WEB妄想部!

WEB妄想部!

TwiN 第10章


その麓には城下町が、山から続く木々に覆われるように位置していた。
山には城があった。月に一度訪れることが古くからの町民の習慣であり義務となっていた城。
町側に城門と入口があり、そこから回廊と広間続く。古くからの習慣としてきた町民であったが、城の更に深い所を知る者はいない。山を掘って造られている城。その出口は山の向こう側に続いているという噂がある。
しかし、それを見た者は無く。古くからある建物が山を開通していると信じている人間もいない。そんな技術は数百年前には有り得ないからだ。そして城下町だった町の住民は幻の出口から出た人間と、町からは見ることの出来ない山の裏側の騒動を知る由も無く、深い眠りについていた。彼等は来月から習慣の一つを行わなくなるだろう。そして理解を超えた出来事を後世に語り継ぐやもしれない。しかし『宝と共に城まで盗んだ男』の存在を語ることは永久に無い。

『イリス城』

そのバス亭の先にある筈の荘厳な城門と、偉大や立派という言葉の似合う城は跡形も無く消え去り、替わりにポッカリと開き、黄泉へと誘うような洞窟だけが遺った。そこに入った人間は二度と戻らなかったり。
町とは逆の麓で見つかったりした。結局それが抜け道だと知れた時…人々はそれを利用し、交通を活発化させたのは言うまでもない。一部の信心深い人が神に感謝したとかしないとか……
人々が神に感謝する前…抜け道を利用したり…城の消失を確認するよりも前…山に一本の横穴が生まれ山の片側だけは平和に静まり返った夜。城に足が生え、走ってその場からいなくなった夜の事……
足の生えた城は恐るべき速さで移動していた。走るのに最適な身体を駆使し、四足走行をする。城はただ闇雲に走るでもなく、目標があった。その前を猛スピードで走る四輪自動車…その座席には四人の人間が乗っていた。城、いや今は城ではない獣。三つの頭を持つ犬…ケルベロスの目的は城の内部に保管されていた宝を奪った輩を殺し、宝を取り戻すことただそれだけだった。そしてその標的の神凪颯矢は持ち出した宝の一つを握りしめていた。
宝は煌々と光を発していた。それは月のように何かに照らされているような淡い光ではない。自身から光る眩しいほどの煌めきは山の一角だけ夜明けを迎えているかのようだった。それほどの光を受けても、負けることの無い強い闇の色を瞳に燈し、ケルベロスを見据える颯矢。助手席に跨がり、足を掛け、左肘を座席の頭置きに乗せて固定し、右腕を引いて構えを作る。世界的に共通な弓道の構え…変則的で基本がなってない感はあるが弓も矢も変則的な事を考えるとさほどたいした問題ではない。
三つの円が知恵の輪のシルエットのように連なり引かれた右手はその後ろ端を摘む。シルエットの先端は細く鋭く伸び、円を成す刀の残り5振りからは螺旋状にそれぞれから光糸が伸び、それが颯矢の右手で連なる円刀の真ん中へと続いていた。光糸で繋がれた円刀はゆっくりと回転していた。それぞれの間隔を一定に保ち、風や重力の影響を受けていないかのように独立した動きを見せる。 末広がりの螺旋は開きかけの花のようにケルベロスに接近する。その姿はさながら食虫植物に見える。
颯矢は連なる円刀の真ん中の一つを左手で掴み、後端を持つ右手をそのまま耳の後ろまで引く。左手と右手の円刀の間には太い一本の光糸とその周りに五本の細い光糸が巻き付くように伸びる。張り詰めたピアノ線のように緩み無い糸は右手を放せば直ぐに元の位置に戻りそうだった。颯矢の瞳に映る嬉々とした闇と暗々とした光が混ざりあい、眩しいほどに強く放たれていた円刀の光りは収束し一気に解放されるその瞬間を待つ。しかし、一つの音と共に光糸は消え去り、颯矢の技は不発に終わる。
『ガチンっ』
その音は時計塔の針がきっかり零時を指した時の音を縮小しただけのモノだった。しかし颯矢の首から吊された時計の針は、本来、時計盤に印されている『12』の位置で止まった。しかしそこに数字は存在しない。時計は何も無い『0』を示すかのように真上を向き、静まった。
