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虐待防止の講演で「躾の行き過ぎが虐待ではない。視点が違う」という話を聞いてなるほどと感じた。例として、ある英語の通訳者のお母さんが子供をバイリンガルで育てようと家の中では英語だけ、外でのみ日本語を許した。(お父さんも英語ペラペラだったのでしょうね。)その子は小学校入学直前になっても幼稚園でしゃべらない。このまま小学校に入っても勉強についていけないし、心の問題もあって施設に保護されたという事例。最近テレビでもこんな育て方している家庭を見たことがある。2言語獲得していく子供もいる。韓国語と日本語、中国語と日本語で育てている人も知っている。別に問題はない。 このお母さんは自分の子の言語獲得レベルは毎日一緒にいれば分っていたはず。出来ない子だっているのです。そして楽しくないと子供は何事も体得していかない。(大人も同じですが)言葉をなかなか習得できず、楽しんでもいないのに、お母さんの目的のために2言語習得を強いたのは、やはり虐待でしょうね。
2004年01月30日
最近のテレビから聞いた民主党の古賀氏のことば、大阪府岸和田市のあまりにもむごい虐待の事件の学校長のことば、児童相談所の職員のことば、どれも私には心に伝わってきません。なぜなのか???と考えています。皆さん自分の心にある本当のことばを出しているのでしょうか。保身でしょうか。枯れそうになった花束をもらった気分になってしまいました。小さい幼児が現実ではないことを話すのは嘘つきではなく、想像力が発達してきて、自分でお話を創ることが出来るようになったことで、その話にのってあげてください。目がきらきらしてるはずです。でも前記の3人の話すときの目は焦点が揺れ動いています。伝わることばは表情からもどんどん心に入ってくるように感じます。明日はたまたま‘こどもの虐待防止ネットワーク’の方の手話通訳です。手話通訳をしていると、いろんな講演を聞くことが出来るのも楽しみです。
2004年01月28日
昨日TBSの報道特集で生まれつき耳の聞こえない赤やんを聞こえる両親が手話でことばを教え、1歳越えて赤ちゃんが手話で話すのを見た。今まで耳の聞こえない子供に言葉を教える方法は口話(口の形を見て何を言っているか読み取る方法)が主流だった。もし生まれつき聞こえない赤ちゃんがお母さんの口の形だけ見る方法だったら、赤ちゃんが言葉(この場合は日本語)を習得することはほとんどできないでしょう。 こんな小さな赤ちゃんが「風」とか「電車」とかを可愛い手で表現できるなんて!びっくりするより感動でした。言葉は手話でも日本語でも英語でも何でもいいから、多くの言葉を覚えるということは、いろんなことを考え、想像する力のもとなのだと改めて感じました。 それにしても画面にでた、ろう教育の専門家といわれている人のコメントのバカバカしさには腹立たしい思いでした。言葉の習得とはどんなことか、素人の私でもわかるのに! 可愛い手で話す‘綾夏ちゃん’とご両親、がんばってください。
2004年01月26日
養老孟司氏の超ベストセラー「バカの壁」に厚生省の調べとして「大きくなって非行に走った子供は三歳までに母親が「この子は育てにくい子だ」と思っていた」とあった。(著者はこれだけで結論付けるのは無理で、詳しい調査方法が必要と記しているが)確かに「この子は育てにくい」というマイナスイメージがお母さんの中にあると、子供との関係が少しマイナスに傾くのかなとは思う。それがずっと続くと大変。 今子育て中の人でそんな感じがある人は、その原因が何なのかをちょっと考えてみて、解消できることなら、やってみましょう。 よく「男の子は育てにくい」といわれますが、これもいろんな理由があると思います。また「小さい時は育てやすかったけど、大きくなったら・・・」はよく聞きます。これは成長して自立したことでしょうか。お母さんはみんな一生懸命育てているのですが、何が良くて何が悪いのかが、見えない不安の連続が、子育てです。
2004年01月25日
