全1384件 (1384件中 1351-1384件目)
ようちゃん2号、このごろ仕事が忙しいので、ニュースはさっぱり見れない。こっちは忙しいのだから真面目にやってもらいたい。どこが不真面目か?……というと、小泉さんは小泉さんで、撤退しないと決めたんだったら、人質の家族に「撤退はできない。手は尽くしますが、命は無いものと覚悟してください」ぐらい言って欲しい。そうしたら、家族は家族で「現段階では小泉さんが決めることですから涙を呑んで小泉さんの英断に従います。」とか「小泉のバカやローがこんなこといいやがるんで、刺し違えても意見を変えさせてやる。」とか「国籍捨ててでも、現地に行って俺が救いに行く」とか言いそうでしょう?撤退したらバカにされるからしちゃだめ、ってそんなご都合ではっきりしていないことが、外国の人から見たら一番にバカにされると思う。そして今確実にバカにされている気がする。くやしぃー国策が「残留」としているのに、家族が のほほんと記者会見しているのはどう見ても茶番でしょう?はっきり言ってこの人たちから本気さが伝わらないしー。(12日は東京の法務局と相模原の法務局と横浜の法務局でTVが付いていた。謄本の待ち時間だけテレビを見た。)人命が大切なら、本当に撤退させて、その代わり「テロは許さん」といって懸賞金を掛ける。そしたらようちゃん2号の発明した boil them alive が生きるわけだ……。 そしてまた行く。予算があるかはわからないけど……。人命が本気で大切というなら、そこまでやる。日本のパスポートを見せただけで「この国は民間人の人質を助けるため自衛隊を撤退までさせた国だ」と尊敬を受けるかもしれない。あるいは「テロに屈せず、家族に命の覚悟を迫った立派な国だ」とされるかもしれない。どっちつかずのニッポン人の不真面目さがこの人質事件の本質なのではないかとようちゃん2号は思うのであった。どっちでもいいから本気でやれー。
2004年04月12日
コメント(0)
平成16年6月22日記入だから日記を始めから読んでいる人は4月12日に飛んで読んだ方がいいよ。少なくとも4月10日の日記を先に読んでね。別れた妻の思い出話しになる。相手がいるわけではないけれど、日記を書き始めて、もう一度自分に幸せを与えてあげてもいいのかな?と思うようになれたから書けることかもしれない。40才を過ぎた男が、初婚の頃のことを書くのは、デリカシーが無いのではなくて、それでも良いという女性でなければお付き合いをする以前の問題と思うからでもある。……始めるよ。細かい経緯は書かないけれど、彼女からの初めての電話は夜中の2時30分だった。「彼氏と別れるかもしれない…」泣きそうになりながらなのか、既に泣いていたのかはわからない。第一声…。彼女とはほとんど面識が無い、彼氏の方とも知り合ったばかりくらいだったのだから…。まずは落ち着いてもらいたかった。結局、昼に多摩川の土手で会うことにした。屋外の方が深刻にならないで話ができると思った。ちょっと話しがおかしくなっちゃったな。途中からようちゃん2号、下心というか、こっちの身の上話しをしていたな。ここら辺、うまく誘導されたと言うか…。結局、付き合うことになって、3ヶ月目ぐらいだったかな?その頃には電話で「結婚しろ。」って言われてて、こっちは経済的なこと、自分の自信の無さからそんなのまだ早すぎると思っていて、でもそんな風にも言えなくて、「まだ、もうちょっと…」って煮え切らない返事をしていたな。「じゃあね、電話切るよ」と切るのだけれど、また直ぐに電話をかけて来る。何回か切るのだけれど、また掛かってきて「うるせーな。」と言って受話器をはずしたままにした。そうしたら、NTTの故障係に電話するんだね。電話機が「プウ~~~」って鳴って、しようがないから、受話器を戻す。んで、また電話が掛かる。…寄り切られて結婚することになった。(この物言いは女性の友達から非難されたことがある)最後は「うるせー、結婚したるわい。だから眠らせろ!」だった…。同居、子供二人をもうけて、下の子が3歳くらいの、まだいろいろなことがわからないうちに離婚した。(離婚には曲折がある。またそのうちに書くよ。辛いことだけれどね…。)円満に離婚、子供は妻が引き取ることに異論は無かった。ようちゃん2号より立派に育ててくれることに、今でも疑いは持っていない。(ようちゃん2号なりに根拠があること。これも今回の日記には書かない)連絡先もちゃんと教えてもらっていた。ある時、保育園のことだったかな?どうしても早く連絡をとらなければならないことができた。そんで電話したんだけれど、うんともすんとも言わない。NTT故障調べに電話してもダメだった。翌日に電話したら、つながった。どうしていたか聞いたら、「子供が寝てから、電話が鳴らないようにジャックの部分から抜いていた」と言うことだった。「そうかー、…俺もそうしておけば良かったんだな」って言ったら、元妻、「はは~ん。」って言った。5年以上前の、結婚するしないの時のことだということが直ぐにわかったんだね。そのくらい一緒に暮らしていれば、たいていのことは、お互いにわかるようになるんだよ。
2004年04月11日
コメント(1)
平成16年6月19日記入だから日記を始めから読んでいる人は4月12日に飛んで読んだ方がいいよ。少なくとも6月6日の日記を先に読まないと、全体についていけないと思う。近年に行くに従うにつれ、自分と向き合うのが大変になる。そのことに向き合い始めれたから書けるようになった投稿と言ってい良いからギャップがある。……始めるよ。ある人の日記に行ったら、「生活実感を詠む」とあって、ようちゃん2号も一句ひねってみた。何でこんな場面を思い出したのかわからない。当時も不思議だったし、今も不思議な感覚だな。まあいいや、考えてから投稿するまで15分もかからなかったろうな。…詠んで投稿したのは↓これ。>【「出て行け」と、言われて外に出たものの、まだ「そこいるか」と水をかけられ】>(詠み人知らず、同居離婚前の某氏、「俺ん家なのにー!」)>解釈はしません。(介錯!)ちょうどこの人の前日の日記が「~~斬り!!」とか「~~切腹!!」とか言うお笑い芸人、波田陽区の人の日記だったのがまずかったんだね。(さすらいのギター侍)ちょっと、歌だけではわからないだろうと思って注釈のような説明が必要なのはしたしかたないとして…前振り長かったけれど、その当時のこと…。たぶん一人目の子がお腹に入ったときのことだろうな。ようちゃん2号だけでなく、父・母にとっては初孫だから、みんなうれしかった、いい時期のことだね。今は別れてしまったけれどね。たぶん、「出てけ!」って言われたの、ようちゃん2号が着ていた服を脱ぎ散らかす癖が原因だったんだろうと思う。女房が「ない!ない!」って探し物をして、「もー、どこ行っちゃったの!」っていうくらい探して、ようちゃん2号の脱いだ服を持ち上げてみたら「あった!」っていうことが多かったみたい。なんか我慢できなかったんだね。「出て行きなさい!」ってすごい剣幕で、こっちはお腹に障っちゃいけないと思って抵抗せずに外に出たのね。でも、やることがないから、って言うかしばらくしたら許してくれるんじゃないだろうかって、玄関のところにいたのね。ほいたら、まもなくドアが開いて、入れてくれるのか?と思ったら、バケツ持ってて、水をかけられた。…どうやって、入れてもらったか覚えていない。うーん、どうやったんだろう?ちょっと笑って思い出せるようになったから書けるんだな。
2004年04月10日
コメント(2)