針が動く瞬間…颯矢はそれまでしっかりと身体を支えていた筈の座席を肌で感じることが出来なかった。地面が消え無重力の中に放り出されたような浮遊感と不快感。その二つが颯矢に唐突に襲い掛かり、どうしようもない睡魔が押し寄せたかのように瞼が重くなり…意識を保てなくなった。グラリと体が倒れ込むとその先の後部座席にはクレアがいて、閉じられた眼の前には彼女の長く美しい銀髪と小麦色の肌があった。
「わぁ!」
座席で身を屈めていたクレアは倒れ込む颯矢に気付き、触れ合うほど近くにあった顔を咄嗟に右手で抑えた。しかし完全に意識の無い人間をそれだけで支えられるはずもなく、颯矢はクレアにもたれ掛かりそのまま押し倒すような体勢になる。
「…な? どうしたの?」
クレアは事態を飲み込めず困惑するがのしかかる人間から返事は無い。颯矢の手からこぼれ落ちた円刀は床を転がり、司郎の足へぶつかった。
「どうしたんですか?」
視線を後ろに向けていた司郎も異変に気付いた。
「この、この! ……ちょっと!」
クレアがさほど広くない車内でもがく。目の前の状況を司郎も理解できず、とりあえず颯矢を起こそうとする。
「何が起きてる!? 何をしてるんだ神凪? 颯矢!」
ジョージも必死にケルベロスとの差を詰められないようにアクセルを踏みながら声を荒げるが返答したのは司郎だった。
「どうやら、気を失ってるみたいです」
「なんだと!?」
司郎とクレアが二人掛かりで颯矢を抱き起こし、座席の中央に座らせた。
「阿呆が! 役立たずめ」
ジョージは激昂し悪態をついた。城からの消耗がピークに達したのだと司郎は理解した。いかに特殊といえど使い慣れていない武器を扱うのはリスクが高いということなのだろうと。ジョージの時と同じように颯矢を操りどうにかしようと司郎は考えた。気を失っている相手なら100%支配下に置くことが出来る…はずだった。しかし、出血を抑える時と同様に指の先一つ動かせはしなかった。
何故?
理由は二つ考えられた。
一つは颯矢が外部から干渉を受けない術を用いていること
そしてもう一つは…司郎の能力の適用外である事
前者は有り得ることだ。例え気を失っていてもそれが出来る人間はいるだろう。
後者は…考えられない。認識の上で彼は人だ。それ以外の何者でもない。ならば適用外となるには可能性は一つ、既に死んでいるという事以外に無い。
恐る恐る司郎は颯矢の右手の脈を取った。
司郎が横で思惑する中、クレアは光を失った円刀を一つ拾い上げた。そうこうしている間にも車外に落ちた5つの円刀は遥か後方に消えてしまう。切り札が手の届かない所まで離れてしまえばケルベロスから逃れる術は断たれてしまう。それを避ける為にも一刻も早く円刀を手元に集める必要があった。クレアが手にした円刀が淡く光を発する。そこから5つの円刀まで光糸を延ばしたい所だが既に充分遠く、射程範囲外だった。もはや円刀の回収は不可能に思われた。クレアは自棄になったのか残された3つの円刀を拾い集め、順に一つ二つと投げた。それはケルベロスを掠めたが傷を負わせる事も、足を止めることもなかった。手元に一つ残しておけば、投げた二つを光糸によって回収できたのにクレアはよりにもよって最後の一つまでケルベロスに放った。それは暴挙と断じられてもおかしくない行為だった。そして手元に切り札は無くなり、ただひたすらに逃げるしか術が無いように思われた。
しかし一本の希望の糸はまだ繋がっていた。車からは届かなくともギリギリ届く範囲まで飛ばした円刀…それも三倍の距離ならあるいは届くかもしれないとクレアは賭けたのだ。
そして颯矢との戦いでも見せたように、円刀同士の接合だけでなくクレアにはもう一つ円刀を操る術を持っていた。その円刀を収め携帯していた服、そこから光糸が伸び最後に放った円刀と繋がっている。クレアは感じ取った。釣りのプロのように神器の些細な変化を見落とさなかった。一番遠くにある円刀に5つの光糸が掛かった事を。そしてそれを勢いよく引き戻す。
クレアの一連の動作をジョージはバックミラーごしに見た。そして颯矢の昏倒よりもそちらに注意が向いた。何故、颯矢の神器をこの娘が使えるのだ? と口には出さなかったもののジョージが颯矢に抱いていた疑念は確かなものとなる。