赤ちゃんは生まれて6~8週で「クー」と声を出します。これをクーイングといいます。この声に同じ声をオウム返しにかえしてあげることが大切です。耳の聞こえない赤ちゃんもこの声は出すのですが、周りの人の返してくれた声が聞こえないので、声を出すのを止めてしまいます。 大人が誰かに話しかけても答えてくれないのと同じで、コミュニケーションをとる気持ちがなくなってしまうのです。赤ちゃんのクーイングは他にも発声機能を鍛えているのです。声を沢山出すように声かけをしてください。
2004年01月23日
上下に揺れるベットに泣いている赤ちゃんを寝かすと泣き止むのだそうです。お母さんの羊水の中は横揺れで無く、縦揺れなので、このベットに寝かすと安心するらしいです。一瞬保育所にこのベットが並んでいて、電源を入れる・・・と想像してしまったのですが、これを作った人は、あえて自動ではなくお母さんがそばで揺らすようにしたと聞いてほっとしました。ただし、これは眠くて泣いている時で、お腹がすいていたり、おむつがぬれていたり、の不快感で泣いている時は当然駄目です。ベットが無い人はおんぶして上下に揺らしてあげれば早く眠ってくれそうですね。
2004年01月22日
外山滋比古氏の本「わが子に伝える絶対語感」を読んだ。その中に「母乳語」(具体的なことば)と「離乳語」(抽象的なことば)ということばがあった。ことばというのは、ほっておかれても自然に身に付くものではなく、お母さんらから話かけられて身につけていくものです。耳の聞こえない子を持った家庭では、まず家の中の目に見えるものにその名前を書いた紙を貼って目から教えます。(テレビには「テレビ」と書いた紙が貼ってあるのです。)ろう学校の幼稚部の教室も一杯貼ってあります。耳が聞こえれば、指をさしてその名前を繰り返し聞かせ、‘母乳語’を身につけさせます。 次の「離乳語」は目に見えない抽象的なことばで、習得しにくいものです。以前「9歳の壁」ということばで言われていたことでしょうか。耳の聞こえない人には、この抽象的なことばが苦手な大人が多いのです。外山氏もこの「離乳語」への移行がきちんと行われないと、言語能力の形成に影響があると書かれています。名詞より動詞のことばかけを意識して多くしたほうがいいとのことです。
2004年01月19日
いないいないバーのパート2です。このあそびは「今は隠れているけど、もうすぐお母さんがばーと出てくるぞ」と期待して待つ楽しさがあります。急に現れたお母さんの顔にびっくりして面白いのでなく、「出てくるぞ」と期待し、それが期待通りになることが面白いのです。期待が高まるほど赤ちゃんは面白いので繰り返し遊ぶことが大切です。 ちょっと先を見通して期待して待つということで幼児期に向かってイメージの世界を作っていくための土台にもなっていくのです。
2004年01月15日
生後7ヶ月ぐらいになるとこの「いないいないバー」はよくしますね。これは赤ちゃんに「ものの永続性」を理解させるために大切な遊びです。赤ちゃんにとって目に見えるものだけが「存在しているもの」で、視界から消えてしまうと「ないもの」だと思ってしまう。しかし現実は隠されて見えなくなっても、それは必ず、どこかにある。それに気づく最初のステップがこの遊び。「手の後ろに隠れているだけで、無くなってはいないんだ。」と気づくことは赤ちゃんにとって大きな発見なのです。隠れる、見つけるという活動を通して好奇心も育てていきます。外は寒くてお散歩も出来ない日、家の中でこんな遊びはどうでしょうか。クッションなどに赤ちゃんのおもちゃを隠して見つけるというのも好奇心をふくらませます。もう少し大きい子はカーテンに隠れたりのかくれんぼも、体を動かし、脳を刺激しますよ。
2004年01月14日
このことを推奨しているのはイギリスの言語治療士のサリー・ウォード氏です。赤ちゃんはしゃべらないからといってほっておいてはいけません。生後6~8週間で泣き声以外に「クー」(クーイング)といった声をだし、その後の「アー、ウー」(なん語)も赤ちゃんが発信しているのです。周りの人と関わりたい、話したいと思って出している‘ことば’です。そのことばに答えてあげてください。いっぱい話かけてあげてください。かならず、赤ちゃんの目を見て。赤ちゃんはちゃんと表情や口の動きを見ながら、音も聞いています。声(聴覚から)と同時に、手の動きと表情のあるサイン(視覚から)をつけて語りかけると、心も体も豊かに育っていきます。 人は生まれた時から亡くなるまで、誰かとコミュニケーションしていることが、脳を活性化させ、心を豊かにするということを老人ばかりの病室に昨日行って感じてきました。