邦人3人が人質になった、ということについて書かなくてはならないと思う。ようちゃん2号の手持ちの情報は、ある組織が「自衛隊を3日間のうちに撤退させないと、捕らえた人質を殺す」と言っているということ、それだけに近い。情報を収集せずに自分なりに考えを表現しようとするのは、人に読んでもらうため、というより自分自身の考えを整理するため。(この時点でも整理は付いていない)小泉さんは「撤退はしない」と言ったらしい。んじゃぁ、人質は殺されるわけだ。……焼かれる。一国の総理が「撤退しない」と言ったのだから、この時点で焼かれてもおかしくないでしょう?それなのに人質の家族が悠長に記者会見している事、それ自体……不思議……。会見の感じでは「撤退しないから、焼かれます」と小泉さんが家族に言ったとは思えない。もう伝えているのだけれど、不謹慎すぎるからニュースには出てこないだけとも思えない。「撤退か残留」は、小泉さんが決めるものなのでしょう?世論が決めることではない。組織の人が日本的情緒があると思うのは当てにし過ぎ、さらっと「撤退しないんだね、じゃぁ焼くよ」3人は焼かれて、それでも組織の人は撤退して欲しいことにに変わりないから、また邦人を捕まえて人質にする。殺し方はもっと過激になる、って、これ以上残虐な殺し方は思いつかない。「やったら(殺ったら)いいかー、覚えておけよ」って言ったって、そもそも戦争をしに行ったのではなくて、人道支援をしに行ったんでしょう?どーすりゃいいの?今回は本当にまとまらなかった。
2004年04月09日
コメント(0)
平成16年6月8日4:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。4月9日に飛んで、そちらを読んでね。ギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。ちょっと改めて聞こうとは思わないから、大人になってから妹に聞いた母の手術にかかわる話を推論も交えて書く、しかないのだけど。要は、避妊しないで、やってた。母はそれをしたい、けど言えない。父はどう考えていたのだろう?…それ今でも聞けないな。ようちゃん2号と妹の間、そして妹の下にもできていたらしい。母は生活がやって行けないっていう怖れや、育児ノイローゼみたいのもあったのだろう。どうやったのかわからないけれど、実際は自分でお腹をつぶしたらしい。それでようちゃん2号の幼稚園の頃、入院っていうことに…。経済的には何とか破綻のないまま、また夫婦が別れることのないまま、ようちゃん2号の父母が作った家庭は続いて行った。どんな夫婦でも夫婦喧嘩があり、離婚の危機があり、それを見て心を傷めていた子供もいるんだろう。だけど、なんかボロにボロを継いでいたような感じで、かろうじて綻ばなかった。って事でしかないように思う。大体は母が発端を作ってはいたのだろうけれど、うちの夫婦喧嘩は父の暴力で終わっていた。ようちゃん2号。母に言ったことがある。「暴力ばかり振るうお父さんなんだから、もう、いっそのこと別れたら?」ってね。母がかわいそうでね。そんなふうに聞くと、「お父さんは外で辛い思いをしているんだから、我慢してあげなくちゃいけないんだよ。」とか、「お前たち子供がいるから別れられないんだよ。」なんて答えていた。…これ小学校中学年でこっちも言うし、母も、そんなこと言っていた。そして、ようちゃん2号、そこまでわかっているんだったら、火に油を注ぐようなことしないでよ。って心の中で思ったよ。ほんとう、ようちゃん2号、夫婦ってなんなのか、わからなかったな。玄関から叩き出して、そしてどうやって中に入っているのかとか、妙に朝、仲が良さげだったりするから、何か異様でおぞましさを感じたりしたこともあったな。第一、「子供を生めない体に誰がした」なんてそこまで言っていて、その責任がある父を母が許す感覚って小さい頃のようちゃん2号にはわからなかった。父が一方的に悪いって思っていたしね。わからない事だらけで、ようちゃん2号だけ人間で、ようちゃん2号から見えないとき、妹も含めて異星人に変身しているのではないかという感覚に捉われていたこともあったよ。
2004年04月08日
コメント(0)
平成16年6月8日2:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。4月9日に飛んで、そちらを読んでね。ギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?ってそんな風に読んでね)3月27日の日記で、ようちゃん2号の両親の夫婦喧嘩の事を書いた。-------一回ベランダの戸を開けて、外に向かって母が大声で叫んだことがあったよ。「お父さんにゴルフのバットで殴られたー!」って、-------「ゴルフのバット」って、母が言ったのをそのまま書いている。(ちゃんと覚えている。子供心に「それは違う。ゴルフのクラブ」だよって。もっと正確に言うと「ウッド」で叩かれたの。ようちゃん2号、へんに冷静だったな、その頃は本当、夫婦喧嘩なんて日常茶飯事だったよ。)この時の夫婦喧嘩が一番ひどかったものだと思うでしょう?違うの。夫婦喧嘩の最後で母から発せられた言葉で、ようちゃん2号が聞いた中で一番ひどいのは、「子供を生めない体に誰がした!」……だった……。心臓止まりそうなほどショックだった。その当時、どうしたら子供が生まれるかなんてようちゃん2号知らないよ。ただ、その日それ以上、父が母を叩くことはなかったから、そこで、ようちゃん2号、てっきり、昔、お腹に赤ちゃんがいるときに、父が蹴飛ばすかなんかして、そうなっちゃったんだ、って思った。前後する話だけれど、3月21日の日記に書いてある通り、ようちゃん2号自身、好きな女の子を泣かしちゃったことがあったでしょう?女性は常に傷つけられる存在。男は自分も含めてとんでもない、「けだもの」 だっていう罪悪感を持ったな。母が大病をして入院して、ようちゃん2号、東京の親戚に預けられたことがあったって過去、日記に書いているでしょう?これ、事実は病気ではなく、子宮を取る手術だったの。大学生くらいかな?ずーっと後に母から妹が聞き、ようちゃん2号はそれを妹から聞いて、これについての、いろいろなことを知ることになるんだけれどね。女の子を好きになるんだけれど、好きと素直に言えなかったり、好きな子をいじめてしまうのは、ようちゃん2号の場合、男であることの原罪・罪悪感が影を落としているのかもしれない。
2004年04月07日
コメント(1)
BBSに備忘録としてあげておいた「世界がもし100人の村だったら」について、すごく気になっていることがある。最後まで読んでいるかどうかわからないし、出典を確認しないのはようちゃん2号の毎度のこと。最後まで読んでいるかわからないのは、読んだのが本が出版される前にメールでまわって来たもののため、、、。それを読んだとき、送って来てくれた人の意図はどうあれ、なんか小学校か中学の先生みたいな文章だなと思った。内容で欺瞞を感じたのは、、、、結局、恵まれた環境に僕たちはいるんだよ。先生も含めて……、ということが言いたいのかな?ということ。飢えで苦しんでいたり、まわりでばたばた人が死んでいる様をまのあたりにしている人がいる国の人がこの本を読んだらどう思うのだろう。何かこのような視点が欠け落ちているような文章に思えた。はー、自分に何ができるわけではないんだけれど、表現したら少しほっとした。
2004年04月06日
コメント(2)
ようちゃん2号、仕事のこと、特に内容についてはあまり触れたくない。悪用されかねないことが多すぎるからで、手柄話に晩年に手記を書くということもしないと思う。よっぽど年寄りになって、みんなから相手にされなくなって、さびしくなって、とち狂ったりしたら別かもしれない。その時は、「ようちゃん2号よー、お前、かまってもらいたいからってそんなことべらべらしゃべるなよ。」って言ってもらいたい。楽天のみなさま、よろしくお願いします。(そこまで続くのか?この日記は……?)
