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3年前に韓国から来たろう者と食事した。キムチは三食とも食べる。チジミは、お茶とおしゃべりタイムに欠かせないとか、ビビンバは家庭ではあまり作らない。カルビは夕食によく作るメニューなどなど。彼女は日本での生活で区役所へ行くときなど、職員が筆談で書いてくれる日本語が理解できない。といって手話通訳者が行っても日本の手話がわからない。今一生懸命日本語を覚えている。その必需品が電子辞書。私が質問すると韓国語で捜し、日本語で意味が書いてあるのを見せてくれた。見出し語は韓国語.こんな便利なものがあるのだと感心。そして携帯のメール。ろう者は耳から日本語が入らないので、日本語獲得が難しい面があったが、手元に日本語を目で見るものがあり、本当に便利になったと改めて実感。
2003年09月30日
外国から来た人が日本人とのコミュニケーションで悩む中の一つは本音と建てまえの差であるという。外国人がゴルフに誘ったら、日本人が「私は下手で・・・」そのまま信じて配慮したら、すご腕だったなど。ろう者の中でも聞こえる人を外国人から見た日本人のように感じる人が多くいる。そして「下手と言っていたのに、嘘つき!」ということになる。本音と建てまえの差が大きければ大きいほど、人間性も否定されてしまうこともある。コミュニケーションは常に相手を考えてしてこそ、通じるのである。
2003年09月29日
こんな言葉が中国にあるという。現在日本では‘慈善’という言葉はほとんど使われなくなり、‘ボランティア’が多い。もちろん意味も違って、手話では‘ボランティア’の表現は‘共に歩く’である。与えられることは‘快楽’であるのは当然だが、与えることに‘快楽’を感じないと‘迷惑ボラ’になってしまいがち。知人で80歳をこえてなお、障害者施設の喫茶店でボランティアをしている人がいる。真っ白のフリルつきエプロンで、可愛い!そしていつも腰が低い。話しているといつも野菊の花束をいただいた気持ちになる。やさしくそれでいて凛としていて、長持ちもするのである。見習いたい人生の先輩です。
2003年09月28日
最近この言葉を見たり、聞いたりする。昔のように地域でのコミュニケーションの場であった‘井戸端’もなくなり、‘縁側’も街の中ではなくなってきた。‘隣は何をする人ぞ’と気にもしなく、自分の視界に入る範囲しか見たり、考えたりしなくなってきている。そのため、小さな地域の些細な問題解決もできず、大事件になってしまうことが多々ある。その反省から街のあちこちで‘縁側’が作られ始めている。「あそこの赤ちゃん、夜泣きが続いて若いお母さんが困っている」とか「あそこのおじさん、前の家の人の駐車の仕方に不満を持っている」とか問題が出てこれば‘三人寄れば文殊の知恵’じゃないが、世間話をしながら、悲しい事件になる前に解決法が出てくる。きれいな大きな花束もいいけど、野に咲く花の2~3本の花束もとても大切なものです。といっても先日も手話通訳者の仲間とこの‘縁側’ってどう通訳すればいいのか悩んだ。‘縁側’のもつ意味、概念が分からないのは、ろう者だけでなく、若い人にも分からなくなっているのでは。
2003年09月26日
大学を出て、専門学校に行っている聞こえない人と話した。まだ社会に出ていない彼女の手話は友達同士で作ったと思える手話が多い。日本語を獲得してその手話を知らないときは仲間で作って、使っている。現在ろう学校で手話は教えてはいない(使っているところはあるが)ので、共通手話がなかなか広まらない。でも社会人になった聞こえない人は社会で使われている手話を覚えていく。手話通訳者も聞こえない社会人から手話を学んでいくので、お互い通じる。彼女の手話を見ていると、成人のろう者と若者のろう者ではことば(手話)が通じないことが多いだろうと想像する。健聴者の世界でも若い人がどんどん作っていく日本語が、大人にはさっぱり分からないことが多々ある。この壁はいつの時代にもあったことなのだろうか。
2003年09月25日
