体がブレる。しかしブレーキはかけずアクセルをおもいっきり踏み込む颯矢は苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。遠心力がもろに体にのしかかり司郎とクレアは車体にしがみつき…
「曲がり切れねぇ、ぶつかるぞぉ!」
 颯矢の叫びが山に響く。ケルベロスに急接近する車体からまたも光糸が伸びた。右から伸びた光糸は車体を力強く引っ張り安定させ、車はケルベロスの左右の脚の間を縫うように走った。それは光糸がケルベロスの脚を通過したことを意味した。軟らかい粘土を糸で切るが如くあっさりと切断されたケルベロスの左前後の脚。そしてジープが股下を通り抜けたのと同時に左に崩れるケルベロス。光糸と共に円刀がジープに引かれて戻る。
しかしそれを手にしたのはクレアだった。颯矢のバックから取った円刀を戻しながらクレアは言った。
「危機一髪ね」
 颯矢よりもキレや正確さのある操作に司郎は感嘆した。バックミラーに映るケルベロスの醜態を見て颯矢は「ヒュー」と口笛を鳴らす。そして汗を一筋垂らしながら「やっぱボディガードなんかいらねーな」とぼやいた。速度を下げようとギアに手をかけた颯矢は再びバックミラーを確認してその手をハンドルへと戻した。
「しつっこいな」
 一文字違うだけで、なつっこいとは正反対の意味だと分かるような噴怒の声が司郎にも届き、司郎は振り向いた。ジープの後方100m。そこには先程と何の変わりも無いケルベロスの姿があった。
「再生した!?」
 司郎は目を見開き、運転席の颯矢に向き直る。ミラーで司郎と目が合った颯矢も「見えてるよ」と返した。そして司郎は見たことを思いだし進言する。
「あの怪物に僕の荷物と門を登ったときのロープと機械が食われてました! いや食われてたと言うより、飲み込ま……じゃなくて、混ざる?」
 自分でも言いたいことがよく分かっていないがとにかく見たものを伝えたい司郎は言葉を探す。
「荷物がどうしたって?」
 颯矢は話が読めず。ケルベロスから逃れる術を独考する。
「え~と何て言ったらいいんだろ……取り入れ?」
「取り込む?」
 クレアが横から口を挟む。
「んと、そんな感じです!」
 言葉は探し当てたものの颯矢にはまだ伝わらない。
「デカ犬に荷物を盗られたから何だって? 確かに盗っ人はいないだろうつったけど野犬は想定してなかったな」と颯矢は冗談めかして言う。
「なんでそんな物があの怪物にくっついてるのか……。だいたいあれは何なんだ? 見捨てた犬の亡霊か!?」
 そして真面目に考えて、処理し切れずに終わる。

「……なんだか似てるんですよあの怪物。あと怪物の唾液が……」
「は? 何に?」
 心当たりのある司郎に颯矢は結論を急かす。ケルベロスは再びジープとの差を縮めようとしていた。
「城、というか……壁面ですよ。あの怪物がヨダレを垂らして僕の肩に垂れた時、同じような感覚がしたんです。壁画に触れたときと。でも車が発進して怪物から離れると……」
 そこで間を起き、司郎は自身の肩に目を向けた。
「ただの水になった。」

「……あのデカ犬が城とおんなじもんで出来てる?」
「多分、宝が持ち出されて最後のトラップが作動したんですよ」
「お城が変形して犬になったって事?」
 颯矢、司郎、クレアの憶測が飛び、結論へと収束していく。
「城が? はッ有り得ねぇ」
「でもそう考えれば建物として不自然だったのも納得がいきます。形を自由に変えることが出来た。そして」
「犬になってますってか?」
「どっちにしても、わたし達を狙ってることは明白みたいね。」
(そして形を変えるときにロープや荷物を巻き込んだ)と司郎が言い終わる前に颯矢が口を挟み、クレアが現状を再確認した。背後からケルベロスが迫る。そのスピードはさっきよりも速く、しかも距離感を狂わせる要因が働き接近に気付くのが遅くなった。
「あの怪物、さっきより小さくなってる」
「ッ! 速え! あいつが城の権化だったらどうだってーんだよ!」
「もう一回足を止めれば!」
 円刀が放たれるが正面からの直線的な攻撃は犬の反応速度の前には無力だった。ケルベロスは以前の2/3程になった痩躯を活かし、何の苦もなく円刀をかわした。
「どうして…小さくなったんだ? 再生能力があるなら……ッ!! 違う!  再生じゃない!再生能力なんかじゃないんだ!」
「何だぁ? 何かわかったのか?」
 司郎は謎に感づき、颯矢はそれを問う。
「城です! やっぱりアイツは城だったんだ。」
「それはさっき聞いた。他に分かったことは?」
「あの怪物は元が城だったように変形能力を持っているんですよ」
「つまり?」
「つまり、えーと……再生能力は無いって事です! 破壊されれば元には戻らない。」
「戻ってるじゃん……よッ!」
 颯矢はハンドルを右に切り車線を変える。半秒前まで車があった場所をケルベロスの爪が掘り返した。
「多分、残った部分を使って同じ形を作ってるんだと思います。その証拠に一回り小さくなった!」
「で? あの犬が何度でも襲ってくるって事実はかわらねーぞ。しかも攻撃すりゃ身軽になって、ますます逃げられねぇ」
「逃げ切れないんですか?」
「……下り坂で振り切れねぇ。無理だな。あの犬を撃退するっきゃない」
「どうやって?」
「なんか弱点とか見つけろ!」
「そんな無茶な……」
「でもやるしかなさそうね。あのワンちゃんまるで逃がしてくれる気無いみたいだし。体力も有り余ってるみたい」
 もう一度颯矢はハンドルを切る。今度は車を左車線によせ、ケルベロスが宙を舞う。空中のケルベロスに向けクレアが円刀を放った。円刀から発せられた光刃は前脚の半分と胸から下をバッサリと切り落とした。切断面から先が離れた瞬間、その肢体は無数の雫となり霧散した。前半身と先の無い脚二本の怪物は地に落ち、地面と接触すると形を残さずに一つの塊となる。そしてそれは一瞬だった。真ん中、右、左の順に頭が生え、次いで胴、脚、尾……
 ケルベロスは落ちた物が地面に跳ね返るような早さで身体を形成し、復活した。その体躯は始めの大きさは車を見下ろす程の巨体ではなくなっていた。まるでそうするのが目的だったかのように洗練され引き締まったと感じる身体はしなやかに唸り、風を切って走る。巨体ではないといっても普通の山犬や狼の5から6倍の大きさを誇っていた。