2004年04月05日
コメント(0)
日本はアメリカの植民地、ということを以前日記に書いた。アメリカの植民地の経営方法の変遷も少し触れた。そして、ふっと最近思ったこと、とりとめも無いことではあるが、考えたことを仕事の合間に書く。このごろのアメリカの経営方法がまた、変わってきたのではないか?……簡単な構図にすると、経済的プレッシャーをある国にかけて武器を持たせておいて、その武器は危ないから、と査察を国連の名の元に入れ、(どの国でもここまでやられれば怒るって)疑いがあることだけで戦争を吹っかけ、黙らせ、統治には風当たりが強いし、金もかかるので国連の名のもとに別の国々にやらせ、ちゃっかりその実を取る、、、という経営方法。大規模すぎるから見えないだけ。「人権を無視した独裁者がいるから」なら、それを取り除いて後はその国民に任せる。ではだめなのだろうか?また別の独裁者が出てくるなら、その国民のレベルがそこまでなだけ、ということで、そこはそれこそ民族自決主義という事ではどうなのよ。今日はようちゃん2号の出現は無し。かなり仕事を終わらせてきて落ち着いた様子。これはこれでいいかもしれないけれど、つまらないのだー。
2004年04月04日
コメント(0)
太郎を眠らせ 太郎の家に 雪 降りつむ次郎を眠らせ 次郎の家に 雪 降りつむこんな詩が小学校5年か6年のときに教科書に載っていた。縦書きだったし、漢字の使い方、文字間の空け方も正確ではないと思う。(出典がわかる人、教えてください)この詩を読んで先生に、「一人ずつ丁寧に寝かしつけている母親の姿が思い浮かぶ」と言ったら、「そうではない」と言われたのが印象に残っている。何で今この詩なのか……?ようちゃん2号、今、どこから手を付けていいかわからないほど、やらなければいけないことが山積みになっていて、混乱している。土・日曜日は取引先から電話がかからないので、それだけが救い。落ち着けー、おちつけ、落ち着いてやればいいんだよ、ようちゃん2号!ひとつずつやっていけばいいのだから、、、と、この詩は言ってくれているような気がする。(解釈が違っててもいい)
2004年04月03日
コメント(5)
平成16年6月7日1:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。4月3日に飛んで、そちらを読んでね。ギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?ってそんな風に読んでね)おねしょ ってよくしたな。今だったら、おねしょをする子は肉体的なものより精神的なものが大きいっていうことが浸透しているかもしれないね。 うちは引越しが多かったでしょう?親戚は東京か名古屋だから、母が子育てをするのに相談するところがなかったかもしれないね。父はそんなこと、人に相談することじゃないと思ってただろう。母も、それとご同様か、もっとひどいかもしれない。…父に相談するんだもの。おねしょがバレるたびに殴られるんだ。思いっきりね。隠してもバレるから殴られる。飼い犬が、決められた砂場の上で小便しなかったのを、叩いて直すのと一緒。(ようちゃん2号、本当、飼い犬と同列扱い。俺は人間ぞ、)懲らしめはもう一つある。妹に言うの。「お兄ちゃんのくせにはずかしいねぇー」って母が言う。(これが母の役目?キツーイ一発。読んでいる人わかるかもしれないけれど精神的なことのほうが、人にとっては辛いことがある)おねしょって、した最初は気持ち良いの。あったかくて。そのうち冷たくなるでしょ?…最悪。殴られるのわかっているから、ようちゃん2号、どうしたと思う?冷たいの我慢して、体で暖めて乾かそうとしたことがあるのよ。…一生懸命にね。…想像してみてくれるかな?石川県の金沢の冬。そこでだれにも相談できなくて、冷たくて眠れなくて、殴られるの怖くて、ただ水分を自分の体温で乾かしている子供。…かわいそう。(自分で言っちゃった)でもね。考えていることはちがう。自分の体をコントロールできない自分がミジメなんだ。…かわいそう、って言うのとはちがう感情。そしてね、小学校3年生ぐらいにね。ずいぶんしていなかったおねしょ をしたの。もう覚悟を決めて、二人が寝ている寝室に行って「おねしょ」しちゃったことを言った。このときは何でだかわからないんだけれど、怒られなかったな。それはそれで良かったんだけれどね。それがどういう基準で殴られなかったのかは、子供にとってわからないんだよ。…虫の居所なのか、殴られるの覚悟で正直に言ったからなのかがね。「殴らないの?」って聞いたかな?…たぶん聞いていない。聞いたら、「忘れてた。殴って欲しいのか?」 と言いそうな父。…誤解かもしれないけれどね。ちょい待ち、聞いたんだった!「殴らないんですか?」って丁寧にね。…何も言われなかったんだ。説明もなし。そっちの方が「言い知れぬ恐怖」だったの。人の気持ちはわからないっていうね。ようちゃん2号が、人に気持ちを聞くっていうことに恐れを持っているのは、小さいときのこんなことがあるのかもしれないな。
2004年04月02日
コメント(3)
ようちゃん2号、東京に住んでもう20年になる。昨日、初対面の関西の女性と同じく初対面のドイツ人女性2人を東京観光に連れて行った。東京の名所……、ようちゃん2号よく知らない。山梨の人に「都庁」を教えてもらったくらい。夕方4時30分くらいに代々木公園で車に乗せ、NHK前を通って岸記念館(「てこんどー」のことで報道の人がまだいた)から原宿、表参道から皇居、内堀通りを通って皇居一周(桜がキレイだった)、国会議事堂を眺めつつ、霞ヶ関から横羽線方面へ。モノレールと一緒に走り横浜方面へ、下にはおりずに横浜公園からぐるっとベイブリッジ、この頃には夜景がキレイになってくる。つばさ橋、トンネルをくぐってベイブリッジへ、汐留から新京橋、北池袋方面の合流ですっごく混んでいて、車を1回も降りず2人を池袋で降ろしたのは8時30分だった。振り返ってみると、これ、観光案内じゃなくてドライブじゃん?大黒ふ頭でお茶するわけでなく(行きそこなった)、東京案内で何で横浜なの?って感じ。ただ、いつもは目的地に突っ走っているだけで、周りに興味をもって走ってはいなかったので、自分にとっても、しばし「観光」……だった。ようちゃん2号、お話しするの苦手だからちょうど良かったかも。外国の人が来たせいで日本に関して思い当たったことがひとつある。日本人って、世界で一番多く文字を持っているのではないかってこと。(ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字)みんなは、「東京案内」ってどうします?「はとバス」乗れって? ……今あるのかなぁ。
2004年04月01日
コメント(2)
平成16年6月6日24:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。4月1日に飛んで、そちらを読んでね。ギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?ってそんな風に読んでね)3月28日の日記で妹のことに触れたね。プロフィールにあるように、ようちゃん2号の誕生日はクリスマスの次の日(徳川家康といっしょ?という説もある)、どういう風に祝っていたかというとね。クリスマスと一緒にお祝いするの。(「獣(ケダモノ)」の家族ではないよ。世間様から見たらご夫婦はごく普通。違っているのは美男・美女っていう位。一緒の社宅の人以外にはそう見えるはず…。普通、っていうのがどれだけおぞましいかわかりそうだね。)そんで妹が1年6ヶ月後の誕生。妹の誕生日に一緒にようちゃん2号のプレゼントも買ってくれる。だから、誕生プレゼントは年2回。(そのうち1回はクリスマスと一緒♪)父は実家が商家の出だからなのかな?母に給料全部渡すのではないの。「この金でやれ」って生活費を渡すの。母、「足らない、足らない」って言っていたよ。まあ、足らないっていうのわからないのでもないのだけれど、(実際どうかはわからないよ、っていうか、お金なんてあればあるほど良いに決まっている)男のようちゃん2号にはわからない、女としての見栄もあるのさ。恨み言のようによく聞かされたのは、ようちゃん2号の小学校の入学式のときのこと。どうしても、和服に似合う帯が欲しかったらしい。…当時のお金で10万。こっちからするとたった一回の入学式につける帯にそんなお金かけるの「バカ」以外の何者でもないと思いません?ちょっと男性・女性で意見が分かれるところだと思うけれどね。せっかくの晴れ舞台っていうのをどう捉えるかっていう問題だね。小学校3年くらいだと覿面だったね。妹は素直なところがあったから、逆に欲しいものが明確だった。当時は「綿菓子作り器」って言えばいいのかな?とにかく電気を使った「ままごとセット」みたいのが流行りだった。その素直さを壊したくなかったんだな。兄貴としてね。(おかしいと思う?妹に自殺を考えさせてしまうほどの兄なのに。たぶん人間って自分で思うほどそんなに簡単なものじゃないよ。)そして、それがわかっているから母に財布の中を見せられて、(3千円かな4千円かな?)「僕は安いもので良いから…」って言っていたな。実際、自分で「これが欲しい!」っていうものが無かったよ。あったかもしれないけれどね。…うーん、たぶん思考停止するのがうまくなったのかな?ちょっとわからないな。