今日は‘おじさん’です。‘おばさん’でもだれでもいいのですが。ガンセンターにお見舞いに行くと面会のコーナーで、喉に包帯を巻いた人と面会に来た家族が、黙って座っている光景をなんどもみた。患者さんは手術で声がでない。最初は家族が話しかけている。しかし答えがない会話をしているとどうも続かないらしい。声かけしなくなるのである。きっとガンに打ちひしがれている人をなぐさめ、励ましに遠くから時間をつくって来たのだと思うが、それができず、沈黙のみ。こんなつらい光景を見るとここで手話を教えようかと思ってしまう。
2003年09月24日
70から手話を始め、今88歳。声帯の病気で声がでなくなった。今日お見舞いに行ったが、しばらく手話もしていなかったからか、手が動かない。耳は聞こえるので一杯話してあげればいいのだが、声が出せないと周りの人は話しかけを遠慮してしまうらしく、それが寂しいと言う。本人は新聞を読んだりしていて、頭はしっかりしているのだが。言葉は声だけと思ってしまうと、声がでない人とは、コミュニケーションが無理と勘違いしてしまうのだろうと思って、こんなとき看護士さんも手話ができると良いのにと思って帰ってきた。
2003年09月23日
駐車の仕方が悪いといっていきなり、お隣さんを銃殺。自分も自殺。どうしてこんなことで家族にとっては大切な人が二人亡くならなきゃいけないのか?と思ってしまう。最近近所付き合いは希薄になっている。そしてまた近所だからこそ言えないこともある。多くが1対1で解決しようとして問題が起こるのではないかと思う。昔の井戸端会議みたいなものがあり、地域のコミュニケーション力があれば、第3者からそれとなく相手の気持ちを教えられ、解決の方向へいけるが、昨今では、そんな場はなく、2者の直接対決で、悲劇が起こってしまう。隣近所との本来のコミュニケーションをつくっていくのは大切だと皆分かっていても、難しい。私の周りもそうなのです。
2003年09月22日
秋祭り本番の候です。今朝のラジオから。どこかの村でまつりの踊りを4歳の子に教えている男の子(5~6年生らしい)の話。「踊りを小さい子にもきちんと教えないとこの踊りが消えてしまう。でもどうやって教えればいいのか難しい」とのこと。この踊りの歌の歌詞が古く難しいのである。彼はきっと一生懸命伝え方を考えて教え、こうした体験からコミュニケーション力をつけていくのだろうと思った。今日は私の地域も祭りです。しかし街の真ん中のまつりは主催が商店街の方々、そして昔から伝わっているものはなにもなく、バンドが沢山来てすごい音の競演。踊りはよさこいとソーラン。それにこの人たちは全国から来るのです。地域の人は通行止めになったいつもの道路を迂回して買い物です。
2003年09月20日
‘阿吽の呼吸’なんて、もう死語かなとも思うが、二人で演奏したり、歌ったりの時、または、海女さんが海に潜ったとき、船の上のご主人が阿吽の呼吸で命綱を引き上げるなど、まだまだいろいろある。‘つうかあ’で通じる人をあなたは何人持っていますか?友達、親子、夫婦、会社の仲間。夫婦とか親子を考えてみると、一緒にいる時間は昔に比べてうんと少なくなっている。ずっと昔は農業、漁業、林業、自営業など夫婦で一日一緒に働くことが多く、同じ体験を毎日していたと思う。子供も帰宅したら、親の手伝いなどで親と一緒の時間は多かったし、同じ体験もあった。現代は皆別々のことをしている時間の方が多く、考えていること、体験などが違っている。‘つうかあ’はだんだん難しくなっている。
2003年09月19日
あるサッカー中継の担当のアナウンサーの話。「自分が担当したのをビデオに撮って、一回目は音なしで自分の身振り、手の動かし方をチェック。二回目は音声で伝わる言葉で話しているかをチェックする」とのこと。伝えるということは身振りや表情などの非言語と言語の二つの方法で伝える。このアナウンサーはきちんと言葉だけでなく、非言語まで気をつけて仕事している。名前を聞きおとしたのが残念だが、コミュニケーションのプロの話し方をこんな視点で聞いてみるのも勉強になる。
2003年09月18日