クレアは内心怖れていた。それを表には出さないように無意識に隠していたが、やはり隠しようの無い恐怖は見えるところに現れるものだ。神器を持つ手はそれを取りこぼしそうになるほど震えていた。
目の前に迫る怪物、死の恐怖……
それ以上にこの先の自身の行く末の不明瞭さ……
この危機を乗り切らなければそんなモノすらないというのにクレアは怖れた。けれど理解はしている。怖れたところで背を向けたところで世界から逃げることは出来ない。全てを断ち切るなんて事は不可能だと。拒み続けることに意味などないんだと。
それでも理解は頭ですること…心の不安を拭い切れるわけじゃない。
「鎖に繋がれてねー犬ってのは手に負えねーな」
一つの能天気な発言が耳に入る。クレアは視線を下に落とした。
「まぁ俺も引き篭ってんのは嫌いだから鎖を引き千切ってでも逃げ出すけどなッ!」
満面の笑みをもって颯矢はクレアを見上げた。
「お前もそうだろ? クレア!」
「犬並に無鉄砲な考え無しの人と一緒にされたくないわ……ねッ!」
青い顔をしていたクレアの肌の色に血の気が戻り、薄い桜色に染まる。円刀を握る手に再び力が入る。
「ボディガードのくせに呑気に伸びてるし、しっかりしてほしいんだけど?」
「はッ……俺は『一生貴女をお護りいたします。シスター』なんて言った覚えは無いんだけど?」
「『酷い! あたしとは遊びだったのね!?』」
「どこで……んなセリフを覚えたんだテメーは……」
「最低だな神凪」
「最低ですね」
ジョージと司郎が援護射撃をする。
「ぐぬ、言ってる場合かよ!」

心から生まれる不安を追いやるには何が必要なのかクレアにはまだ頭で理解は出来なかった。けれども心で感じることが出来たような気がした。司郎が手に取った颯矢の手首には脈なんてなかった。その意味を理解する前に司郎は自身の力を有りったけ使い、颯矢に干渉しようとしたが手応えはまるでなかった。それどころか触れている手の先から異変に見舞われた。
それは力が抜けていくとかそんな軽いものではなかった。壁に触れたときともまるで違った。例えるなら感電した時の感覚と似るのかも知れない。手の先から内側を通るようにして身体の芯まで侵食し苦痛が駆け巡り、心臓を鷲掴みにされているような…それなのに手を離そうとしても侵食された神経はうまく情報を伝達しない。まるで無数の手にがっちりと掴まれたように司郎は金縛りにあった。そして司郎の目にだけ黒衣を纏った死神が映り、直ぐさま消えた。
その直後だった。颯矢が何事もなかったように目を覚まし、喋り始めたのは。司郎の金縛りは解けたが、その事に気付かず司郎はまだ颯矢の手を握っていた。能天気な颯矢に一先ず安心した司郎はその手を離した。唐突に起こった金縛りだったが解けてからは違和感は無く気のせいにすら感じられた…だけれど、握っていた颯矢の手から脈を感じる事は目を覚ました後も手を離すまでなかった。単にそれが手の神経の異常だったのか、そうでないのか司郎は錯覚だと思いたかったが……
司郎の直感は思いとは逆の答えを既に導きだしていた。