2004年03月31日
コメント(3)
3月27日、マインドカラーのワークショップに参加して、月曜日だったっかな?ようちゃん2号、自分の母親に内容を説明しようとした。ボトムのようちゃん2号、説明が長いのー、自分でも良くわかる。自分の中では、マインドカラーのワークというのは―、人にこう見られたいという意識、あるいはこう見られたらお得!等という、自分で勝手に描いた社会的役割を「演じて」いるのか、自分自身が資質として持つ、「地」のものなのか。もう一度振り返ってみるものなのだと思います。ようちゃん2号から見ると、演じているのは「うそっこ」、だし、演じるにしても、だったら本当の自分って何なのかわかってから演じたい。まず自分が何者なのかわかって、自分が自分自身と一致して初めて、演じるなら演じれば?ということ。ハウツーものがうまくいかないのは、この部分だと思う。そりゃー真似すれば、そこそこうまくいくかもよ。……そこそこね……ってこと。(そこそこのことならようちゃん2号も十分やってきたと思う)……でもね、…人は敏感だよ。自分自身も含めてね。くさい演技は自分でも鼻に付く、ってこと。そこそこしかうまくいかないのは、ハウツーものの責任だけじゃない。いろいろなハウツー真似して、自分失くして、今自分はどこにいる?ここは何時?私はどこ?今は誰?……ほらー、やっぱり話が長い。ようちゃんの母、たぶんクール系なんだと思う。ここまで話をさせない。「……あーら、私は似合う色を着るわ、好きな色だったら、ペンション高くなるし……」「……おまえー、ペンションじゃねーだろ!テンションだろ。テ・ン・ショ・ン。だいたい人の話を最後まで聴け、ってんだよ(ようちゃん2号激怒)……」そんなこんなで、ウオーム星人とクール星人の戦いは続くのであった。(マインドカラーについては楽天の人だったらすぐに行けます。……貼り付け方がわかりません。)
2004年03月30日
コメント(0)
ようちゃん2号、ちょっと困っている。これはようちゃん2号が、おんもに出かけるだけが仕事ではないということ。お外でいっぱい仕事をしたならば、おうちでやらなきゃいけないこともたくさんになる。実はー、おうちの中での仕事は、まじめな文書の作成だったりするのだー。こんなとき、セールスの電話なんかかかると、腹ん立つこと、こと、こと。二度と電話してこないように、きっちり理解させて、(大体昼間に電話取れる奴は暇なんだろうと向こうは思っているんでしょうね。こっちにしちゃー昼に内勤しているっていうこと自体、さいこー忙しいって言うことなのに……最高ですかー?最高でーす。)きっちりテンパッてる時に、逃避が起こって、幼児退行のようちゃん2号が出現するのだ!「立て、ようちゃん2号!」「んま!」(ジャイアントロボ)……うーむ、さらに、か、書けん!ふぅーらふら、おんもに行きたいなー、送らなきゃいけない郵便があるもんなー、とか外に行く用事を作ろうとしてしまう。現在もそう。眠くて書き始めたら、いつもですが、とりとめもなくなってしまいました。そーだ、ようちゃん2号の出生の秘密!学生時代、よく通った飲み屋のマスターが「ようちゃん」と呼ばれてて、そのとき漫画家の高橋留美子さんのキャラクターっていうのか「ポチ2号」というのがあって、そんでしばらく「ようちゃん2号」と呼ばれていたことがあったのだった。それを今回使用したわけ。深い意味は無いのに引っ張りまくったなー。すみません。
2004年03月29日
コメント(0)
平成16年6月6日23:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月29日に飛んで、そちらを読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?ってそんな風に読んでね)ようちゃん2号の日記は日付けとは順不同なところがある。ようちゃん2号の書くのと一緒に読み進めている人にはわかることだけどね。「暴力の支配する世界」 って簡単に書ければ、逆に何も問題はない。閉鎖されたこの世界には、愛情だってあるんだよ。今回は妹の話。(これも立ち入ったことは書けない。兄から見た妹っていう事で書くよ)「愛情が深い人」 妹を一言で形容するとそういう言葉になるな。 そして、当時ある面、一番かわいそうな目にあわせていたのだと思う。通常であれば、一番弱い立場にあるの。逆に一番弱いからこそ、一番強い父にはかわいがられるという構図もある。(これは兄貴であるようちゃん2号から見た視点でしかないんだよ。誤解のないようにね。)かわいがられていることがわかるから、ようちゃん2号、憎いんだよね。「男は厳しく育てればいい」 ってどこかで簡単に割り切られていたのかな?ただでさえ少ないと思える愛情を得たいため、弱いものがさらに弱いものを叩く。(ようちゃん2号のやっていることだよ)ようちゃん2号、妹のことをよくいじめた。そして母に怒られる。「あんたはお兄さんでしょ!何でいじめるの。」ってね。言われ続けたよ。妹とは学年で2年違うの。学校での悪さを誰かから聞いたのかな?あるとき、母が妹をすごく折檻したことがあったの。なんかこのときばかりは、妹がかわいそうでね。ようちゃん2号、ほんと、怖かったけれど、無い勇気を振り絞って間に割って入った!「妹をいじめるな!」ってね。殺されるの覚悟ぐらい…。母親、なんて言ったと思います?「いつもいじめているくせに、なに言ってんの」って、指をされて笑われた。もう一度書く。笑われたの。(涙、出さなかったけれど、心は悔し泣き。何で仲裁に入っちゃったんだろう、バカにされるのわかっているのにって。このまま殺された方が良かった。殴られる方がまだまし。)これ、小さいときの記憶で、いつも、なんどでも出てくること。書き始めたときには忘れていたけど、感情と共にいたら思い出した。大きくなってから、このとき「悔しかった」って母に言ったことがある。母は「なにをそんなくだらないこと。そんなことばっかり、あんたはよく覚えてるねー。」……こんな家族だから、妹が本気で自殺を考えた、って話、現実味を帯びるよね。裏返しなのかな。先に書いたように「愛情の深い人」。飼っていた鳥が身代わりになってくれたって言う話、ようちゃん2号は、だれにバカにされたって、 妹を信じる。
2004年03月28日
コメント(1)