今日は総合的学習での指導でちかくの中学校へ行った。指導内容などについては2ヶ月前から担当の先生と私とで打ち合わせを(電話とFAXで)やってきたつもり。前日になって昨夜TEL有り。「担当者4名のフルネームと住所を教えて欲しい」私「えっ!電話でですか?」「はい」と先生。電話での言葉で名前、住所の漢字をすべて正確に伝えるのは難しいので「少し待ってください。後でFAXします」送信後TELあり。「電話番号も教えて欲しい」なら最初から言えばいいのに!(むかっ!)100人からの名簿からまたまた探して答える。どんな先生かと思って今日初めて会った。事前に資料を送付して今日生徒に配布するよう頼んであったのに、印刷していない。タイムスケジュールを書いた指導内容を作って送ってあるのにその対応がなされいない。生徒から「また~」の声、声、声。90分のうちに、この先生は日頃、生徒から棘つきのバラを投げつけられているナ・・と感じた。後で聞いたら先生1年目とのことだったが、とりあえず、だれとでも話せるコミュニケーション力つけてください。新米先生!可愛そうなのは生徒です。
2003年09月17日
年をとると、ものの名前が口から出てこなくなり、これ、それ、あれが頻発。「あのかどのあの木に虫がいた。」若いときなら、「あのかどってどこの?あの木って何の木?虫って何の虫?」と問い直す。しかし、年をとると大切な部分のみ問い返す。「虫って?」答え「痛い虫」(刺されれば多くが痛い・・・)「あれで、しておいた。」[何で何したの?]と問い返しはしない。家庭の平和のためにここでストップ。私には関係ないと頭の外へ放り出す。会話が成立したようでしていない。手話の場合はこれ、あれはもとの言葉に戻して表す。また‘先月’と聞いたら、‘8月’と表し、‘来月’と聞いたら‘10月’と表す。極力、代名詞などは使わないことが頭にインプットされている。年をとっても、これ、それ、あれを多用しないようにしたい。こんな言葉の花束は渡してもほとんどゴミ箱に捨てられそうですよ。
2003年09月16日
今日は敬老の日。人は老眼になったら、老眼鏡をかける。しかし耳が遠くなっても補聴器をつける人はまだ少ない。老人ホームの職員の人曰く、「耳が遠くなって人と話せなくなると孤立してしまい、食堂にも出てこなくなる。人と会話しなくなるとその結果痴呆が進む。」とのこと。昔は補聴器の性能も悪く、付けると疲れるという声があった。今は急速に性能が良くなり、耳穴にすっぽりはめ込めるタイプが多い。そして色も透明から、ピンクなどカラフルなのが出てきて、以前の肌色一色から、おしゃれになってきた。補聴器をつけるという感覚が変わってきた。いつか老眼鏡と同様耳が遠くなったら、みんな補聴器をつけるようになったら、高性能のものも安くなると思う。聞こえなくなっても手話で話せる自分は不要かなと思っても、回りの人も知ってないと使えない・・・。
2003年09月15日
小6の聞こえなくて知的障害の子供のお母さんが「子供に話かけても返してこない。話かけても無駄のように感じてしまう」と悩みをはなした。もちろん聞こえないから声が耳から入るのではなくお母さんの口の動きでなんて言っているかは分かっている。しかし返してこないのだ。返せないということは意味が分かっていないこととお母さんは考えている。横で聞いていたろう者の若い女性が「そんなことないよ!彼に先日‘待って’とか‘食べる?など手話で言葉を教えたら、5~6回で返してきたよ」とのこと。いろいろな場面で日本語を声に出せなくても、身振りや手話でかえせることが多くあると感じている。私自身、かなりの日本語を暗記しなければならない時は、手話を付けて覚えた方が覚えれる、と実感している。
2003年09月12日
「世界に一つだけの花」の歌詞を手話に変えようと意味を仲間とかんがえていた。もしこの二つを小1に説明するときのことばと小4に説明する時、中学1年に・・・どんな日本語を使って説明するのか。ナンバーワンは説明し易い。運動会のトップ、成績がトップなど具体例を挙げて説明できる。オンリーワンを説明するのが難しい。概念は我々仲間は皆分かっていても意味の分かっていない人にどういう日本語を使って説明すればいいのか。歌詞はとても易しい言葉を使っているのですが、オンリーワンを易しい日本語で説明する難しさにみんな疲れてしまいました。