2004年01月13日
今日は成人の日。今小さな子を育てている親にとっては20歳までは長いと感じるでしょう。しかし今日を迎えた親にとっては20年は長いようで短かったのではないでしょうか。子育てって本当に思い責任があるものです。子供に対しても社会に対しても。 この子育てというのは誰でも初めての経験の連続であり、一人目と同じことが二人目に通用しない(応用はできるが)。一日も休まず、しかもほとんどぶっつけ本番で進まなければならない。分らないからと育児書を読んでもそのとおりには進まず。イライラすることがいっぱいも当たり前。このイライラを親としてどう対処していくかが、「子育ては親育て」と言われることでしょう。経験したことの無い自分の中の‘親’を成長させていかねばなりません。 その親子関係も終わりに近くなっての‘実子からの老人虐待’の話も身近に聞きます。この親子に何が足らなかったのか?と考えさせられます。いろんな原因はあるでしょうが、やはり親子のコミュニケーションがずっと保たれていたのかが原因の一つでは?と思います。小さい時からことばかけは絶え間なく、(うるさいといわれても。ここで途切れるとそのままになることもあり。)そして成人になったから終わりではなく、ここからが大切。物のプレゼントはもう終わりにして、ことばの花束を贈ることをずっと忘れずに!
2004年01月12日
先生が指導した勉強の内容を後で身についているかどうか確認し、身に付いていないことを‘脱落’ということばを使っていた。相手は小学校の生徒。‘脱落’するには一度‘身に付いた’ということ。本当に身に付いたのだろうか疑問。私の年齢では確かに身に付いたことが‘脱落’していくことが多々あるが。これは先生だけでなく、自分の口からでた言葉は相手の耳には入り、伝わっていると思うのが普通です。伝えようと思って言った言葉ですから。 以前「プロジェクトX]の司会の村井氏の講演の通訳をやった時、「あの富士山頂の・・・」とか「あの・・・」が多く、聞きに来ている人は当然テレビを見たとして話された。私は見ていなかったので想像が出来ず、ただ日本語を手話に必死に変えていただけ。言葉は伝わったが内容は?と自省。一度見ていれば、思い出して‘脱落’を最小にできるのですが。その後が出来るだけアンテナを張っています。 こんな場面の度に言葉だけでなく、内容がきちんと伝わったかどうかの確認と共に、伝えることの難しさを痛感しています。
2004年01月09日
こんなこと書くと叱られるかなと思いつつも、今子供を小、中学校の通わせている親は大変だなと思っています。学ぶ内容が減ったかと思ったら、また増やすらしい。減った時の生徒はどうするの?先生方の努力を期待しましょう。多くの先生は自己努力をして、指導の成果を常に考えていると信じています。しかし小・中学校へ総合的学習の指導に行くと子供(中味が)みたいな先生がいる。若い先生は分らないことがあれば、先輩の先生に聞けばいいと思うが、聞かない人が多いと感じます。クラスの中に入ると一国一城の主と思うからなのか?今日から新学期。昨年送付しておいた授業に使う資料を失ったと電話あり。「学校のファイルに以前のがあるはずだから探してください」というとすぐ「なかったので再度送って欲しい」の返事。昨年度の担当の先生に聞けば分るはず。この返事の速さは聞いてない。先生にも内申書 否、成果主義を導入して、子供にきちんと教育できているかどうか成果を出してくれないと、親は不安と思います。 先生に採用されるのは、とても難しいと聞いています。きっと成績優秀な人ばかり。インプットしたものは沢山持っているのでしょうから、後はそれをアウトプットするためのコミュニケーション力だと思います。ことばの花束の選択を!