平成16年6月6日22:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月29日に飛んで、そちらを読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?っていうように読んでね)この頃の夫婦喧嘩は最悪だったな。社宅では子供の通う学校は一緒だし、当然、会社は一緒。母であり、妻である女性の関心事は子供、そして夫に向かう。社宅を持っているくらいの会社だったら、出世する人は大卒に決まっている。心が豊かな人は気にならないんだろうけれど、満たされない人がなにに向かうかバカじゃなければわかる。そして、父は営業の部署、毎晩付き合いで酒を飲んで遅くに帰ってくる。母は、父に出世をしてもらいたいから、毎晩酒を飲んで帰って来る父に真面目な話しがしたい。たまに早く帰ってきても酒は入っている。そして、今思うと、こういうとき、必ず夫婦喧嘩をしていたな。中身はわからないよ。子供なんだから。そうか、たぶんこんな感じ。「あんたは高卒なんだから、よっぽど頑張らなきゃいけないんだ。それを毎晩お酒を飲んで来て!」ってね。開始のゴングはこれかな?本当はね。早く帰ってきてくれたときには、お父さんと遊びたいんだ。今のように週休2日制じゃないからね。土曜日は半ドン。でも必ずというほど始まっちゃうんだよ。母はしつこいからね。そして、人を怒らせることにかけては天下一品。火に油を注ぐ。なにがどうって言うのは、今でもうまく説明できないんだけれど……。わかるかな?父は社会人野球の選手だったんだよ。頭より手が動く人。体格もいい。母は、弱い分、そしてなまじ頭が良い分、口が回る。行き着く先は、書くのがいやだけれど、「暴力」!(躊躇しているっていうことは今、感情と共に書けていることの証拠)最後は玄関から叩き出す。妹が大泣きしながら、それを阻止しようとしたことがあったな。ようちゃん2号はできなかった。妹の方が、父からかわいがられていることがわかっていたからね。ようちゃん2号が止めようとしたら、骨を折られるだけで済むかどうかわからない。妹だってタダじゃ済まないところを見ていればね。母が叩かれないように、玄関から一番遠い部屋に逃げ込むでしょう?割って入って止めようとした妹がそこから玄関まで母と一緒に転げまわされるんだからね。お願いだからようちゃん2号のことを「弱虫」って言わないでね。大体、口答えしないように身構えているのがわかるからね。そんな雰囲気を漂わせているのに母は突っかかって行っちゃうんだ。 一回ベランダの戸を開けて、外に向かって母が大声で叫んだことがあったよ。「お父さんにゴルフのバットで殴られたー!」って、閉鎖された社宅の中で、もっと閉鎖された一世帯の、頭だけでは通用しない世界。ようちゃん2号にとって一番近い世界。
2004年03月27日
コメント(1)
平成16年6月6日21:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月29日に飛んで、そちらを読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?っていうように読んでね)ようちゃん2号が大阪時代って言うのは、小学校2年生から4年生のまるまる3年間。それまで社宅が一軒家だったのがアパートになった。社宅のアパートってプライバシーがあるようで、実は全然ないんだよ。競争社会の縮図。それも偏った社会のね。今回はアパートでのエピソードを……。前振りっていうやつ。続きは3月27日に書きます。父は江戸っ子。大阪の人は食べない「クサヤ」(開いて内臓の発酵液につけたアジの干物。焼くと独特の臭いがする)をどこかからかもらって来た。そんで、焼いて食べたの。そしたらね。アパートって換気口がつながっているでしょう?階段を挟んで両側の世帯のが共用になって上につながっている。父が「んー、うまい!」なんて言って食べているとき、外ではパニックになっていた。みんな外に出て、「ガス漏れだ!」って大騒ぎしていた。「火を使っちゃ危ない」なーんて。人騒がせなことをしたよね。なんか、うちって浮いちゃっている。「クサヤ」今では少し有名かもしれないけれど、当時東京でも「珍味」で、臭いを嗅いで食べない人が多いと思う。日本酒好きがこの味に嵌まると、抜けられないほど美味いんだけどね。
2004年03月26日
コメント(1)
0時までもうちょっと、今日はほとんど一日家にいて仕事の書き物をしていました。昨日は、アポイントで渋谷に10時前に行って、第三京浜の玉川入り口あたりで写真を撮り、、新横浜に行って、横浜の吉野町に行って(昼前に来いって言うんだもん)、昼ごはん食べて(カレーライス)、川崎に納品に行って、上尾に行って、熊谷の車検場に4時10分前に行って(年度末なので混んでいたのが幸いして、かえって4時前に受付にタッチできた人は扱ってくれた。やさしい職員さんありがとー)、玉川で撮った写真を現像して(ほんとは車検場に入る前に出しておきたかったけど、ここの車検場は初めて行くところだったので、距離がわからんかったので寄り道できなかった)、これを熊谷市中心部のとある所に納入して(玉川と新横浜と上尾に行ったのはそのため)、大宮に行って(車検場に行ったのはこのため)、帰って来た。一日でできるのー?と聞いた人がいたけどできました。おしまい。
2004年03月25日
コメント(0)
平成16年6月6日19:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月25日に飛んで、そちらを読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。(日記に出ている人のことを責めないでね。それより自分の子、あるいは甥っ子、姪っ子、近所の子にどう接してあげたいか?っていうように読んでね)父と母、10歳ほど離れている。父は高卒で、社会人野球の選手として入社。母は国立(こくりつ)高校を卒業して大学に進みたかったんだけれど、家計の事情で進学できなかった。お互いに一部上場企業に就職。同じ会社ではないんだ、馴れ初めは知っているけれど、詳しく書くのは自分のことしかしたくない。了解を取るつもりもないからね。この日記、見たら腰抜かすより、切れまくるだろうな「親をバカにしてって」…母の方は。兄弟の多い末っ子同士の結婚。そのせいかもしれないね。お互い、わがままなんだよ。母は子供をどう育てて良いかわからなかったのかもしれない。だからこそ、子供に対する期待が大きかったのかな?子供の評価が、自分を評価する道具なんだ。(こういう自覚は母にはなかったと思う。)また、こうなってしまう社会的な背景もある。(これは日記の投稿欄に書くことにする)母はよく、人の子供の評判を聞いて来ては ようちゃん2号に言うの。やれ「○○ちゃんはピアノができるんだって、すごいね。」やれ「☆☆ちゃんはお母さんのいうことを良く聞く子。あんたも見習いなさい!」……他の家庭がどういう教育をしているか ようちゃん2号、知らないよ。けれどね、「押し付けられるもの全部が全部、できるわけない!」って思っていた。……母にとって受け皿の大きさは関係ないのさ。詰め込めば入るとでも思っていたのかね。でも、期待されているのもわかる。子供は母の期待に沿おうとするものなんだ。だから、「全部が全部できない」なんて言えなかったんだと思う。言ったかもしれないけれど、聞く耳は持っていなかったろうね。そのうち言わなくなるんだ。母から見ると、子供の言うことなんか取るに足らないこと、っていうのがあったのだと思う。(なんか言うと「親をバカにして…」って受け付けないの。)それよりも勉強ができるのがすべて。(おかしいでしょう?人に与えないで、求めるってあり方)今のお母さんたちってどうなんだろう?嘘はいやだな。本気で本当のところが知りたい。こんな母親だから、言っていることに子供でもわかる矛盾がでるんだ。こっちも悪いんだろうけれどね。ボーっとしてだらしない子だったから。よく身だしなみの事を言われたよ。袖で鼻水拭くし、靴下をぴったり履いていないし、ズボンからシャツがいつもはみ出しているような子だった。だからよく「人様が見ているよ。だらしない」って言われた。そうなると過剰に人目を気にするようにもなる。それでね。大阪時代のこと。母と一緒に電車に乗っていたときの話。夏だったんだね。ちょっとようちゃん2号、ファッションに詳しくないんだけれど、タンクトップっていうの?袖のないやつ。母はそれを着ていたな。青いやつ。子供心に母に似合うと思っていた服。(容姿ですか…?人並み以上には美人だよ)つり革に掴まって立っていた。そんで、母の正面に座っていた男の人が、ちらちら母のわきの下を見ているの。母のわきの下には「わき毛」が見えていた。ぼうぼうではなくて、まばらで長い毛がね。母はなまじ美人だから、見たいっていう男の人の気持ちは子供心にも少しわかる。恥ずかしくて、見られているのわかるんだけれど、その場では言えなかった。家に帰ってから母に言ったの。「男の人がちらちら見ていて恥ずかしかった。」って。そうしたら、「うわぁー、恥ずかしい」ではなくて、怒ってこう言うんだ。「人は人!自分は自分!いちいちくだらないことで恥ずかしがるんじゃない!」 ってね。 恥ずかしがる自分がダメなのかな?だったらようちゃん2号の身だしなみについて怒って言われるのは何でだろう?ようちゃん2号、わからなかった。