2003年09月11日
手話を長い時間、見ていると、目が疲れる。聞こえない人は一日、目で情報を得ているのだから、さぞ目が疲れるだろうと思って聞いてみたら、タイトルのように「聞こえる人は、ずっと聞いているから、耳が疲れるの?」と聞かれた。目は疲れたら、閉じることができるが、確かに耳は閉じることはできない。いろんな音が聞きたくなくても入ってくる。しかし‘耳が疲れた’という感覚はない。どうしてなんだろうか・・・
2003年09月10日
1日に5秒でも10秒でもアイコンタクトで話すことが大切と昨日書いた。目からのサインと口からの言葉とあなたはどちらを信じますか?(目だけでなく、顔全体の表情と言葉を比べてみる)ポーカーフェイスの上手な人もいるけれど、やはり目のサインはあまり嘘をつけないような気がする。聞こえる人は声の調子でも相手の真意をはかろうとする。耳の聞こえない人は視覚に頼っているので表情に中でも特に目からの言葉をきちんと読んでいるような気がする。感謝の気持を伝える時、口からの言葉「ありがとう」と共に表情もそして目も「ありがとう」にしましょう。
2003年09月09日
サインといっても手話(サインランゲージ)ではなく、予兆とか警告のサインのことの話です。日本でも数年前の神戸の小学生殺害事件、今年の中1による幼児殺害事件。加害者が事件を起こす前には必ずその前兆のサインを出しているという。事件が起こると周りの人は「普通の子だった」言う。でも必ずwarning signがあったはず。しかし親とか先生がそれを見落としている。専門家曰く「顔と顔を見合わせてのコミュニケーションが、5秒でも10秒でも毎日とれていたら、このサインは分かるはず」音声による言葉では横からでも後ろからでも会話ができる。(手話は視覚言語なので、顔と顔をあわせてはなす。)人間のコミュニケーションの原点はフェイス・TO・フェイスであったはず。ことばの花束を渡す時は相手の目を見て、表情を見て渡したいものです。
2003年09月08日
よくこの言葉「大変ね!」、「大変でしたね」、「大変でしょう?」を言われたり、言ったりする。最近、少し考えている。聞こえなくて知的障害の子供や自閉症の子供を持ったお母さんと話す時がある。この人たちに「大変ですね。」なんて言えない。‘大変’がいっぱいあり過ぎて言うのも’大変’。本当に‘大変’な人は言わない、否、言えない。でも人間、些細なことでも時には言ったり、言われたりしたくなる。誰かに言ってもらうのを待たずに、「今日は大変だったね」と自分に自分で言うのは良しと思うことにしている。
2003年09月06日
今日デンマークの映画監督(女性)の話を聞いた。その中でmovieとfilmは違うという話があった。ムービーは勧善懲悪とか、ハッピイエンドで終わるもので、フィルムはラストを見て、これから主人公はハッピイになるのか不幸になっていくのか観客に問いかけたりするような作品をいうとのこと。日本語ではmovieは映画であり、フィルムは外来語としてそのままフィルムと使っている。(広辞苑)言葉の意味、概念は変わっていくことはある。「フィルム」と聞いて‘映画’という手話に変えねばならない時があることは分かった。しかし英語で「film」と聞いて日本語の‘フィルム’を考えてしまわないだろうか。もうこのような区別は皆知っていることなのでしょうか。
2003年09月05日
今日自分の用事であるところに行ったら、知り合いの聞こえない人にばったり出会って通訳して欲しいと言われ、行った。テニスの仲間でペアを組んで練習して全国大会にでるらしい。いろいろ困った問題があるらしい。聞いているとこの人と組む人がいつもいないらしい。もう5年もグループに入っているのに・・・代表者曰く「いままで話したとき、分かった?と聞くといつも分かったと答えるから、理解できていると思っていたが、最近わかっていないことに気がついた」Aと言ったことを相手はBと捉えて「分かった」と言うことは多々あること。なにも聞こえない人だけのことではないと思うが。
2003年09月01日
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