「やっ……てない!?」
 真っ二つに両断し討ち取ったと確信していたクレアは円刀を持つ手を震わせた。
「今のは確実に残った方が小さかった。大きい方が再形成するわけじゃないのか? 大きさが関係ないなら……」
 司郎は観察し考察する。思考の先に突破口があると信じて。
「順番、中心、ランダム、三頭、荷物……」
「司郎! 弱点解ったか?」
「いくら考えても解りません! 少しは手伝ってくださいよ!」
「安全運転の基本は運転に集中することだ! 他の事なんて考えてる暇なんかねー!」
「じゃあ、一番可能性のあるのはどこなの?」
 颯矢が逆ギレし、クレアが優しく問う。
「……真ん中の頭」
「理由は!?」
「どうして?」
 二人が司郎の結論に反応する。
「ほぼ勘ですけどあの怪物は身体を半分にされても二体にならず上半身だけが残って形を作り直した。これはつまり上半身に形を作るための何かが少なくとも切られたときにあったって事だと思います。そして安易ですが頭が三つあるって事は攻撃する者を惑わせる仕掛けなのではないかなと……そして三つの頭の内真ん中が1番始めに出て来た。順番に意味があるのかどうかは解りませんが……」
「……」
「へっ……勘か」
 長く述べた司郎の根拠に、口を半開きにして驚くクレア、耳を傾けたまま前を向いて運転する颯矢。
「試してみる価値はありそうだ。問題はどうやって当てるかだな」
 壮絶なスピードで迫るケルベロスをミラーに捉らえて颯矢は言う。
「……司郎! ハンドル持っとけ」
 クラッチを踏み、ギアをニュートラルに入れる。車は坂の傾斜による重力とそれまでの惰性で直進し続ける。
「え? 無理ですよ! 免許ないし!」
「大丈夫だ! 道に合わせてハンドル切るだけなら出来る!」
「嫌です!」
「やるしかねーんだよ! こっから生きて帰るにはな!」

 颯矢が凄む。その間にもケルベロスはグングンと距離を縮める。颯矢が後ろを振り向こうとしたとき、横から腕が伸びハンドルを掴んだ。
「あぁ……ジョージ使ってもいいからよ!」
「え…?」
 司郎が理解不能を表す声を上げた。
「僕何もしてな……」
 その声と、颯矢が左を向き既に開かれていたジョージの瞳と目が合ったのは同時だった。
「運転を変わろうか? 神凪颯矢?」
「お目覚めはどうだい? 麗しの君?」
「あぁ、頭が酷く痛むこと以外は頗る快調だ。」
「体調が優れねーときは運転しない方が同乗者の為でもあると思うぞ?」
「安心しろ。貴様のような助手席の人間を叩き起こすような運転はしたくとも出来ぬ!」
「ほー、そうかい。ならお手並み拝見といこうか」
 颯矢とジョージは顔を引き攣らせ、目をピクピクと痙攣させながら皮肉を言い合う。
そして長年練習したかのようなコンビネーションで互いの場所を交換した。
「化け犬退治といきますか!」
 惰性で走っていた車は加速し、縮まっていたケルベロスとの距離を一定に保つ。颯矢は助手席の背もたれに腕を回し、シートベルトなど着けずに後ろを見据えていた。月夜に六つの目が光る。その全てが颯矢を睨みつけているようだった。それでも一片の恐怖も気負いも感じさせずに颯矢は胸に手を延ばし、時計を掴んだ。蓋が開かれ覗いた文字盤には「1」の数字をを指した針が一つだけあった。
「次でラストアクションだぁ!」
 颯矢は屈託のない笑顔で言った。司郎にはそれが空元気なように感じられてならなかった。


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