2004年03月24日
コメント(2)
ようちゃん2号の日記、会社の人も見ているのね。仕事していないと思われるー、ひぃーっ。絶対に打っている間は読み返さないと決めて、書きます。ひとーつ。ようちゃん2号の憩いの場を知っている人ならご存知かもしれませんが、そこの日記の書き込みに、アメリカでは、ケインズを学び理解した上で批判を加えた人たちを総称してケインジアン(ケインズ学派)と呼んでいる、と書いたことがあります。(ほかのところでも同じような書き込みをしました)ちょっとー、これ、よく咀嚼して読んでくれるー。(よーく噛み締めよー。試験にゃ出ないけどー♪)「おっしゃることはわかりますが」とか「ご意見もっともですが」とかという意味で「批判はわかりますが」という言葉が使われ、「一応は受け取っときますけどねー、あんた」、が転じて、これさえくっつけておけば個人の顔、性格までひっくるめて否定できる便利な言葉に成り下がっているというのが「批判」という言葉の現状になっている気がする。このような土壌では「敵の敵は味方」という論理は成り立たない。「批判」でないものに何らかの名前を付ける必要があると思う。もうひとつ、alex99さんのところでわかったこと。私たちは「靖国」では繋がれないということだ。これ、少し垢が付き過ぎている。ちょっと回り道、「自国のことは自国で守るべき」というところでは、alex99さんとようちゃん2号の意見は少し変わってくる。メンタル的に言えば「生まれてくる未来の日本人のために身を賭して戦った」人たちが靖国に眠る。、とするならその人たちは草葉の陰で泣いていそうな気がようちゃん2号には、する。悲観的だけれど、日本はアメリカの植民地……なのだと思う。どこまで行っても戦争は経済の延長、ということがわかっていたら、現代の歴史がわかる。帝国主義時代 ― 人がそこへ入って行って支配した。これでは民衆の反発が大き過ぎる。ベトナムなど ― 傀儡を作った(作ろうとした)。傀儡にしてやったのに、なかなか言うこと聞きよらへんし、そんなに儲からん。ベトナム戦争の意図のもうひとつは落合信彦がどっかで指摘していたらしい、ランボーの言葉「今度は勝っていいのか?」(字幕には出て来ないところがミソ)現在の日本 ― 傀儡には見えないように工夫を凝らした。だからアメリカの言う事聞かない政権は短い。日本経済がうまく行かないのは、買い叩くのに都合が良い。アメリカで進んでいることは日本でも起きるなら今度はM&Aでしょ?安いほうがええに決まっとるやん。アメリカが風邪をひくと日本も……なんて対等な関係じゃない。支配する側がちゃんと学んで、儲かるように工夫してきた。景気が良かった頃は、日本はアメリカとの戦争に勝ったと言っていた人もいた。(この人の説のすごいところが、『戦争はどこまで行っても経済の延長である』としたところで、これは揺らがない)太らせてから食うでしょ?うまみが無くなったら殺してしまえ、という感じ?まだそこまで行っていないかもしれないけれど、徐々に確実に殺されている感じはする。政権が「靖国」を弛んだ民衆を緊張させたりする安い道具として使っている。仮想敵国は北朝鮮というのが定説(しゃくてぃぱっと)だけれど、戦争が経済の延長という事が良くわかっているなら、経済(もうけ)を狙う。あったとして自爆的テロにしかならないことはバカじゃなければわかる。上陸して経営をする体力はもう無いし、黙っちゃない国があるでしょ。このテロのために武器を持つというのは効率が悪い。そして日本が武器を持ったら、当たり前だが仮想敵国としてアメリカが有力であることは論を待たない。そして9・11から学ぶ必要があるのは、……あれは、ようちゃん2号、びっくりした。何にびっくりしたかというと二次攻撃が無かったこと。パールハーバーでも二次攻撃があるっていうんで、アメリカ人で逃げ惑った人がいたらしいが。パイロット一人養成するにもえらく金がかかるらしい。それはよーくわかった。こんな予算だれが認めますか?日本人としてのアイデンティティさえ失われなければ、反撃はできる、と思いたい。ただしやっぱり靖国では繋がれない。話は飛ぶようだけれど、台湾の国民投票、あれは台湾の人が大きいところで(どっちに投票するかは問題ではない)繋がるチャンスだったと見ている。あれに反対の意を表明したのは……中国、そしてアメリカなんでしょう?国民が一致して繋がるかをいかにアメリカが恐れているかの現れだとようちゃん2号は思う。そして繋がるということへ茶々をいれることに、いかにアメリカが心を砕いているかということ。アメリカが世界最大のテロ国家という評価に傾斜しつつあったところでの心情的身内からの「靖国」。これが『敵の敵は味方』を阻害しているひとつの大きな原因なのではないかとようちゃん2号は思うのであった。すみません、関西弁。(一応小学校2年始めから4年の終わりまで3年間千里に住んでいました。万博の時)
2004年03月23日
コメント(2)
平成16年6月6日12:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月23日に飛んで読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。……始めるよ。ようちゃん2号、ボーっとしていたりするんだけれど、けっこう活発っていうか狂暴な子?だった。父はサラリーマンだったから、引越しが多かったな。小学校1年生の終わりまでは金沢に住んでいた。んで、小学校2年の始めから大阪。小学校1年生から2年生に上がるとき、組替えがなかったのだと思う。転入してきた ようちゃん2号だけ、自己紹介をやったから。先生が黒板にようちゃん2号の名前を書いて、それから自己紹介をするように言われた。ようちゃん2号、教壇に立って、話し始める前に後ろを向いて、握りこぶし作って「ごほん、ごほん」やって、それから話し始めた。その日かもっとあとかな?同級生の女の子と二人だけになったとき、「格好つけな奴って思った」って、言ってた。大阪弁じゃないのも格好つけているように見えたんだろうと思う。小学校2年のバレンタインデーにはチョコ6個もらった。(ようちゃん2号の人生で一番多くもらった年)「いっせーの、せ、」じゃなかったと思う。それぞれから、一人のときにもらった気がする。そんで、ホワイトデーの前、母に言ってキャンデーを買いに連れて行ってもらった。当時、新しくできたばかりの、北千里のデパートに電車に乗って出かけて行った。だいたい、バレンタインデーっていうこと自体、この頃からやっと日本で定着したぐらいの習慣だったのではないかと思う。こっちはすごく意識しちゃうし、そんなのどうしていいのかわからなかったから、6人全部にちゃんとお返しした方がいいのか、好きな人だけに返したほうがいいのか、母に相談したな。「そんなの同じ物を全員がいるときに渡せばいいのよ。」っていうのが母の返事。ようちゃん2号的には、好きな人 一人に渡すか、6個用意するにしても一つは豪華なものを渡すのではないかと思っていたのだけれどね。同じものを買うっていうことは、母の言う通りにした。ホワイトデー当日は、みんなの前でなくて、一人一人にちゃんと渡そうって思って、すごく苦労した覚えがあるな。難しい時期だな。小学校のこのくらいの時期って、格好つけようとするとキザって言われるし、いいかげんにしたりすると、「女の子の気持ちがわからないの?」ってなる。女の子の方が早熟だし流行に敏感なんだよ。こっちはデビルマンやタイガーマスクが好きな、ただのガキなのに…。なにか意識だけはさせられていたな。どう見えるのか、どうしなくちゃいけないのか、何にもわからないのに…。
2004年03月22日
コメント(2)