「ん…」
颯矢は手を拡げ、クレアに突き出した。
「何?」
「俺がやる」
「馬鹿言わないでよ。また倒れられたら堪らないからわたしがやる」
「俺がやらなきゃ意味ねーよ。多分」
「……」
その言葉の真意を掴めずクレアは沈黙の後、心情を口にする。
「意味が分からないよ」
確かに言葉にした通りではあった。しかし瞬時に神器を使いこなす颯矢が放つ言葉には言い知れぬ説得力があった。
「意味わかんねーなら貸せって」
「意味わかんないから貸さない! だいたい貸す物手元に無いし」
説得力があろうとも昏倒した人間に神器を渡すほどクレアも愚かしくはない。
「あ! あの犬さっきまで弱ってたのに! 話し掛けるからその隙に回復してる!」
「俺のせいじゃねー! つーかんな事あるかよ!」
それはクレアの錯覚などではなかった。実際にケルベロスは流体組織の形成力を不安定な状態にし、走る速度も落ちていた。その間にクレアが光刃を撃ち込めば決着は着いていたかもしれないが、それは颯矢が目覚める前、クレアの手が震え狙いも定まらないような状態の時であった。
「とにかく!これを扱って来た年期はこっちが上なんだから口出さないで! わたしは外さない!」
「………」
颯矢は何か言いたげだったがそれ以上は無駄だと悟ったのか沈黙し、ジョージはその言葉から重要な情報を選りすぐる。円刀が光を帯び、目に見える位置まで引き戻され緊迫した空気が漂う
「このまま真ん中の頭を射ぬく!」
クレアは宣言した。そして颯矢は
「外す方に一万……」
ぼそりと誰にも聞こえないような声で不謹慎な言葉を吐く。外せば一万を払わない代わりに命の保障が無くなるというのに……
颯矢の発言が耳に入った司郎は笑っているとは言い難い苦笑いを見せた。クレアの集中は例えその言葉が耳に入っていたとしても揺るがない程だった。より正確なコントロールをする為に、光糸を引き円刀を一つ手元に戻した。今や円刀の全てが充分クレアの手足のように操れる間合いに入っていた。
ケルベロスはその背後まで続く光糸と円刀の連なりを左側に離れる事なく走って付いてくる。しかし、さぐりの為にしならせ放った光の鞭は真上に跳ぶよりも隙を生まない横跳びでかわされた。クレアにとってそれは想定内、むしろ望むところだった。
かわされ、たわんだ光糸を更に曲げ最端の円刀と手元のそれを光糸で繋いだ。光の輪の中に捕われたケルベロスは左右の頭で光糸を見下ろし、その姿は困惑しているようにも見えた。クレアは更に一つ円刀を手元に戻した。手元に二つ、円を画いているのが六つ。
クレアは六つの円刀の半分で円を維持したまま、残りで立体的なドームの骨組みに形を変えさせた。それはさながら獣を生け捕る檻。
そして六つの円刀から他の五つそれぞれに光糸が伸びる。光糸のおよそ半数がケルベロスの体を貫いていた。
「鎖を引き千切って人を襲う悪いワンちゃんは閉じ込めて鎖に繋ぎましょう」
「串刺しの間違いだろ……」
司郎の予想した弱点である頭部には一本も光糸が貫通してはいなかった。そして当然の事かもしれないがケルベロスに苦しんだり痛がったりする様子は見られなかった。司郎にとってそれは不気味であり、リオンの最後の姿をフラッシュバックさせた。動けば細切れに出来るであろうその檻はケルベロスの脚には絡んでおらず、ケルベロスは身動きの取れぬまま追走するしかなかった。外すことは有り得ない状況を作ってからの投射がクレアの狙いだった。
両手に持った円刀の握りを変えた。右手は人差し指中引っ掛け親指で添えるように。左手は親指以外の四本で軽く持ち、正面に構えた。その姿勢は洗練されたもので隙が無く、一輪の活けた花のように真っ直ぐ綺麗だった。左手の円刀の上下に光刃が弓を成す。そして右手と左手の円刀を重ね、静かに引いた。右手は引く以外に力を使用しておらず、手に掛かる円刀の外輪にはピンと張った弦のような光糸が上下に一本づつ並び、それは弓の上端と下端に繋がり、弓を成す円刀の先はケルベロスの檻へと続いていた。
クレアは息を等量的にすーっと長く吸い、一拍止めて右手から全ての力を抜いた。音も無く放たれた円刀は左手の数ミリ横を通り抜け、宙に打ち出された。そのスピードは近くに居た者は目で捉らえることが出来ないほどだった。実際司郎は打ち出した瞬間すら気付かず、クレアの右手に円刀が無いことに気付いてからケルベロスを振り返った。
しかし、犬の動態視力は人のものとは比べものにならない。テレビ画面がコマ送りに見えるほどの視力が犬にはある。そしてケルベロスの持つ特徴は当然ながら犬の走力だけに限らない。