2004年01月08日
作家の田辺聖子さん曰く「今の人は読者しなくなって、皆バカになってきた」と。「ウ~ン 私もかな?否、私も」と実感。(私は今の人じゃなく、昔の人だけど)このことを本当に実感できたのは手話に関わってからです。(この‘実感’を伝えることばの花束を作るのが難しいのですが)大人になってから「もっと本を読んでおけばよかった」と反省。そして親になって、絵本から、寝る前の読み聞かせまで一応やったが、その頃もことばの力が思考力と比例するなんて考えてもいなかった。自分が成長する時で失敗。親としてもこの部分で失敗です。(もちろん読書は感情とか情緒とか心などを育てるものですが、ここではことばだけを考えています。)そして本からだけでなく子供に話かけることばももっと豊富だったらと。きっと田辺さんとカモカのおっちゃんの間には豊かなことばの花束のやりとりがあったのでしょうね。
2004年01月07日
いろいろな分野の人(食品、薬、機械・・・)が集まってのリーダー養成講座の様子をたまたまラジオで聞いた。自分の失敗を表現するというのがあり、原因ー行動ー結果を示し、対処方法を皆に伝える。その表現方法が大切で、違う分野の人にもわかるようにことばだけでなく、絵なども使って工夫する。きちんと伝わると、今まで他人事と思って聞こうともしなかった他の分野の失敗が、自分の仕事にも関連していることが、学習できるという。故にこれからは情報、知識をインプットしているだけでなく、それを頭の中で考え、整理し表現するという出力能力が大切という話だった。 以前、70歳代の耳の聞こえない夫婦の奥さん(日本語はかなり出来る)が入院。夫(日本語力ほとんどなし)に家から持ってきてほしいものを一つ一つ絵に描いて頼んでいた。絵が下手な私はこんなコミュニケーション方法は出来ないなと見ていたことを思い出しながらラジオを聞いていた。日本語をある程度獲得してしまうとこれだけで通じさせようとし、通じていると思い込んでいる。いろいろな方法を駆使することを忘れてしまう。花束も赤いバラの回りに白いかすみ草があって、バラに託した自分の心をよりよくアウトプット出来るのかもしれません。
2004年01月04日
小さい時、よく親から言われた言葉です。昔は地域社会で連帯感が強く、否、強すぎて余り隣近所のことに口を出すなという戒めのことばだった。しかし現在は連帯感も無いのにこの「見ざる、聞かざる、言わざる」のおサルさんが多すぎ、孤立の中でいることに安心感をもっているらしい。申年にこんなおサルさんが更に増えないように孤立より連帯できる人間を育てて欲しいと願っています。 箱根駅伝の選手や関係者の皆さんは社会に出ても連帯の輪を作れる素晴らしい人になるだろうとの思いも込めて応援します。
2004年01月02日
「日本」「きずな」年末から元旦に見聞きしたことばです。自分の国のことを一人一人が真剣に考えなければならない日本の現状と、周りとのきずなを絶って一人でいることを平安とすることの危なっかしさへの警告でしょうか。 人間は一人で生きているのではないことを再認識し、きずなをもう一度つなぎ、太くすることが大切です。人間は人とのつながりが多いほど心が成長するように感じます。大人だけではなく、赤ちゃんも子供も。そのためにコミュニケーションが大切で、その道具のことばの力を高めることを更に考えていきたいと思っています。 自分の大切な人へ心を伝えることばの花束を贈り続けたいです。
2004年01月01日
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