平成16年6月6日11:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月23日に飛んで読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。そして読むのなら3月20日の日記を先に読むこと。そうしないと、たぶんようちゃん2号がただの変態野郎にしか思えないからね。(まぁ、充分変態なんだと思うけれど…)……始めるよ。小学校3年生だな。この頃には、同級生の女の子で早い子は、おっぱいがふくらみ始める。好きな子がいたな。青いワンピースが似合う子だった。サザエさんに出てくる「ワカメ」ちゃんの着ているようなワンピース。(パンツは見えないよ。短めだけどもう少し長い)「おかっぱ」より少し長めの髪にしていて、花の付いたピンで前髪を横に留めていた。ようちゃん2号、どうしてだろう?好きな人に好きだって言えないんだ。トラウマとして考えるとしたら、幼稚園の時のことがあるのかな?青い血管がこめかみに透いて見えるひ弱な女の子。「この子が好きなんだ」って言ったら母が「あんなのが?」って言った。母と感じが似ていたのに、その母がばっさり切って捨てるような言い方をした。でも、好きな人に対すると、みんなそうなのかもしれない。んで、どうするかっていうと、いじめたり、がばっと後ろから抱き付いておっぱいに触るの。いやだったろうな、なんか、さらし者にされたような気がしただろうな。そんなこと続けていて、あるとき、我慢できなかったんだろうな、逆に掴みかかられて後ろを向いて逃げようとしたら、背負っていたランドセルつかまれて、それでも逃げようとしたからランドセル壊れちゃった。「○○がやった。」って囃し立てたら、その子、自分の席に戻って突っ伏して大声で泣いた。囃し立てた手前、謝ることもできず、泣かしたままにしてしまった。それから彼女とどう接していたか、ようちゃん2号、記憶力だけは良いはずなのに覚えていない。謝らないままだったことは確か。
2004年03月21日
コメント(3)
平成16年6月6日10:00記入だから、「ようちゃん2号の日記」を最初から読んでいる人は、一旦飛ばして読んだ方が良いよ。3月23日に飛んで読んでね。思考のギャップが激しすぎると思うから。人にわかるように書くのは、自分がそのとき体験したこと、思ったことを 今のようちゃん2号が理解するため。バカだから文章にする必要があるみたい。思考を整理するのに頭の中だけでは追いつかない。本を読むのに音読が必要なようにね。(…今は黙読しているよ。誤解のないように…)……始めるよ。小学校1年の終わりまで石川県の金沢に住んでいた。駅に行くにはバスに乗る。どこに行くためだったかは、わからないし、だれと一緒だったかもわからない。たぶん母と一緒だった…のかな…。やっぱり思い出せない。ようちゃん2号は中央の通路に立っていた。2人掛けの椅子の背もたれのところに輪っかになった手すりが付いているでしょう?あれにつかまっていた。前ではなくて後ろを向いていたか、たまたま後ろを向いたときなのかな。ようちゃん2号の立っているところより少し後ろの席で、赤ん坊を前で抱えて座っている女の人がいた。その人が、片方の胸をはだけて、おっぱいを出して、赤ちゃんに吸わせるのをずっと見ていた。その人は、だれとも目を合わさないようにしていた感じだったな。ずっと遠くを見るような目線にしていた。子供だからずっと見ていられたのかな?「恥ずかしくないのだろうか?」っていうのが最初かな。でもね…。そのうち「恥ずかしいなんてことより、子供におっぱいを飲ませることが、この人にとって大切なことなんだ。」っていうことに気が付いたの。そして「キレイ」と思った。そのときは小さい子供だからボキャブラリーはあまりない。今はいろいろな形容詞を持っている。このときのことは一言で形容できる。「神々しい」 だ。
2004年03月20日
コメント(7)
3月19日のことを少し書きます。東名高速をスクーターで走行中、川崎インターと青葉インターの中間でドライブベルトが切れて(正確に言うとドライブベルトの山が剥がれ落ちた)走行不能になり、レッカーを頼んで、運んでもらいました。レッカー業者さんがバイク修理もできるところだったため預け、レンタカーを借りて仕事を続けました。この日は大和と戸塚に行き、そこから熊谷に4時までに行くつもりでしたが、熊谷は到底だめでした。修理はその日に終わり、レンタカーを返してスクーターで帰ってこられました。オチはありません。
2004年03月19日
コメント(1)
スクーターで移動している。雨が降るとたいへん。カッパ着てても滲みてきて、体が濡れて、それが冷える。さっむー。家にたどり着いて風呂入って寝てしまった。……サッカーどうなったの?勝った?勝ったのね。昨日、おとといで463km走ったった。(走るのが仕事ではありません)次回タイトル予告!「『敵の敵は味方』の方法論の限界」(てきのてきはみかたのほうほうろんのげんかい)ちょっと硬いけど、副題は、―これを読めば世界がわかる!ようちゃん2号の社会の紐解き方。(ようちゃん2号ワールドだけわかるかもしれんが)
2004年03月18日
コメント(0)
日記なんて書いたことがなくて、書き始めたら出てきたのがようちゃん2号だ。(少しの期間、書いたことくらいはあるさ。ちょっとだけ。続かなかったー。わっはっはー)この子は好奇心が強い。興味持たないことはしない。前々からいたのだろうけれど、社会人としての生活の中では、ようちゃん2号は不必要というか脇においていた。それとは別に「ほかの人に指差されないように、ちゃんとするんだぞ!」といつも後ろに、自分を見ている人格が別にいた。人によっては「天使」と「悪魔」っていう奴?あほぅだから2つは持てない。(そんでようちゃん2号にはご退場願ったのかな?)要は、目付けがいて常に監視され、こいつは正論を吐いて、鼻持ちならない。問題は、自分自身と一致していない、ということ。(心と体とノーミソっていうやつ?Tシャツとアイロンと私だっけ?ちょっと関係ないな……)それが喧嘩している。一致したい、させたいと思って格闘していたね。監視役は格闘すると余計気になる存在だった。今は……、目付けは、いない……。(なぜかはわからない。ようちゃん2号だっていろいろあったさ。)んーで、日記書き始めたら、うをぉ、―こんなんでましたっていう感じ。こいつは気にならない。ならないと思う。少なくともいると思っちゃいけないんだ。という気にはならない。まじめに書いているときに、少し悲しくなることがあるけれど、「おまえよー。肩の力抜けや。」と言ってくれている感じがする。言い足りないかもしれないけれど、はーっ、やっと辿り着いた。「ようちゃん2号はようちゃん2号を守るのだ!」 あれっ?ちょっとタイトルと違わない?
2004年03月17日
コメント(2)
3月16日は東神奈川(12:00)に行って、鎌倉に行って(14:00)、平塚に行って(15:00)、新横浜(17:00)に行って、大和市(18:00)に行って帰ってきたらサッカーやってた。走行距離211kmだった。そんなに走ったかな?alex99さんに倣って、次回予告!「あの鐘を鳴らすのはあなた、この子を守るのはようちゃん2号」(いつになることやら……)
2004年03月16日
コメント(0)
ようちゃん2号は今、困っている。自分の子供が殺人を犯したら、ようちゃん2号はどうやって謝るだろうかと。また、自分の子供が犯人に殺されたら、どうやって許すかを。指差せる人はいたはずなのに、痛みを昇華させて「道路交通法」改正を早期に実現させたご両親、この人はただの被害者でいることを選ばなかった。でも、加害者側の謝罪とは何か?……一生罪を背負っていけ!、とまわりが言うのは簡単だが、どうすることがちゃんと背負っているとうことになるのか?『おぉーっ、こいつはちゃんと背負っている!』と人が見たらわかるのだろうか?本人は名前を変えて社会に出されるのだから、自分から名乗り出ればいいのだろうか?『ようちゃん2号はサカキバラの父親でーす。でーす、ったらでーす。』英国ならリンチにあうということだ。日本では村八分? つめたいよ。殺してくれ!って言うかもわかんない。誰か謝り方、教えてくれませんか?