躱された。

それは言わば弱点の証明であったのかも知れないが、ケルベロスは何の苦もなく首を振るだけで円刀を躱した。そして円刀はケルベロスの肩から沈み込むように取り込まれた。司郎は着弾の瞬間を見てはいなかったがケルベロスの無事を見て落胆する。

「躱した!?」
その颯矢の言葉に弱点の確信を得た。弱点でなければ躱す必要など無いと。一人で相手も無しに賭けた賭に勝利した颯矢は嬉しさなど微塵も表さずただケルベロスを睨み付け、拳を握りしめた。クレアに何か言おうと見上げ、その時初めてまだクレアの攻撃は終わっていなかったと知る。投射の前に深く吸った息を目を閉じながら口から吐き出した。
「はぁぁぁ……」
それは謀らずもジョージの知る気を高める呼吸方と似る。左手の円刀を両手で持ち、呼吸を止めパッと目を開いた。手に持つ円刀が光を増した…その瞬間、ケルベロスの三つの頭から角が突き出た。それはそう見えただけで角ではなかった。研ぎ澄まされた光刃がケルベロスの頭を全て貫いていた。ケルベロスを囲う檻の円刀に繋がる光刃。それはケルベロスの体内に撃ち込んだ円刀から発せられたものだった。
「ゃった!」
クレアが確かな手応えを感じ、歓喜の声を漏らす。
「まだだッ!!」
颯矢が円刀の刃に右手を添わせ、切った。血の滲む右手で光糸を掴み、干渉範囲を一気に広げた。光糸に染み込んだ血の赤は瞬時に闇の色に染まり、その先まで色を変えようとした。すなわちケルベロスを捕らえていた檻まで。
しかし、紙一重で明暗は分かれた。ケルベロスはその場に止まり、こちらに向かって斜め上に跳んだ。そう頭部や身体の至る所を貫通している光糸、光刃に切り刻まれることを意に介さず。当然、そんな動きをすればこれまで同様バラバラになるものだと思っていた。そうならない為の準備が既になされていた。切断できないわけではない。しかし、一瞬にして複製したほど、もはや細部までが緻密に行動可能だったのだ。切られた後からその部分を形成修復し、刃を素通りするかのように動くことが出来た。
檻を中心の首だけ抜け出たというところだった。後、コンマ数秒遅ければ全身が逃れていただろうが黒く色の染まった光刃がそれを阻んだ。その光刃が切ると再形成が出来ず我壊、また切られていない周囲の組織まで闇に呑まれるが如く、その状態を保てず崩壊した。
やはりケルベロスの身体組織は攻撃を受け、核のコントロールから外れると水になった。
ケルベロスは致命的な打撃を受けながらも、他から切り離して頭部の一つだけは守り抜いた。そしてその残った頭部だけを颯矢たちの方へ打ち出した。首だけの文字通り捨て身の攻撃だった。
「ッ!!! ジョージ!」
肝心な部分にとどめをさせず、焦りを感じながらも颯矢は運転席を振り向いた。円刀ではダメだった。もう光刃を成す力が残っていない。振り返った瞬間、目の前には緩く回転しながら宙を舞う刀があった。ジョージには初めての事だった。刀による予知…ヴィジョンが明確に鮮明に見えたのは。そして普段ならそれは絶対に耐えられないことだろうが、ジョージは普通に刀を抜き、颯矢へ放っていた。それがヴィジョンに映っていたからかはジョージにも分からなかった。
「案外気が利くなっ!」
左手で柄の端を握り、右手の甲に刃を添える。そのまま向かってくるケルベロスにあわせて刀を振りぬいた。刃と牙がぶつかり音を立てるが一気に数本を斬り落とし、上顎と下顎に両断した。下顎は水煙となりそこから司郎の旅荷物が車内に落ちた。颯矢の返す刃で頭部の上半分も真っ二つにした。
キんッ!