2004年03月15日
コメント(16)
立ち上げたばかりなのだから、自分のHPに手を入れるのがこの時期の本当なのだと思うが、alex99さんのところに来ている人たちの日記に行くのが楽しいんだ。大体、普通の人のPCはネットにつないだら自分のがバーンと最初に出てくるとか、スイッッチ入れたらそうなるように設定してあるはずだ。普通はね、しかし私にそんな普通は通用しないのだー。そんな中で面白い日記があったのでそれについて書いてみようと思った。(まとまるか知らないよ。) 霊能者のレベルを見ることができるイギリスの人がいるらしい。それで、日本の霊能者が月に一回、自分を見てもらおうと行列を作ったということだ。本当ー?これすごく面白い。ちょっと具体的にしてみますね。「自分は人に憑いている動物の霊が見える。ところが他の人は動物ではなくて、童子が見えるだけではなく会話もできるらしい。自分の霊力はどのレベルなのか知りたい。」って何、これ?普通の人には見えないものが見えるのってそんなにすごいことなの?ってところまで引き下がるでしょう。だって使えないところは、無駄な知識と同じっていう感じしない?そして問題なのは、どこからが霊能者かっていうこと。(霊能者)「お前のご主人が海外旅行に行きたいと言っているが、道中の無事は確保されるか?」(童子)「俺、行かないんだ。こっちで待ってるよ。」(霊能者)「(どーやら、帰ってだけは来れるらしい)……行って良い。(いや待て……安全なら童子も行くはずだ)……ただし災難は保証できませんぞ」なーんて。質問者が霊能者に聞く質問から間違っているって感じもありますよね。霊能者もこのくらいの質問なら童子にも答えられるだろうと思って聞くのかな?例えば……どんなに大変な道が待っているか良くわかっているけれども、海外に行くことによってその人が10年後に大きな成果が得られることもわかっている。霊能者はその間、その人に恨まれ、はては中傷されることもわかっている。その霊能者はそのことを知りつつ、その人を快く海外旅行に送り出せるか?となったらどーよ。少なくとも、列に並んでいた人が霊能者だとは、ようちゃん2号は思えないんだな。
2004年03月14日
コメント(5)
尊敬するalex99さんにカキコして、教えてくださいとお願いしてちゃんと返事をもらったのだけれど、コピペってどうするの?alex99さんのことだから「ウザイ!」とは言われないと思うけど、もういっぺんは聞けないよ。ようちゃん2号って基本的なことを知らない。覗きに来てくれた人誰か教えて下さい。はーっ。元首相の森さんが照れたように「あい、てー(I.T.)」と言っていたのが懐かしく思い出される……。こっちは ( T T ) です。(涙のマークのつもり、顔文字も初めて書いた。読むとすると「ぼーくは泣いチィー、チィー」です)まだ落ち込んでいますが、日記書きます。今日、いろいろな人の日記にお邪魔した。年配の女性や、若い女性もいた。カキコした。なんかすごくドキドキした。ホームページでは女性が活躍している。いき生き活き、もう意気、粋、息いきしている。女性は脳ではなく、自分の内面の中心とボディーが一致して、ともに いる っていう感じ……?嘘がないよね。それに比べて特にマスコミ系の男性の人のホームぺージは、はっきり言ってつまらない。切り口が鋭くないのよ。文章が売れるようにと思うと、画一化しちゃうのかねー。トップページに、ここでは歯に衣を着せないって言うようなことが書いてあるけれど、うそうそ。……最後まで言っちゃいます。売り込みのときに、「ホームページ開設してますので見てください。」なーんて言ってんじゃないの?って感じです。こうすれば売れるかなっていう都合が見え隠れするよ。今日はごめんなさい。いじいじしてますよね。そーだ、若い女性のHPに行って元気を分けてもらおう!
2004年03月13日
コメント(2)
親戚が来て大酒かっくらい、翌日になっての12日の日記。雨が降りそうだったので、スクーターではなく車で移動、午前10時半、厚木で一人と面談し、厚木警察に行ってから新横浜に行く、お仕事をもらい、次は吉野町に……ここでもお仕事をもらった。それから大宮に行かなくてはならなかったが、先方に遅くなることを伝えたら、ファックスで送ってもらえることに…。(ラッキー!)確定申告の書類を作っている間、仕事が一件も来なくて心配していたのに、終わらせたとたん、ちゃんと来た。すごい!そういえば11日、青色申告会で書類を完成させて戻ってきたら、ファックスが仕事の書類を吐き出していた。確定申告をする、しないで迷い込んでいた時には、仕事一件も来なかったのに。共時性、シンクロニシティ、リンク?おてんとさまの配剤を感じる。(配剤って漢字、間違ってないかな)
2004年03月12日
コメント(0)
最初の日記を10日の午前1時ころに書いたから、11日の日記も午前様。朝方にしたいなと思っているのにどうしよう。今日は(というより昨日は)質問にちゃんと答えない女性に一生懸命聞くということがありました。(聴くのが私のお仕事)この奥さん、はい・いいえで答えられるように質問しているのに、最後まで聞かないとどっちなのかわからない。んで、問い「あなたはどう思いましたか?」答え「お父さんがね……、、、、と言っていたの。」問い「はい、それで……?」答え「だからー、お父さんがーー。」問い「……。」答え「えーと、質問は何でしたっけ?」うちの母親と一緒でした。わーい入居だー。まっさらな日記帳、まっさらなBBS、まっさらなまっさら、(3月9日)んでもって入居記念にまたぞろ、いろんな人の日記覗いて、これくらいで勘弁しておいたろ、と思って日記を付けようとしたら午前様の3月10日になっていた。明けて10日に書こうとしたら書き込めない、午前様にして11日に日記を書いたら、、、って、いつ午前様生活から抜け出せるのかわからない、そしたら、、、ふっふっふっ、、あるじゃないですか、えい!トップページに書いちゃる!!3月11日の日記去年7月に250ccのスクーターを買ってから以降、確定申告のための現金出納帳を付けられずにいた。減価償却というものがあるらしい、これが難解みたい。2月末、これではいけない、記帳しなくては、と思うところが、どうにもやりたくない。机に向かうと肩が痛くなる。……しなくちゃならないのにしないわけをいろいろ考えた。……(こういうことに無駄な時間をつかう、その前に一行でも記帳しろっ!)・申告すると4月には税金を払わなくてはならない。今期は収入が少なかった。→税金払えない→なら、いっそのことばっくれちまおうか・どうせ最後の最後でじたばたやって、何とか形にしちゃうやつなんだ、ようちゃん2号ていう奴は→だったら、まだ時間あるじゃん。・ようちゃん2号よー、お前そんなこと言って、実際、正味の時間無くてごめんしたことあったじゃん。・直接の仕事じゃないことを、平日にやるのって、どーよ。金もらえるわけじゃなしー。・ようちゃん2号はやる奴なんだよ、結局は、→(わかってるじゃん)・青色申告会の人に減価償却とかの費用項目をどうするか聞いてからじゃないと、間違えて書いていたらどーすんの?、また7月分から12月まで書くの?そこで書ききれずに ターイムアーップ ってんじゃかっこつかないだけでなく、また自分自身を責める絶好のネタを持つことになるよ。・そーは言っても、なんでもぎりぎりで提出ってのは、浅ましいっていうか人間としてどーよ。・でも、やりたくにゃいの。・しなきゃならんことで悩むのは、マインドカラーがボトムのせい?でもね。やったー終わったー。最終的に締めてみたら、ちゃんと税金払えそう!(当たり前ですが、収入減ったら税金も安くなる、こんなこともわからん、あほぅです。急に元気!)
2004年03月11日
コメント(2)
うれしー。入居しました。日記を書くのだ。投稿もするのだ。お茶も出さないけれど来てももらうのだー。
2004年03月10日
コメント(5)
全1384件 (1384件中 1351-1384件目)