些細な手応えだったが刀が何かに触れ、切れ目から覗く光沢のある物体を颯矢は見逃さなかった。その光沢のある物体を真上に蹴り上げた。司郎はなんとかその物体の正体を見ることが出来た。それは司郎がケルベロスの核だと思って見上げたそれは、機械だった。それも見覚えのある。そう…城門の上に置き去りにしたロープ巻き上げ機。全てを理解した司郎は視線を瞬時に下に戻した。その光景が目に入ったのとクレアの悲鳴が耳に入ったのは同時だった。
司郎が目にしたのは既に決着の着く寸前の姿だった。
颯矢が蹴り上げたその一瞬の隙をついて、ケルベロスの残った目が颯矢に狙いを定める。その形態をゲル状に一変させ颯矢を頭から一気に包み込んだ。その時点で既に決着が着いていたと言ってもいい。半液状化し、もはやケルベロスとは呼べぬ容姿のそれは首や頭を締め付ける。水が入り込むように鼻や口、そして耳にも侵入し程なく脳に達しようという所で侵攻は止まった。ケルベロスに覆われながらも颯矢の右手には核が握られていた。
ケルベロスが颯矢を見たその瞬間、颯矢も見ていた。ケルベロスの瞳の奥に存在するモノを。そしてケルベロスが仕掛ける刹那、颯矢はそれを掴んだ。
感覚情報を獲得するシステムの直ぐ側に制御系を置くのは反応速度を高める上で当たり前の事だがまさかそのまま目の中に核があるとは思わなかった。颯矢は核を掴んだが、それを破壊する力も遠くへ投げる自由も既に無かった。
しかし、ケルベロスの核……それは紛れも無く神器だった。そして『聖杯』は全ての神器の優位に立つことが出来る。
颯矢を覆っていたゲルは瞬時に色を失い、流れ落ちた。
「カッ! カハッ! ……ッェホ!」
鼻や口からも水を吐き出し、片足立で跳んだりしながら耳の水も抜いた。
「っはぁ……はぁ……ふぅ。あー死ぬかと思った」
一息つき、本当に死ぬ寸前だった事を理解しながらも軽く言ってのけた。その手には台形の四角柱が握られていた。その形状は世界的な財宝の金を塊にして保存する際の形と同じだった。しかしまばゆいばかりの光を帯びているわけでは無く、その色は淡い灰色だった。それを握ったまま颯矢どかりと座り込んだ。
「終わった…の?」
緊張をまだ解いていないクレアが言った。
「あぁ、多分な」
「……なら早く刀を返せ」
颯矢の回答を聞きジョージが左手を後ろに伸ばしながら言う。
「てめーこそハンドル返せ、俺の車だ! つーか降りろ!」
一応返却し、文句を発する颯矢。借りたことに対する礼は無い。
「それにクレア! あんたも……」
「神凪、座席の下に何か落ちてるぞ」
颯矢がクレアに同行させるつもりは無いと伝えようとしたのをジョージが遮り忠告した。運転席から後部座席の下は見えにくい。ジョージは肉眼ではなくその手に刀が戻り、再び刀を通して未来を見たのだ。またしても今までにないほど鮮明に。ジョージは颯矢に刀を貸してから予知の性能が上がっていることに驚いていた。そして颯矢に対する疑いも同時に大きなものになる。
「あ? 下……?」
颯矢はジョージの思惑や疑念など知るよしも無く下を向いた。普段なら躱せただろう。しかし疲労が蓄積され集中力が散漫になった颯矢はその落下物を躱すことが出来なかった。
がつン!!
「ぃでッ!」
颯矢が蹴り上げたロープ巻き上げ機は見事に脳天に直撃し颯矢の意識を奪った。いつの間にか空は明るくなっていた。車が木々の間を抜けるとそこは開けた見通しのいい一本道だった。
どこまでも続いているような道

どこまでも続く道…

クレアが顔を上げると吹き抜ける風が頬を撫で、髪を揺らした。

そして眩しいほどに明るい朝日が姿を現し…昨日までとは別の朝が来た事を告げた。


END


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: